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築地は建築遺産の宝庫

[中央小太郎] 2016年8月31日 09:00

8月中旬に築地を案内する機会があり、1か月程の期間で改めて築地を勉強しなおし、
なんて面白い所なんだと再認識させられました。

 

築地の魅力を分類すると、以下にカテゴライズされるかと思います。
 ①築地の歴史(1) 築地市場 場内および場外
 ②築地の歴史(2) 埋立と本願寺
 ③築地の歴史(3) 外国人居留地
 ④建築遺産
 ⑤グルメの宝庫

 

④⑤は①~③の歴史や立地との関係で理解するとさらに魅力が増すと思います。
今回は、そんな築地の魅力の中から「④建築遺産」にスポットを当ててみたいとと
思います。

 

築地の建築遺産は、以下に分類できると思います。
 ア. 昭和初期の街並み(町屋群、看板建築、路地)
 イ. 寺院
 ウ. 外国人居留地の面影
 エ. 扇型の築地市場

 

このうち、アの古い町屋や看板建築、イの一部の寺院は、ワールドモニュメント財団
(米国の非営利団体)が2年に1回発表する危機遺産リストとしても選出され、存続が
危ぶまれる歴史的建造物群として世界的にも注目されている代物です。

 

以下に、建築遺産の分布地図を示します。

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◆◆築地周辺の建築遺産分布◆◆


ア. 昭和初期の街並み(町屋群、看板建築、路地)

 町屋、看板建築、路地は、築地1丁目と2丁目の新富町寄りの部分と
 築地6丁目~7丁目にかけてのエリアに多くみられます。
 個人的には、広い範囲に昭和な雰囲気を色濃く残す6丁目界隈が一番好きです。

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<築地2丁目の路地、築地6丁目の看板建築(銅板)>

 

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<築地6丁目の町屋>

 

 もう一つ、場外市場は、混雑と店のひさしに隠れて見落としがちですが、
 上を見上げてみると看板建築が多いのに気付きます。
 また、メインストリートの東通り、中通り、西通りを結ぶ非常に細い路地が
 何本もあり、路地の両脇にも店があるので、「えっ?こんなところにも店が」
 という新鮮な驚きに出会えます。

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<場外の看板建築(モルタル)、場外の通り抜け路地>

 

 ちなみに「看板建築」とは、木造の建物を銅板やモルタルで囲って耐火性を
 高めた建物で、囲いの材質によって「銅板型」と「モルタル型」に分類されます。
 銅板やモルタルに看板のように模様等、様々な意匠を施すことができたため、
 「看板建築」と呼ばれるようです。

 こうした街並み、いつまでも残って欲しいです。

イ.寺院

 ここでは築地本願寺には当たり前すぎるのでふれません。
 場外は、もともと本願寺の寺内町で、多くさんのお寺が整然と密集して並んで
 いました。
 関東大震災後に殆どが移転した経緯があり、いまではほんの幾つかが残るだけです。
 歴史的建築物という点では、この中の「円正寺」は外せないと思います。
 円正寺は側面が場外市場の店舗と一体化され、看板建築とお寺が融合したような
 他では見られない珍しい景観をもち、必見だと思います。
 (この景観もずっと残ってほしいです)

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<円正寺(右側が店舗と一体化している)>

 

ウ.外国人居留地の面影

 外国人居留地は、今の晴海通りのあたりから入船の辺りまでと考えて
 良さそうですが、中心地は明石町一帯です。
 建築物としては、当時から残る建物としてトイスラー記念館やカトリック築地協会
 が残っています。
 他に聖ルカ礼拝堂があったりガス灯が残っていたり、また一帯は緑が多く、洋風な
 雰囲気を感じ取ることができるかと思います。

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<聖ルカ礼拝堂、トイスラー記念館>

 

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<築地カトリック教会>

 

エ.扇型の築地市場

 扇型の築地市場の建物そのもの、場内の仲卸業者の売り場や魚河岸横丁の
 建物、それから活気のある市場の雰囲気も、私にとっては魅力的な建築物の一つです。
 ただ、こちらは豊洲への移転後にはなくなってしまうので、今のうちに行って
 おきましょう。

 

それから一点補足します。
築地は、今は殆ど埋め立てられていますが、もともと築地川を中心に水路が
張り巡らされた土地で、跡地は緑道になってるところも多く、緑も豊かです。
特に聖路加国際病院の一帯は歩いていて気持ちいいですね。古地図と現代地図、
さらに当時の写真等を見比べながら、一帯を散策すると楽しいです。

 

今回は建築遺産という観点で、築地を紹介しました。
機会があれば、グルメという観点でも記事を書いてみたいと思います。
歴史と建築物とグルメ。市場は移転しますが、それでも築地は人を飽きさせない魅力に
あふれています。

 

 

ブラン亭:古き良き銀座のバーでカレーと電気ブラン

[中央小太郎] 2016年8月 2日 16:00

銀座コリドー街の一角に古めのビルがあり、これまた暗めの階段を下っていくと
「ブラン亭」というお店があります。

 
地上階の看板は目立ちにくいので、狙って行かないと見逃す感じですね。

①店の入り口.jpg ②階段下.jpg

 

 よくカレーのおいしい店として雑誌等でも紹介されており、「マイルドでスパイシー」
なカレーは、個人的にも絶品だと思っています。

もし近くに努めていたら昼ごはんとして毎週食べたいぐらいです。

 
ただ、この店、金曜日の夜だけは、バーとしても営業しています。
今回はこの「夜のブラン亭」にスポット当ててみたいと思います。

 

 夜のメニューは、メインはやはり名物のカレーと、お店の名前にもなっている
電気ブランになります。電気ブランは30度と40度があり、ストレートでもいいですが、
まずは30度のハイボールから入って、40度のハイボール、ストレートという具合に
強さを徐々に上げていくのがいい感じでしょうか。

 

この他、バーカウンターの後ろの棚にカレーの材料と一緒にインドから取引先が送って
くるというインドのウイスキーやウオッカがおいてあり、頼めば出してもらえます。
小生はまだ試したことはないですが、今度「インド産」も試してみようかと。。。

 

料理は基本的にカレーですが、お酒が進むとつまみとして「ちえこママ」手製の
ちょっとした小鉢も出してくれます。あとはカレー用のらっきょうや干しブドウ、
福神漬けがつまみになります。

 

それから、この店の外せない魅力は、自然と他のお客さんと会話が進むざっくばらん
な雰囲気でしょうか。席は8席のカウンターのみというシチュエーションやママの
人柄がそうさせるものと思いますが、会話を楽しもうというお客さんが多い気が
します。
例えば、昨日の夕方5時半頃に行った時は、「俺のXX」のライブで歌っているという
ジャスシンガーの女性が出勤前に来ていて、他愛もない話ですが、小食が羨ましいとか
いや最近は食べたいものを食べるという考え方が主流だとかの話題で話が盛り上がり
した(今度是非ジャズのライブも見させて下さい)。

この方、毎週金曜日にここに来るのを楽しみにしているとのことでした。
その後、2人づれのなじみのお客さん(明らかに銀座が地元のおしゃれな方々)が
男女でこられて、小生が特派員をやっていると話をしたら海外からの観光客の話で
盛り上がりました。

 

カウンターの後ろの棚にちょっと変わったボトルが置いてあるので紹介しておき
たいと思います。
やはり、隣あわせた女性で、以前、ぶらん亭近くのワイン・ショップに勤務してた
ことがあり「わたしは、バッカス(ギリシャ神話・酒の神様)に愛された女」
と豪語する方が、このボトルを感慨深げに眺めていました。
ボトル自体はもう空なんですが、ちえこママとその女性の会話から、酒好きには
たまらない奇跡の取り合わせボトルらしいことが伝わって来ます。
何でも、銀座の伝説のバーテンダーのひとりで、スコッチのロールスロイスと
称される「ザ・マッカラン」を日本に広めたBar・ダルトンの石澤實氏が他界
されたときに、日本を代表するサントリーとニッカの、ウイスキー2社それぞれが、
業界への貢献と、尊崇から、ラベルにも凝って、オリジナルミニボトルを製造、
追悼の会で限定配布されたものだったそうです。

 
銀座ならではの粋な計らいが感じられるだけでなく、

ちえこママの人脈と人徳を伺い知ることが出来たエピソードでした。
ボトルの写真も撮ったのですが、ここはあえてブログにはのせず、

ブラン亭に行かれたときに是非鑑賞してみてください。

 

銀座には有名なバーや超A級のグルメなお店がわんさかありますが、

「ブラン亭」を分類するなら、「古き良き銀座のバー」としての歴史を持ち、

銀座の地元の人がくつろぎに来るB級グルメ&バーといった所でしょうか。
金曜だけ夜も営業しているという希少性も興味をそそりますね。
尚、金曜の夜だけなのは、次の日が休みで、朝からカレーの仕込みをしなくてもよい
からという理由だそうです。昔は毎日(平日)やってたそうです

 

ここで腹ごしらえをして、銀座の夜遊びに出かける。

これも銀座の粋の一つかなと想像します。

(是非やってみたいものです)

 

 

月島B級グルメ(もんじゃ以外)

[中央小太郎] 2016年6月27日 18:00

 月島と言えば「もんじゃ」でしょうが、今回隠れた月島のB級グルメ

「レバーフライ」と「煮込み」をまとめて食べてきたのでレポートします。

  

■レバーフライ
 
特派員のバイブル?『中央区ものしり百科』によると、

大正の初めのころに西仲通りの露店で売られるようになった「肉フライ」が始まりとされ、その後レバーフライになりました。
月島のご当地グルメということで、前から一度食べてみたいと思っていました。

  

月島でレバーフライを提供してる店は、「味の王道」「ひさご家阿部」の2店のみ確認できました。

 

味の王道は、居酒屋スタイルなので、店内でビールとともに頂けます。
ご主人の話では、2店の他に、「げん(?といっていたような)」という店もやって
いるそうですが、(大体の場所を聞いたものの)見つけることができませんでした。
なぜかネットでも見つからずでした(どこか間違っているのかも)。
地元の人は夕食のおかずにスーパーでレバーフライを買うと後述の「げんき」の女将さんは言ってました。

また、昔はレバーフライの店がもっとあったのですが、店主の高齢化とともに殆どは店をたたんでしまったとのこと。残念です。持ち帰りでなければ、他の料理屋さんでもサイドメニューとして注文できる店があるかもわかりませんが、確認はしていません。

 

今回、味の王道とひさご家阿部の両方でレバーフライを食べてみました。

 

味の王道は、牛のレバーを使っていて、カツレツ風に料理したものをレバーフライとして出しています。串にはさしていません。ご主人によると、最初「レバーカツ」で売ってましたが、月島だとレバーフライとした方がいいということで、こちらにしたそうです。スジを残したコリコリタイプとスジを残さない(コロッケ?)タイプの2種類が楽しめます。

私は、両方を一皿で楽しめる「レバレバ」を注文しました。今回は、店内でビールとともに美味しく頂きました。
※料理の写真は1切れ食べてしまっています。申し訳ありません。。。

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ひさご家阿部は、50年以上の老舗で昔からの伝統の味を守っています。
持ち帰り専門で、豚のレバーを使っており、串に刺して出てきます。
持ち帰り専門ではありますが、店先にベンチがあるので、そこで座って食べるともできます。

一本だけ頼んで、備え付けの辛子とともに美味しく頂くとともに、4本を持ち帰り用に包んで頂きました。
ひさご家阿部は、昔は月島にありましたが、今は佃の方に移ったので、現住所は佃になりますのでご注意を。

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■煮込み

月島で「もんじゃ」以外を探すなら「煮込み」があるよと味の王道のご主人から聞きました。

モツ煮込みの「げんき」がいいよとのこと。
また、串に刺して煮込むのが月島流だそうです。

 

「げんき」にも行ってきました。

西仲通りから一本清澄通り側にある道に向かうとある路地に面した小さな店で、小さなカウンターに丸椅子を並べただけの店で雰囲気最高です。

開店前の仕込み中だと知らずに「注文できますか」と聞いたら、
「まだなんだけどせっかく来てくれたから」と、3本だけ食べさせて貰いました。
3本とは、「牛モツ(小腸)」「牛フワ(肺)」「牛なんこつ」。
こちらもおいしく頂きました。「フワ」って珍しいですよね。
(ビールと一緒だと最高と思いましたが、開店前なので遠慮しました。。)

尚、げんきでは飲み物は持ち込むのが基本で、店では料理(串にささった煮込み)を注文するのがスタイルとのこと。(持ち込んだ飲み物が足りなくなった場合は、ハイボールと日本酒を注文してくださいとのことです)

※すみません。げんきさんでは、料理も店も写真を撮り忘れてしまいました。。。
 文章からご想像ください

 

レバーフライも煮込みも、お酒の最高のお供ですね(特にビールか?)。
月島界隈(佃にも)には古い昭和な町並みが沢山残っており、細い路地と軒先の植木、
看板建築が目白押しです。 

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もんじゃのみならず、レバーフライや煮込みを昭和な雰囲気の中で食べるというの
も、一つの楽しみになりませんか?

 

 

 

第92回東をどりを見てきました

[中央小太郎] 2016年5月31日 16:00

5月21日(土)に新橋演舞場にて東をどりを見てきました。

 

東をどりは、新橋花柳界が毎年1回行う伝統的な公演で、今年で92回目を迎えます。
普段は一見お断りの花柳界を垣間見ることができるということで、
大変楽しみにしていました。

 

感想を一言でいうと「華やかで、綺麗で、かっこよかった」ですね。
是非ともまた行きたいです。

 

今年の日程は5月19日(木)~21日(日)の4日間、
平日は2回、土日は3回の公演で、私が見たのは土曜の1回目のものでした。
ほぼ満席で、伝統文化への関心が如何に高いかを感じました。
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公演は11時半からで、11時から入場可能です。地下から2階にかけてのロビーでは
関連の土産物が購入できる他、二階ではドンペリニヨンブース、点茶席があり
花柳界の雰囲気を楽しめます。私は、点茶席で芸者さんお点前の抹茶を
「とらや」製のお菓子とともに頂きました。
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また、事前予約が必要ですが六料亭(東京吉兆、新喜楽、金田中、松山、米村、
やま祢、wanofu)の味を一度に楽しめる「松花堂弁当」(東京吉兆が献立)を、
地下の食堂「東」(新喜楽の装飾)で頂くこともできます。
(次回は、これも試してみたいですね)

ロビーでのこれら催しは、舞台の前30分と幕間の30分に楽しむことができます。

 

さて、舞台の方ですが、今年は「新橋ふぁんたじあ」というテーマで、
花柳壽輔先生が総合プロデュースを担当されました。

演目としては、前半は「梅の春」「傘尽くし」、幕間を挟んで後半は「組曲かさづくし」
「恋の辻占」と続き、口上を経てフィナーレとなります。

 

立方(たちかた/踊り)と地方(じかた/唄や三味線)にバックの装飾が調和した舞台は
見ごたえがあり、実際に見て感じると「また見たい」と思わせる魔力を持っています。

前半の演目は彩りを重視した「華やか」という印象で、後半の演目は黒や落ち着いた
色を基調とした「伝統」という印象で、どちらも素晴らしかったと思います。

 

今回初めて東をどりを見ましたが、本当によいものに触れることができたと感じてます。
充実した一日でした。

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(↑クリックすると大きく表示されます)

 

それから、東をどりをより楽しむために、新橋花柳界について予備知識があった方が
いいと思います。例えば、
 ・新橋花柳界は江戸時代末の金春芸者に始まるだとか、
 ・幕末から明治期にかけて、要人が贔屓にしたことで新橋花街として大きく発展した。
  特に芸事の向上に力を入れ「芸の新橋」と呼ばれた一流の花街だったとか、
 ・汐留川(旧)にかかる橋の名前が「新橋」だったので「新橋花柳界」だが、
  場所としては銀座~築地にかけての一帯がそうだとか、
 ・花柳界を構成する料亭が演舞場の周りを中心に築地の方まで点在しており、
  芸妓部の見番が銀座8丁目の見番通りにあるだとか、
 ・新橋芸者衆は、大正から昭和にかけて銀座のファッションリーダーで、
  資生堂や銀座8丁目界隈に残る老舗の商品を彼女たちが積極的に使ったことで
  知名度を得ただとか、

 
興味をそそる歴史やエピソードが沢山あります。

 

 

橘右門師匠から寄席文字(のさわり)を学ぶ

[中央小太郎] 2016年5月 5日 18:00

 大分時間がたってしまいましたが、3月12日に中央区観光協会特派員限定ツアーの
「寄席文字を橘右門師匠より学ぼう!」に参加し、知的好奇心をみたしてきました。
忘れないようにブログに書きたいと思います。

 開催場所は、人形町にある読売ISのビルで、ここは、1970年まで人形町末広という
寄席があった場所です。
人形町末広のあった場所ということもあり、読売ISビルでは2011年以来
「読売あいえす落語」が年1回開かれているそうです。

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 さて寄席文字ですが、これは江戸文字四体の一つで、
読んで字のごとく落語の世界を飾る文字です。
江戸文字四体は、この他に歌舞伎で使われる「勘亭流」、相撲の「相撲字」、神社の
千社札や提灯等に使われる狭義の「江戸文字」があり、これに「寄席文字」を加えて
(広義の)「江戸文字」と呼ぶそうです。
※歌舞伎の勘亭流だけ「○○流」と流派を表す呼び方なので、右門師匠の説明を
聞いてようやく頭の中で「江戸文字四体」が整理できました。

 江戸文字(広義)寄席文字(寄席用)
        勘亭流(歌舞伎用)
        相撲字(相撲用)
        ―江戸文字(狭義:千社札)

 寄席文字の特徴は、①筆太、②右上がり、③少ない余白、④丸みを持ち、⑤かすれない
だそうで、「お客様が隙間なく寄席をうめる」「興業が右肩上がり」という縁起を
担ぐためとのこと。

また、寄席文字の起源は、天保7年(1836年)に栄次郎(えいじろう)という紺屋職人
が提灯文字と勘亭流を折衷して作った「ビラ字」と呼ばれる書体だそうです。
ビラ字は寄席のビラに使われたことからそう呼ばれました。

その後、「ビラ清」「ビラ辰」等がビラ文字を書いていましたが、ビラ字の名人と
呼ばれた2代目ビラ辰の没後に、橘右近がビラ字に影響を受け、工夫を加えて
「寄席文字」を確立したそうです。

現在の寄席文字は、橘流寄席文字一門が唯一正統に伝承しているそうで、講師の
右門師匠は、家元である橘右近師匠(前述)の直系の弟子としては16番目
(右近師匠は亡くなられているので)最後の弟子となります。

ツアーでは、実際に寄席文字を自分で書く体験もありました。
寄席文字(他の江戸文字も多分そうだと思いますが)は、もちろん筆と墨で書くの
ですが、習字とは全然違います。
習字は肘を上げて(浮かせて)書きますが、寄席文字は鉛筆のように手の甲を机に
つけて書きます。また、書き順も習字のものとは違うし、字体も変わっていて
まったく別の漢字のように見えます。師匠によると「字を書く」というより「絵を
描く」センスかなと仰っていました。

お手本の字と、私が書いた字を写真にのせます。
(「一」ばっかり書いていますが。。。。。左から3列目の上2つは師匠の字です)
(他の字は「四」と「五」だけ書いてますが、「まずは横棒から」という師匠の
 教えを守り、愚直に「一」ばかり練習しました)

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寄席文字の写真(手本)

 

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寄席文字の写真(自分のもの)

  
実際にツアーで書いた文字が私のものばかりだとつまらないので、右門師匠が
デモンストレーションとしてその場で書いた肉筆の寄席文字を以下に載せます。
橘流本家の美しく迫力のある文字をご覧ください。
師匠によると、文字を見た女性の何人かは、あまりの美しさに気絶するとのこと。
今回の女性参加者の方々は辛うじて気絶だけは免れたようでした。

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 それから、よくパソコンのフォントで「寄席文字フォント」
などがあると思いますが、これらは、本当の意味での「寄席文字」ではなく、
フォントのデザイナーさんがそれらしく似せて描いたもので、
「寄席文字」とは呼べないとのこと。ご注意ください。(師匠より)

 
やはり実際の「寄席文字」は紙など、特定のスペース上に「隙間」「太筆」
「右肩上がり」を意識して、人間が実際に筆で美しく描いたもの。
そこに味があるのだと理解します。

 

 講習を通して、寄席文字はもちろん、街で江戸文字を見たときに、それらの違いを
意識するようになりました。貴重なツアーありがとうございました。

 

 

 

高級料亭「百川」と落語「百川」

[中央小太郎] 2016年3月15日 16:00

 日本橋室町の福徳神社の近くに、江戸屈指と言われながらも明治初期に姿を消した謎の
料亭「百川(ももかわ)」がありました。

 高級料亭は、江戸文化が成熟するにつれて登場した料理屋形態で、凝った料理、盛り付
け、器等を料理屋が競い合う中で、遊び心も加わりながら粋な江戸料理へと進化したそう
です。高級料亭は多くの文化人のサークルが形成され、江戸文化の発展に大きく貢献した
と言えます。
 江戸時代には今でいう「グルメガイド」のようなものも数多く発行され、「狂歌懐石料
理双六(きょうかかいせきりょうりすごろく)」(双六形式で有名店を紹介するもの)に
は、山谷の八百善、深川の平清(ひらせい)等の名だたる高級料亭と並んで、百川の名前
も見られます。

 百川は1760~70年代(明和~安永の頃)に創業し、文化文政(1804~30)の頃に最盛期
を誇ったようですが、明治の初めに忽然と姿を消しています。資料が少なく、どうした経
緯で店を閉めたのかは解りにくい点が謎めいていて興味をそそります。
浮世絵「百川繁栄の図」に描かれていたり、山東京山の随筆「蜘蛛の糸巻」では、通人が
遊ぶ四大料理茶屋のの一つにも挙げられており、文化人の会合という意味では、松平定信
などそうそうたる顔ぶれが集まり、文化サークルが形成されていったそうです。
 また、幕末にペリーが黒船で来航した際には(1854年の2度目の来航時)、横浜で一行
を持てなしたことでも有名です。この時の料理は最高級の懐石料理で300人前+200人前の
控え分が用意されたそうで、値段は千両とも2千両とも言われています。

 
 もう一つ「百川」と言えば、古典落語の「百川」も外せないと思います。
このブログを書くにあたり、三遊亭圓生の落語を聞きました。百川で奉公することになっ
た百兵衛(ひゃくべえ)さんと客(魚河岸の若い衆)が百川を舞台に「勘違い」を繰り広
げる話で、思わず笑ってしまいます。

 

今回は、百川をキーワードに、日本橋、人形町、堀留町あたりを散策しました。

まず、百川があった場所ですが、日本橋COREDO室町1とYUITOビルの間の道が浮世小路で、
この先に福徳神社がありますが、この界隈にあったようです。

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( ↑ クリックすると大きく表示されます)

 

「浮世小路」ですが、このあたりには、加賀出身で町年寄の喜多村家の屋敷があり、加賀
では「小路」を「しょうじ」と読むことから「うきよしょうじ」と呼ぶそうです。また、
名前の由来は、ここに浮世風呂があり湯女のサービスが良かったとか、浮世ござを売る店
があったことからこう呼ばれたらしいです。

 

福徳神社は、9世紀頃からある非常に古い神社で、源義家、太田道灌等、武将の信仰が厚か
ったとのことです。徳川家康も数度も参詣しています。二代秀忠が参詣の際に鳥居に新芽が
出ていたのを見つけて、「芽吹神社(めぶきじんじゃ)」と命名し、それが別名ともなっ
ています。浮世小路の1本北側に福徳神社参道があり、「新浮世小路」と命名されていま
す。

釘型の西堀留川が福徳神社のすぐそばまで来ており、付近には塩河岸がありました。
川は明治の中頃に釘の部分が埋め立てられ、昭和初期に残りの部分も埋め立てられました。

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また、落語「百川」には、浮世小路の他に芳町(よしちょう)、三光新道(さんこうじん
みち)の地名も出てきますので、それらについても散策してみました。

 

芳町は、今の人形町の一部を昔は芳町と言いました、「芳町花街」と言うように界隈は花
街としても有名です。落語では、百兵衛さんは芳町の千束屋(ちづかや)という桂庵(今
でいう職業紹介所)から百川を紹介された設定です。
芳町花街は東京6花街として現在も続いており、濱田屋という料亭が伝統を守っています。
また、大観音寺横にある「芸者新道」が花街の風情を最も残しているように思います。
※よし梅に代表される料理屋が並んでおり、良い雰囲気を出しています。
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三光新道(さんこうじんみち)は、堀留町2丁目にある30メートル程の小道で、三光稲荷
の参道にもなっています。すぐ近くに梨園染で有名な「戸田屋商店」という老舗がありま
す。店の側面の壁に梨園染のサンプルを確認することができます。

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落語では、百兵衛さんが、ここに住む常磐津の「かめもじ」という人を呼んでくるように
百川の客に頼まれるのですが。。。。という内容で出てきます。

以上

【参考文献等】
・「江戸散歩・東京散歩」(成美堂出版)
・「消えた料亭「百川」を追う」日本経済新聞  2014/7/3
・「落語「百川」の舞台を歩く」(http://ginjo.fc2web.com/001momokawa/momokawa.htm)