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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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佃公園で花に酔う

[下町トム] 2015年3月24日 09:00

2010.4.3 佃(X-1).jpg今年も桜の季節がやってきました。

中央区にもいくつもの桜の名所がありますが、上野や千鳥ヶ淵と異なり、町の中に人々の生活とともに桜の風景があるのが中央区の特徴でしょう。

中でもぼくが毎年"花見"に出かけるのは「佃公園」です。もとをただせば、石川島の「人足寄場」、さらに「石川島造船所」があった場所です。今は「大川端リバーシティー21」となって、近代的な住宅街となっています。

一時人口減少に悩んだ中央区の人口都心回帰施策として、1989年(平成元)年頃から高層マンションが建ち始めました。かれこれ四半世紀を超えました。



2010.4.3 佃 (2-1).jpg河畔に植えられた桜の木もすっかり成長して、この時季見事に咲き誇ります。隅田川を行き来する船に手を振りながら、まさしく滝廉太郎の唱歌を思い浮かべつつ春の気分を味わうのには最高です。

(写真は何年か前に現地で撮影したものです)

今週末には見ごろを迎えるでしょうか。是非、散策を兼ねてお出かけください。

川の流れにたゆたうこの町の未来をみんなでたしかめることができるはずです。ほら、川面に豊かな笑顔と希望が輝いていますよ。

 

 

築地外国人居留地跡&おかめ桜

[メニイブックス] 2015年3月20日 14:00

最近お医者さんから散歩をするように言われ、11日川向うの東陽町の自宅から明石町経由で銀座まで散歩しました。

明石小学校がきれいなり、角に「築地外国人居留地跡」の説明版が「ガス街燈の柱、居留地時代のレンガの遺構、明石小学校の階段の踏み石」と共に(平成25年)設置されていました。

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(写真左)ガス街燈の柱とレンガ塀遺構  (写真右)明石小学校の階段踏み石

 

 

また19日にも日本橋へ散歩に出かけ「おかめ桜」を見てきました。

もう盛りは過ぎたようで葉が出ていました。でもきれいに咲いていました。

寒い寒いと思っていたらもうこんな季節になってきたのだなと感じました。

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◆中央区 ここに歴史あり(59) 坂東三津五郎ゆかりの「新富稲荷神社」

[巻渕彰/写楽さい] 2015年3月 4日 09:00

京橋税務署と新大橋通りの間に「新富稲荷神社」がある。この辺りは新富座芝居町跡である。神社縁起は不詳だが、七代目坂東三津五郎奉納の手水舎がある。

 

0913_59_150301sintomijinja.jpg明治維新後この一帯が新島原遊郭になり、中万字楼という妓楼の前にあったので、中万字稲荷とも呼ばれたという。遊郭廃止後、明治5年(1872)、新富町に守田座(のちの新富座)を移転するときに十二代目守田勘弥が再建したそうだ。明治期当時の新富座界隈絵図に描かれているので芝居町の鎮守社だったのだろうか。現在、境内には「奉納坂東三津五郎」の扁額と「七代坂東三津五郎」名が刻まれた手水舎がある。

 

守田座座元の十二代目守田勘弥の長男が坂東三津五郎家の養子に入り、七代目坂東三津五郎となったことから守田姓となったそうだ。屋号は大和屋。定紋は三ツ大。十代目坂東三津五郎は、七代目の本名「壽作」(じゅさく)にあやかって「寿」(ひさし)と命名されたという。十代目は去る2月21日、すい臓がんで死去した。享年59。

 

新富座の前身の守田座は江戸三座のひとつで、当初は森田座として木挽町で櫓を揚げた。「江戸名所図会」に挿絵が載り、跡地には説明板が設置されている。のち浅草・猿若町に移転し、明治期になって新富町へ移って興行した。中央都税事務所前には「新富座跡」説明板がある。@巻渕彰

 

 

 

東証アローズ 見学のお薦め

[銀造] 2015年3月 2日 09:00

「東証アローズ」に見学に行ってきました。

こちらは、平日しか見学できませんが、東京証券取引所の歴史などを勉強できる絶好の場所です。

茅場町駅で下車し、周辺を散策しました。

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周辺にある、みずほ銀行兜町支店は、「第一国立銀行を前身とする銀行発祥の地」です。

 

東証の建物に入り、受付を済ませて、「証券史料ホール」へ入りました。

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沢山の写真や立ち合いに使われた鐘などの器物を拝見しました。

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当時の大蔵大臣のお写真も拝見し、大変懐かしく感じ入りました。この方たちが、日本を高度経済に導いてくれたのですね。

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クイズで、当時の情報伝達方法などを学ぶこともできました。興味深いですね。

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次に、2Fに進むと、NHKの朝ドラマ「マッサン」でおなじみの、エリー役のMs.シャーロット・ケイト・フォックスが東証を訪問した時の写真が飾られていました。

いやぁ、本当に清楚で笑顔の素敵な方ですね。 

こちらは残念ながら、写真撮影は禁止でしたので、ご自分の眼で確かめて下さい。

 

2FのMarket Experience Corner、見学回廊を進みました。

直径17mのガラス・シリンダーで覆われたマーケット・センターでは、各社の株価を表示した大きなリングがぐるぐる回っていました。

東証見学のお土産のT-Shirts、傘、携帯ストラップなども販売されていました。

 

見学の後は、取引所関係者の振興の象徴である、兜神社に参拝し、日本橋郵便局、野村證券などを訪問して、日本橋にて美味しいお茶を楽しみました。
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見学のご案内は、こちらをご参考にして下さい。子供たちの春休みの勉強にも良いと思います。
http://www.tse.or.jp/about/arrows/
 

 

 

築地外国人居留地跡

[お江戸太郎] 2015年3月 1日 09:00

 

政府が外国人の居留及び交易区域として特に定めた「外国人居留地」。

横浜や神戸が有名ですが、中央区の明石町にも設置されていたのをご存知ですか?

 

冬の寒い日に『築地外国人居留地』の面影を残す明石町を散策してきました。

 

【散策コース】

 

1:女子聖学院発祥の地→2:青山学院発祥の地→3:明治学院発祥の地→4:ヘンリー•フォールズの指紋研究発祥の地→5:アメリカ公使館跡の記念碑→6:築地居留地跡→7:慶応義塾発祥の地→8:立教学院発祥の地→9:女子学院発祥の地10:聖路加国際病院トイスラー記念館11:ガス街灯柱→12:カトリック築地教会→13:雙葉学園発祥の地

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(写真左:聖路加国際病院トイスラー記念館、右:アメリカ公使館跡の記念碑)

 

 

 【築地外国人居留地について】

 

安政5年6月江戸幕府はアメリカと修好通商条約貿易章程に調印し、これを原理として同年にオランダ•ロシア•イギリス•フランスとそれぞれ締結しました。(安政5カ国条約)

この条約に基づき、箱館(函館)、神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)の5港を開市を決めました。

日本における外国人居留地は、条約締結国の外国人の居住や通商のための専用特別区として開港開市場の土地が設けられました。

江戸(東京)の開市は明治元年11月19日、明治新政府のもとで実現し、現在の明石町地区に築地外国人居留地が設定されました。

築地外国人居留地は商館の多かった横浜や神戸などと異なり、外国公使館や領事館をはじめ、海外からな宣教師•医師•教師などが居留地に居住し、教会や学校などを数多く開いて教育を行っていました。

このため、築地外国人居留地で発祥•開設されたキリスト教系の学校も多く、現在も校名や所在地を変えながら発展をつており、当地区には発祥を記念した石碑が数多く建てらています。

文京地区として大きな特徴を持っていた築地外国人居留地は条約の改正によって、明治32年に廃止されるまで、日本の近代化に多大な影響を与えた一地区を形成されました。

築地外国人居留地の人口は最盛期の明治25年12月157戸336人でした。

 

出典:中央区教育委員会

書籍 : 「築地居留地」 築地居留地研究会

 

ck1413_201502261.JPG (カトリック築地教会は聖堂の調査・補修中でした)

 

 

 

 

 

 
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