[銀造]
2012年2月10日 08:30
スワンカフェ銀座店は、昭和通りに面して銀座2-12-16にあります。
2月13日から25日まで、「いちごスイーツフェア」が開催されます。 いちごのタルト、サラマンジェ、ロールケーキなどなど、どれも美味しそうです。
こちらでは、被災地の応援活動をしています。「がんばろう!!福島」、「がんばるぞ!岩手」の応援幕で、こちらも勇気が湧いてきます。
もうひとつ、行っている活動が、「がんばっぺ! 茨城」です。銀造は、12月、1月と連続して駆けつけました。「あんこう鍋」が大変美味しくてお代わりを注文しました。 2月は第3週の土曜日 2/18(土)に変更になりました。 3月は3/10です。2月18日は「あんこう鍋」はお休みで、その代わりTVでも評判の茨城を代表するB級グルメの代表 五浦ハム様が参加します。 五浦ハムが販売する「ハム焼き」「豚ドック」はTV等にも取上げられイベントに参加するといつも長蛇の列が出来ています。特に「ハム焼き」はスモークの香りと炭焼きの香ばしさが抜群に美味しく大変人気だそうです。こりゃ、行かなくっちゃ! 開催などのお問合せは、03-5148-5860スワンカフェ銀座店へ。
12月の記事は、http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2011/12/swancafe.html
[ゆりかもめ]
2012年2月10日 08:30
朝6時25分から始まるテレビ体操を続けています。優しい手首の動きから始まって身体各部の体操をリズミカルなピアノ曲に合わせて10分間行うと それに連れて 眠っていた体がスムーズに目覚めてきます。
ついこの間迄は この時間は窓の外も真っ暗でした。
最近は体操の終わる頃には少し明るくなって来ました。 今朝は薄暗い西の空に オレンジ色の 照明に輝く東京タワーの左上に 綺麗な満月が浮いていました。
この頃のカメラは 感度が良いので 辺りが暗くても このように 明るく撮れてしまいますが 実際は もう少しコントラストが強く お月様がくっきりと白く輝いて見えていました。
(6:38)
やがて太陽が地上に顔を出した途端に その赤味を帯びた光線は 周囲の万物を照らし始めました。。
高層ビル群の東側に面した高い方のガラス窓から 鋭い反射が始まりました。
(6:39)
太陽が昇るのに連れて ビルからの反射は下の方に広がり その壁面には東側にある他のビルの影が映り始まりました。
(6:42)
居並ぶ高層ビル群は 思い思いに次々と独自の反射を見せながら 高さを競っています 。しかし 未だ浜離宮恩賜庭園の森は 黒々と静かに眠っています。 ビル群が 明るくなる一方 お月様の方は 薄く低く 目立たなくなりました。
(6:44)
良く見ると 静かに淡くなったお月様は 遠くの山の端に懸かっていました。 もう沈む寸前です。
太陽にバトンタッチをして 隠れます。 空は青く明るく、今日は 良いお天気になるでしょう。
ドンドン明るくなって来ました。
このブログを お読みになる皆さんには 素晴らしい一日が待っていることでしょう。
(6:47)
[巻渕彰/写楽さい]
2012年2月 9日 08:30
関東大震災(大正12年(1923))で東京が壊滅的な打撃を受けた2年後の大正14年(1925)、復興が進む銀座の街頭で、町ゆく人々の服装などを、今 和次郎(こん・わじろう)が丹念に調査した。現在、生涯の業績をまとめた「今和次郎 採集講義 展」がパナソニック汐留ミュージアムで開かれている。会期3月25日まで、月曜休館、入館料一般500円、同館HP こちら>>。
今和次郎(明治21年(1888)-昭和48年(1973))は、民俗学の柳田國男に師事し、民家などを調査・研究。全日本建築士会初代会長など歴任した。
大正14年(1925)年5月、4日間をかけて京橋から新橋までの区間で、街路を歩く人たちの服装、行動などの風俗をカードに記録した。これが、「考古学」に対し「現在を調べる」とする自身の造語、「考現学」と名付けた最初の調査「1925初夏 東京銀座街風俗記録」であった。
画面では見にくいかもしれないが、同展パンフ(写真)の中の図版は、記録風俗の調査項目である。
ここには銀座通りで調べた、男女の洋・和装比率が図示されている。男性は洋装67%、和装33%で、女性は洋装1%、和装99%となっている。特に女性のほとんどが和装だったことが分かる。よく銀座のモボ・モガといわれるのは、これより後の時期のようだ。
男性の服装を見ると、外套はスプリングコートがレインコートより多かった。ネクタイは蝶結び11%、普通89%。靴は黒靴より赤靴、短靴よりアミアゲ靴が多い―などを集計している。女性の服装では、和服のうち、9割が外出着であったという。これについて「他の町では見られない銀座の銀座たるところで、驚いている」、と論じている。
「銀座そのものは、東京の風俗カルチャーの一大中心と認められ、その伝播は東京の周辺へ、また、わが国のほとんど全地方へと行きわたる性質を持っている」、と銀座を記した。歴史には表れにくい庶民の様相、しかも銀座の街角を凝視した、大正末期の瞬間といえる。
この調査を一緒に行ったのは日本橋浜町生まれで、京橋尋常小学校に通った吉田謙吉だった。氏が調べたものに、「1931年(昭和6年) 銀座街広告細見」や「銀座の露店」などがあるという。時代をスケッチした銀座通りの今昔が見えてきそうだ。●巻渕彰
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2012年2月 8日 08:30
立春が過ぎたものの早春の残寒厳しい日々。
冬から早春にかけ開花する花は限られるが、その花色は比較的黄色が多く次に白色。
本格的な春を前に透明感のある澄み切った日差しのもとには淡い黄色や白色の花が似合う。
今年は1月20日には初雪が、24日にはうっすらと薄化粧した都内。
ここ浜離宮恩賜庭園では寒空のもと、凛として咲く蝋梅(ロウバイ)・素心蝋梅(ソシンロウバイ)・水仙(ニホンスイセン)の静謐で穏やかな芳香が漂い、ほっとした気分にさせてくれます。
静寂感につつまれた園内、清楚な甘い香りで、一足早い春を感じてみてはいかがですか。
冬から早春にかけては気温がまだ低く、昆虫たちの活動もまだ活発ではなく、種類も少ない。一説ではそんな時期咲くにはあまり特定の動物との結びつきが少ないとされる黄色系が適しているのではないかと推察されていると聞く。
<ロウバイ> <ソシンロウバイ> <ニホンスイセン>
[ジミニー☆クリケット]
2012年2月 7日 08:30
先週、お稽古風景を取材させていただいた新富座こども歌舞伎が、2月5日の日曜日、鉄砲洲稲荷神社の神楽殿で節分祭奉納公演を行いました
当日は、寒さもいくぶん和らぎ、小学生の歌舞伎を観ようと開演前からたくさんの観客が詰め掛けていました
まずは、口上。これで演目への期待がぐっと高まります
最初の演目は、寿式三番叟おめでたい舞踊に舞台が華やぎます
続いて、三人吉三巴白浪-大川端庚申塚の場-では、名セリフの数々が堪能できました
幕間には、保護者の方々による富くじ大会がなんと私も当たってしまいました
白浪五人男-稲瀬川勢揃の場-では、五人一人一人のセリフに拍手と声援の中、写真は
かわいく見得を切る赤星十三郎(左下)と、りりしく見得を切る南郷力丸(右下)
写真ではお伝えできませんが、それぞれの舞台に、本当に大きな拍手とたくさんの掛け声がかかっていました
まさに、江戸の頃から「芝居の街」としての文化を育んだ中央区らしい公演でした
次回公演は、5月5日、同じく鉄砲洲稲荷神社での例大祭公演とのこと
詳しくは、「新富座こども歌舞伎」のホームページをご覧ください → 新富座こども歌舞伎
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2012年2月 7日 08:30
2月4日は立春。
ここ鉄砲洲稲荷神社神楽殿では2月5日午後1時半より「新富座こども歌舞伎」節分祭公演が行われ大勢の見物人で賑わった。
幕間に富くじも企画され、盛り上がった。
演目は口上に続き「寿式三番叟」「三人吉三巴白浪(大川端庚申塚の場)」「白浪五人男(稲瀬川勢揃の場)」の三本立て。
「新富座こども歌舞伎」は、明治時代に現在の新富2丁目に江戸三座と云われた 「守田座」(当初森田座)を改称して設立された「新富座」の名を冠し、平成19年春旗揚げし今年で6年目を迎える。鉄砲洲稲荷神社の節分祭、例大祭における奉納公演を中心に区の各種イベントでの公演を行っている。尚伴奏は出演者の両親などにより演奏集団「新富座連中」が結成され、担当している。