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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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中央区ゆかりの文人展〔タイムドーム明石〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月17日 18:00

明石町12-1、聖ルカ通りに面する中央区保健所等複合施設6階にある中央区立郷土天文館タイムドーム明石)の特別展示室で、企画展「再発見中央区ゆかりの文人展」が開催されています

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開催期間は、5月26日)から7月1日)までです。

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開館時間は、火曜日から金曜日までが午前10時から午後7時まで、

土曜日日曜日が、午前10時から午後5時までで、

入場は、閉館の30分前までです。

月曜日は、休館日です。

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取り上げられている文学者は、谷崎潤一郎長谷川時雨長谷川かな女九条武子長谷川春子で、日本橋蛎殻町にあった出版会社、六興出版のコーナーも設けられています

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谷崎潤一郎は、日本橋区蛎殻町2丁目(現在の中央区日本橋人形町1丁目)生まれ

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言わずと知れた、近代日本文学を代表する小説家の一人です

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長谷川時雨は、日本橋区通油町1丁目(現在の中央区日本橋大伝馬町3丁目)生まれ。

劇作家小説家

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雑誌や新聞を発行して、女性の地位向上に努めました

自身の回想録である「旧聞日本橋」が有名です

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九条武子は、教育者歌人

関東大震災で全壊した築地本願寺の再建や、震災による負傷者・孤児の救援活動に活躍しました

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長谷川春子は、長谷川時雨の妹で、洋画家です芸術

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六興出版のコーナーには、同社の雑誌に執筆していた林芙美子武者小路実篤室生犀星などの直筆原稿等が展示されていました

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直筆の原稿は、作家本人の推敲の跡とかがリアルで、最初はこういう表現だったのか、などということがわかり、おもしろかったです

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なお、会場は写真撮影禁止のところ、特別にご了解をいただきました

ありがとうございます

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浅野弥衛展〔メグミオギタギャラリー〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月16日 09:00

銀座2丁目、銀座大塚ビル地下1階にある画廊「メグミオギタギャラリー」で、現在、浅野弥衛氏作品展が開催されています

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開催期間は、6月12日)から6月30日)までです。

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開廊時間は、11時から19時までです。

祝日お休みです。

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ギャラリー同氏作品展が開催されるのは初めてだそうです

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浅野弥衛氏(1914年10月1日-1996年2月22日)は、三重県鈴鹿市のご出身だそうです

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同氏は、「引掻く」という技法によって評価を得たそうですが、それは単に引掻くというだけのものではなく、一度「引掻いた」画面に油絵具を塗り込んだ後、それを拭き取るという手の込んだものだそうで、独自に研究を重ねて独特の作風を確立されたのだそうです

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浅野氏は、「日本人でなければできない日本文化風土から生まれた抽象の確立を目指し続けた」とのことで、展示された作品にも「日本人でなければできない日本文化風土」が描き込まれているのだと思ってみると、線描の作品からいろいろ日本的なものが見えてくるような気がします

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会場に展示された作品は、「引搔き」の抽象作品もあれば、初期の具象"的"な作品もあり、地下1階の静かなギャラリーで、想像力を働かせながら鑑賞するにふさわしい作品ばかりです

梅雨時で天気の安定しないこの時期ですが、是非一度、お立ち寄りください

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なお、ギャラリー内での写真撮影については、ご了解をいただき、毎度のことながら、作品や作家に関する懇切丁寧な説明をしていただきました

ありがとうございます

メグミオギタギャラリーのHPはこちら ⇒

http://www.megumiogita.com/

芸術芸術芸術

 

 

暁橋の朱色のユリ

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月14日 12:00

築地川公園暁橋のところに置かれたプランターに、朱色ユリが咲いていました

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場所は、下の地図赤〇のところです

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鮮やかな朱色です

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スカシユリと思われますが、残念ながら品種名はわかりません

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スカシユリの特徴である杯状を、上向きにつけて咲いている姿がいいですね

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梅雨の合間の晴天の日に、朱色がまわりのと美しく調和していました

 

 

希望の猫〔ギャラリーふげん社〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月 7日 09:00

会社のすぐ近く、ランチでよくお邪魔する「新三浦ガーデン」と同じビルの2階ギャラリーで、今日(6月5日)から始まる写真展が開催されていることに気づきました

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築地1-8-4、築地ガーデンビル2階にある「コミュニケーションギャラリー ふげん社」を会場とする「希望の猫 御木茂則写真展」です

下の地図赤〇の場所です。

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ふげん社は、書店ギャラリー、それにカフェが加わって一体となったお店です

展覧会イベントが随時開催されています

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写真展の開催期間は、6月5日)から6月16日)までです。

時間は、火曜日から金曜日までが12時から19時までで、

土曜日12時から17時までです。

日曜日月曜日お休みです。

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会場にいらした御木茂則氏にお話を伺うことができました

御木氏にとって、今回が初めての写真展だそうです

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御木氏はもともと映画のカメラマンで、映画撮影の活動の傍ら、国内外各地を訪れて出会うたちを撮影してこられたそうです

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会場で、作品を拝見しての第一印象は、

まず、色が美しい

発色がよく、の感じられる空間を切り取った作品が、その場にいるような気持ちにさせてくれます

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そして、ローアングルで、時には超アップで、撮影された猫たち表情がとても自然で、のびのびとしています

彼らが、撮影された場所で、たくましく生きているのだなということが伝わってきました

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また、作品の中には、生き抜くためのしたたかさを感じさせるもいて、それがリアルユーモラス温かみにも通じているように感じました

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希望の猫」、元気な猫に会いに、是非、足をお運びください

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なお、ギャラリー内での写真撮影については、ご了解をいただき、作品については、ご本人から直接ご説明をいただきました

ありがとうございます

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ちなみに、ふげん社では、6月19日)から、来場者の投票数勝敗を決する鉄道写真撮り鉄 」を開催予定です

こちらもとても面白そう

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ふげん社のHPはこちら ⇒

http://fugensha.jp/

 

 

楓川跡を歩く(2)

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月 4日 14:00

楓川跡を歩く)」の続きです

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楓川は、昭和30年代まで中央区に存在し、日本橋川兜町付近から南へ分流して、京橋川八丁堀桜川合流地点に至る河川でしたが、埋め立てられて、現在は首都高速道路都心環状線がその跡を通っています

上の地図黄色の部分です

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)は久安橋です

この橋は、八重洲通りが「首都高速」(旧・楓川)を渡る橋です

現在の橋は、関東大震災復興事業により、八重洲通りの造成と共に架け替えられたもので、重量感のあるアーチ橋です

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久安橋は、江戸時代に桑名藩松平越中守の上屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、明治元年に江戸幕府の名残りである「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されたそうです

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宝橋)です

宝橋は、京橋八丁堀を結ぶ一方通行の狭い通りが、 「首都高速」(旧・楓川)を渡る橋です

下の写真は、宝橋上から南側の高速道路を見たところです

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宝橋の名称は、当時の楓川西側一帯の「京橋区 宝町」という町名からきているそうです

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)は水色の鳥居の天祖神社宝橋のすぐ近く、ビルの脇の細い参道を進んだ先に本殿があります

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小さな神社ですが、歴史があり、江戸時代前期の寛永元年に、伊勢長官出口市之正伊勢神宮皇大神宮別宮である伊雑宮を江戸日本橋通3丁目に奉斎したことに始まるそうです

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寛永10年には、八丁堀松屋町替地300坪および門前地をもって幕府の命により遷座したそうです

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松幡橋)です

東側の松屋町、西側の因幡町から各町名の一字ずつを取って、名付けられたそうです

江戸時代には松屋橋とも呼ばれました

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楓川の一番南端に架かる橋が弾正橋鍛冶橋通りにある橋です

こちらも、現在の橋は、関東大震災後の帝都復興事業によって架け替えられました

江戸初期には、東側に島田弾正忠利の屋敷があり京橋川白魚橋三十間堀川真福寺橋と併せて「三ツ橋」と呼ばれたそうです

明治11年には、日本初)の純国産鉄橋が架けられています

この鉄橋は昭和4年に江東区内に移設され、八幡橋と改称されています

下の写真は、弾正橋から南側の高速道路を眺めたところです

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今回、楓川沿いを歩いてみて1キロちょっとの距離でしたが、「川と掘割」によって積み重ねられた歴史の重みを感じることができました

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楓川跡を歩く

 

 

楓川跡を歩く(1)

[ジミニー☆クリケット] 2018年6月 2日 09:00

先日(5月27日)、このブログでご紹介した「川と掘割"20の跡"を辿る江戸東京歴史散歩」(岡本哲志著、PHP新書)を読んで、かつて存在した楓川に興味を抱き、楓川沿いを歩いてみました

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楓川は、日本橋川兜町付近(現在の江戸橋ジャンクション付近)から南へ分流し京橋川八丁堀桜川合流地点(現在の京橋ジャンクション付近)に至る約1.2キロメートル の河川でしたが、1960年(昭和35年)から1965年(昭和40年)にかけて埋め立てられて、現在は首都高速道路都心環状線がその跡を通っています

下の地図黄色の部分がかつて楓川が流れていたところです

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そのスタート地点()は、かつて兜橋があったところ

下の写真は、兜神社前から兜橋が架かっていたであろう場所の眺めです

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兜神社です

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境内には、前九年の役で、源義家が立ち寄って戦勝を祈願したと伝えられる兜岩があります

これが兜町町名の由来となりました

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)は、海運橋の架かっていたところです

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江戸初期は髙橋、後に海賊橋将監橋と称されたとのこと

明治元年(1868年)、「開運」と掛けて海運橋と改称されました

現在は、2基の親柱のみが残されています

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千代田橋は、永代通り楓川を渡るのに架けられた橋です

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大原稲荷神社は、千代田橋の南側、歩いてすぐのところに、高速道路を背にして祀られています

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新場橋)です

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中之橋楓橋の別称もあったとのことで、延宝2年、西側に日本橋魚河岸に続く第二の魚河岸)として新肴場新肴場河岸)が設置され、新場と略されたそうです

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新場橋の橋上から北側高速道路を眺めると、高架から楓川川底に向かって道路が下って来ているのがよくわかります

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新場橋のすぐそば、さくら通りからちょっと入ったところにある鳥居稲荷神社です

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静かな場所に建っていて、「正一位」の文字が印象的です

楓川跡を歩くに続きます。〕