[まぴ★]
2010年11月24日 14:00
源吉兆庵の和菓子は、銀座松屋で何度か利用したことがありますが、
銀座本店に行くのは初めてでした。
とても立派で、雅やかな雰囲気のお店です。
東京銀座あんもというお饅頭を発見!こちらは限定商品のようです。
帰省のお土産にもよさそう~!
栗雅楽やりんごの果は季節限定です。
「銀座あんも」も「栗雅楽」も、
びっくりするほどしっとり(生地も餡も)しています。
なのに上品な甘さで美味しい~(*^^*)
りんごの果は、つるんとしたゼリーではなく、
すりおろしたりんごを固めた感じで、
食感がざらっとして、本物のりんごを味わえます
2階には茶寮があり、さらに上には割烹料理の「銀座松濤・粋」
懐石のお店「松濤」(4階・5階・6階)もあります。
次回は茶寮で、上生菓子を頂きたいです(*^^*)
広報の方に撮影の許可を頂き、お名刺も頂戴しました。
源吉兆庵のホームページ
[銀造]
2010年11月24日 13:30
皆さん、今日は。 Bom dia !
11月22日朝、築地川公園のハナノキが紅葉の見頃です。
ハナノキは愛知県の県木なのですね。 長野県では、絶滅が心配されています。
本当に美しい紅葉と周りの木々の黄葉の彩りがとても綺麗です。
幻想的な場面にも出くわすかも。
お隣の聖路加看護大学の構内の黄葉、紅葉も大変綺麗です。
聖路加病院、明石町の散策、築地市場との行き帰りに、是非お立ち寄り下さい。
ハナノキの見頃は、12月始めまででしょうか? お見逃し無く。
[O傘]
2010年11月22日 12:49
江戸時代の天下祭「山王祭」に参列していた「静御前」(しずかごぜん)の山車(だし)はじめ、10数台の人形山車の絢爛豪華な巡行が、栃木市の中心街「蔵の街大通り」で行われました。「とちぎ秋まつり」です。
祭りは隔年で開催されているそうですが、今年(2010年)は開催の年にあたっていて、11月13日(土)、14日(日)の2日間行われました。
ガイドのサポーターも兼ねて「絢爛とちぎ山車祭見物」のイベントに参加することになり、
日本橋の町内が所有していた「静御前」などの人形山車【参考1】の巡行を、初日(11/13)に見てきましたのでご紹介します。
東武浅草駅を10時30分発の特急に乗り、約1時間10分で栃木駅に到着です。
祭りは14:30の開始なので、それまで街の散策をしました。
【街の紹介】
街には、いたるところに古い蔵(土蔵)が現存し、出桁(だしげた)造りの家も多く目にします。明治、大正の昔に返ったようです。
これらの多くは文化庁の登録有形文化財や県の文化財に指定されています。
街の中心には、流れの穏やかな清流「巴波川」(うずまがわ)が流れ、
祭りに来たお客を川舟にのせ、船頭が土地の民謡や蔵の話を披露しながら竿を操っていました。
川床には藻が揺らぎ、たくさんの鯉が泳いでいます。見ているとゆったりした時の流れを感じます。
栃木市の街の歴史については【参考2】をご覧下さい。
【とちぎ秋まつり】
オープニング・セレモニー(出発式)で、栃木市の鈴木俊美(としみ)市長の挨拶があり、
「今回の秋つりは、3月に近隣3町を合併し人口も倍近い14万人になった新生栃木市の最初のとちぎ秋まつりで、大変意義深い。
また小江戸と呼ばれる川越市、旧佐原市や、中央区、墨田区とも幅広くお付き合いをしている。」
などの挨拶があり、
来賓として香取市、春日部市などに並んで、
中央区から区長代理の中央区文化・生涯学習課長の鈴木 浩(ひろし)氏が紹介されました。
大勢の見物客が両側の歩道をうずめる中、絢爛豪華な人形山車の巡行が始まりました。
お目当ての「静御前」の山車には、太鼓席の横に「元江戸山王祭 九番山車」【参考3】の札が立ててありました。
多数の山車が連なり巡行する様子を見ていると、江戸時代の山王祭を見たような気がします。
歌川広重の「名所江戸百景」に「糀町(こうじまち)一丁目山王祭ねり込(こみ)」の絵があり、山車が連なり、
桜田濠越しに半蔵門から江戸城に練り込む様子が描いてあります。
この「とちぎ秋まつり」を見て、当時の天下祭りで使用された高さ7mもある人形山車45基の行列がいかに絢爛豪華で壮大だったかを思わずにはいられませんでした。
そして日本橋で所有していた「静御前」の山車に会えたのも嬉しく、感慨深いものがありました。
中央区と交流のある「小江戸」栃木市を是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。
【参考1】栃木の山車
「とちぎ秋まつり」に、江戸時代の天下祭「山王祭」に出御(しゅつぎょ)した「静御前」(注)の山車は、日本橋の町内が所有していたもので、明治初期に栃木の倭(やまと)町3丁目が購入したものだそうです。
(注)静御前:京の白拍子(しらびょうし)(平安時代から鎌倉時代にかけて、歌舞を行う遊女)で源義経の寵女(おもいもの)。頼朝に捕らえられ、鎌倉「鶴ケ岡八幡宮」の舞台で直垂(ひたたれ)、立烏帽子(たちえぼし)に刀を差し「しづやしづ、賤(しづ)のをだまき、くり返し、むかしを今に、なすよしもがな」と頼朝の前で臆せず歌ったといわれます。
静御前の人形は嘉永元年(1848年)、「松雲斎 徳山」の作といわれ、栃木にある山車で最も古い人形です。
このほか三国志の「劉備」(りゅうび)、「関羽」(かんう)、「張飛」(ちょうひ)の山車もあり、これらは明治26年(1893年)、県の祝典のために日本橋本石町の人形師「三代目 原 月舟」に依頼して製作したものだそうです。
そして、「天照大神」(あまてらすおおみかみ)、「日本武尊」(やまとたけるのみこと)、
「素盞鳴尊」(すさのおのみこと)、「神武天皇」、「太閤秀吉」(たいこうひでよし)、「桃太郎」の山車もあり、「静御前」および三国志の3体と合わせて県指定有形民俗文化財です。
左の写真は、「天照大神」の山車
さらに「諌鼓鶏」(かんこどり)、「弁慶」、「仁徳天皇」の山車もあり、これらは市指定有形文化財に登録されています。
これらの山車は県や市が保有しているのではなく、各町会が保有・維持しているそうです。
栃木の山車は「江戸型人形山車」(えどがたにんぎょうだし)と呼ばれ、山車を覆う幕が金糸、銀糸で、山車ごとに特徴のある絢爛豪華な刺繍がなされています。そして高さ7mほどもある山車が江戸城の御門をくぐるために上げ下げ可能な2重構造になっています。
大通りにある「とちぎ山車会館」で本物の山車や「とちぎ秋まつり」の映像などをいつでも見ることができます。
【参考2】 栃木の街の歴史 ~例幣使街道と巴波川の海運~
栃木市は、埼玉県の川越市や千葉県の旧佐原市(現 香取市)にならんで「小江戸」と呼ばれ、
明治4年(1871年)の廃藩置県で、江戸時代の下野国(しもつけのくに)が、栃木県と宇都宮県に分割されましたが、明治6年に2つの県が合併して栃木県になり、この栃木市に県庁が置かれて政治・経済・文化の中心地として栄えたそうです。
その後、明治17年に県庁は宇都宮市に遷りましたが、県名は栃木県として残りました。
「県庁堀」に県庁の名を残しています。
江戸時代には、家康を祀る日光東照宮に、江戸時代には朝廷から勅使(ちょくし)「例幣使」(れいへいし)が毎年参向し、栃木は、その「例幣使街道」の宿場町(栃木宿:第13番目)として発展し、
さらに巴波川(うずまがわ)を利用して、江戸との間を舟運(ふなうん)により物資輸送を行ったことで、幕末期には栃木商人は隆盛を極めたといわれます。
栃木の「蔵」はやはり土蔵が多いのですが、石蔵、板蔵もあるそうです。用途は倉庫のほか、店舗としての「見世蔵」(みせぐら、店蔵)があります。この栃木には日本最古級の見世蔵があるそうです。
栃木は江戸時代に浮世絵師「喜多川歌麿」と交流があり、最近発見された「鐘馗(しょうき)図」、「三福神の相撲」および「女達磨(おんなだるま)図」の3点の肉筆画を保有しています。
【参考3】 江戸時代の山王祭の山車行列
山王祭は、神田祭とともに将軍の上覧が許され江戸城内に入ることができたため「天下祭」(てんかまつり)と言われ、2つの祭りは交互に隔年で開催されました。
当時の山王祭の行列は大榊を先頭に、各町の山車(45基)、神輿(3基)が続き、このほか付祭(つけまつり)と称し、長唄や常磐津節などの音曲を伴った踊り屋台(移動式舞台)なども参加したそうです。
山王祭の山車は、1番の諌鼓鶏(かんこどり)から45番猩々(しょうじょう)の山車まであります(文久2年)が、大多数の山車は現在の中央区の日本橋地区、銀座地区、新川地区の町が出したものでした。
山王祭も天保の改革の倹約令の対象となって以後次第に衰えますが、文久2年(1862年)の祭が、将軍上覧の最後の天下祭といわれます。
そして明治22年(1889年)を最後に、山車が山王祭に引き出されることは無くなりましたが、
これは市街電車の架線敷設により背の高い山車の巡行が出来なくなったとか、維持と巡行に費用がかさむなどの理由だと言われています。
そして人形山車は、次第に関東各地に分散していったようです。
[サム]
2010年11月22日 08:15
治安の良さでは、世界的に定評のある日本。長い歴史の中で育まれ,今や国際語にもなった「KOBAN」の存在も大きいと云われる。その交番にも街なかでとても目立つもの、それとは逆に、公園や周囲の景観・建物と溶け込むように造られたものなど、さまざまな交番がある。街のあちこちにある交番をじっくり観察してみるのも面白い。
今回は築地警察署管内の"気になる交番"のご紹介。
<数寄屋橋交番> <銀座4丁目交番> <銀座1丁目交番>
<数寄屋橋交番>
東京都文化デザイン事業の一環として建てられたもの。
とんがり屋根に外壁は明治時代の銀座煉瓦街に因んだレンガ造り。デザインプレゼンの際、屋根上のデザイン模型が間に合わず、マチ針を仮留めし提案したところ、そのままデザインとして採用されたという逸話がある。
今や国際語となった「KOUBAN」の文字を前面に掲げる。
<銀座4丁目交番>
東京都文化デザイン事業の一環として建てられたもの。
スペースの制約がある中で工夫された造りの鏡張りの外観で、銀座の町並みを壁面に映し、周囲に溶け込んでいる。
以前屋根の上には安全カエルが置かれていたが、今は取り除かれている。
因みに交番の所在地は銀座5丁目。
<銀座1丁目交番>
東京都文化デザイン事業の一環として建てられたもの。
道路の向かい側に保存されている大正11年架け替え時の京橋の親柱に付けられた凝宝珠を模ったデザインの屋根。
外壁は明治時代の銀座煉瓦街に因んだレンガ造り。
丸窓といい庇といい、角の取れた丸みのある外観。
<銀座8丁目交番> <三原橋地域安全センター> <築地市場交番>
<銀座8丁目交番>
8丁目界隈は昔、新橋花街と称せられたところ。
現在は高級クラブが軒を連ねる。また界隈には画廊・ギャラリーも多い。
建物の色合いといい、形状といい、周囲に同化した外観。
婦人警察官配置のランドマーク(看板)を掲げる。
<三原橋地域安全センター>
メタリック調の筒型の外観。
四階建ての大きな建物。
横から見るとスペースシャトルの発射台のようにも見える。
平成19年4月1日からは、「地域安全センター」として運用されている。
<中央市場交番>
都民の台所、東京中央卸売市場(築地市場)の正門脇に位置する。
屋根部は警察官の制帽を模ったように見える。
24h.眠らぬ街区、地域の人々の安全な暮らしを支える役割を担っている。
尚交番にはその場所が遠くからでも目立つよう視認性を高め、デザインも交番に親しみをもってもらえるようなランドマーク(看板)が設置されている。
ランドマークには、3種類のものがある。
① ② ③
①主要駅、観光地、人の多く集まる主要施設、主要道路等の付近にある交番
②住宅街、商店街、幼稚園、学校等の付近にある交番
③女性警察官の配置されている交番
[ゆりかもめ]
2010年11月21日 21:55
友人から贈られた「るれっと」と云う御菓子が美味しくて店を訪ねました。
るれっと Roulette・・・・・フランス語で「可愛いくるま」
パリッとした食感と噛むほどに広がるバターの風味とカラメルの香ばしさが特徴のパイ菓子です。
1960年、先代が考案し、受け継がれ50年余り、手間と時間をかけたこだわりの一品で御客様に大好評のお菓子です。
下記写真 中央の「るれっと」の他にも いろいろな種類があります。
左端は葉巻を連想しての作品だそうです。
訪問したのが丁度、お昼前だったので美味しいパンの焼きたてが沢山あり御店は御客様でいっぱいでした。
下記のメニューの通り、まぐろ、きのこ、めんたい、えび、ちくわ、いちご、くるみ がパンの中に入って焼かれています。
私は くるみとカレーのパンを買いましたがパンの香りと温かさが嬉しくて・・・・・感激・・・・・
私の家の近くの焼きたてパン屋さんよりず^っと美味しかったです。
もちろん「るれっと}も買いました。
このような御店が近くにあればよいなあ・・・思いました。
下記の写真は御店の先代と二代目です。
白の帽子と洋服が良く似合っていらっしゃる事と親子で御店をやっていらっしゃる事は「羨ましいなあ」と思いました。
先代は終戦の頃も現在の場所に住んでいらしたので、あの頃は東京が焼け野原であった為に八丁堀に居て東京駅のマイクが聞えたそうです。
同じ場所で永代橋も見えたそうです。
終戦の時は「小学校の5年生だった」と話して下さいました。
confectionary BROWN
東京都中央区八丁堀2-9 秀和東八重洲ビル1階
Tel & Fax 03-3551-1689
http://www.rouletto.jp
「るれっと」で検索しても大丈夫・・・・ホームページになります。
[ゆりかもめ]
2010年11月21日 10:17
東京メトロ有楽町線・都営地下鉄大江戸線 月島駅下車 徒歩3分の場所に大きな銀杏の木が屋根の間から天に向かって伸びています。佃波除稲荷のすぐ近くです。
江戸時代中期に在住された上野寛永寺、崇徳院宮法親王(すうとくいんのみや)が地蔵菩薩を厚く信仰され自ら地蔵尊像を描き江戸府内の寺院に地蔵尊造立を促されたと伝えられています。
屋内にある地蔵尊御姿です。
本尊に手 を合わせ近づいて撮らせて頂きました。
地蔵菩薩です。
奥に本尊がありその手前に このような大きな二抱えもあるような銀杏の木の幹があります。
この銀杏の木が屋根を越してその上に出て大きく成長しています。
区民有形文化財に・・・・との御話もあったそうですが地域の自然の中で皆様と共に育って行くと云う事で辞退なさったそうです。
ですから「銀杏について」の詳しい資料はありません。
隙間から上を見上げて撮りました。
東京都佃一丁目 9-6 佃天台地蔵尊