[あすなろ]
2018年7月13日 12:00
「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」
1617年に浅草近くの横山町に建てられましたが、明暦の大火で焼失。
八丁堀沖の海上を埋め立てて再建。"築地御坊"と呼ばれるようになりました。
その後、関東大震災により坊舎を焼失し伊東忠太博士の設計により、
1934年、現在の本堂が落成。
本堂の外観は古代インド様式(天竺様式)の石造りとなっています。
伊東忠太博士自ら
「予は何の因果か、性来、お化けが大好きである」
と語っていますように、築地本願寺には不思議な動物の意匠が何体も見られます。
<狛犬のカルラ>
<三畜評樹の孔雀>
築地本願寺には、この他にも風変わりな動物や妖怪たちが潜んでいます。
寺院の中を探索してみてはいかがでしょうか。
◆築地本願寺
東京都中央区築地3-15-1
[東京ダンボ]
2018年7月11日 18:00
東京駅から八重洲通りを進み、首都高都心環状線を渡る箇所にある楓川久安橋公園、今年の初めから工事を始めていましたが、6月末に綺麗になってオープンしていました。
こちらの公園は昭和39年に楓川を埋め立てて首都高を作る際に、昭和5年に震災復興事業として架けられた久安橋に隣接して設けられた区立公園です。
今回の改修でウッドデッキとカラーブロックを用いて奥行きのある公園通路を作り、その周囲が植栽されていました。
通路にはモミジバフウとソメイヨシノが配置され、木が育った際にはは日陰ができることが期待できます。
また、通路の奥側の植栽部にはシダレザクラとイロハモミジが植えられています。
低木としてはアセビ、ヒベリクムカリキヌム、キボウシ、ハマヒサカキ、ナリヒラヒイラギナンテン、キンメツゲ、シルバーブリベット、ジンチョウゲ、ヒドコート、キンメツゲ、サツキ、タマリュウ、が植えられていました。
東京ダンボも久安橋を通って東京駅に行くことが多いのですが、東京のメイン通りにふさわしい憩いのある空間になっています。
また、以前ご紹介した(株)NIPPOの新社屋も概ね出来上がっていて、楓川久安橋公園と首都高と一体となり都会のオアシスといった景観を形つくっていると思います。
参照:以前ご紹介した記事
/archive/mt/mt-search.cgi?search=楓川久安橋公園&IncludeBlogs=2&limit=20
[yaz]
2018年7月10日 09:00
注*: 前月以前のブログを参照してください。
「勝どき・晴海は月島だった」
/archive/2018/05/post-5168.html
「水上生活者(月島地区)」
/archive/2018/06/post-5158.html
水上生活者の増加に伴い、福祉厚生を考える必要が出てきました。福祉向上のため東京尋常小学校が1930年(昭和5年)月島8丁目(中央区勝どき1-11)に開校しました。隣が月島小学校の分校(現月島第二小学校=現勝どき1丁目にあるにも拘わらず、月島名がついています*)です。この分校は2号地(勝どき地区)の子供たちのために作られた小学校で、隣が日本倉庫で、斜め正面に鉄骨試験所がある行き止まりの通りの奥にありました。開校当時はまだ晴海通りも勝鬨橋もありませんでした。
開校時の間取りは、教室3ケ、寝室2ケ、事務室・食堂・寮母室・炊事室・洗面所などで構成され小さくまとまっていました。
開校時の生徒数は32人、教員は3人と校長・寮母1人、炊事婦2人という所帯でした。学級は1~2年ひとクラス、3年以上がひとクラスでした。翌年1931年(昭和6年)からは低中高の三クラス制になりました。
東京水上小学校は、開校後しばらくして東京市立水上小学校となり学童の数も少しずつ増加し、校舎も改築を重ねました。1941年第二次世界大戦の開戦と同時に、水上国民学校となりました。軍国主義に湧く世情の変化を受けて、子女の教育ではなく兵士育成のための場となり、同時に銃後を支えるための奉仕の場となりました。水上国民学校もまた、戦争遂行のための海員育成の場に変えられていきました。
1943年(昭和18年)4月1日、江東区深川浜園町に分校ができました。(昭和43年4月1日、浜園町は住居表示制度の実施に伴い、浜園町と塩崎町の名から「塩浜」となり、現在に至っています)戦争の悪化に伴い学童は茨城県新治郡に疎開しましたが、1945年10月25日には学校は再開されました。
水上生活者が暮らす船はセージと呼ばれる部屋が船底にあり、その大きさは2畳(6.6㎡)から3畳(10㎡)程で、家族があれば親子数人がここに寝泊まりしていました。ダルマ船は仕事場が転々と変わるので、子供たちは就学が難しく未就学児も多かったし、戸籍を持たない子さえいたという話です。
水上生活者の出身は千葉県が多く、戸籍を千葉房総に置いたまま船内で暮らすために、現住所がなく子息の就学もままならないこともあったようです。水上小学校の設置はこのような状況を解決するために設置されたともいえるでしょう。
水上小学校は全寮制ですが、子供たちは週末だけ船に帰りました。週末、子供たちにとって悲劇が起こることがありました。「自分のなつかしい家(船)がみつからない」停留している場所にセージが見つからないことがありました。そのようなときには、子供は憔悴して学校に戻ったということです。しょげかえった子供達の様子が目に浮かぶようです。
[wienerhorn]
2018年7月 6日 09:00
中央区観光検定のテキスト「歩いてわかる中央区ものしり百科」で、「銀座八丁神社めぐり」のコースが紹介されています。銀座に行くのはショッピングかグルメとだいたい決まっているものですが、いつもと違う目的で歩いてみるのも楽しいものです。たどり着くのが難しいものもあり、特に豊岩稲荷神社は狭いビルの谷間にあるため入口を探すのがたいへんです
銀座稲荷神社と成功稲荷神社は、ビルの屋上にあり通常は公開されていません。
(1) 幸稲荷神社
(2) 銀座稲荷神社(通常非公開のため神社の写真なし)
(3) 龍光不動尊
(4) 朝日稲荷神社
(5) 歌舞伎稲荷大明神
(6) 銀座出世地蔵尊
(7) 宝童稲荷神社
(8) あづま稲荷神社
(9) 靍護稲荷神社
(10) 豊岩稲荷神社
(11) 成功稲荷神社(通常非公開のため神社の写真なし)
[銀造]
2018年7月 5日 18:00
祝!「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 世界文化遺産登録決定!御目出とうございます。
私は、2015年11月に長崎観光に行き、念願の長崎市、郊外の切支丹関連遺産を拝見することが出来ました。 潜伏切支丹の方々の奥まった山間の集落の中に教会はありました。
この度の「世界文化遺産登録決定」は、本当に嬉しく思います。
さて、日本橋長崎館では、この「世界文化遺産登録決定」を受けて、様々な楽しいイベント、美味しい物を食べるイベントが開催されます。 特に、7月7日(土)8(日)は長崎館でおいしいイベント!
●島原手延そうめん大流しそうめん大会
●そうめん総選挙~シェフの創作そうめん食べ比べ~
●長崎県農畜水産物大試食販売会
などなど、夏らしい流しそうめんや、楽しくておいしいイベントが実施されるそうです。 是非、お出かけ下さい。
日本橋長崎館のHPは、こちらです。https://www.nagasakikan.jp/
私のお勧めは、長崎の老舗の名物の角煮です。
豚の角煮の旨味が凝縮された煮汁を使った「和風おこわ」も美味です。