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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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コレド室町・YUITO オープン

[みど] 2010年10月29日 09:00

日本橋室町東地区開発の第一弾として「室町東三井ビルディング(地上22F、地下4F)」と「日本橋室町野村ビル(地上21F、地下5F)」が完成し、

それぞれの商業施設『コレド室町』『YUITO』が、10/28にオープンしました。どちらも東京メトロ「三越前駅」に直結しており、雨にも濡れずアクセスはとても便利です。

コレド室町には老舗の「にんべん」「木屋」の他、おしゃれなフレンチカフェなど25店舗が入っています。

ランチは1000円前後なので意外と普通の設定ですし、ラーメンは700円でした。ちなみに私は「にんべん」で100円のかつお節だしを飲みました。割と行列ができて人気の品でした(笑)

ビルの5~6Fは最大1000人が収容できる「日本橋三井ホール」で歌舞伎やライブを予定しているとのことです。

YUITOには北欧インテリア「イルムス」、融合レストラン「XEX日本橋」など12店舗が入っています。
ちなみに「XEX日本橋」の入り口には女優の藤原紀香さんら大勢の有名人からの花束が届いておりました。さぞや高級店かと思いきや、ランチは1300円とリーゾナブルでした。
どの店も素敵で、全店舗制覇してみたい気分になりました。

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イタリア家庭料理といえば???

[明日からのダイエット] 2010年10月28日 13:30

今回は、今まで紹介し忘れていたのが不思議なくらいcatface な

昔ながらのイタリア料理の

restaurantイタリー亭(中央区銀座1-6-8西山興産銀座ビルB1F,1F)の紹介です。

 

アットホームなイタリア家庭料理でのおもてなし。

ここでは何と言っても、ホワイトソースとミートソースがおすすめwink

どんなメニューにも合いますし、そのハーモニーも絶品です。

また、キャンティワインとの相性も抜群ですgood

どうぞご賞味くださいませhappy01

 

 

岸田劉生 生まれも育ちも煉瓦銀座の天才画家

[与太朗] 2010年10月28日 13:30

IMG_0344.JPG 中央区は多くの文化人・芸術家を生んでいますが、銀座通り沿いで生まれ育った人となると少ないでしょう。何点もの麗子像で有名な岸田劉生は彼の回想文『新古細句銀座通(しんこざいくれんがのみちすじ)』によれば、明治24年(1891年)6月23日、京橋区銀座二丁目11番地(現在の銀座2-7メルサの辺り)で生まれ、「鉄道馬車の鈴の音を聞きながら青年時代までそこで」育ちました。

IMG_0346.JPG 父は明治の先覚者の一人、岸田吟香。生家は目薬「精錡水」(吟香がヘボン博士から製法を伝授されたもの)で名高い楽善堂。店と母屋と工場があり、隣の勧工場も岸田の家作、銀座通りをまたいで倉庫もありました。岸田麗子の『父 岸田劉生』によれば、店は間口八間、半分に区切って向かって右が「精錡水」や「薬シャボン」を売る薬房、左が中国の筆墨硯紙その他文房具類や書籍を売る書房でした。(楽善堂の「鐡飴煎」という薬の広告看板が郷土天文館に残されていますね。)当時としてはハイカラな家で、銀座通りに面した二階には洋風のバルコニーがあり、吟香はよくここで体操をしていたそうです。(『新古細句銀座通』には劉生画の生家図、隣の勧工場などの挿画があって楽しい。)

 子供のころの劉生はかなりのいたずら坊主で、銀座の舗道に糝粉細工で作った血まみれの小指を置いて大騒ぎを起こしたり、女の生首を作って女中の腰を抜かせたりしました。また、竹川町(現銀座七丁目)の勧工場にある西洋画の常設展覧所に通い詰め、木戸御免にしてもらうなど、将来の大画家にふさわしいエピソードも残しています。

IMG_0342.JPG 劉生は多くの麗子像をはじめとする肖像画、自画像や代々木の切通し坂の絵が広く知られています(「麗子微笑」「切通しの写生」は国の重要文化財)が、中央区内を描いた絵としては、銀座風景や築地居留地風景の油彩が初期に何点か描かれています。

【写真上】 生家辺の現在

【写真中】 生家跡近くにある銀座発祥の地碑

【写真下】 京橋跡近くの煉瓦銀座の碑

   ( ちなみに、京橋架け替えの際、父吟香と天狗                                        煙草の岩谷松平が渡り初めをしたことをよくおぼえていると劉生は書いています。明治34年の鉄橋の時でしょう。)

 

 

つきじTASSギャラリ~若松屋 2人展 まるごと 始まってます

[銀造] 2010年10月28日 13:00

 築地6丁目12-3にある「若松屋さん」。私は、30年ぐらい前から10年間は四季の度にセンスの良い

ポロシャツなどを買い求めていました。 昨年の「まるごとミュージアム」の会合で、

初めて親しくお話をして頂いた時から、ご主人、佐藤昌弘さんのファンになりました。

 今日は、そんな佐藤さんのギャラリーに出展されている、素敵な芸術家の作品をご紹介。

佐藤さんと画家の高山ケンタさんのお話中にお邪魔しました。

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 先ずは、ドアを開けると、浜崎友子さんの作品が光を放っています。

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作品がフィルム加工されて、電気照明になっています。

思わずタンゴのリズムに乗って、「エル・チョクロ」や「ラ・クンパルシータ」を踊りそう。

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 控えめな、高山ケンタ画伯。 渋い作品を展示なさっています。

この作品は、昼間の照明では、浮かび上がってこないので、日没以降のご来館がお勧め。

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      この中央の絵の色あいは、プロシアン・ブルーというのだそうです。

この作品の中に、高山さんの色あいにこだわる姿勢と、子供達の交通安全を願う気持ちが

表れていると感じたのは、私だけでしょうか?

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 まるごとミュージアムの広報誌を見ると、影絵ワークショップというのをやっているそうです。

佐藤さんに尋ねてみると、体験コーナーで、まだ申し込み可能だそうです。Call03-3541-0124

参加費¥1,000(材料費込み) 。この銀造のお勧めは、11月6日(土)までです。

URLもありました。 http://www.g-wakamatsuya.com

 Enjoy your holidays through Marugoto Museum days.

 

 

 

朝潮運河のハゼ 生き残れる環境を! 生物多様性を考える 

[銀造] 2010年10月28日 12:30

10月23日に下記のご案内を見て、調査に応募、参加しました。

「朝潮運河ルネッサンス協議会よりご案内!:fune::fune:

朝潮運河は、東京湾奥部で数少ない浅場域が残された地域です:-o
浅場域は、生物の生育に重要な場であり、特に江戸前を代表するハゼの稚魚・未成魚の聖域に重要な場です。  みなさんに朝潮運河の大切さを再認識していただくためにハゼ釣り調査を行います:-D:fune:。 」

 再開発で、ハゼの生育環境が破壊されない様、皆で真剣に考える催しだったのです。 

 さて、当日、協議会の役員様の他には、矢田美英区長もお見えで、ご挨拶を頂きました。

 

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 東京都港湾局、中央区土木部、東京水産振興会、国立環境振興会、国土交通省国土技術政策総合研究所、海洋リサーチ、東京都島嶼農林水産総合センター、NPO海辺つくり研究会などの方々が環境を心配して参加されていました。 理事の今井さんからのご説明と注意の後、3隻に乗船。

 

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 水質検査では、塩分2.7%、水温21.度C 、DO(溶存酸素)は表層では2.6、下層では1.5、

つまり酸素が少ないようです。 (因みに、真鯛の養殖には酸素は4必要なんだって)

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 配られた、中央区発行の「川のなかのいきものたち」。 勉強になりますよ。

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ハゼは、この泥が残っていないと生息できないんだって。 そうだよね、プラスチックの水槽の様な環境では、普通の生き物は生きていけないよね。 綺麗にし過ぎると、魚類は生きていけないんだ。

 シラサギ(白鷺)が飛んでいたよ。 

それも、ここに住む魚類との共生、食物連鎖で生きているんだね。

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 今日の釣果は、期待されたほどでは無かったので、スカイ釣りー見物にhappy01に。

晴海トリトンでの、表彰式。 この子の笑顔が、来年も見られます様に!

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日本橋川に架かる橋(後編) 日本橋 西河岸橋 一石橋

[ゆりかもめ] 2010年10月27日 17:00

 前編では豊海橋・湊橋・茅場橋・鎧橋・江戸橋を御紹介しましたが今回は日本橋・西河岸橋・一石橋を御紹介いたします。 

   2010_0918  日本橋.JPG

 

日本橋  (日本橋1丁目~日本橋室町1丁目)

  慶長8年(1603年)徳川家康によって架けられる。

翌年に五街道の起点となり日本の中心として江戸の繁栄を支えた

明治に入って橋の中央が国道の基点と定められ東京市の道路元 標が立てられた。

現在の橋は2連アーチ橋で 明治44年(1911)に完成し来年は100周年をむかえる。         

装飾を担当したのは建築家、妻木頼黄で麒麟と獅子のブロンズ彫刻が施されている。

橋中央の橋灯にある麒麟は繁栄を表し四隅の獅子は守護を表している。

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一石橋  日本橋本石町一丁目~八重洲一丁目)

外堀の水が日本橋川に合流する場所に架かる橋です。

北の金座後藤庄三郎と南に御用呉服商の後藤縫殿助の屋敷があったことから後藤(五斗と五斗)で

一石橋となったそうです。

2010_0918 一石橋.JPG 

 

江戸の初期から「武州豊島群江戸所庄図」にはすでに「木橋」として見えています。

大正11年には(1922年)には鉄骨コンクリート花崗岩張りのモダンな橋となり関東大震災にも落橋せず、その後も重要な橋として使われて居りまし。

しかし平成9年には橋本体はすべて撤去され親柱1本だけが残されて当時の姿を忍ばせています。

 

2010_0918  一石橋親柱.JPG

 

親柱の左側に見えるのは「一石橋迷子しらせ石標」の案内板です。 

説明を読めば江戸時代は住人全員が家族であったような錯覚をおこします。

まだ訪れた事のない方は是非、歩いて渡ってみて下さい。

2010_0918  西河岸橋親柱.JPG

 西河岸橋  (日本橋本石町1丁目・日本橋室町1丁目~八重洲1丁目・日本橋1丁目)

日本橋から一石橋までの日本橋川右岸地域が西河岸町という地名であった事から「西河岸橋」と名づけられました。

初代は明治24年に架設、当時は最新式の鉄橋でしたが関東大震災で被害をうけました。

大正14年に現在の橋に架け替えられ、その後65年を経過した平成平成2年に修復し木造建築様式の木組みを取り入れた意匠で整備しました。

橋の架かっている道は日銀通りです。   

    2010_0918 西仲橋.JPG

 

 
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