[杏葉牡丹]
2013年10月 5日 09:00
『新橋』というと、現在は港区にある地名になっているので、なぜ中央区?と思う方もいらっしゃるかと思います。
でも『新橋』はかつては銀座の先の汐留川に架かっていた「橋」で、江戸時代には芝口橋と呼ばれていた時期もありました。
汐留川は、終戦後に徐々に埋め立てられてしまいましたが、我が家にあった戦争直後の写真には、親柱と、右端に少しだけ欄干が見えます。
(←クリックすると大きくなります)
この親柱は現在も残っていて、銀座8丁目の博品館の斜め前、スーパーのハナマサの入口前の高速の下に、今でもその姿を見ることができます。
この新橋があった場所のすぐ近く、博品館の裏通りには、江戸時代に能楽の金春流の屋敷があったため、現在でも金春通りと呼ばれています。
幕末にここに住んでいた常磐津の人気の女師匠が、しばしば宴席などに呼ばれるようになり、幕府から「酌取御免」のお墨付きをもらいます。
これが所謂「新橋芸者」の始まりです。
料亭や待合なども、この周辺から木挽町(現在の銀座の東側)、築地辺りにあります。
ですから「新橋の花柳界」というのは、港区の新橋にあるのではなく、「新橋」という橋の中央区側の周辺の事なのです。
そして大正14年に建てられた『新橋演舞場』が、新橋駅からかなり離れているにも関わらず『新橋』とつくのは、「新橋芸者」の技芸向上の為に建てられた為であり、出資したのは料亭や置屋や芸者衆などの新橋花柳界の関係者たちです。
昭和15年からは松竹と興行契約を結び、その傘下となりましたが、今でも経営陣の中には、料亭のご主人が名前を列ねています。
新橋芸者衆によって、毎年5月に4日間催される「東をどり」は、かつては春秋の年2回行われて、川端康成・谷崎潤一郎・吉川英治らが戯曲を書き下ろし、踊りの名手「まり千代」のブロマイドが売られて女学生のファンの列ができたのだそうです。
なお、新橋花柳界が何故発展したかといえば、薩長等の幕末の志士で明治政府の要人となった人々は、当時まだ若く、西国の無粋な人たちと見られて、江戸時代に一流とされた柳橋などでは歓迎されなかった為、新興の新橋での宴席を好んだからだそうです。
現在でも有名な文学賞の、芥川賞・直木賞の選考会場となっている料亭「新喜楽」(初代女将の当時は「喜楽」といっていた)は、伊藤博文が大変ひいきにしていて、朝鮮総督として京城に在任中に、女将が訪ねて行ったところ、とても喜んで、女将を讃えた漢詩を揮毫して記念に送ったということです。
[小江戸板橋]
2013年10月 4日 14:00
その儀式は、厳かで、幽玄で、思わず手を合わせてしまう、ありがたいものだといいます。
浄闇の中を、松明に導かれて、新御敷地に建てられた正殿に御神体をお遷しする、
「遷御の儀」。
平成25年10月2日20時に、皇大神宮(内宮)の天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御神体が、同年10月5日20時に、豊受大神宮(外宮)の豊受大神(とようけのおおみかみ)の御神体が、20年の年月を経て、遷られました。
時を経ても、常に若々しく、瑞々しく、生命力が漲ります。
その「お伊勢さん」を擁する三重県のアンテナショップ、愛称「三重テラス」が、9月28日にオープンしました。
場所は、日本橋室町2丁目4番1号、浮世小路。
最寄駅は、東京メトロ半蔵門線及び銀座線の「三越前駅」A9番出口、JR総武快速線「新日本橋駅」A6番出口が便利です。
ビルの1階は三重県の物販コーナーとイタリアンスタイルのレストランが隣り合っています。
2階はイベントスペースというラインナップです。
ここでは、「お伊勢参りと遷宮」をテーマとした展示が、10月13日まで行われています。
約450キロ離れた日本橋で、スクリーンに式年遷宮のシーンが動き出します。
三重の海山の恵みを活かした料理は、三重の地酒に合わせていただきたいものです。
伊勢エビ、松坂牛、桑名のハマグリなどの食材は、一層三重県を身近に感じさせてくれます。
お土産は、販売コーナーで選びましょう。
今ならば、御遷宮記念の品々がお勧めです。
伊勢街道の道中で供された、名物餅の数々もチョイスできます。
赤福餅と、岩戸餅と、へんぱ餅と・・・目移りしてしまいます。
あっ、「伊賀のかたやき」がありました。
木槌で割って食べるスタイルが楽しい、私の好物です。
江戸時代の日本橋には、伊勢、松坂から商人たちが販路を求めて来ていますが、その行動力は、今でも老舗大店として続いています。
オープン間もない店舗内で耳をすますと、三重出身の方々が訪れ、懐かしい故郷の話題に盛り上がっていました。
そうそう、「中央区アンテナショップ・スタンプラリー」が10月17日まで行われているのです。
三重テラスも、21番目のショップとして、ラリーの対象になっています。
お国巡りをしながら、各県のプレゼントもゲットしてみましょう。抽選ですが。
[滅紫]
2013年10月 4日 09:00
あの暑さはいつのことだったのか?と思わせるような季節の変わり方の早さですが、涼しくなってくると「やはり温かいラーメンでしょう」というわけで、今日ご紹介するのは築地に事務所のあった友人のお勧め、築地本願寺から数分の「中華幸軒」さんです。
店内はテーブル5,6席のいわゆる街中の中華そばやさん。ご近所のお馴染みさんらしい方たちで一杯です。私はお勧めの「鶏そば」(750円)、友人は「五目そば」(800円)とシュウマイ(5個、500円)をお願いしました。
「鶏そば」はしっかり取った塩味の鶏がらスープに鶏肉が贅沢に入っています。味はしっかりしているのに食感はさらっとしていてしつこくなく中細の麺とのバランスも絶妙です。友人の五目そばもおいしそう。隣の方が召し上がっていた「冷やし中華」もよさそうといただきながら次回はあれにしようかと行儀悪くキョロキョロ。シュウマイもたっぷりした大きさで満足、満足。お店の方のお話によると事務所が移転しても時々懐かしさでわざわざ寄って下さるお客さまが結構多いとか。そんな方の気持ちがよくわかるどこか「昭和」を感じさせるお店です。次回はやはり「ラーメン」かな?
中華幸軒 築地6-6-3 TEL 3541-0447 築地本願寺方面出口から3分 11:00~15:00、17:00~19:00
[whatever]
2013年10月 3日 14:00
日本橋富沢町。マンションもちらほら建っていますが、週末ともなれば人通りが少なく、とても静かな地域です。人形町通りの堀留町交差点から2本入った大門通り沿いに、一際目を引く建物があります。ごく最近建てられたものではないことは一目瞭然。耐熱ガラス製品で知られる「HARIO株式会社」の本社建物です。
この日は平日ではありましたが、人の出入りを見かけることはなかったのですが、正面玄関と思われる足元には文化庁の「登録有形文化財」のプレートが。
同じく正面向かって右上には玄関灯が一つ飾られています。厚めで温かみのある形状が目に留まります。もしかして自社製なのでしょうか。ステンシルプレートのような社名の入った看板もステキですね。外壁のどこを観ても細部が実に美しいです。
この建物は、川崎貯蓄銀行富沢町支店として1932(昭和7)年に建設されたそうです。その後、常陽銀行東京支店、同行堀留支店として使われていたそうです。銀行建築は重厚な造りのものが多いですね。その後、当時のハリオグラス株式会社が、2000(平成12)年に創業80周年記念事業の一環として、本社をこの建物に移転したそうです。
日本は地震が多い国のせいか、古い建造物を保存することに積極的ではないように思います。建物は人が住んでこそ意味がある訳で、どのような形であれ修繕されながら大切に使われ、多くの方に観てもらい、少しでも長く残してもらいたいものです。あと個人的希望ですが、電線は地中に埋められないものでしょうかねぇ・・・
HARIO株式会社
中央区日本橋富沢町9−3
★ハリオ・ライフ★(製品に関連する情報が掲載されているブログ)
[kimitaku]
2013年10月 3日 09:00
土曜日の午前中、晴海埠頭を散歩中、大きな帆船が停泊していました。
もしや、海王丸ではとそばによったところ、「日本丸」でした。
海王丸との違いは 日本丸には舳先に金色の人魚のエンブレムがありません。
辞書で調べてみると、「日本丸」(にほんまる)は運輸省航海訓練所の練習帆船で、総排水量2570トンで1984年就航とのこと。
横浜にある「日本丸」の後継船です。
ですから、正式には「日本丸Ⅱ世」。 海王丸は2286トンですから少し海王丸より大きいようです。
商船三井の大型客船は「にっぽんまる」 お間違えなく。
今日は、晴海埠頭の客船ターミナル前でなく、東に200m離れたところに停泊しています。
ターミナルの着船予定表にも掲載がありません。いつまで停泊しているのか不明ですが、あまりにものどかなこの日、その雄姿をお知らせしたく、カメラに納めました。
[サム]
2013年10月 2日 14:00
地面すれすれにヒラヒラと細かく纏わり付くように舞うヤマトシジミ。
ここ晴海トリトンスクエア・緑のテラスでもよく見かける情景。
シジミチョウの名の由来は二枚貝である蜆の形状とその殻の光沢との類似というのが定説。
ヤマトシジミは6,000種を超えるとされるチョウの40%を占めると云われるシジミチョウ科の中で一番ポピュラーな種。
年に数回世代を繰り返すと云われ、春の訪れと共に出現し、初冬までその姿を見ることができる。
棲息域も広く、市街地でも食草のカタバミさえあれがほぼ分布が見られると聞く。
翅裏は地味な褐色を帯びた銀白色に黒い斑紋列。
翅表は雌雄で著しく色彩を異にする。
♂の翅表は光沢のある淡いブルー。(写真左上)
♀の翅表は暗褐色で、低温期の個体は青色の鱗粉が若干でてくると云う。(写真右上)
普段目にすることが多いにも拘わらず、動きが速く、個体が小さいこともあり、しみじみとヤマトシジミを観察する機会は少なく、見過ごされがち。
近づけば、眼が顔に比して大きく、触角が縞模様になっており、全体的に可愛らしい印象で、特に♂の開翅時の翅表のはっと息を飲むような鮮やかな色彩には魅了される。
(♂)閉翅 ♂半開翅 (♂)吸密