[HK]
2018年11月27日 14:00
紅葉狩りに遠くまで行くもよし、近場で楽しむもよし。
月島区民センター裏通りでも紅葉が楽しめます。
ちなみにこの通り、春には桜が楽しめます。
Watching autumn foliage will make you feel so delightful regardless of the place you visit.
You can also enjoy colorful leaves at the back street of Chuoku Tsukishima Kumin Center.
The place is also a nice spot to view cherry blossoms in early spring.
[サム]
2018年11月27日 12:00
浜離宮恩賜庭園では、東京府開設150年記念イベントの一環として、11月24・25日両日、江戸時代から明治時代、江戸と東京をテーマにした、よってらっしゃい、やってらっしゃい、見てらっしゃい!「東京150年にぎわゐ広場」開催中です。
日本文化体験ワークショップ、お土産、軽飲食のお店が、会場の内堀広場の「にぎわゐ広場」に立ち並んでいます。
「着付体験」「薬酒づくり」「盆栽ワークショップ(苔玉)」「盆ラマ(盆栽風ジオラマ)」「野点」「書道」のワークショップに加え、「盆栽展示コーナー」も設営され、多くの外国人入園者が熱心に見入っています。
お土産・軽飲食コーナーでは、8代将軍吉宗公ゆかりの地「和歌山市観光協会」他計8店舗が軒を連ねます。通常園内は禁酒ですが、今回に限り、内堀広場でのみ飲酒が出来ます。
11月25日は、同時開催のスタンプラリー「江戸と明治を探せ!」実施予定です。
[下町トム]
2018年11月27日 10:00
東京オリンピック・パラリンピックがあと1年半後に迫り、だんだんと機運が高まってきましたね。
中央区晴海には選手村が建設中です。基礎工事が終わると建物はどんどん立ち上がっていきます。晴海客船ターミナルに停泊する客船の後ろには大きなクレーンが動き、新しいビルの姿が徐々に見えてきました。これからこの町も大きく変貌していくことでしょう。
ご存じの方も多いと思いますが、かつてこの辺りには「国際見本市会場」があり、多くの企業関係者や見物客でにぎわったものです。時は流れて、新たな国際交流の拠点として晴海は生まれ変わります。
今月、晴海につながる大動脈となる道路・環状2号が暫定開通し、新たな物流や人の流れができました。2020年の五輪の時にはBRT(新交通システム)も開業予定です。その時にこの町がどんな顔を見せてくれるのか楽しみです。
完成まで一刻一刻変わっていくこの町の姿を皆さんも垣間見に来られてはいかがでしょうか。
[サム]
2018年11月26日 14:00
11月23日、波除稲荷神社(築地6)では、秋の大祭「新嘗祭」が執り行われました。
新嘗祭は古くから宮中をはじめ、全国の神社で行なわれている秋の収穫を感謝する祭礼。
江戸時代に焼失した「厄除天井大獅子」が、石川県白山市の加賀獅子頭木彫師知田青雲氏の手により再興された縁で、知田工房の近隣の田圃を借りて設えられた当神社の御神饌田で、お田植祭、抜穂(ぬいぼ)祭を経て収穫された新米、稲穂、そして御神饌田の米(ノトヒカリ)を使い、白山市の「萬歳楽」醸造元小堀酒造で造られた濁り酒「幸穂」が御神前に供えられます。
境内では、この生産量が限られた貴重な濁り酒「幸穂」が参拝者に振る舞われています。
尚御神饌田の米より醸された清酒「波除」は翌年6月の夏の大祭に供えられます。
[湊っ子ちゃん]
2018年11月26日 14:00
こんにちは、湊っ子ちゃんです。
今日は、築地三丁目8番から、明石町9番までの「聖ルカ通り」を歩きたいと思います。
聖ルカ通りに木漏れ日を降らすのは、アメリカより友好の印として贈られたハナミズキです。
明治元年(1868)から同32年(1899)まで、現在の明石町一帯には、築地外国人居留地が置かれ、宣教師や医師などが多く居住し、日本における布教活動の拠点となりました。明治8年(1875)にはアメリカ公使館が設けられるなど、アメリカとの関わりが深い地域です。
♪ 明石町のシンボル聖路加
明治33年(1900)、宣教医師R・Bトイスラーが来日、同34年に築地病院を聖路加病院と改称し発足します。同37年には聖路加看護学校を開設し、ここにトイスラーの目指した、信仰・医療・看護教育という、3つの基本構造が整い、聖路加病院はその後大きく発展を遂げました。そして大正6年(1917)、聖路加国際病院と名を改めたのです。
聖路加国際病院の建築は、当初A.レイモンドが設計にあたりました。その後、J・バーガミニィにゆだねられ、昭和11年(1936)、ネオ・ゴシック様式の聖ルカ礼拝堂が建造されます。今も礼拝堂からは、毎日定刻に鐘の音が響き渡り、現在の明石町とその周辺地域に、かつての外国人居留地時代を思い起こさせてくれます。
♪ 聖ルカ通りに建つ記念碑
蘭学事始地碑
豊前国(現在の大分県)中津藩奥平家の藩医で、蘭学者でもあった前野良沢は、杉田玄白・中川淳庵・桂川甫周らとともに、オランダ語の医書「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、安永3年(1774)、「解体新書」を出版しました。
慶応義塾発祥の地碑
中津藩出身である福沢諭吉(1835-1901)は、安政5年(1858)この地に蘭学塾をひらき、現在の慶応義塾大学へと発展します。
女子学院発祥の地碑
明治3年(1870)、宣教師ジュリア・カロゾルスにより女子学院の前身であるA6番女学校が創設されます。築地外国人居留地に初めて建った洋館で、人々の注目を集めました。(実際の旧所在地とは異なります)
立教学院発祥の地碑
明治7年(1874)、C・Mウィリアムズ主教により立教学院のルーツである私塾、立教学校が開設されました。
トイスラー記念館
聖路加国際病院の宣教師館として、昭和8年(1933)に建設されました。外観には、柱や梁などの骨組みを表現した、西洋風の建築意匠が見られます。現在は、病院内中庭に移築復元されています。
浅野内匠頭邸跡碑
忠臣蔵で名高い、赤穂藩主 浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の屋敷跡です。元禄14年(1701)江戸城中で起こった刀傷事件により、無念の切腹を命ぜられ、お家断絶となりました。
芥川龍之介生誕の地案内板
芥川龍之介(1892―1927)は、明治25年、耕牧舎という牛乳牧場の長男として、ここに生まれました。夏目漱石の門下に入り、「河童」「羅生門」「或阿呆の一生」など、多くの作品を残しました。
♪ 歩道美術館へようこそ!
かつての築地外国人居留地を物語る、ガス灯の絵や居留地の番地を配すところなど、お洒落ですね。(写真は、平成30年4月撮影)
旧暁橋の歩道には、舗装ブロックで形作られた「区の花つつじ」の文字と、つつじの絵がありまます。
橋の上のカラフルなオブジェは、風をイメージしているとか。今年度から、「花咲くまち角」の花壇も新しく設けられ、人々の賑やかな往来と相まって、活気あふれる通りです。
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第27号 平成30年11月23日
[さとけん]
2018年11月26日 12:00
11月23日、気持ちよく晴れた勤労感謝の日。近所を歩いてきました。自分の好きな風景です。
高層マンションと生活感のある街並みのコントラストが気に入っています。佃や月島の街並みはどんどん変わりますが、少しでも長く残って欲しい風景です。