[朱房の十手]
2018年3月13日 12:00
写真(桂川屋敷)は、区教育委員会設置 史跡案内板(築地7丁目十番地)
桂川家は享保年間(1716-1736)ごろから築地に居を構えていました。
和欄外科医の奥医者として名を馳せ、登城のさいは11名の供を従え、旗本も道を譲るほどでした。
明治維新の前(1863)に築地で大火があり桂川家の向いから出火、類焼は免れたものの火災の直後に「柳生対馬守」の屋敷を譲り受け転居しました。
面積は1200坪余りあり、広い庭がありました.。明石堀(あかつき公園)を挟んで、中津藩 奥平家の屋敷があり、福沢諭吉が蘭学を教えていました。
(「名残りのゆめ」 甫周 長女 みね追憶談 より)
[朱房の十手]
2018年3月 9日 12:00
明治天皇皇后両陛下は、
明治8年4月4日 水戸藩下屋敷(現在 向島 隅田公園)でのお花見の際に、お茶うけとしてアンパンを召し上がりました。
大変お気に召されたそうです。
段取りをつけたのが、
剣・書の達人 侍従の 山岡鉄舟です。
左の写真の書き文字 店名を書かれました。
残念ながらオリジナルは関東大震災の際 焼失したそうです。
銀ブラの際によくよくご覧になっては如何ですか。素晴らしく見事な文字です
[朱房の十手]
2018年3月 6日 18:00
引っ搔き傷のつけられたタイルのことを指します。
猫の爪とは関係ありません。
流行り出したのは、帝国ホテル本館が完成してからです。タイルの欠点は製造工程で数パーセントが、焼きむらが出てしまい製品化出来ないことです。
ところが写真のタイル(スクラッチタイル)はむらが出てるからこそ、かえって陰影が素敵です。経済的な理由でも関東大震災以後、広く使用されたものと思います。
中央区役所傍の鈴木ビル、銀座豊岩稲荷の前にある第一菅原ビルなどに見ることができます。じっくりと眺めて見ると趣き深いです。
[朱房の十手]
2018年2月 8日 16:00
我が家の犬は番犬にはなりません?
←吠えもせず、散歩も、エサやりも要りません!
今年の新年会で我が家にもらわれてきました。
水天宮 境内の親子犬→
水天宮は江戸時代から安産等々のご利益があると言われている福岡県久留米市の水天宮から分霊され三田の有馬家に勧請されたのが始まりです。(犬はお産が軽いと言われています)
明治時代(明治5年)になり、水天宮は現地(人形町)に遷座しました。
江戸時代には久留米藩主 有馬様が参勤交代の折に犬を連れてお国に帰ったそうです。
人形町には西郷隆盛の屋敷があり、ウサギ狩りのため犬を飼っていました。西南戦争の折も犬を連れています。
戦後生き残った犬は,捕獲され弟 西郷従道に引き渡されたそうです。
西郷屋敷跡地は日本橋小学校です。水天宮のお参りの折、お立ち寄りください。
[朱房の十手]
2018年2月 5日 18:00
写真は、長崎市にある 平和記念像 と同じ作者が制作しました。
関東大震災10周年の記念塔として数寄屋橋公園にあります。
台座の銘板に「不意の地震に不断の用意」と書かれているそうです。
肝に銘じる言葉です!
宝くじ売り場のすぐそばです。宝くじを購入の際に是非ともご覧になってください。
中央区民有形文化財です。
作品名 燈臺 作者名 西村西望