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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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つきじ獅子祭 渡御祭 2015

[サム] 2015年6月15日 09:00

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R0033969RS.jpg 6月10~14日、築地波除稲荷神社では、江戸時代から続く、夏越し大祭 「つきじ獅子祭」が行なわれています。

同祭の起源は、一面海だった築地が埋め立てられた今から約350年前に遡るとされます。埋め立て工事が困難を極めた折、海面を漂う稲荷大神の御神体を社殿を造り祀ったところ、波風は止み埋め立て工事は無事終了。ご神徳のあらたかさに驚いた人々が、稲荷大神に「波除」の尊称を奉り、また雲を従える龍、風を従える虎、一声で万物を威伏させる獅子の巨大な頭を数体奉納し、これを担いで回ったのが祭礼「つきじ獅子祭」の始まりとされています。

「つきじ獅子祭」には3年毎に開催される本祭りと、その間の年に行なわれる陰祭りがありますが、今年は本祭りの年。

10日 大祭式、11日 鎮花祭・宵宮祭、12日 御神楽祭・江戸里神楽奉納 に続き、13日はいよいよメーンの渡御祭。

今回は築地市場移転前の最後の本祭りということで、市場内「水神社大神輿」も一緒に築地内を巡行。

違う神社の神輿が一緒に巡行することはめったにないとされ、「神社千貫宮神輿・弁財天お歯黒獅子」が「水神社大神輿」と一緒に巡行するのは最初で最後の機会と聞きます。

宮出し(12:50)~水神社参拝・魚河岸会渡御~宮元渡御~築地町内渡御~宮入り。

普段ターレー・フォークリフトや小車が行き交い活気に溢れた場内も、この日は清々しく掃き清められた上で、巡行迎え入れ。

半纏姿も粋な魚河岸衆の威勢のいい掛け声が響き渡る中、殊に2基の神輿揉みシーンは迫力満点で、いやが上にも祭り気分が盛り上がります。

大勢の見物人の人いきれに加え、当日の東京地方の最高気温は29.0℃。

場内は感動の熱気に包まれました。

翌14日は、弁財天お歯黒獅子宮入り・各町神輿連合社参が予定されています。

 

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続きを読む: つきじ獅子祭 渡御祭 2015

 

ノウゼンカズラが、もう・・・〔築地川銀座公園〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月14日 14:00

暑い盛りに濃いオレンジ色(あるいは黄色)の花を咲かせ続ける花、ノウゼンカズラ凌霄花)のがもう咲いていました

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場所は、万年橋の両側、首都高速の上に作られた築地川銀座公園の築地側のフェンス沿いです(オレンジ色の部分

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ノウゼンカズラは中国原産のつる植物ですが、平安時代の本草書『本草和名(ほんぞうわみょう)』にその名が見られるほど、古くから私たち日本人に親しまれてきました

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太陽が大好きな植物なので、まだ梅雨も明けておらず、日照不足でつぼみが咲かずに落ちてしまうことが心配ですが、何とか梅雨を乗り切って、灼熱の太陽のもと、次から次へとを咲かせ続けてほしいものです

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キンシバイとビヨウヤナギが花盛り〔聖路加通り〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月11日 18:00

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築地川公園の暁橋から聖路加通り沿いの聖路加国際大学、聖路加国際病院側(タイムドーム明石の向かい側)に、キンシバイビヨウヤナギ花盛りです

下の地図黄色の部分です。

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キンシバイ(金糸梅)もビヨウヤナギ(未央柳、美容柳)も、オトギリソウ科の半落葉小低木で中国原産、江戸時代に渡来。花期は6、7月頃で、黄色の花を咲かせるところまでは同じなのですが、違いは、ビヨウヤナギ雄蕊が長く、多数あり、よく目立つところです

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キンシバイ

どちらも、初夏から夏に向けて次々と黄色の花を咲かせて、私たちの目を楽しませてくれることでしょう

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ビヨウヤナギ

 

 

◆ 築地市場内 の 魚河岸水神社

[隅田の花火] 2015年6月 9日 14:00

 

築地市場の場内にある水神さま(昨年暮れの風景)。

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ここ築地市場内には鳥居とほこらのある遥拝(ようはい)所があります。ここでおまいりすることで、北の遠くの方向の神田明神境内にある「水神社」本殿を拝むことができるようになっている、そういう場所です。

 

「水神社」は魚河岸(魚市場)の歴史とともに歩んできた神様で、その始まりは江戸の初めにさかのぼります。

徳川家康公により大阪から江戸へ引き連れてこられた漁師で日本橋魚河岸の礎を築いた森孫右衛門一族が「弥都波能売命(みづはのめのみこと)」を祀った、「大市場交易神(おおいちばこうえきしん)」がその始まりとされ、その後、神田明神内に社殿が設けられ今に至っています。

 

魚河岸は関東大震災のあと、昭和10年に日本橋から今の築地市場の地に移りましたが、その時できたのがこの遥拝所というわけです。

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その後80年間、水神社は魚河岸で働く方々を見守ってきました。

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築地場内はあわただしい場所ですが、この遥拝所は比較的落ち着ける場所。いつも綺麗にされており季節の花も咲いたりして心を和ませてくれます。

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今は紫陽花がとても綺麗ですね。

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しかし来年、魚河岸が豊洲新市場に移転することになりました。ということはこの遥拝所も魚河岸と一緒に移転することになるのはごく自然の流れです。

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同じ敷地内にある「旗山」と刻まれた石碑は、かつてここ築地が日本海軍の地であったことの由来を記すものになりますので、ここ築地の地に残ることになるのでしょうが・・・

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しかし魚市場の「場外」はここ築地に残ります。遥拝所の裏の場外では、市場移転前に先行して開業する予定の施設「築地新市場」の建設が行われており、築地の新しい歴史がまた始まろうとしています。

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そんな水神社のお話として、今まさに注目なのは、場外にある「波除神社」の『つきじ獅子祭』。このお祭りで水神社の大神輿が担がれます。

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元々、水神社のお祭りもありますが、大々的に水神社の神輿が担がれたのは魚河岸が築地に移ってきてから数回しかないようで、市場祭りを除き築地町内を渡御するのは25年ぶりとのこと。

 

水神社の神輿が担がれること自体が珍しいうえに、「波除神社」の大神輿との連合渡御、いわゆるコラボは史上初。波除神社の大神輿が担がれるつきじ獅子祭の本祭は3年に1回なので、このコラボは「最初で最後」とか「歴史的瞬間」とか言われるゆえんです。

 

今後、水神社の神輿が築地町内で担がれるのはなかなか難しいと思われ、今回は水神社の「築地さよなら渡御」的性格もあると思います。

 

「波除神社」の『つきじ獅子祭』。

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神輿が町内を巡るのは6月13日土曜日の渡御祭になります。

http://www.namiyoke.or.jp/shishimaturitokusetsu.html

ぜひ皆様の目でご覧になっていただけたらと思います。

 

 

エコまつりとフリーマーケット

[四方の風] 2015年6月 6日 14:00

 中央区の昼夜人口差が大きいことはみなさんよくご存じの通りです。しかし区の人口は着実に増加傾向にあります。

毎月発表される最新データでは14万人を超えております。

 5月最終日曜日久しぶりに郷土天文館(タイムドーム明石)を訪ねたところ近くにあかつき公園で'第12回エコ

まつりとフリーマーケットが開催されているのに遭遇しました。

 

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シーボルトの胸像があることで有名なあかつき公園はこどもたちが伸び伸びと遊べる空間と遊具が揃っていて

イベントに家族連れで安心して参加できる場所です。余談ではありますが、2月の雪まつりもわたしは偶然遭遇

しました。

 「知ろう」「やろう・私たちのできる」エコをテーマに環境パーフォマンスが多数出展されていました。

中央コミュニティバス「江戸バス」も運転席に座ろうをキャッチフレーズに子供たちの関心を集めていました。

同時開催のフリーマーケットも若い方が出品され活気にあふれ賑わいをみせていました。

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天文館には昔の中央区を認識するためにたずねたのですが、図らずも今を暮らす方々に出会うこととなりました。

連日国内外の観光客で盛況な築地ですが、聖ルカ通り、築地川公園からあかつき公園で出会った子供たちの

はつらつとした声と動きにおおいに'気'をもらうことができたました。

みなさんもぶらっとお出かけになり、何かに

遭遇しませんか?

因みに、まだまだ先のことですが、11月に浜町公園でフリーマーケットが開かれるそうです。

 

   タイムドーム明石               聖路加看護大学遠景

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築地居留地研究会 「第5回:築地あじさい祭り」の受講報告

[銀造] 2015年6月 4日 14:00

 NPO法人築地居留地研究会は主催された、「第5回:築地あじさい祭り」が

平成27年5月23日に開催され、その講義を拝聴してきました。

講師は関口忠司氏で、日本学術会議・日本歴史学会・洋学史学会会員の方との触書ですが、

テーマが「わが先祖 ハインリッヒ.von.シーボルトと築地居留地・延遼館・新富座」とあります。

 

講義が始まる前からマイクを握って司会をなさっている方が、てっきり本日の講師かと誤解したり、

本日のテーマの「わが先祖・・・」というのを改めて確認しながら、講義を注意深く拝聴しました。

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拝聴した講義のメモをそのまま報告するよりも、セミナーの後で頒布して頂いた

小冊子、「WHO IS HEINRICH SIEBOLD 」、

副題:明治初期の日本に降り立った一人の青年がいた・・・。彼の名はハインリッヒ・シーボルト

と併せて報告します。

 

1)フィリップ von.シーボルト(敬称略。以下、フィリップ)が、日本に初め赴任したとき、

 長崎で出会った日本人女性「おたきさん」との間に、娘イネが生まれ、後に築地産院を開院したことは知っていました。

2)シーボルトの本拠地、ライン川河畔のボッパルト市で、シーボルトとその妻ヘレーネ・フォン・ガーゲルンの間には二人の男児があり、

 長男の名をアレキサンデル、次男の名をハインリッヒといった。

3)次男のハインリッヒは、父の愛した日本への興味を募らせ、明治期の日本に墺洪帝国(オーストリア・ハンガリー)在日代理公使として駐在し、築地居留地に居住しました。

4)兄のアレキサンドルは、在日英国公使館館員となったのち、徳川昭武公の遣欧使節団通訳としてドイツに帰国。明治期の日本政府の外交顧問として活躍しました。

 ご兄弟の功績は、日奥修好通商航海条約、日本初のウイーン万博への参加、

 延遼館の建設提案、日本博愛社(現、赤十字)設立提案、不平等条約の改正に尽力、明治憲法の制定に助言などがあります。

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5)本日の講師の関口忠司氏は、上記3)のハインリッヒが、日本に滞在中に好きになった日本橋の武蔵屋の娘「はな」さんと結婚。

 花さんが、お婆さんということで、ハインリッヒの孫、フィリップのひ孫さんにあたるとの事等が説明され、日本での活躍、いろんな方々との出会い、

 黎明期の明治維新で外交音痴の政府関係者などを親しく指導したとのお話が映像を使い、分かりやすく解説頂きました。

  シーボルト一族と日本との関わりを教えて頂いた、大変有意義なお話でした。

帰り際に購入した小冊子、「WHO IS HEINRICH SIEBOLD 」、冬青者発行、清水正雄氏著の「東京築地居留地百話」は

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今後の街歩きを楽しくしてくれそうです。 

 

なお、今回セミナーを主催して頂いた「NPO法人 築地居留地研究会」では、

新会員を募集中とのチラシを頂きました。

詳しくは、電話:03-3551-7595、HPは、中央区社会貢献活動情報サイト http://chuo.genki365.net/

活動紹介は、http://www.tsukiji-kyoryuchi.com     でご覧下さい。