[北遊人]
2012年2月21日 08:30
中央区循環バス、"江戸バス"北循環コース"中州"で下車しますと、道路沿いのマンション脇に"真砂座跡"の碑が見えます。右肩には"漱石「猫」上演の地"の添え書きがあります。
右側の説明を読みますと、
夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」は、小山内薫によって脚色された。
伊井蓉峰らが出演し、日本橋区中洲の真砂座跡で、
明治三十九年(1906年)十一月三日から
三十日にかけて上演された。
平成十五年十月吉日
早稲田大学十四大学長 奥島孝康 識 とあります。
地域案内図 AREA MAP を見ますと、日本橋浜町から清洲橋へ向かい、高速下を抜け隅田川近く、右に折れた所です。
真砂座は、明治半ばからは新派の名門劇場だったようです。も一つの劇場は、"本郷座"とのこと。座頭は、伊井蓉峰であり、小山内薫は脚本や演出を担当していたとのこと。
小山内薫は、その後市川左団次と結びつき、自由劇場、築地小劇場などを舞台に活躍します。
説明版では、明治39年の漱石の"猫"について書かれているが、37年に小山内薫訳「ロメオとジュリエット」、38年には、尾崎紅葉の"金色夜叉"が上演されている。
永井荷風は、若いころ隅田川で泳いで水着姿で真砂座の芝居を見物している、とのこと。
この頃は花街であり周辺は賑っていたことでしょう。
ここから清洲橋通りへ出ると、向かい側に鳥居が見えます。
金刀比羅宮のようです。
右側の碑を覗いてみると、この地にあった船玉琴平宮が関東大震災で焼け、昭和29年再建とある。
入って左手に"記念碑"がある。
後ろに廻ってみると、
昭和61年に建てられたもので"中州築立百周年の記念碑"と判る。
表の題字は 鳩山威一郎 の書とある。
説明書きを紹介する。
中州は特別な歴史を有する。
江戸時代の中州は須磨明石に勝る江戸随一の納涼観月の名所であった。
明和年間に築立され三股富永町として繁栄したが寛政年間には埋め戻された。
明治十九年、中州は再び築立されて旧日本橋区中洲町となる。
明治、大正、昭和時代を通し、大川端の地として小山内薫等多くの文化人が往来し、
その作品の舞台となる。
明治の築立から本年四月で百周年を迎えるにあたり、ここに記念の碑を建立する。
昭和六十一年八月吉日
周囲の塀に賑いの跡が見られる。
現在は、箱崎川も埋め立てられて、高速道路下の公園にかつての菖蒲橋の名残りの"あやめ"の名が残されているのみです。
[滅紫]
2012年2月17日 08:30
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣き濡れて蟹とたわむる」
「砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日」
などの歌で知らぬ人のない程有名な明治期の詩人・歌人の石川啄木は岩手県日戸村(現在の盛岡市玉山区日戸」に曹洞宗住職の長男として明治19年(1886年)2月20日に誕生しました。
昨年から「国際啄木学会」など関連イベントが始まっていますが、没後100年にあたる今年は縁の地の函館や釧路でもまた沢山の企画があるようです。
「恋と波乱に満ちた生涯」も良く知られているところですが、ちょっとおさらいすると、
― 明治35年上京。与謝野鉄幹の知遇を得て「明星」に詩を発表。20歳で処女詩集「あこがれ」を刊行。「天才詩人」と注目されたが、その後は職を求めて北海道各地を転々と流浪。41年再度上京、42年「東京朝日新聞」の校正係として就職。43年「一握の砂」発刊。実生活に根ざした1首3行書きの詩集は、没後発刊された「悲しき玩具」とあわせ近代短歌史上不朽の生命を持つ。45年没-(新潮日本人名辞典より)
郷里の先輩であるアイヌ語研究で名高い言語学者の金田一京助氏が蔵書や家財を処分してまで金銭的援助を惜しまなかったのも良く知られていますが、始終金の無心にくる啄木を子息の金田一春彦氏が「石川五右衛門の子孫かと思った」というのも有名な話のようです。お金を借りては放蕩三昧の生活をし、周囲からは「疫病神」のように思われていたらしいのですが、朝日新聞に就職してからは安定した生活になり(なおかつ借金をしていたそうですが)、歌の才能を評価され「出来るだけの便を与えるから自己発展をやる手段を考えてくれ」と当時の社会部長に言われた話が「啄木記念館」のHPにありました。そういえば昨年上演された「ろくでなし啄木」でも生活者としてはろくでなしの、でも愛すべき人間として啄木が描かれていました。
この朝日新聞時代に作った「京橋の滝山町の新聞社灯ともる頃のいそがしさかな」(初出東京朝日新聞明治43年5月5日号)の石碑が朝日新聞社の跡地に立っています。「没後100年」毀誉褒貶甚だしい歌人の短い波乱の人生に思いを馳せてみるのもいかがでしょうか。因みに昨年の「国際啄木学会」のテーマは「新しき明日、新しき啄木」でした。
歌碑は銀座6-6-7
朝日ビル(サンモトヤマが入っています)前の
路上にあります。
[鞠つき]
2012年2月16日 14:00
まだまだ寒い日 が続いておりますので、
大好きな友人達と、お蕎麦屋さんで粋に熱燗 を飲みに、
明治32年創業、手打ちそばのお店、信州更科蕎麦処 築地 「さらしなの里」へ
しめ鯖 玉子焼
なまこ酢 そばがき
鴨のくわ焼 焼き牡蠣
白子ポン酢 炒り銀杏
板わさ 信州揚げ
さらしなそば
今回もたくさん、色々頂きました 大満足
お蕎麦屋さんで一杯って、とっても美味しくて楽しいのね
熱燗も美味しかった
でも、やっぱり、締めのお蕎麦は絶品でした
是非、お勧めです
さらしなの里 HP
中央区築地3-3-9 03-3541-7343
平日:11:00~21:45/土曜:11:00~15:00
日曜・祝日定休
[ゆりかもめ]
2012年2月15日 08:30
立春が過ぎ、三寒四温の中・・・・・・浜離宮にはいろいろな花が咲きます。
菜の花畑のすぐ傍に待ちに待った紅梅が咲きました。
今年は例年に比べて2週間以上遅いそうです。
でも紅い蕾みと花を見て嬉しくなりました。
春とはいえ一番寒い 頃に咲く梅の花・・・・・・・・・
この寒い時期に昔は東京で海苔が一杯取れた事を思い出して下さいね。
「
松の御茶屋」の前に佇むと風にのってとても良い香りに包まれます。
日本水仙が咲いています。
そして素芯蝋梅(ソシンロウバイ)が咲いています。
蝋梅の園芸種が素芯蝋梅ですが蝋梅より少し遅く咲きはじめ遅くまで咲いています。
原種の蝋梅より香りも強いのでいつまでも花の傍に立っていたくなります。
「第29回全国都市緑化フエア」が久し振りに東京が会場になり6つの会場の中に浜離宮も含まれています。
・・・・・・つづく緑 あすの緑・・・・・・「緑の力」を集める30日間です。
2012年9月29日(土)~10月28日(日)
※ 118mの「お伝え橋」は総ヒノキで造られておりますが架け替え工事の為
3月21日より6月末まで通行禁止になります。
従って「中島の御茶屋」も営業いたしません。
梅の花と菜の花が咲いていて「お伝い橋」が渡れる頃に是非、浜離宮をお尋ね下さいね。
浜離宮恩賜庭園サービスセンター 03-3541-0200
[小江戸板橋]
2012年2月14日 08:30
「残り10分です。」
中央区観光検定の立会者が時間を知らせてくれます。
十分余裕だね。
90分間の試験時間をフルに使い、慎重に解答を出し、マークシートのチェックの〇も丁寧に塗りつぶしてきました。
あと2問をマークすれば完璧。
あれっ。総数100問なのに、99問しか埋まらない。
どこかでマークを飛ばしてしまった。
ヒャッと背筋を冷たいものが走ります。
どこから間違えた・・・。
100問目から逆に、解答のマークを直していきます。
大量失点を、ぎりぎりで防いだようです。
数日前から風邪薬を飲んでいたため、日中でも眠くてボーッとしていました。
試験の最中に、ポカするなんて。
記憶のシナプスがつながらない。
今回のテーマは、「中央区の橋」
橋梁好きの私にはストライクのはずなのに。
今回の問題は、テキストで知識を詰め込むというより、実際に現地へ出向き、周囲の情景を見たり、案内板などをしっかり読んできた人が、強みを発揮したことでしょう。
問題文を読み、散策した街々を思い出しながら、解答を進めました。
試験終了後、会場となったホテルが提供してくれた割引券で、ちょっと贅沢なランチをいただき、答え合わせをしました。
時間中に読み返し、答えを直したところに限って、間違えている。
そんなもんですね。直観も大事ですよね。
でも、面白かったですよ。
次回も受験しよぉっと。