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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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富士山の背丈もここから・霊巌島水位観測所

[坂の上のねこ] 2011年1月31日 11:10

日本一高い山は?

そう、富士山ですね。

ではその高さは?

これも皆さんご存知でしょう、3776m。「皆なろう(3776)」と覚えましたね。

ちなみに、スカイツリーの高さは武蔵(634m)と覚えるそうです。

では、富士山の高さはどこを基準にしているのでしょう?

はい、その通り。千代田区永田町1-1にある「日本水準原点」です。

最後にもうひとつ。その日本水準原点はいつ、どこを基準に設置されたのでしょうか。

これはちょっと通(ツウ)でないとわからないかもしれません。

答えは「明治24年(1891年)、霊巌島水位観測所を基準にして」でした。


というわけで、今日のテーマは霊巌島水位観測所です。

明治6年(1873年)、主要河川の河口水位を測るための量水標のひとつとして、霊巌島に水位観測所が設置されました。それから明治12年(1879年)までの6年間、4ヶ月間の欠測を除いて毎日ここで満潮時と干潮時の水位を観測し、そのデータを基にして東京湾平均海面、すなわち全国の高さの基準を定めました。


その後明治24年(1891年)、千代田区永田町に日本水準原点を設置するにあたり、霊巌島水位観測所から原点まで水準測量を行い、その高さ24.5000mを基準点としたのだそうです(注1)。

霊巌島水位観測所はまさに日本の近代測量の礎と言えるでしょう。


霊巌島水位観測所は今も工事計画等の基礎データの観測に使用されています(注2)。また、隅田川テラスの護岸工事に伴い、平成6年(1994年)、元の場所から36m下流に移設されました。

中央大橋より.jpg

中央大橋から撮影した現在の霊巌島水位観測所

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観測室は、川に沿って視点を動かしていくと、正方形、正六角形、八角形とかたちが変化して見えるように作られています


(注1)関東大震災による地殻変動があったため、昭和3年(1928年)、24.4140mに改定されました。

(注2)東京湾の埋め立て等により、霊巌島観測所は水準原点の検証に理想的な場所ではなくなったため、現在では神奈川県三崎の油壺観測所で水準原点の検証を行っています。

日本水準原点と霊巌島水位観測所の詳しい歴史については、現地の案内板↓や国土交通省国土地理院のサイトをご参照下さい(写真をクリックすると拡大できます)。

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さて、今日の水位は・・・?

また、霊巌島水位観測所からやや上流、中央大橋と隅田川テラスを結ぶ階段を上ったところには「一等水準点・交無号」があります。

P1260225.JPG

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日本の道路網の「出発点」である道路元票が日本橋にあることは有名ですが、

全国の山や土地の高さの「出発点」もここ中央区にあったのですね。

 

 

 

 

新橋演舞場 沢田正二郎 曾我廼家五郎 歌碑

[銀造] 2011年1月27日 08:30

 東銀座の交差点で、今日は何処へ行こうかと考えて、案内板の地図を見たところ、

新橋演舞場には、「沢田正二郎歌碑」、「曾我廼家五郎歌碑」があるとの案内板。

 えっ!知らなかった! で、早速探しに行くことにしました。

案内板の性ではありませんが、正面入り口の前を何度も行き来して、演舞場の方に尋ねると

 「奥に演舞場稲荷大明神と石碑がありますから、ご覧下さい」との親切な応対。

鳥居を見ると何故か自然に手を合わせお参りしています。

カラオケが上手くなりますように paper 。

CIMG7306.jpg

 

 沢田正二郎さんは、新国劇を起こし、国定忠次や殺陣師団平などで有名で、新橋演舞場で

大当たりをとったそうです。

私は誰方の映画で正二郎さんの事を知ったのか、不明です。きっと、島田正吾さんか辰己柳太郎さんのお芝居か映画で拝見したのだと思います。 お二方とも格好良かったですね。

 

 歌碑には、 「芸即魂」、「何処かで 囃子の声す 耳の患」と刻まれてあります。

お耳を患われて、お亡くなりになったのですね。

CIMG7304.jpg

 

 さて、曾我廼家五郎さんは、難波から出てきなはった時の決意が、歌碑に刻まれていました。

 

帝都進出三十周年記念 ・・・・・「むさし野や 三十年は 泣き笑ひ」 とあります。 

CIMG7305.jpg 

 歌舞伎、お芝居の前後に是非、お立ち寄り下さい。

 

 

 

名優・富十郎さんを悼む

[下町トム] 2011年1月25日 09:00

 

 

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歌舞伎俳優の中村富十郎さんが1月3日に81歳でお亡くなりになりました。昭和の名優を惜しむ声があちこちで聞かれました。cloud

日経新聞の1月5日の文化欄では、演劇評論家の上村以和於氏が「いわゆる長老という言葉から連想される老人めいた感覚から、この人ほど遠い人はいなかった。芸の質が若々しいのである。」と述べられています。まさしくぼくも同感です。

時代物の風格ある役は当然素晴らしいのですが、上方歌舞伎にもゆかりのある家系だけに、「封印切」の八右衛門、「河庄」の孫右衛門など、近松物における味わいある役柄もまた忘れられません。若い頃からよく共演された坂田藤十郎さんがインタビューで同様に振り返っておられました。shine

富十郎さんは、中央区に縁の深い方であり、この地域を愛してくださいました。演劇の歴史のゆかりの地である中央区にとっては大切な方でした。歌舞伎での功績はもとより、そのお人柄を讃えて、2008年12月に<中央区名誉区民>の顕彰を受けられました。2009年の新年賀詞交歓会に主賓としてお見えになったときの、富十郎さんのご挨拶の爽やかさが今でも耳に残っています。

歌舞伎座最後の富十郎さん.JPG昨年3月には、京橋消防署で一日署長も務めていただきました。そのお姿が失礼ながら「愛らしい」とさえ感じました。やはり内面から出る心のやわらかさなのでしょう。confident

 歌舞伎に関するレポートを何度か紹介しましたが、今回は本当に残念な中身になってしまいました。しかしながら、昨年の歌舞伎座のさよなら公演で「熊谷陣屋」にご出演になり、この劇場の最後の舞台を飾っていただけたことがせめてもの思い出となりました。

その折には「新しい歌舞伎座が楽しみ」と述べられていました。(写真は松竹発行の当時の筋書きの写しです)

去りゆく名優の記憶を心に留めて、彼の地での安寧を祈りつつ、人生の花道をお見送りしたいと思います。

「よっ、天王寺屋!」

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◆東京都独自の「江戸から東京へ」 都立高教科書案公開される

[巻渕彰/写楽さい] 2011年1月20日 08:45

東京都教育委員会は昨年末(2010/12)、都立高校で学習する東京都独自の歴史科目「江戸から東京へ」の教科書案を公表した(写真はその表紙)。日本の歴史を継続的に学び、自国の歴史と文化を理解することが必要とし、同時に「江戸から東京へ」科目を設置して、平成23(2011)年度から試行導入される。

 

0913_110120EdoTokyoText.jpg公開された教科書案は、東京都の歴史的変遷を近世・近代・現代の時代にわたって総合的に見つめることができる構成になっている。なかでも「学びの窓」コーナーでは、質問形式で歴史的事象や疑問に問いかける仕組みがなされ、読む側で考えたり、判断したりするように編集されている。写真や図版なども多く、平易で分かりやすい。史跡や文化財、歴史的建造物を取り上げ、歴史散歩案内もある。

 

一般社会人が「江戸・東京」の歴史を学ぶには、数多く出版されているいわゆる歴史書や分野別の専門書・研究書などを読んでいる。が、地域史として通史で簡潔にまとまった書籍はあまりないので、副読本として活用するにはこの教科書は格好の出版物といえよう。

 

では、このなかで中央区はどのように扱われているのか、その一端を見てみたい。

 

まず江戸期では、「江戸に来た外国人」として、八重洲の由来となったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針)を紹介している。「浜離宮に象が来た」のコラムもある。江戸の中心地・日本橋の記述では、「この橋を中心にどのように交通網が整備されたか」と問いかけている。金融制度としては金座、銀座を取り上げている。「三井越後屋」の商法も関心事だ。庶民の楽しみとして「両国の花火」にも触れている。「石川島人足寄場」「蘭学事始」「芝居発祥」など中央区がらみは多い。

 

明治期になると、「ガス灯がともる銀座」「銀座煉瓦街」「銀行発祥の地」といった文明開化への歩みが記述されている。「東京開市 築地居留地」「居留地の学校群」「私学の誕生」のコラムもある。

 

戦前昭和期では、「昭和の金融史を訪ねて」として日銀や東京証券取引所を紹介している。戦後期は、「ラジオドラマがヒットした時代とは」で、数寄屋橋が舞台の『君の名は』を取り上げているのは興味深い。「江戸情緒から見たウォーターフロント」ではバブル期の開発にも焦点を当て、「どうして佃島に新旧混在の景観が生まれたか、を考えよう」と問いかけている。

 

教科書案の終盤は、東京スカイツリーや趣味の都・アキバなど今日的テーマも記述している。

 

■「江戸から東京へ」教科書案は、東京都教育委員会の下記サイトで公開され閲覧できる。

公開ページ数はPDF形式204ページ、52MB。ダウンロードは出来るが、印刷は不可。したがってパソコンやiPad、iPhoneなどで見る(読む)ことになる。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr101216.htm
 
 

 

日本橋七福神めぐり

[みど] 2011年1月 6日 08:30


 元旦から5日も経ったので、特派員のどなたかが既に投稿しているだろう
 と思いきや、まだUPされていないので、改めて、日本橋地域に鎮座する
 七福神をご案内いたします。

 参拝しながら下町風情を楽しめるのがこの七福神巡りの一番の魅力かと思います。
 また場所も比較的集中しているので短時間(1時間程度)で回れるのが特徴です。


 七福神めぐりの途中にある人形町通りや甘酒横丁には江戸下町の伝統を
 受け継ぐ老舗が立ち並び、古い建物を眺めるだけでも何故か落ち着きます。
 散策ついでにお土産を買い求めるのも一興かと思います。年の始めにいかが
 でしょうか。(七福神巡りといいながら8神社を回るのはなぜに・・・?)

 ①小綱神社(福禄寿)→ ②茶の木神社(布袋尊)→ ③水天宮(弁財天)
 ④松島神社(大黒天)→ ⑤末広神社(毘沙門天)→ ⑥笠間稲荷神社
 (寿老神) ⑦椙森神社(恵比寿神)→ ⑧宝田恵比寿神社(恵比寿神)


 ▼ 詳細は中央区観光協会のサイトをご覧ください
   http://www.chuo-kanko.or.jp/walking/n-sichifukujin/ni_hiti_pdf.pdf

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新春の放鷹術と江戸時代を受け継ぐ浜離宮

[ゆりかもめ] 2011年1月 5日 14:00

浜離宮一帯は御鷹場として昔から利用されており八代将軍吉宗の頃には日本橋より五里四方は御拳場(おこぶしば)としました。天皇・将軍・公家・大名・鷹狩訓練の従事者が使用していました。 

御拳場(将軍の拳より鷹を放つのでこの名がつきました)

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浜離宮は将軍家の御鷹場(1624~1644)頃

甲府殿下屋敷(甲府殿浜屋敷・甲府海手屋敷)1654~1704)・・・・元禄年間を含む

浜御殿(1704~明治維新)五代将軍綱吉と綱重の子綱豊が養子縁組をして将軍家の別邸となる

浜離宮(明治~戦前)・・・・皇室の所有となる

都立浜離宮恩賜庭園(戦後~現在)

上記の理由により所有が変わり名称が変わりました。

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昨年は放鷹術をブログに掲載させて頂きましたので今年はオオタカとハリスフーク、放鷹術終了の写真を掲載させて頂きます。

今年は昨年以上にお客様が多く大変な賑わいでした。

2日はハヤブサが見事に会場にて鳩を捕まえましたが3日はハプニングがあり空中にて別の鳩を捕まえ会場の外側に着地しました。

会場の中がよく見えないので諦めていらした御客様の前にハヤブサがおりたので吃驚と大喜びなさっていました。   

  オオタカ

  生後1年未満の鷹の胸毛は写真のように縞模様が縦になっていますが1年を過ぎると横縞になります。  毎年毛は生え変わります。 2011_0103 浜離宮 生後1年未満のオオタカ 写真0048.JPG                    

        ハリスフホーク

       羽の色が濃く茶色かかっています2011_0103 浜離宮ハリスホーク写真0094.JPG

     

    電通ビルからおりて来て鳩を捉えるのはハヤブサです。

    視力が良く急降下が上手だそうです。

    一番大きいのはオオタカですがオオタカとハリスホークはいろいろな演技を披露します。

     渡り 振替 振鳩 飛び流し・・・・・etc.

 

    すべて終了のご挨拶です。

    初夢 ①富士(無事っである事) ②鷹(高く) ③茄子(事を成す)

    今年も無事に過ごせるよう、高く希望を持って事を成すよう・・・・・

    良い事が沢山ありますように願っています。

2011_0103 浜離宮 放鷹術終了 写真0037.JPG   

 

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