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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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酒井抱一 「元中央区民」は生誕250年

[与太朗] 2011年9月30日 09:00

 宗達・光琳に続く「琳派」第三の巨匠、酒井抱一(1761-1829)。「江戸琳派」の祖ともいわれる彼の墓が築地の本願寺にあるのをご存じの方も多いでしょう。寛政九年(1797)、江戸に下向した京都西本願寺の門主・文如上人のもと、彼は築地本願寺で出家得度したのでした。でも、抱一と中央区のご縁はこれだけではないのですね。


IMG_0505.JPG 抱一上人(酒井忠因(ただなお))は宝暦十一年(1761)、姫路藩主酒井雅楽頭家嫡子の次男として神田小川町の酒井家別邸で生まれ、江戸城大手門前の上屋敷で成長しますが、寛政二年(1790)三十歳のとき、箱崎の中屋敷に移り、数年を過ごします。中屋敷は稲荷堀(とうかんぼり)の東側、現在の日本橋人形町一丁目と日本橋蛎殻町一丁目にまたがり、日本橋小学校あたりから新大橋通りを越え、日本橋箱崎町の手前、首都高速道路あたりまで、というかなり広いものでした。(ここは明治維新後は西郷隆盛の屋敷になったそうです。)

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 彼は絵画のみならず俳諧や狂歌など文芸の世界でも類まれな才能を発揮しましたが、中屋敷時代の句集『梶の音』では「筥崎(はこざき)舟守」なる号を使っているそうです。抱一の住まいというと晩年の充実した作品を産み出した根岸の「雨華菴(うげあん)」が有名ですが、今でいえば「中央区民」だった時期もあったのですね。

 この抱一が生まれた宝暦十一年から今年でちょうど250年。今年初めには出光美術館、畠山記念館で関連の美術展がありましたが、夏以降「生誕250年記念 酒井抱一と江戸琳派の全貌」という、代表作が並ぶ大規模な回顧展が姫路・千葉・京都と巡回して開かれます。残念ながら都内の開催はありませんが、首都圏では千葉市美術館で10月10日から11月13日まで開かれます。私与太朗も築地のお墓にお参りしてから千葉まで足をのばし、抱一の粋と雅を楽しんでこようと思っています。

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[写真上] 酒井家中屋敷跡の中央を横切る新大橋通り

[写真中] 築地本願寺の抱一の墓

[写真下] 切手になった(1970)代表作「夏秋草図屏風」(部分)


 

 

江戸の情報掲示板 「まよい子のしるべ」

[小江戸板橋] 2011年9月30日 08:30

日本橋川が江戸城外堀と分かれるあたり、一石橋の南詰西側に比較的大きな石標があります。


正面に「満よい子の志るべ」と彫られており、石標の左側が「たづぬる方」、右側が「志らす方」とあり、文字の上部に長方形のくぼみがあります。


尋ね人がいる場合、左のくぼみに人物の特徴を書いた紙を貼ります。知っている人は右のくぼみに紙を貼って、情報を交換するのだそうです。



尋ね人というと、遥か昔の、隅田川のほとりに残る梅若伝説を、ふっと思い起こします。

人買いにさらわれた梅若が、京を遠く離れた東(あづま)の地で、病のために命を落とします。

それを追って、我が子を捜し求める母の姿。

 

能や浄瑠璃、絵画の題材など、多様な芸能、芸術の中に表現されてきた、人の強い思い。

離れ離れになった人を捜し求める、狂おしい思いは、時を越えて生きています。

 

現在は、ほとんどの人が携帯電話を持ち、パソコンを使いこなす、高度な情報社会です。

そうした時代であっても、つい半年前の震災の折、繋がらない電話に家族の安否を確かめるすべも無く、ひたすらに自宅へ向かって歩き続ける人の流れ。暗く、寒い中を、ひたすら足を進める人々の姿がありました。

 

この石標は、江戸時代後期、迷い子が出れば町内で責任を持って保護しなければならないという仕切りから、近在の有力者が建てたものといわれます。

湯島天神や浅草寺境内にも、「まよい子のしるべ」石やレプリカが残っているのは、そこが諸国から集まる尋ね人が多い、江戸の繁華街だったからなのでしょう。

 

「まよい子のしるべ」には、人を捜すという切ない思いが、ぎっしり込められているのですね。


 

 

中央区の魅力 ~ 『隅田川とセーヌ川』 ・・・・・ その3≪島≫

[下町トム] 2011年9月30日 08:30

隅田川とセーヌ川の友好河川の縁に沿って、比較しながらも改めて中央区の魅力を再発見するシリーズの第3回です。(〝プロローグ〟は≪序≫の項をご覧下さい。 『隅田川とセーヌ川』≪序≫


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川の流れにアクセントを与え、風景に広がりを与えてくれるのは≪島≫かもしれません。川岸から島を眺めるもよし、島に渡って一種の〝別世界〟を楽しむのもよし、というところでしょうか。shoe


セーヌ川には有名な2つの島が浮かんでいます。一つは〔サンルイ島〕。落ち着いた古い町並みを残す小さな島です。散策しながらパリの雰囲気を楽しむのには絶好の場所です。

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もう一つはパリ市発祥の地といわれる〔シテ島〕。著名な〔ノートルダム寺院〕を中心に、賑やかな観光スポットとしていつも多くの人が集まってきます。賑わいがあるというのはやっぱり都市の魅力ですね。gemini



さて、中央区にもいくつか島があります。隅田川に浮かぶのは〔石川島〕と〔佃島〕。そもそもは江戸の海に浮かぶ浅瀬のような島だったとのことです。今では海から離れましたが、隅田川の下流の風景として馴染んでいます。


石川島燈台_R.JPG佃公園の一郭に昔の石川島燈台のモニュメントが復建され、風情を醸しだしています。〔石川島〕は江戸後期にかの〝鬼平〟こと長谷川平蔵の建議により「人足寄場」(無宿人の更正施設)が置かれたことでも有名です。〔石川島〕の名はかつてこの地に屋敷を持っていた旗本・石川氏の名に因むそうです。さらに明治近くになって幕府の造船所が置かれ、現在のIHIにつながっています。ship


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〔佃島〕はこの広重の浮世絵にも描かれたように、江戸時代から風光明媚なスポットとして知られています。当時はちょっとした近郊気分を味わえたのではないでしょうか。



この島の歴史については、徳川家康公と摂津・佃の漁村とのつながりなど、多くの方が述べていらっしゃいますので割愛しますが、今でも古い町屋の雰囲気と人情を残す町として大切にしたいと思います。house


佃島を望む_R.JPG 


両都とも、歴史と文化を今に残す島々の味わい深さをお伝えしました。


それぞれのお気に入りの場所を選んで、隅田川探訪をお楽しみ下さい。きっとますます魅力にひきこまれることでしょう 。heart



 

続きを読む: 中央区の魅力 ~ 『隅田川とセーヌ川』 ・・・・・ その3≪島≫

 

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション(日本橋蛎殻町1-35-7)

[ムーミン] 2011年9月 8日 08:30

 この美術館は 銅版画家の浜口陽三の作品を収蔵展示する館として 1998年11月に開館しました。

 

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浜口陽三は 1909年にヤマサ醤油株式会社の先々代の社長の三男として和歌山県に生まれ 美大を中退後パリに渡り 第二次世界大戦により帰国し、戦後の1948年頃から本格的に銅版画の制作を始めました。

1953年に再度渡仏し 1957年のサンパウロ・ビエンナーレ版画国際部門での最優秀賞受賞をはじめ多くの国際美術展で受賞を重ねました。

1981年にサンフランシスコに移り住み、1996年に帰国し 2000年に亡くなられました。



この美術館は 又 浜口陽三夫人である南桂子の銅版画作品も紹介しています。 


 この秋の企画展は書家の石川九楊と浜口陽三との二人展です。期間は前期( 9月1日~10月2日) 中期( 10月4日~10月30日)  後期( 11月1日~11月26日 ) 


書と銅版画はまったく異なる芸術ですが 和紙に刻み込むように書かれた石川九楊の表現と 銅版に刻み込むことから生み出される浜口陽三の造形は 二人の作家それぞれの卓越した厳しい探究によって 目でみながら触覚で感じるような肌合いをもっています。


 美術館へのアクセスは 東京メトロ半蔵門線 (水天宮前) 3番出口そば

モダンなビルの一階と地下で 一階はちょっとしたカフェになつています。 

 

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◆観光協会まち歩きツアー2011 ~文化コース「銀座はじめて物語」を歩く~ 

[巻渕彰/写楽さい] 2011年9月 5日 11:30

中央区新発見! 7月からはじまった観光協会主催のまち歩きツアーも、いよいよ秋の部に入った。その皮切りは9月3日(土)、「銀座はじめて物語をたずねて」として銀座めぐりが開催された。この日は台風12号の影響を受け、開催前から実施が危ぶまれたほか、突然の驟雨に見舞われたことでルート終盤で中止となった。

 

0913_321_110903 ginza_kabuki.jpgまち歩きツアーのルートを追ってみよう。案内役は公認ボランティアガイドの「中央区文化財サポーター協会」が担当した。午後1時半、警察博物館前(京橋跡北詰)に集まった参加者は抽選で選ばれた14人。旧東海道の街道筋だった中央通り(銀座通り)を京橋跡から新橋跡まで南下して、はじめて物語の足跡を歩くルート。

 

明治期・大正期の「京橋の親柱」、「煉瓦銀座の碑」などからはじまり、「江戸歌舞伎発祥の地碑」(写真)へ。明治初期の銀座煉瓦街の通りは、はじめて人道と車道が分離されたことでも知られる。「銀座発祥の地」は銀座役所が置かれ、銀座の原点である。電灯が灯ったところには「日本初の電気灯柱」がある。それ以前の銀座を照らした明治初期のガス灯は、銀座ガス灯通りに復元されている。近代文明の浸透ともに、食文化への新しい挑戦をした、いくつかの老舗をめぐり、銀座四丁目に達する。

 

いまは、銀座の中心地である四丁目交差点周辺は、かつては朝野新聞など新聞社が立ち並んでいたとは及びもつかない。そう、銀座は新聞社、出版社などが進出して、言論、情報の発信地だったのだ。いまでもその面影を探し出すことも銀座の楽しみである。

 

銀座六丁目に差し掛かったところで、突然の激しい雨になった。しばらく雨宿りをするが止む気配がないので、ここで中断になった。残りあと少しであったが、全ルートを回れなかったのが惜しまれる。

 

今回のコースを終え、参加者の声は、「いつも歩いている銀座だが、いろいろ歴史を知ることができた」など、銀座再発見の機会になったようだ。ただ、「雨で全部回れなかったのが残念だった!」との声が多かった。本年度の観光協会まち歩きツアー(文化コース)は、中央区まち歩きボランティアガイドの「中央区文化財サポーター協会」が全コースで協力実施している。●巻渕彰

 

中央区観協会 まち歩きツアーのご案内は こちら>>

 

 

 

「日本百街道展」~街道の数だけ日本がある~

[O傘] 2011年9月 2日 10:30

日本橋架橋100周年記念のイベントとして、「日本百街道展 特別展」(パネル展示)が、2011年8月20日~9月21日まで、日本橋室町の地下鉄銀座線と半蔵門線「三越前駅」の間の地下コンコースで開催されています。
IMG_1729coltcomp.JPGずっと遠い祖先が切り拓いた道。大名が参勤交代で通った道。そして地域の人たちの暮らしになくてはならない道。そんな地域に密着した街道や脇往還(脇街道)にスポットをあてています。

IMG_1659coltcomp.JPG展示してある百街道のマップには、奥州街道、東海道、木曽中山道、日光街道、羽州街道の他、塩の道、川越街道、北国街道、郡上街道、美濃街道、熊野古道、因幡街道、土佐街道、長崎街道などが地図上にそれぞれとぎれとぎれに表示されています。(すみません、上の写真は細かい字が見えません。実際会場に足を運んでご覧ください。)

次のように7つのコーナーがありました。
「江戸・五街道」(中央区)、「甲州街道」(千代田区)、「飛騨高山・歴史街道」(岐阜県高山市)、「萩往還」(山口県萩市)、「日本百街道」、そして「甦れみちのくの街道」、「東日本大震災と道路」です。
それぞれ、写真・図や言葉で特徴をコンパクトに表現しています。各コーナーにはパンフレットも用意してありますよ。

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IMG_1755coltcomp.JPG 「 中央区の展示コーナー」

では、日本橋を起点にする5街道の中央区内の街道地図や、震災や戦禍に耐えて人々に力になった日本橋などのパネルが展示されています。


IMG_1696coltcomp.JPG「甦れみちのくの街道」や「東日本大震災と道路」のコーナー

は、日本橋が、今回の大地震にみまわれた東北へのびる国道4号線(奥州街道)の起点であることから、東北の道路の被害状況や復興状況そして東北の街道について、大震災の犠牲者への追悼と復興を応援するための特別展示です。 


 

IMG_1554colcomp.JPG「日本百街道展 特別展」に合わせて


街道物産展「全国街道市」が開かれていて、萩往還の萩市の市(いち)が展示場の隣に並んでいました。


 

この「日本百街道展」は、12月までの4カ月で4つのテーマを展示します。

第1回 「日本百街道展 特別展」8/20~9/21
第2回 「木曽中山道展」9/23~10/23
第3回 「因幡(いなば)街道展」10/25~11/24
第4回 日本橋「しずおか東海道展(仮称)」11/26~12/25


合わせて街道物産展「全国街道市」が開かれます。(開催期間が短いのでご注意ください。)
「桑折・街道市」9/20~21
「萩往還・街道市」8/25~28
「飛騨高山・街道市」9/15~21
「みちのく街道復興市」未定

IMG_1727colcompt.JPG歴史や街道あるいは震災、物産展に興味のある方、是非この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。また、この展示会場(地下鉄メトロ「三越前駅」地下コンコース)の壁には、写真展示(日本橋周辺の航空写真)「熈代勝覧」が常設展示してあります。
IMG_1725coltcomp.JPG写真展示では、大きな写真パネルが二つ並んで展示してあります。1つは平成18年(2006年)のもの、もうひとつは東京大空襲前の昭和19年(1944年)のものです。昭和19年には千代田区と中央区の区境川「龍閑川」はありましたよね。探せますか?

IMG_1739colcomp.JPG「熈代勝覧」は、江戸時代、11代将軍徳川家斉の時代の文化2年(1805年)頃に描かれたそうで、神田今川橋から日本橋までの7町(760m)の賑わいを詳細に絵巻にしています。

この展示絵巻はベルリン国立アジア美術館所蔵のもののレプリカ(実際は長さ12.3mを1.4倍して約17mに拡大)です。

当時の江戸の町の様子を知る上で貴重な資料ですよね。

三越の前身の三井越後屋はじめ88の店舗と、行き交う人々は1671人、このほか20匹の犬、馬13頭、牛4頭、猿や鷹などの動物も描かれているそうです。見ていると当時の賑わいが伝わってきます。

翌年の文化3年(1806年)に牛町火事(丙寅の大火)にみまわれたそうで、その直前の絵ということで貴重な絵巻です。
もうご覧になった方も多いと思いますが、まだの方は、この「日本百街道展」を見るついでにこちらの方も是非ご覧下さいね。


 

 

 

 
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