[朱房の十手]
2017年4月21日 12:00
文久元年(1861)発行の地図です。江戸時代からこの辺りに宝童稲荷神社があります。
矢印の場所に弥左衛門町と見えます。今の並木通り辺りになります。稲荷信仰が盛んな江戸時代に将軍家の跡継ぎの成長を守るため江戸城内に祀られていた神社です。堂守りの弥左衛門が神霊の分神を受けて建立したのがはじまりといわれています。
また弥左衛門は居をこの地に置き、生涯稲荷のお守りをしました。そのため弥左衛門町と呼ぶようになりました。
宝童稲荷神社は、子宝、商売繁盛を祈願として、よきご縁を授ける社として今でも厚い信仰を集めています。
銀座でお買い物ついでに、お参りしてもしてみませんか。
流石に宝童稲荷神社です。
ファイルおみくじとは凝っています。お土産になります。
勿論ファイルとして使用出来ます。
かなり分かりにくい場所です。
晴海通りを築地方向に向かって銀座天賞堂前のエンジェルを左折し50メートル位でまた左折です。
[朱房の十手]
2017年4月19日 12:00
冷凍技術の発達していなかった時代、トロの部位は生では食べず醬油味の鍋でネギと一緒に煮込んで食べていたそうです。赤身は醬油につけ込み「ずけ」で生でたべていました。トロは醬油をはじいてしまいこの料理方法にはむかなかったそうです。
いま、「ネギま」といえば鶏とネギの焼き鳥を思い浮かべますねー。たれにするか塩にするか迷うところです。
今日は「築地魚河岸」小田原棟にある「まぐろ 津川」店で小ぶりのインド鮪を柵で買い、家飲みに決めました。財布にも優しです。
サイズ、種類も豊富ですよ~。親切に鮪の相談なら乗ってくださいますよ。
(お店の方に許可をいただいて、撮影しました。)
いつでも美味しいです
[朱房の十手]
2017年4月15日 09:00
ひもの つきぢ 尾粂店をご紹介します。
呑み助にはたまらぬひもの。
種類も豊富、いつでも旨い。
さすが~築地魚河岸
築地市場で1番業歴の長い水産仲卸業者だそうです。
昔ながら天日干し・無添加にこだわり、旬の魚にもこだわり、明治4年創業のお店です(前島 密が郵便業務をスタートさせた年です)。
「おいし物をいつまでも。。。」を企業理念に掲げ、「日本の食文化の代表 ひもの」を国内のみならず世界も視野に入れて発信しているそうです。
私は、サンマ、あじ、サバ等のひものを会社の昼休みに買って帰宅後に、ひもを肴に自宅でチビチビ飲むのが好きです。家のみ派に転向。お財布にも優しいです。
店員さんも皆さん親切で、変わり種の干物、天日干しの小鰯等の食べ方も教えていただきました。機会がありましたら、是非お立ち寄りになってはいかがですか
(店員さんに許可をいただいて撮影しております。)
[朱房の十手]
2017年4月12日 18:00
勝 鬨 橋 築地と月島を結ぶ架橋計画は当初より開橋する橋を造ることで、シカゴの双葉跳開橋をモデルにしました。日本では初めての形式で、東洋一の規模でした。完成は昭和15年、東京オリンピックや万国博覧会に向けて国の威信をかけた一大イベントの一環として取り組まれました。しかし、日中戦争がはげしくなったため橋のみが完成しました。
中央径間の跳開橋は最大70度まで開き、3000トン級の船舶も航行可能でした。
竣工当時は、一日5回20分ずつ開いていましたが、交通量の増大・橋下を大型船の通行する必要が無くなり、昭和45年に、開かずの橋になりました。開橋したらさぞ迫力満点でしょうねー
築地市場のすぐそばです、買い物ついでに隅田川や勝鬨橋をぜひご覧になってください。素敵な景色ですよ。
橋の中央が開いています(中央区立京橋図書館所蔵資料)
[朱房の十手]
2017年4月 9日 12:00
鳳凰がずらりと並んで乗っています
金色の羽を広げた鳳凰が乗った由来は、江戸時代に将軍が浜御殿(浜離宮)へ行く際に「御幸 みゆき」の道として名付けられたからです。
また、明治期に、天皇陛下が海軍兵学校、海軍大学校等(築地市場)への行幸の際の行幸路とされたからとも言われています。
1960年代になるとアイビールックを取り入れた若者たちが、みゆき通りを闊歩したりしました。そこから「みゆき族」の名前が生まれました。
今でも敷居の高いレストランや、クラブ、商店などが多く集まっています。銀座らしい銀座です。
お買い物ついでに、街路灯も見てください。なかなか凝っています。