観光案内の予習や街歩きでは、もっぱら昼間、お天道様の下で行ってきましたが、夜の銀座を私は知りません。
なにしろ恥ずかしがり屋さんなので、ほとんど夜遊びもしない地味な生活をしております。
しかし、観光協会特派員として2年目を迎える今年は、勇気を出して夜の街なみにも踏み込んで、たまには食べログならぬ「飲みログ」っぽい記事を書いてみたいと思いました(>_<)
© 林 忠彦 (ウイキペディア)
太宰を読んだことのない人も、この写真だけは見覚えがあるでしょう。
学校の教科書には今でも載っているのでしょうか?
日本を代表する写真家・林忠彦により撮影されたこの場所で、清水の舞台から飛び降りる覚悟で私も先日飲んできました〜!
太宰が飲んでいたこのお店は現在も営業している銀座のバー・ルパンです。
創業は昭和3年なので、いわゆる老舗というほど古くはないですが、そもそも「カフェー」という洋風形態のお店が普及するのは関東大震災以後のことで、ルパンの開店時は里見弴・泉鏡花・菊池寛など当時の文豪が集まり、川端康成や永井荷風なども常連だったそうです。太宰は戦後になってからですが、近代日本文学マニアの間では昔から全国的に有名なバーでした。
銀座のバーだけに、お値段も高いのだろうなと思ってましたが、そんなことはなくて2〜3杯程度なら5〜6千円ぐらいという価格破壊。お店の方もフレンドリーで、
初心者でも安心して遊べます、
でなくて、飲めます。
この界隈には当時、文藝春秋社や朝日新聞社があって、作家や雑誌の編集者がたむろするロケーションでした。
林忠彦の写真集「文士の時代」によれば、当時、新進気鋭の作家だった太宰が泥酔して
「おい、俺も撮れよ。織田作(織田作之助)ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ。」
とからんできた。林は「うるさい酔っ払いだなあ」と思いつつも、撮影します。
この一年後に太宰治が自殺し、この写真は貴重な一枚となり注目され、注文が相次ぎ、林忠彦の出世作となったのでした。
1960年代にはサトウ・サンペイ・ 小松左京・星新一といった著名な作家たちも通ったバー・ルパン。
このバーは、いや銀座という街が、文豪や芸術家たちの心の栄養となる酒や会話を通して、人間関係と魂の交流を育み、その息づかいを、今でも読者である多くの日本人の心に伝えている。
そうした精神性、日本文化の豊かな心意気を、観光で訪れるお客さんにもお伝えしたい・・・
ルパンでウイスキーを飲みながら、そんなことを感じておりました。
銀座五丁目、並木通りの一本裏手の路地にちょっと入ったところにあるのですが、みゆき通りを歩いていると看板が見えますので、「観光スポット」的なご案内も可能です。(営業は開始は5時からです)
池澤章氏「銀座一隅」(掲載には画家本人の了解を頂いております)
偉そうに銀座で飲んできたからといって、調子こいてすみません(>_<)
こんなので、月に一度の貴重な特派員活動にしてしまいましたが、何か問題ありましたでしょうか?
【問題だらけのデニーロの過去記事リスト】
◆ 新たなる野望(2016年4月13日)
◆ おいしい観光(2016年 2月3日)
◆ 特派員交流オフ会速報!(2015年 11月16日)
◆ 「三井家伝世の至宝」展(2015年 11月13日)
◆ まんまん祭りでブラセンタ君?(2015年 11月5日)