[あすなろ]
2016年8月 6日 09:00
西郷隆盛と勝海舟の会談に先立ち、単身で西郷隆盛と
面会したのが山岡鉄舟ですね。
こうした行動は、西郷にして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、
命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人で
なければ、偉業は成し遂げられない」と言わしめました。
身辺警護をしたのが清水の次郎長親分であり、話題に事欠きません。
今年は、鉄舟生誕180年でもあります。
この鉄舟が好んだのが「木村家のあんぱん」
銀座本店(銀座四丁目)の看板の字も山岡鉄舟の字です。
<銀座木村家>
ところで、「木村家」と「木村屋」の違いが少し気なって。。。
木村屋總本店のページでは以下のように
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「木村家」は、山岡鉄舟の書による看板「木村家」が
由来とされており、銀座本店(株式会社銀座木村家)、
直営店向け製品のブランド名として使用。
創業者が銀座に構えた店の屋号は「木村屋」で、後に
「木村屋總本店」をスーパー・コンビニ向け製品の
ブランド名として使用。
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のようにブランディングされているようです。
140年以上も同じ製法で作られているあんぱん。
桜あんぱんは鉄板ですし、季節のあんぱんも目が離せません。
◆木村屋總本店
http://www.kimuraya-sohonten.co.jp/
◆銀座木村家
http://www.ginzakimuraya.jp/
[あすなろ]
2016年8月 3日 16:00
八朔、8月1日。
江戸は、天正18年(1590)8月1日、徳川家康が
拠点を構えてから、大都市へと発展を遂げること
になります。
当時、江戸城のある台地の東側は広大な湿地でした。
<天守台 ※千代田区>
家康は、江戸入り直後から街の造成に着手しました。
神田山を切り崩して日比谷入江を埋め立て、大名屋敷を
整備。さらには、東側の低湿地も埋め立て、市街地を造成。
これが、現在の銀座や京橋あたりで、幕府はこれらの地に
駿河や大阪、伊勢などから商人や職人を移住させました。
掘割の整備や日本橋を南北に横切る通町筋の町割によって
成立した町人地は、交通、経済、文化の中心地となって
発展していきます。
<「熈代勝覧」絵巻>
<日本橋>
<繁栄を表す「麒麟像」> <銀座>
明治に入り江戸は名称を東京と改め、文明開花の波は
社会を変えていきました。
<永代橋と屋形船>
<三百年の松>
そして、現在の中央区があります。
現代の流行の最先端と、400年の歴史の重みが、
ごく自然な形で溶け合っている。
そんなところにもこの街が人を惹きつける秘密が
あるのかもしれません。
[CAM]
2016年8月 3日 14:00
先に、池田弥三郎氏が『日本橋私記』の中で、次のように述べて、「日本橋」の名は、原初には「二本橋」であったという主張の根拠とされていることを記した。
>『紫の一本(ひともと)』という著作には「一ツ橋、日本橋(二本橋)があって三本橋がないのはどうしたことか」と書かれている。 このような「戯語」めかして書いてあることの背景に、日本橋はもともと「二本橋」であったのだが、それがいつか、同音連想で日本橋となってしまったという、その当時の人々がまだ知っていた巷間の「知識」が隠されているとみることは、決してこじつけではない。 (50)
この『紫の一本』が「日本古典文学全集」(小学館)の第82巻「近世随想集」(2000年発行)に収められていることを発見したので、原文等を紹介しておきたい。
『紫の一本』は、近世前期の和学者・戸田茂睡(とだもすい)が著した江戸の地誌、随想である。戸田茂睡は、宝永3年(1706)に78歳で没している。この書の成立は奥書によると天和2年(1682)である。御城巡り、古城、山、坂・・・などの景地、景物による分類ごとに江戸の名所を類聚し、それぞれ長短自在に記述したものである。戸田茂睡は、和歌においても地名に特別な関心を寄せていたように見受けられる。
この中で、「日本橋」については、次のように記述している。
>「一ツ橋、日本橋ありて、三橋のなきは如何に」といへば、・・・・が云ふ。「一石橋、両国橋ありて三石橋のなきがごとく」・・・・・・・・・かぞふれば一石からは二本橋江戸橋からも二ほん橋哉・・・・・
(数えてみると、日本橋は西方の一石橋から二本目であり、東方の江戸橋からも二本目で、なるほど道理にかなった名であることだ)
池田弥三郎氏の主張には、かなりの説得力があるように私は思う。
[オールドローズ]
2016年8月 2日 18:00
築地晴海通りの小田原橋交番より、勝どき橋の方向へ歩くと、
通りの左手に北國新聞のビルがあります。
4階にアルバニア共和国大使館があること、みなさんご存知でしたか?
以前から、晴海通りを通るたび、窓から掲げられている赤い旗を見て、
何かのグループが集まる場所かと思っておりました。
それがなんと
マザーテレサ(ノーベル平和賞受賞した)のお母様の出身国の
アルバニア共和国大使館だったとは・・・ びっくりしました
お父様もアルバニア独立の運動家だったそうです。
私の無知のため、今までとんだ勘違いをして、申し訳ない気持ちでいっぱいです。