[TAKK...]
2012年11月29日 08:30
八重洲地下街では「ホワイトクリスマス」として、ホワイトLEDによる全館ホワイトイルミネーションを展開、メイン・アベニューはイルミネーションアーチとホワイトツリーで彩られています。
期間:11月14日(水)~12月25日(火)
場所:八重洲地下街【メイン・アベニュー】他
内容
■ホワイト ツリー ~復興への想いを込めて~
東日本大震災の復興支援活動への募金でクリスマスベルが一つもらえます。
もらったベルを"ホワイトツリー"へ飾り付け。支援の気持ちでツリーが完成する。
■北海道 雪と氷の祭典
北海道を代表する冬の祭典をパネルや映像でご紹介。
■2012 ホワイトクリスマス 大抽選会
各ショップでお買物・ご飲食3,000円で1回抽選。
(一部除外店あり)
大抽選会では、北海道ペア旅行や美術館鑑賞券など豪華賞品が当たるチャンス!
参加賞のマスクもありがたいですね!
八重洲地下街で忘年会を開催すれば、何回抽選できるかな?!
[下町トム]
2012年11月28日 09:00
秋から冬への移行期、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。
ぼくの好きな銀座の町は、歳末セールを控えて静かにたたずんでいるようでもあり、冬の訪れに対して身構えているようでもあり、やっぱり魅力的な町であることに変わりありません。
銀座7丁目にある〔銀座ニコンサロン〕では、個性的な写真作家の個展などを精力的に開催しています。
写真という芸術は「一瞬を切り取る」ということでいうと絵画の表現力と俳句の写実性を兼ね備えた総合芸術のようにも思えます。
今、このサロンでは『比嘉良治写真展』が12月4日まで開催されています。
比嘉さんは沖縄出身で若くして渡米し、今はニューヨーク在住のすばらしい写真家です。
ぼくは、観光特派員1期生の〝坂の上のねこ〟さんに紹介されて早速訪ねてきました。
〔銀座ニコンサロン〕は〔銀座松坂屋〕の横手を入ったところにあり、写真やカメラを愛する人たちが足しげく通うスポットです。今回の比嘉さんの写真展は「ちらがー 沖縄の素肌」というタイトルで、主に沖縄の自然の造形を独特の視点で捉えた作品がいくつも展示されています。岩や崖、植物など、さりげない風景の中に自然への愛情と敬意が溢れているように思えます。「無言だけど雄弁」とはこういうことを言うのでしょうか。
ちなみに、〝ちらがー〟とは琉球方言で〝面の皮〟ということで、主に豚の顔の皮を指すそうです。沖縄の生の姿を伝えたいという作者の思いがこめられているのかもしれません。
サロンは入場無料ですので、銀座までお出かけの節には是非お立ち寄り下さい。
ファインダーを通じて交流する自然との会話を感じることができると思います。
[与太朗]
2012年11月26日 15:58
2011年3月11日午後2時40分、みなさんはどこにいらっしゃいましたか? 私は日本橋三越前の地下コンコース、あの熈代勝覧の壁面のすぐ近くで、生れてこの方初めての長く激しい揺れに襲われましたが、奇しくもその同じ場所で『東日本大震災の記憶と復興』展が開かれています。(30日まで。無料。)
死者・行方不明者約2万人、家屋の全・半壊約36万戸・・・大災害から600日余りが過ぎましたが、各地に地震・津波の痕跡が残り、避難生活を強いられる方もまだ多数おられます。被災者・被災地への思いを「忘れない」、大地震と戦った日々を「風化させない」との思いで、このたびの大震災への対応や復興の状況を伝え、今後の被害軽減につながるようこの展示を行ったと主催者は言っています。
展示内容は、大震災の被災物(道路標識、時計など)や津波被災前後の写真パネル、復興活動の紹介パネルなどですが、石巻北上川河口や高田松原の写真は、何度見ても肌に粟が生じる感があります。
その他、興味深いものに東北の災害伝承の紹介があります。岩手・山田町の船越山ノ内「役の小角伝説」、宮城・多賀城市の「末の松山・小佐治物語」など、過去の大津波の経験から安全な避難場所を後世に伝えた伝説です。
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは (清原元輔)
百人一首でお馴染の歌です。末の松山を波が越える・・・ 起こりえないことのたとえにされる言葉ですが、東日本大震災でも周辺まで津波が押し寄せましたが、末の松山だけが浸水せずに残ったそうです。
※日本橋『東日本大震災の記憶と復興』展
●11月30日(金)まで。 無料
●会場 中央区日本橋室町1-3 東京メトロ三越前駅コンコース
●主催 「東日本大震災の記憶と復興」展実行委員会
●協力 名橋「日本橋」保存会 ほか
●企画 特定非営利活動法人全国街道交流会議
●後援 中央区 ほか
あの3月11日、地上の中央通りでは、翌日開かれる日本橋架橋100周年『江戸古町祭り』の準備が大詰めを迎えていました。私もイベントの一つ「はしご酒大会」の前売りチケットを買って当日を楽しみにしていましたが、祭りはあえなく中止。いずれ東北の酒と肴でのはしご酒大会を復活させていただきたいですね。
【写真上】 会場正面
【写真下】 地震直後、地上の様子(2時55分撮影)。何が起きたのか、まだ誰も知らない。
[銀造]
2012年11月26日 08:37
築地場外市場のお店で、「お年玉プレゼント・セール」が実施中です。 黄色いバルーン(風船)または店頭ポスターのあるお店で「応募ハガキ」を貰いましょう。 1等1万円が10名に、2等3千円が200名に、3等1千円が、何と4,300名様に当たるという、なんとも太っ腹な企画です。 七日市、お正月の用意もしなくちゃ!美味しいもの、品質の確かな物は、築地です
[銀造]
2012年11月19日 08:15
11月17日、「国際交流のつどい2012」が、中央区文化・国際交流振興協会(CCIEA)の主催により開催されました。 2Fのレセプションで記名を済ますと、ボランテイアのお嬢さんが、親切に給茶のサービスをしてくれました。 早速、最近知り合いになった方々との懇談が始まり、和やかな一時。 私の左側にいる方は国際結婚で中央区にお住まいの台湾生まれの方、ボランテイアの方、ドイツから来日し中央区に3年半お住まいの男性他と楽しい交流が始まりました。 私は、毎年このイベントに参加するのを楽しみにしています。 沢山の楽しい催しがありました。 なかでも、
本日は、Sri Lanka Day ということで、Sri Lanka の文化とスタッフや一般の方々との交流も紹介してくれました。 スリランカに滞在して当地の生活体験をなさった記録でしょう。 単なる旅行でなく、現地を肌で知る、実際に体験することが大切だと教えてくれました。
熱帯植物の生態、生活への利用方法なども教えてくれました。 その後、私は墨絵、お抹茶を楽しみました。足が、痺れたぁ~! また、南京玉すだれにも挑戦しました。 来年は、ここで南京玉すだれを披露しようかな?
市民レベルの国際交流の大切さを改めて実感した次第です。中央区文化・国際交流振興協会(CCIEA)のスタッフの方々の活動に深く敬意を表し、深謝申し上げます。有難うございました。 協会のHPはこちらです。 貴女も、貴方も、参加しませんか? http://www.chuo-ci.jp/
[杏葉牡丹]
2012年11月13日 15:00
11月10日(土)11日(日)の2日間、築地本願寺の文化財登録と本堂修復記念行事として『キズキナサイ2012』が開催されました。
ちょっと耳慣れない『キズキナサイ』という言葉、「築地の由来に・食のまち築地の魅力に・いかされている命にーキズキナサイ」ということで、「築きな祭」とも書き、地を築くという築地の地名になぞらえて、いつもそこにある大切なことに「気がつく」という意味があるのだそうです。
今では市場のイメージが強い、この築地ですが、その名の通り、埋め立て地であることは、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
けれども、実は「本願寺を建築するために埋め立てられた」とも言えるのは、ご存知でしたでしょうか?
その昔、江戸に幕府が開かれた際、京都の西本願寺は別院を設けましたが、当初は浅草横山町(現在の日本橋横山町)の辺りにあり、「浅草御堂」と呼ばれました。
ところが1657年の明暦の大火で焼失。
再建を願ったところ、幕府が許可したのは江戸湊の浅瀬。
この時すでに、徳川家康が摂津国佃村から呼び寄せた漁師たちは、鉄砲洲の干潟を埋め立てて「佃島」を造っていましたが、
彼らが西本願寺の門徒だっため、この築地の埋め立てには、多大な貢献をしたのだそうです。
そうしてできた百間四方より少し大きな土地に建てられたのが、「築地本願寺」なのです。
その後様々な変遷を経て、伊東忠太の設計による現在の本堂が創建されたのが昭和9年。
それから78年後の今年、大修復が行われたのです。
行事当日は、境内に「食のまち築地」ということで、全国各地のご当地グルメが集合。
もちろん地元築地のお店も出店して、秋空の下、皆さん舌鼓をうっていました。
そして、本堂内では、法要・記念講演が行われ、修復の歩みを紹介するビデオ上映とパネル展、大谷光瑞(鏡如上人)と設計者の伊東忠太のパネル展が開催されました。
大谷光瑞は西本願寺の第22代宗主で、仏教の源流を調査するために、シルクロードに大谷探検家を派遣した方です。
この探検隊が、探検の途中で伊東忠太に出会ったことが、現在の本願寺の建物が生まれるきっかけとなったのです。
そして、この本堂内の行事で一番有り難かったのが、本堂内覧会。
普段は上がれない内陣の奥にまで入ることができ、本当にすぐ近くで拝観させていただくことが出来ました。
御厨子等の仏具だけでなく、柱や長押・障壁等、内陣の金箔の部分は全て新しく箔押しされ、漆も塗り直され、彩色されていた部分は修復の後に補彩されて、眩いばかり。
その美しさと荘厳さに息を飲むばかりでした。
更には修復工事の詳細なパンフレットもいただき、本当に得難い機会に出会うことのできた、素晴らしい記念行事でした。