[whatever]
2013年5月28日 08:13
薄着での外歩きが、ようやく気持ちいい季節になってきました。なんと言っても植物が芽ぐむ季節であり、心も身体も元気になります。
特派員の活動の一つ、京橋の中央エフエム(84.0MHz)での収録を初体験したある週末。青空が気持ち良かったのでこのまま自宅に帰るのはもったいないと思い、築地方面へ歩いていくことにしました。
最近は明石町界隈、旧築地外国人居留地を散策するのが気に入っています。特にトイスラー記念館や聖路加国際病院周辺は緑が多く、本を読んだり、この近くのパン屋さんでパンを買い込み、小腹を満たしたりしながら過ごすのが楽しみになっています。時々、この辺りの風景を本格的に描かれている方々に遭遇することもありますが、絵心のない私は後ろからそっと覗いては羨んでいます。
この一帯は歴史的建造物や記念碑が多いのですが、今回はそれらの説明ではなく、見かけた植物を紹介します。
まず、トイスラー記念館の入り口近くのゼラニウム(手前)とローズマリー。柔らかなピンク色のゼラニウムはちょうど咲き始めの時期だったようです。ローズマリーは新葉が勢いよく成長中で、撫でると刺激的な香りが手に移ります。ローズマリーの鋭い香りは、頭をすっきりさせる効果があります。肉料理にも合いますね。こちらはフリンジラベンダーでしょうか。ぐんぐん成長中のようで、つぼみがつくのはこれからのようです。すでに開花した別種類のラベンダーもありました。
あやめの凛とした姿はとても美しいです。鞠のような花房のバラ。名前は分かりませんが、ころころとしてかわいかったです。その他にも、鮮やかな黄色い花や
薄紫色の花(すみません、名前が分かりません)などたくさん咲いていました。
同記念館横に流れる小川の脇に生えているザクロの木。花が咲き始めています。そして、聖路加国際病院小児総合医療センター近くの看板に覆い被さっていたこちら、梅じゃなくて桃ですよね(違うかな)?どちらも収穫までの成長を見届けようと思います
そして、同センター前の花壇に右の立て看板(裏面)が。'Laboratory of Plant Assisted Therapy TOKYO UNIVERSITY OF AGRICULTURE'と書いてあります。調べたところ、東京農業大学農学部に植物介在療法学研究室があるようです。
この花壇では、チェリーセージやマーガレットが満開でした。チェリーセージの白と赤のコントラストが愛らしいですね。入院中の患者さんによって大切に育てられているのかもしれません。
と、このようにたくさんの植物が目と心を楽しませてくれます。
隅田川や築地市場も近いので、皆さんの散歩コースの一つに加えてみてください。新しい発見がありますよ♪
[たろう]
2013年5月27日 08:05
-江戸文化の中心地「日本橋」をランドスケープの力でバリューアップする-
というテーマ設定で、日本造園学会主催の学生アイディアコンペが開催されています
このコンペは同学会の全国大会の一環として2月から開催され、国内外の学生から58件の応募があり、1次審査の結果11件が2次審査に進みました。
この11件を含めた19件が、東京メトロ「三越前駅」地下コンコースで、5月26日まで展示されていました。
コンペの内容は、江戸橋から常盤橋までの日本橋川周辺空間と永代通から金座通りまでの中央通り周辺を対象地として、1903年架橋以来の歴史性や、名橋「日本橋」保存会の活動および最近の周辺の開発動向を踏まえたうえで、江戸時代から続く東京名所でありながら公園・広場・緑が少ない日本橋について、街のブランディングにランドスケープの分野から提案をすることにより、イメージチェンジを狙う となっています。
三越前駅地下コンコースには、日本をはじめとする、アメリカ・中国・トルコなどの学生からの多彩な角度からの魅力的なアイディア提案が展示されていました。
ただ、コンペ要綱で「首都高速道路は、現状のままとします。」と規定されていることから、すべての提案が、日本橋上空の首都高ありきの提案となっていて、首都高の在り方についてや首都高を撤去した場合の提案も見てみたかったと少々残念な気もします。
5月24日に、兜町1丁目の東京証券会館で公開プレゼンテーション、審査会およびパネルディスカッションが行われ、25日に千葉大学で入賞者の発表・表彰が行われました。
千葉大学 市民投票HP http://www.h.chiba-u.jp/urbangreening/confemain.html
[巻渕彰/写楽さい]
2013年5月23日 09:00
中央区やさしい歴史講座「江戸の成り立ちと江東地域」が5月22日、区立女性センター「ブーケ21」で開かれた(写真)。中央区の歴史を学ぼうと企画した公開講座で、まち歩きボランティアガイド団体の中央区文化財サポーター協会が主催した。
講師は江東区中川船番所資料館次長の久染健夫さん。近世(江戸時代)研究者の視点から語る、歴史散歩の楽しみ方は参考になる。
地勢的な面から江戸の形成を紐解き、「首都・江戸」の町づくり、都市機能はどのように発展していったかについて、江戸の中心地であった日本橋・京橋・八丁堀・新川地域などを取り上げて解説された。江戸前期から市街地拡大にともなって隅田川東部の深川・本所地域も開発されていく。
延宝8年(1680)絵図『葛西志』によると、寛永18年(1641)桶町(現・八重洲辺)の火事で焼け出された本材木町(現・日本橋)の"元祖木場"が深川に移転した後の「木置場」が小名木川の南、隅田川沿岸に描かれ、その周辺は堀割が縦横に張りめぐらされている。同図で興味深いのは「富岡八幡宮」が海辺に面していた位置にある。現在の東京メトロ東西線の木場駅や東陽町駅付近は海の中だった様子にもみえる。
改めて周辺地域からみた中央区の歴史を知ることによって、265年にわたって築き上げられた都市江戸の奥深さと広がりを再認識させられた。@巻渕彰
[杏葉牡丹]
2013年5月22日 09:00
ちょっと前になりますが、3月に中央区の区民カレッジの卒業式がありました。
式の終了後のアトラクションと交流会の企画は在校生が行うということで、私も在校生の一人としてスタッフに参加させていただきました。
交流会では、中央区に関するクイズ大会 をやることになり、スタッフ皆で問題を考えました。私も色々考えたのですが、その時に採用されなかったものがありますので、この場で皆様にお出ししたいと思います。
さて、いくつお答えになれますでしょうか
第1問
日本橋にある山本海苔店は、
明治天皇が京都へ行幸される際に、東京の手土産とされた「あるもの」を考案したとして有名です。
その「あるもの」とは何でしょう?
第2問
現在築地にある魚河岸 は、江戸時代から関東大震災までは日本橋にありました。それを記念して「日本橋魚市場発祥の地」の記念碑が日本橋のたもとに建てられています。隣には、海の魚がことごとく集まったとして、お伽噺に登場する「お姫様」をイメージした像があります。
では、このお姫様の名前は何でしょう?
第3問
現在の日本橋小学校の辺りには、明治維新で活躍した
有名な人物の屋敷がありました。
上野の銅像でも有名な、この人物は誰でしょう?
第4問
4月2日に開場した歌舞伎座は、
明治22年に建てられて以来、関東大震災などを経て、
何度か建て替えられていますが、
今回で、第何期目になるのでしょうか?
第5問
銀座6丁目には
「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」と
刻まれた歌碑があります。
明治時代に滝山町と呼ばれていたこの地にあった朝日新聞社に、校正係として働きながら創作活動を続け「一握の砂」等の作者として有名な、この人は誰でしょう?
第6問
銀座には幾つもの百貨店がありますが、
この地区で一番古いのはどの百貨店でしょう?
第7問
大正14年に建てられた新橋演舞場は、京都の歌舞練場などを手本に、新橋芸者の技芸向上とこれを披露する場所としてつくられたものです。
今でも毎年5月におこなわれる、新橋の芸者衆による公演の名称を、何というでしょう?
第8問
明石町は、明治の初めには外国人居留地となっており、住居だけでなく、学校や病院などもありました。
そのため、現在では多くの学校の発祥の地として、たくさんの記念碑が建てられています。
その中で、二つの葉っぱを形どったデザインのこの記念碑は、どこの学校のものでしょうか。
第9問
このレリーフは、江戸時代に漂着したオランダ人のヤン・ヨーステンが、この辺りに住んでいたことを記念して作られたものです。
ヤン・ヨーステンの日本名の「耶楊子(やようす)」が由来となっている、この辺りの地名は何でしょう?
第10問
勝鬨橋と佃大橋の間には、新旧二つの東京の名所を、
同時に見られるスポットがあります。
その二つの名所は何でしょう。
答えは、続きのページに掲載しておりますのでご確認下さい。
続きを読む: 中央区クイズ
[巻渕彰/写楽さい]
2013年5月17日 09:00
新生歌舞伎座の正面を飾る絵看板。演目と登場人物を配した絵看板は300年以上にわたって鳥居派の絵師によって描かれている。天明期に美人画で活躍したのが鳥居派4代目当主の鳥居清長(とりい・きよなが)であった。清長は日本橋本材木町で生まれ、没後は両国回向院に葬られたが墓碑が消失していた。そこで、このほど没後200年を記念して「鳥居清長碑」(写真)が再建された。
鳥居清長は宝暦2年(1752)、本材木町(現・日本橋)の本屋・白子屋に生まれた。この地は楓川の西側で新肴場(通称新場)があったところから「新場の清長」とよばれたそうだ。
19歳で清長を名乗り、役者絵を専門とする鳥居派の画風を脱し、美人風俗画を得意としてその手腕を発揮したという。江戸名所を背景に八頭身のすらりとした美人画様式は「江戸のヴィーナス」と称される。鈴木春信・歌麿・写楽・北斎・広重と並び、6大浮世絵師として評価されている。
天明7年(1787)に鳥居家4代目を襲名。以後は鳥居家の家業の絵看板や番付、黄表紙、絵本などに専念したという。文化12年(1815)64歳で生涯を閉じた。
墓所の両国回向院では震災や戦災などの災禍で清長の墓碑が失われていた。没後200年を迎えるにあたって、画業をたたえる墓碑の再建が計画され、4月に新たな清長碑が建立された。高さ2.1m、幅2.0mの小松石で、代表作「大川端夕涼み」をイメージしたブロンズプレートが中央に埋め込まれている。@巻渕彰
[橘]
2013年5月13日 08:58
"日本三大祭" 且つ "江戸三大祭"の一つとしても有名な「神田祭」、神田明神は千代田区にある神社ですが、氏子の範囲には中央区の日本橋川より北側の大部分が含まれていることをご存知でしょうか。
今年は2年に一度行われる大祭「神幸祭」です。しかも、2年前は東日本大震災の為中止となっているので、4年ぶりの大祭です。
今年の神田祭は5月9日(木)~15日(水)迄賑やかに行われていますが、その中でクライマックスとなるのは、11日の神幸祭、附け祭行列と12日に行われた神輿宮入です。
神田祭の中でも、特に華やかなのは、残念ながら雨模様でしたが、11日(土)に行われた神幸祭、附け祭です。
神幸祭とは、氏神様―氏子の町を守る神々―がお乗りの鳳輦・神輿をはじめとする行列が氏子の町々を巡り、氏子たちと触れあい、町々を祓い清める神事です。
写真は神幸祭の行列です。
行列の先頭を行くのは
鼻高面を被った猿田彦です。
道の両側で行列を見ている
我々にもお払いをして頂けました。
行列の中心となるのは
神輿(右の写真は二の宮神輿-えびす様がお乗りになる神輿)と
鳳輦(ホウレン)です。
日枝神社のお祭り(山王祭)では、茅場町にある摂津日枝神社が御仮屋となりますが、神田祭に於ける御仮屋は東日本橋二丁目(旧日本橋両国)にある、薬研掘のお不動様となります。
右の写真は薬研掘の御仮屋にて休止中の神輿と鳳輦です。
右にあるのは、二の宮神輿です。
中央は、大黒様がお乗りになる一の宮鳳輦です。
左は、平将門様がお乗りになる三の宮鳳輦です。
三基を同時に見られるのは、神田明神以外にはここしか無いかもしれません。
水天宮裏の有馬小学校以降のルートには附け祭が加わります。
附け祭とは、江戸時代から各氏子町で競い合って毎回テーマを変えて、人々を楽しませた行列です。
今年は、福島県南相馬市から
相馬野馬追騎馬武者10騎が
特別参加しています。
右の写真は今年から附け祭りに
初参加となった「花咲爺さん」の山車です。
更に、各町の神輿渡御が行われ、地区内を練り歩きます。
写真の神輿は、横山町・馬喰町・東日本橋の神輿が
合同で清杉通りを練り歩いているところです。
12日に行われる神輿宮入は正に祭りの本番。11日と打って変わった五月晴れの下、威勢の良い各町の神輿が神田明神に向かって練り歩き、順番に神田明神に入って行きます。宮入りする各町の神輿は50基を超えているので、朝9時から夕方の6時前後まで掛かります。
神輿の関係者、見物客であたかも神田明神の一帯が人で埋め尽くされているようです。
とにかく勇壮で、威勢が良くて、見ているだけでも"せいや!せいや!"の担ぎ手の掛け声に合わせて、知らない内に自分も同じリズムで体を動かしてしまう程でした。