月島は今年で誕生120周年を迎えました。振り返れば、1892(明治25)年に月島第一号地として竣工してから、歴史を紡いできた月島の魅力を〝七不思議〟と題していくつかご紹介したいと思います。どうぞよろしくお付き合い下さい。
そもそも中央区は東京湾の埋立地のスタートとなった地域です。江戸時代初めには隅田川の河口に小さな島〔石川島〕があり、やがてご存知のとおり、1644(正保元)年に佃島が造成されました。その後、佃島の住民が中心となって、現在の築地の土地整備にも尽力しましたので、かれこれ400年近い土地造成の歴史があるわけです。
さらに時代が下って明治に入ると、佃島のさらに南の地域に土砂が堆積し水深が浅くなってきました。そこでこの付近の浚渫を大々的に行い、その揚げ土で新たに土地を造成したのが、現在の〔月島〕です。
東京湾の始めての埋立地ということで〔1号地〕の名が与えられました。その後、このナンバリングは継承され、現在の有明・台場地区辺りにまで広がっていったのです。首都高速湾岸線の〔臨海副都心出口〕は少し前まで〔13号地出口〕と称していました。これもかつての埋め立て計画の名残りです。
このあたりの歴史や文化を伝える特別展が、現在〔郷土天文館〕で7月1日まで開催中です。5月19日付けのブログで〝写楽さい〟さんが詳しく報じて下さっていますのでご覧下さい。けっこう見応えがありますよ。
さて、〔月島〕散策の出発地は主に〔月島駅〕になることが多いと思います。ぼくはかつてこの辺りに住んでいましたが、地下鉄有楽町線が1988(昭和63)年に開通するまでは都営バスしか公共交通がなく、けっこう不便でした。今は大江戸線も通って便利になりましたね。戦前戦後にかけては、都電が清澄通りを走っていて、住民の貴重な足でした。(写真は昭和43年ごろの「月島通り8丁目電停付近。現在の地下鉄勝どき駅周辺。イカロス出版『東京都電』より引用)
月島には中央区役所の出先機関として〔月島区民センター〕があります。図書館も併設しており、行政の窓口としてだけではなく、地域交流や学習の拠点としても親しまれています。
月島は人情味溢れる下町の風情を残しつつも、この10年くらいで大きく変わってきました。古い路地の長屋がだんだん少なくなり、マンションが増えてきました。
そんな変わり行く月島の横顔をこれからお伝えしていきたいと思います。
月島の魅力を再発見しましょう。
続きを読む: 月島七不思議~「序章」