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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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山東京伝 「銀座的人物」、銀座一丁目に開店

[与太朗] 2010年11月29日 08:36

IMG_0369.JPG 「江戸京橋銀座一丁目。お上りなれば左りの方。お下りなれば右りの方。表は板塀に竹を植え込み、隠者めかした山東京伝。内へ入れば、たゞの店。京屋伝蔵方にて・・・」(山東京山『煙草二抄』)

 江戸戯作の第一人者、ベストセラー作家の山東京伝は、数え13歳から56歳の没年まで銀座一丁目の住人でしたが、寛政五年(1793)秋、33歳のとき、京橋銀座一丁目東側橋の方の木戸際に借家して間口九尺奥行二間、紙製煙草入れの店を開きます。浮世絵師北尾政演としても評価の高い京伝自身デザインの新形商品が大当たり、寛政七年には同じ銀座一丁目、父伝左衛門が家主を務める医者の家蔵を買って移転、間口三間の広い店になりました。

 京伝は戯作の中でも店を宣伝、歌麿は京伝店の店頭を大判錦絵に描き、京伝に引き立てられた馬琴もその作中で「今時、京伝店の煙管・煙草入れを持たない者と薩摩芋・唐茄子の嫌いな女はいない」などと提灯持ちをしています。自作の引札(ちらし)も評判を呼び、判じ物仕立てになったものもありました。(判じ物とは、狐に背負われた子の絵で「古今」、老僧が逆さになって「候(そうろう)」と読ませる類。明治になって幸田露伴が解読文『京伝の広告』を書いています。) 繁昌につれて扱う商品も開業時は紙製煙草入れのみだったのが、楊枝入れ・煙管・鼻紙袋から懐中物一式、読書丸・奇応丸などの薬類、白牡丹など化粧品と増え、「江戸じまん名代名物ひとり案内」という番付には化粧品・小間物・薬類に「京はし 京傳 烟草入」が前頭に挙げられています。

IMG_0373.JPG 彼は黄表紙・洒落本ですでに大作家としての地位を築いており、寛政の改革では筆禍に遭いましたが(手鎖五十日)、しっかりした堅実な家業を起こし、それを基にさらに読本・合巻や考証の分野で腕を揮っていきます。マルチアーティストというと往々奇人変人タイプを想像しがちですが、京伝は人格的にも円満な粋者、通人だったようです。

 文学散歩の草分け野田宇太郎は、京伝を「銀座的人物」と評し、こう書いています。

「江戸稀代の粋人で、戯作もし浮世絵も描き、ディレッタントらしい教養をもちながら商才にもたけていた山東京伝を、わたくしはいかにも銀座らしい人物だと思う。」

 

 【写真上】現在の銀座一丁目東側(一丁目交番前より)

 【写真下】京橋記念碑と親柱(明治8年)

 

 

 

浜町公園 秋色満開

[銀造] 2010年11月27日 19:26

 今日は人形町から浜町公園を歩いてみました。

浜町公園は、黄金色の銀杏を行きかう人々も楽しんでおられました。

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  浜町公園に入って左側に何やら白い花が。 

近づいて確認すると、5月がシーズンのアメリカハナミズキが、狂い咲き。

 植物は、子孫を残すために花(白いのはガクですが)をつけ、種子を残そうとすると

言われていますが、危機的な気候の変化に、思わず反応したのでしょうか?

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 メタセコイヤは、緑と紅葉の2つが並んでいます。

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 清正公の横から見る公園は、正に秋色一色です。 是非、お出かけ下さい。

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 温かい日でしたので、アフリカの太鼓、「ジャンベ」を叩いている人もいました。

また、行って notes 3拍子のリズムを習ってみようっつと。happy01

 

 

Eボート 亀島川を E体験

[銀造] 2010年11月27日 18:37

 11月24日、NPO法人地域交流センターが主催する「Eボート キャンドル・クルーズ」に

行ってきました。 でも、 「Eボートって、何だろう」と思っていました。

 ご案内のチラシには、

Eボートは10人乗りの大きな手漕ぎカヌー。誰でも簡単に安全に水辺を楽しむことのできる交流ツールとして全国各地でEボートの活用が進められています。

Eボートに乗って川の中から見るまちは、まさに非日常の景色です。人は無意識のうちに水辺を求め、やすらぎを感じるものです。自分の力で漕ぐボートに乗って水辺を身近に感じることのできる体験はごく一部の人の世界のように思われますが、こんなに手軽に非日常を味わえるのはEボートだけでしょう。

 何はともあれ、八丁堀駅近くの乗り場から乗船。亀島川を霊岸橋まで、レッツ・ゴー!

掘割の多い日本橋地区。 オランダやベニスのゴンドラを思い浮かべました。

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 小学生の娘さんと参加したお母さんもいらっしゃいましたよ。 

約10分間、初めての挑戦で、coldsweats02 緊張の連続でしたが、無事霊岸橋で下船。

皆さんの笑顔が素敵ですね。 アー、楽しかったなぁ!又、開催して欲しいなぁ!

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 さて、次は、チラシに紹介されたレストランに。

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 De Ichiba というイタリア・レストラン。亀島橋のすぐ下流右側にあります。

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なかなか感じの良い店長さんらしき人の応対。 

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 炙りベーコンが分厚くて、美味しい。生ビールをサービスされ、ハウス・ワインに挑戦。

ふむ、 中々じゃ。 値段も手ごろで、ここも教えたくない店になりそう。 

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 さて、お次は、八丁堀駅近くの海鮮・沖縄料理の店、「うみかぜ」

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 入って直ぐの、カウンターの奥の棚には、焼酎と泡盛が所狭しと並べられています。

ご婦人方のお客の方が多かったようです。

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 心地よい酔いに、すっかりリラックスして、泡盛をロックで2杯。

お土産に貰った「琉球グラス」。 帰宅して、早速使い、又又、幸せになりました。

 おっと、Eボートのご紹介を忘れるところでした。 夜の開催は今回が初めてとの事。

日本橋周辺での開催も計画されているとの事。詳しくは、下のURLでご確認下さい。

http://www.jrec.or.jp/

 

 

 

「シャイニー ブルークリスマス」

[サム] 2010年11月26日 10:00

RIMG1554S.JPG 海、イルカをテーマとしたユニークなクリスマスイルミネーションが、11月24日~12月25日の期間、晴海トリトンスクエアで開催中。

「水のテラス」を中心に、「シャイニーブルークリスマス」を謳い、オーシャンブルーの大海原のイメージやイルカの躍動感をテーマに、海を表わす「ブルー」を基調とした華やかで幻想的なイルミネーション。

波しぶきのイルミネーションを背景に小型プールの上には4頭のイルカの群れがイルミネーションで浮かび上がり、周辺の樹木イルミネーションは海中のサンゴのように煌めく。水のテラスのサークルはブルー&ホワイトの光が揺らぎ、足元・壁面ではムービングライトにより照射された"光のイルカ"が泳ぎ回る。

 

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関口美智子展 11月29日(月)~12月4日(土) くるみ画廊

[ゆりかもめ] 2010年11月25日 13:00

銀座には数多くの画廊がありますが小さな落ち着いた雰囲気の画廊での作品展です。

関口美智子さんが御自分で育てた庭の「バラの花」「ミモザの花」を題材にしての作品です。

作品には優しさが溢れ、落ち込んでいる時にも勇気を与えてくれます。

今までに御自分の作品を病院や医院に寄贈なさったりしていますので、その待合室で患者様の気持ちも和らいでいる事と思います。

彼女らしい作品展です。

銀座にお出掛けの帰り道・・・・・是非御覧になって下さいませ。 無料です。

 

  関口美智子さん    (女流画家協会会員・日本美術家連盟会員)   

       1959年    女子美術大学卒

         77     女流画家協会展に出品(以後毎年出品)

         84~90   上野ノ森美術館絵画大賞展に出品

         87      資生堂ギャラリーにて個展

         92      新製作協会展に出品

       2003 2006  和光アートサロンにて個展      

                       2010_1124 関口美智子展02.JPG          

 

            くるみ画廊  (銀座並木通り)

             東京都中央区銀座5-5-13 坂口ビル 10階

                 電話  03-3571-4878

                AM11:00~PM6:30  日曜・祭日 休廊

 

 

◆中央区 ここに歴史あり<26> ~永代橋崩落惨事の供養塔~

[巻渕彰/写楽さい] 2010年11月25日 08:30

現在、国の重要文化財指定されている永代橋。今から約200年前に崩落したことはよく知られている。時は文化4年(1807)8月19日、深川富岡八幡宮の大祭は11年ぶりに執り行われた。祭りで賑わう人々が永代橋を渡っているときに崩壊したのだ。当時は木橋でかなり痛んでいたともいう。犠牲者は約500人とも、はたまた1500人に達したとも言われ、確かな人数は不明だ。この大惨事を蜀山人(大田南畝)は狂歌で「永代とかけたる橋は落ちにけり きょうは祭礼あすは葬礼」と詠んでいる。落語「永代橋」でも演じられた。

 

0913_26_101124eitaibashi.jpg当時の犠牲者を悼んだ文化4年永代橋崩落横死者供養塔および石碑目黒区下目黒の海福寺にある(写真上左右)。同寺は江東区深川にあったが、明治43年(1910)現在地に移転した。供養塔と石碑は平成3年に東京都指定有形文化財になっており、説明板が設置されている(写真下左)。

 

これによると「江戸はじまって以来の大惨事が発生した」「溺死者の百日忌・五十回忌・七十七回忌・九十一回忌の折に海福寺境内に建立された」「溺死者440人ともいわれた空前の大惨事を、江戸市民がどのように受けとめ後世に伝えていたかを明らかにすることができる都内唯一の資料である」と記されている。

 

供養塔の台座はだいぶ古く、そこに彫られた刻字はかなり磨り減って読みにくいが、「京橋」や「八丁堀」と刻まれて、犠牲者の氏名がわずかに読み取れる。3年ごとに執り行われる深川八幡祭は現在でも、中央区側の新川や箱崎町が氏子であり、隅田川をはさんで幅広い社域を誇っている。当時も隅田川の西側から担ぎ手や観衆が集まっていたことが分かる貴重な史跡である。