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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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日本橋花街を偲ぶ

[中央小太郎] 2016年3月 2日 16:00

東京中央ネットの「第2回中央区の花街 その歴史と現在」
(http://www.tokyochuo.net/issue/city/4_geisya/geisya.html)によると、
中央区には新橋、柳橋、葭町、新富町、日本橋、霊岸島と6つの花街があったそうです。
(大正15年度の花柳名鑑)。

 

現在花街として残っているのは新橋と葭町の2つです。
※柳橋の花街は台東区に分類されるかもわかりませんが、名鑑によると組合事務所は当時
 の日本橋区にあったようです。

 

今回は、その中から泉鏡花の小説「日本橋」の舞台でもある日本橋花街を散策しました。

 

小説「日本橋」は1914年に千章館から出版された泉鏡花の代表作の1つです。
本を図書館で借りはしたのですが、文章が昔の文体で全く理解できそうになかったため、
諦めて映画(1956年/市川崑監督)を見ることにしました。
ただ、借りた本の表紙と挿絵は小村雪岱(こむらせったい)が描いたもので、非常に味のある絵です。
この絵を見られただけでも本を借りた甲斐があったと思っています。
小説の内容には触れませんが、物語は主人公のお孝を中心に、清葉、お千世、葛城晋三、
赤熊といった個性的な登場人物が織りなすストーリーが展開します。
映画の各場面は小説の挿絵によく似ており、ストーリーはもちろん雰囲気も最高で、
ていてとても面白い映画でした。機会があれば是非ご覧になられればと思います。

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日本橋花街の場所ですが、元大工町、檜物町、数寄屋町あたり一帯(現在の八重洲1丁目
・日本橋2丁目・3丁目の一部)にあったようです。大まかには地図の赤枠のあたりと思われます。

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このあたりを歩いてみると、映画や小説の挿絵にでてくるような景色はありませんが、

界隈には路地も残っており、飲み処も多いところが当時の花街を思わせる部分でしょうか。
老舗の割烹「嶋村」や酒席「いずみや」、そば処「やぶ久」、久寿もちの「長門」、
おでんの「お多幸」などの老舗は日本橋花街の最盛期のころからあった店なのかなと
当時をんで散策しました。(路地や町並みは写真をご参照)

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また、日本橋芸妓組合が日本橋桜通りの東京駅側から八重洲仲通に進み、真ん中あたりに
ありました。地図物語「あの日の日本橋」(武揚堂)に付属する火災保険特殊地図
(通称「火保図」昭和25年~30年頃)に名前を確認することができます。
※本ブログの地図上では、青の星印が組合のあった場所と思われます。

 

映画「日本橋」では、一石橋と延命地蔵尊(日本橋西河岸地蔵寺協会)のシーンがよく出
てきます。延命地蔵尊には「お千世の図額」が保存されており、これは、新派の俳優花柳
章太郎がお千世役を演じた際に奉納したものです。この絵も小説の表紙と口絵を描いた
小村雪岱によるものです。絵は本堂の中に飾られてあり、外からもちらっと見ることがで
きました(説明版によると、希望者は申し出れば絵を見学できるらしいです。)。
また、延命地蔵尊は縁結びとしてもご利益があるそうです。
一石橋と延命地蔵尊は地図上に赤の星印で示しました。

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中央区湾岸エリアぶらり日記

[中央小太郎] 2015年5月 7日 09:00

こんにちは、中央小太郎です。

 

5月3日の日曜日、中央区の湾岸エリアをぶらぶらしてきましたのでレポートします。

 
歩いたコースは概ね次のようなルートです。

 
築地市場駅から場外市場の中(波除通り)を通って晴海通りに出、勝鬨橋をわたります。

 

勝どき側についたら右に折れて隅田川添いを建設中の隅田川橋梁(仮称)まで歩き、少し超えたところで左に曲がります。

 

そのまままっすぐ歩き、人と自転車専用の朝潮小橋から朝潮運河を超えて、晴海に渡ります。

 

突き当たりが中央区清掃工場なので右に曲がって晴海埠頭の方に向かいます。

 

2020年の東京オリンピック選手村予定地を通り過ぎて、最終的には晴海客船ターミナルに着きます。

 

一休みしたあと、晴海通りから黎明橋公園通りを通ってトリトンスクエアに向かいます。

 

トリトンスクエア裏の散歩道を朝潮運河にそって晴月橋にいたり、

 

橋とは反対方向(右)に折れて再び晴海通りに出て左折、春海橋を渡ると豊洲に行ってしまうので入り口で引き返し、

 

朝潮橋を通って月島に渡ります。清澄通りに出たら、勝どき駅まで戻り、信号を渡って右に折れ、

 

西仲通り(もんじゃストリート)に続く道の門で右におれ、西仲橋を通ってもんじゃストリートに入り、

 

有楽町線の月島駅まで歩きます。

 

月島駅を左に曲がり、佃大橋を渡って新富町まで歩いたところで本日のゴールとします。
※ 本日は体力的に佃エリアをカバー仕切れませんでした。またの機会にレポートしたいと思います。

 
今回歩いた目的の一つは、2020年オリンピックに向けて開発の進む湾岸エリアを中央区側から確認してみたいと思ったからです。

 

まずは隅田川橋梁(仮称)から豊洲大橋、橋はほぼ完成状態で、これが開通すると外堀通りから新虎通りを通って有明までが一気につながります。

 

隅田川橋梁の築地側は、現在の築地市場の中(浜離宮側)を通るはずですが、その部分の道だけは確認できませんでした。

築地市場の移転時期(平成28年度)までは開通しないということですかね。

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次に、選手村ですが、まだ開発はスタートしておらず更地のままでした。
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選手村を超えて晴海埠頭まで行くと、天気もよかったので多くの人たちがバーベキューを楽しんでいました。


客船ターミナル(中には入れませんでしたが)の3F広場(?)から豊洲側を確認すると、築地市場の移転先となる豊洲新市場がまさに建設の途中でした。

このエリアは、古さと新しさ、水辺の景観、グルメが満遍なく楽しめます。
歩いていて印象に残った風情のある(ちょっと変わった?)場所をいくつかレポートします。

※朝から歩いて、月島に着くころはかなりお腹が減っていました。もんじゃをたべようかと思ったのですが、どこも満員で一人では入りづらかったのでやめました。
代わりに、もんじゃストリート月島駅側入り口付近の焼き肉屋スタミナ苑で黒毛和牛のカルビ御膳とハイボールでとても美味しく胃袋を満たしました。(満足)

①トリトンスクエア桜の散歩道からみた月島川の風情

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②春海橋の横にかかる小さな貨物用と思われる鉄橋(今は未使用)

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③西仲橋から見た月島川水門と屋形船の船着き場
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以上

 

 

芝口御門から常盤橋御門をぶらぶら

[中央小太郎] 2015年4月27日 09:00

こんにちは、ひたすら歩き回るのが好きな中央小太郎です。この4月から特派員になりました。

本日は、新橋から、楓川、日本橋川周辺で、中央区観光検定の勉強をしていた時に気になった場所を何となく気の向くままにぶらぶらして地理を確かめてきました。

まずは芝口御門跡。港区側から外堀通りを中央区に入り、首都高にそって東南東に進み、中央通りを超えて少し行くと左手にあります。木製の案内板と共に石碑が設置されていて、石碑に埋め込まれた銅板の絵から当時の門の立派さがわかります。旧東海道を品川方面から上り、旧汐留川をわたる部分に設けられたまさに江戸城下への入り口というのにふさわしい立派な門であったのだろうと想像します。

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次は海運橋親柱。芝口御門跡からは大分距離があり、いきなり場所が飛んでしまいますが、観光検定の時になかなか場所の想像ができず覚えにくかったので、気になっていました。芝口御門からは中央通りと昭和通りの間にある三原通りを北東に進み、京橋をすぎた辺りから骨董通りを同じく北東に進みます。

あなご箱飯の玉ゐ(たまい)の行列を見ながらいつか食べたいなと思いながら永代通りを渡り、たいめいけんを過ぎたら右に曲がります。昭和通りを過ぎ、今は埋め立てられた旧楓川(もみじがわ)上の首都高あたりに親柱をみつけ、無事、観光検定勉強時のもやもやを解消しました。

 

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この後、銀行発祥の地(みずほ銀行)付近で兜町歴史地図というのを発見し、川と日本橋川の合流地点の地図をみつけ、当時を想像していました。

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今日は、この他に日本橋側添いを亀島川にかかる霊岸橋から常盤橋御門跡までをぶらぶらしました。

常盤橋御門跡は、現在工事中(東日本大震災で被害をうけたらしい)で残念ながらあまり見られませんでした。本日はこのくらいで。