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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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最近のブログ記事

運気上昇!日本橋日枝神社の上向きの狛犬

[TAKK...] 2019年2月26日 09:00

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東京メトロ茅場町駅のほど近く、兜町に隣接する場所に本橋日枝神社はあります。境内は都心にも関わらず広く、思いのほか静かです。

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江戸時代から山王祭の御旅所(お神輿などが休憩する場所)として知られ、今も「神幸祭」では際の祭礼行列の休息所となっています。

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この神社の狛犬は珍しく、上を向いています。

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これは関東大震災の復興と運気上昇を願って奉献されたためだそうです。
「上向き」と運気などが上向くことがかけられているのですね。

 

 

春意 浮世絵に見る富士

[あすなろ] 2019年2月24日 12:00

2月23日、富士山の日。

日本橋の町屋では、できるだけ江戸城と富士山が
望めるように都市計画がなされていました。

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する賀てふ、駿河町は、通りの真正面に駿河の
富士山を見ることができるように設計された町です。
町の名前はこの眺めから付けられました。

富士山と対をなす末広がりの構図を描いた
町の通りには、縁起の良さを感じます。

現在は、日本橋三越本店本館や三井本館など石造り
の歴史的建造物が建ち並ぶ通りです。

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ビルに隠れて富士山は見えませんが、

春には桜の名所としても知られていますね。

錦絵でたのしむ江戸の名所
 広重、名所江戸百景 する賀てふ

◆江戸桜通り
 中央区日本橋本石町1~2、日本橋室町1~2
 日本橋本町1~2

 

 

サイクリング好き特派員イチオシ!旬のウォーターフロントコース

[Hanes] 2019年2月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です!
最近ひょんなことからスポーツバイクを入手したので、区内で試し乗りをしました
都心の歩行者・自動車通行量、自転車道の整備状況等を考えると、
走ることを楽しむより、史跡やお店を巡りながら楽しむポタリングの方が向いている気がします。

しかし、スポーツバイクともなると、まちなかのポタリングでは物足りません...
1つわがままを言うと、変化に富んだ起伏と景色もほしいんです
今回は、そのような希望を叶えてくれるコース(Hanes流)をご紹介します。
(※記事内の写真は、複数日の異なる時間帯に撮影したものを使用しています。)

◼️旬のウォーターフロントコース
行程:築地-豊海-晴海-豊洲-晴海-勝どき-築地
所要時間(目安):45分~1時間
コース概要:晴海の選手村や豊洲市場等旬なスポットに加え、変化に富んだ起伏と景色が楽しめる万人向けコース。
オススメの時間帯:いつでも

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スタート地点は、勝鬨橋のそばにある「かちどき 橋の資料館」前。
グループでサイクリングに行く場合でも歩行者の邪魔にならず集まれるスペースの他、
公衆トイレもあるので安心です
観光でお越しの方や自転車をお持ちでない方は、電動アシストつきのコミュニティサイクルが便利
追ってご紹介しますが、近隣のサイクルポートはこちらのマップでご確認ください。

①かちどき 橋の資料館
資料館前には、海軍経理学校の碑勝鬨の渡し跡もあるので、
出発前に勝どきの歴史を学ぶことができます
そして、運が良いと周囲の木にとまるヒヨドリが見られるかもしれません

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さて、前置きが長くなりましたが、これよりウォーターフロントエリアのライドに出発します!

②築地場外市場
走り始めてまず左手側に見えてくるのが、約460ものお店が軒を連ねる築地場外市場
都内の大手百貨店食品売り場の平均的なテナント数は80前後と言われているので、
ここにはその5.7倍ものお店があるという計算になります。
場外市場周辺は、歩行者・自動車の通行量が多いので、お気をつけください。

また、地下鉄駅や場外市場からのアクセスがよいこの周りをスタート地点にする場合、
市場橋の信号の近くにサイクルポートがあるので、こちらをご利用になると便利です

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場内市場跡に沿ってしばらく南下すると、歩行者・自転車用の環状第2号線の入口を示す貼り紙が見えてきます。
初めてだと少々分かりづらいかもしれませんが、入口は大手門橋のすぐ目の前です!

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出入りの際は少々曲がりますが、大半がまっすぐで幅広い道であるため、走りやすくなっています
歩行者に気を付けながら、開通して3ヶ月程の橋を渡ります。

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③浜離宮恩賜庭園
快適なライドの途中、視界に入ってくるのは...
国指定特別名勝・特別史跡である浜離宮恩賜庭園の歴史ある風景と季節の花々。
2月中旬には、これから見頃を迎える菜の花が一部見えました

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誰かに呼ばれたような気がして水面へと視線を落とすと、
可愛い水鳥が器用に水をかいて泳いでいました

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さらに少し進むと、浜離宮船着場、灯台跡、築地川水門等が出てきて、
この辺りからは、浜離宮恩賜庭園とレインボーブリッジという、古今の有名な建造物を同時に見ることができます!

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④築地大橋
平坦な道は一旦橋の手前で終わり、緩やかな上り坂になります。
先輩特派員の皐月の鯉の吹き流しさんが以前ご紹介していた
前東京都知事舛添要一氏の揮毫をチェックし先へ進みます!

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橋を渡り終えてからは、東京海洋大学の船を横目に、埠頭へ向かいます

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⑤豊海水産埠頭
倉庫が多く建ち並び、トラックが多いこのエリアには、
築地場内市場を思わせるかのような港町らしい景色が残っています

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こちらからは、晴海埠頭、建設中の選手村、レインボーブリッジ等が見え、
晴海埠頭ほど有名ではありませんが、格好のフォトスポットになっています

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上の写真にあるように、夕暮れ時の景色も良いのですが、
日中の青空と輝く水面を背景にサイクリングの思い出を撮るのもよし

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⑥マグロ卸のマグロ丼の店
その後、朝潮運河を右に見ながら少し走ると、お店のようなものが見えてきます。
それが、マグロ卸のマグロ丼の店!
2017年に先輩特派員HKさんが詳しくご紹介しています。

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サーフボードにメニューが書かれており、
店名にもなっている「マグロ卸のマグロ丼」はなんとたったの600円
個人的には「超濃厚ビスクスープ海老ソバ」が気になります

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午前中のサイクリングの場合、ここで昼食を兼ねた休憩を取り、
ウォーターフロントならではの海鮮と風景を楽しんでみてはいかがでしょうか。
その後は、環状第2号線沿いに戻り、ライドを続けましょう

⑦黎明大橋、豊洲大橋
築地大橋同様、こちらも比較的最近開通した道路で、
嬉しいことに、自転車道もしっかり整備されています
とはいえ、歩行者もおりますので、スピードには気をつけて走行します。

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適度な上り坂を経験した後にウォーターフロントならではの風景を見ると、
「坂は大変だったけど、来てよかった」と思うことでしょう。

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⑧豊洲市場
豊洲大橋を下りきると、豊洲市場が見えてきます
こちらは中央区ではありませんが、旧築地市場と関連のある旬なスポットの1つ!

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⑨晴海大橋
豊洲市場を通過し、晴海大橋を渡って中央区へ戻ります。
先輩特派員の隅田の花火さんの記事にもある通り、晴海大橋には少々起伏があります。
私のような女性でも無理なく渡り切れますが、
電動アシストつきのコミュニティサイクルを利用すると、
険しい表情にならず、笑顔のまま渡り切ることができます

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この辺りからは、倉庫、タワーマンション、スカイツリーが見え、
景色に飽きることはありません
その後はゴール地点でもある「かちどき 橋の資料館」に向かって走るだけですが、
その前にちょっとだけ寄り道してみませんか?

⑩デリド勝どき駅前店(駐輪場あり)
こちらは周辺にお住まいの方が利用するスーパーですが、
セルフサービスにて、こだわりのコーヒーがお手頃価格でいただけます
訪問時は、一般的に見かけるコーヒーの他に、
キャラメルバニラといったフレーバーコーヒーや有機コーヒーもありました
サイズは12oz(約355ml)と16oz(約470ml)の2択で、
意外とたっぷりですが、セルフサービスのため量は自分で調節できます!

自転車を降りてコーヒー片手に勝鬨橋の東側まで移動し、
東京タワーや勝鬨橋を眺めるのもまた贅沢な一時です夜景がオススメ)

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一息ついて橋を渡ると、資料館はすぐそこです。
今回は異なる時間帯の写真を使用したので分かりづらかったかもしれませんが、
冒頭に書いた通り45分~1時間で1周できるようになっています

最後にコースを振り返ってみると、浜離宮恩賜庭園といった歴史的な風景、
タワーマンション、レインボーブリッジ、スカイツリー、東京タワーといった現代的な風景、
そして、ウォーターフロントならではの倉庫や船、水門等の風景と、
変化に富み、目を飽きさせない風景をたくさん見ることができました

また、今回走行した道の多く(築地と豊海水産埠頭周辺以外)には自転車道が設けられており、
道幅も広くお子さん連れの方にもやさしいです
区内にお住まいの方にも、国内外から中央区に観光に来られた方にも、
オススメしたくなる私イチオシのコースです

※自転車に乗る際は、マナーやルールを守って走行してください。
 ヘルメットの着用や暗くなってからのライト点灯も忘れずに...

 

 

鐘が奏でる現役時代の物語

[Hanes] 2019年2月21日 12:00


こんにちは。新人特派員の(ハネス)です
3月が近づき、「小さな春」が見つかる季節になってきましたね。
中央区ゆかりの俳人宝井其角は、江戸の春(正月)についてこう詠みました。

「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」

普段売れそうもないお寺の鐘さえ売れるほど、江戸は繁栄していたと伝えています。
今でこそそのような光景は見られなくなりましたが、
中央区内には、長いこと時の経過を見てきた鐘がいくつも残っています。
今回は、そのような鐘のいくつかを見に行ってみました

■銅鐘・石町時の鐘(日本橋小伝馬町5-2)/日本製
2代将軍秀忠の頃に本石町に設置され、江戸城下の人々に時刻を知らせたこの鐘は、
長崎屋の近くにあったことから、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」という川柳が詠まれたほど。

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鐘は高さ約170cmと成人男性の平均身長くらいあります
(中央区の約170cmと言えば...大観音寺の鉄造菩薩頭も同じサイズ感です。)
大晦日には特別にこの鐘を撞くことができるので、いつか撞いてみたいと思います

■カトリック築地教会(明石町5-26)/フランス製
こちらには、通称「江戸のジャンヌ・ルイーズ(JEANNE LOUISE DE YEDO)と呼ばれる銅製洋鐘(区民有形文化財)があります。
こちらの鐘が鋳造・寄贈されたのは1876年。
当時は明治時代で、既に「江戸」から「東京」に改称されていました。
では、なぜ鐘銘にある通り「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられたのでしょう...
その理由として、レンヌへの鐘の発注当時は、まだ「東京」という呼称が徹底されていなかったからと考察されています

隅田川花火大会の起源とも言える出来事は1732年にありましたが、
その呼称も時代とともに変化し、今の呼称が定着したのは予想以上に新しいようです。
呼称の変遷を見ると、時代背景や意図が垣間見られて面白いですよね

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かつてこの鐘とともにデュエットをした鐘「アデレード・ジョゼフィーヌ」は、
マダムはるみさんが昨年ご紹介していた通りです

どちらの鐘も太平洋戦争時の金属供出は免れ、大砲にならずに済みました。
余談ですが、ジャンヌ・ルイーズが今日まで無傷で残っているのに対し、
アデレード・ジョゼフィーヌの方は、時代の荒波を乗り越えてきました
鐘銘にフランス人法学者ボアソナード氏の名前が刻まれていたため、
太平洋戦争時の金属供出は逃れられましたが、
一度割れてしまったことがあり、関口教会の信者の寄付で1957年に改鋳されています

■平和の鐘(日本橋3-4・京橋1-1間中央分離帯内)/オランダ製
こちらの鐘は、1989年日蘭修好380年を記念し、
国際都市の一員として世界平和を願い、中央区が設置したものです。
26個の鐘は、カリヨン・スウィングベル製造で世界一の規模を誇り、
100年以上の歴史と優れた技術・実績を持つことからオランダ王室より「ロイヤル」の称号が与えられた
オランダのロイヤル・アイスバウツ社が製造しました

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その鐘は、毎時0分になると中央区の歌「わがまち」に代表される曲を奏でます。
そのメロディーが気になる方、遠方にお住まいの方は、
中央区平和祈念バーチャルミュージアムからどうぞ

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■銀座の鐘(銀座教会:銀座4-2-1/英国製
こちらは上記3つの鐘と比べてそれほど知られてはいませんが、
銀座教会の階段の中腹右手側にあり、
第3次会堂ができた1928年以降、約90年銀座の移り変わりを目撃してきた歴史ある鐘なのです

しかし、鋳造されたのは1878年と古く、カトリック築地教会の鐘と同年代!
バーミンガム市ブリュウス・アンド・サン社(Blews & Son)が手がけ、なんと227kgもあります
オーナーのウィリアム・ブリュウスは、真鍮燭台を作る職人として記録が残りますが、
教会の鐘も鋳造していたようで、本拠地のバーミンガムにも当時の鐘が残っています。
この教会の鐘は一体どういう経緯で海を渡ってきたのか...気になりませんか?

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ということで鐘銘を見てみると、鋳造社や教会に関する単語が見られますが、3~4行目をよく見てください
なんと、NAGASAKI JAPANと刻まれているではないですか!
これは、鐘が銀座に来るまでの大きな手がかりとなります。
英国好きの私としてはここで引き下がれないので、さらに調べたところ、次のようなことが分かりました。

1873年(明治11年)、後に出島聖公会神学校となる我が国最古プロテスタントの神学校長崎に設立されました。

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(赤い矢印で示した建物です。昨年訪れた際は、銀座教会と関係があるなんて知るよしもありませんでした。)

その際、あのトマス・グラバーが特注したこの鐘が取り付けられました。
しかし、1922年に発生した地震で鐘が落下...
その後、宣教師スコットが買い取っています。

その翌年、今度は関東大震災が起こり、銀座教会が焼失...
再興したのは、前述の第3次会堂が完成した1928年でした。
この際にスコットから入手した鐘が取り付けられたということです。

ようやくこの鐘に見る長崎と銀座の関係性が浮かび上がってきましたが、
なぜグラバーがブリュウス・アンド・サン社に特注したのか、
宣教師スコットとはどのような人物で、銀座教会とはどのような関係があったのかという点は、まだ明らかにしきれていません
詳細が分かった際には、改めてブログでご紹介します!

■おわりに
今回は区内で見られる鐘をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
鐘の製造国が全て異なり、今も昔も中央区は国際的だと改めて感じるとともに、
思いがけないところに長崎との関係性も見つかりました
ご紹介した通り、中には引退した鐘もありますが、
このように現役時代の歴史を読み解くと、当時の時代背景等が少しずつ見えてきます。
中央区では、「鐘ひとつ」をとっても面白いと思っていただけたら幸いです

【参考文献・ウェブサイト】
国立大学法人九州大学大学院理学研究院附属地震火山観測研究センター「長崎県の地震活動概況(2003年8月)」(2019年2月16日閲覧)
築地カトリック教会百周年記念誌編集委員会『つきじ―献堂百周年記念号―』(築地カトリック教会、1978年)※非売品(教会で見せていただけます。)
長崎バプテスト教会「お薦め散策コース - Bコース:眼鏡橋から出島・大浦方面③」(2019年2月16日閲覧)



 

 

◆ 京橋物語5~南伝馬町から京橋へ

[隅田の花火] 2019年2月21日 09:00

京橋物語の5回目。前回からの続きです。

前回まで→ 【①】  【②】  【③】  【④】

 

関東大震災の後も大正時代の面影が残った南伝馬町。近代的なビルが立ち並ぶこの街は、銀座の復興していく様子を高い場所から眺め続けていくことになりました。椅子に座れば、とても気持ちが良さそうな眺望です。昭和の時代に入り、銀座通りの街並みも明らかに変わってきています。

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通りの左には、松屋の百貨店が既に開業しています。その奥にはうっすらと松坂屋も見え、銀座の街の復興は、この2つの百貨店の先導もあって急ピッチに進んでいるようです。

 

一方の昭和3(1928)年頃の南伝馬町の風景。通りには、路面電車・乗り合いバスが写り、活況を呈していることが分かります。星製薬のビルは改築が始まり、一番左の片倉館は増築によって大きくなりました。 

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昭和3年の秋には、昭和天皇の御大典(御大礼)が行われ、京橋に奉祝塔が立てられます。御大典というのは、即位の礼・大嘗祭といった一連の儀式のことです。大正天皇の時には、大正4(1915)年に行われたことは『京橋物語2』でご紹介致しました。

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今年2019年はその記念すべき年で、即位の礼が10月22日に行われるのはご存知の通りです。今年の即位の礼は、平成の時と同じように東京で行われますが、この昭和と大正の時には京都御所で行われたそうです。

 

そして、震災から7年が経過した昭和5(1930)年。震災復興事業に一つの区切りがつけられます。

s_hanabi_72-4.jpg震災で被害を負っていた星製薬のビルも装いが新しくなり、南伝馬町の街の復興も、これでひとまず終わりとなりました。とはいえ、大正時代の面影を残す南伝馬町の街並み。銀座通りを歩く人たちは一種の懐かしさを感じたのかもしれません。

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そして昭和5(1930)年3月下旬、帝都復興祭が開催されます。銀座通りには多くの市民が押し寄せ、復興した喜びを皆で分かち合います。

 

天を向く京橋の親柱と南伝馬町のビルの塔屋。記念の奉祝塔に、路面電車のダブルポール。その前に立つ群衆が見つめる先は、復興を終えた銀座の街です。

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今まで銀座を見守ってきた南伝馬町の街全体が、まるで銀座通りに向って「万歳!」と両手を上げ、復興した銀座の街を祝福しているようです。

 

もし中央区内で一度だけ、過去にタイムスリップすることができるならば、いつの時代のどこに行ってみたいですか?。私はこの素晴らしい写真の中のどこかを指定して、銀座通りを眺めてみたいです。左上の大同生命ビルのトンガリ屋根が良さそう。

 

 

でもやっぱり、右上に写る第一相互館の塔屋から、銀座通りを見下ろすのがいいかもしれないですね。

s_hanabi_72-7.jpg4丁目交差点に銀座三越も開業したこの年。銀座の街に町名変更がありました。4丁目までだった銀座は8丁目まで拡大、松坂屋銀座店が建つ尾張町の場所は銀座6丁目に変わりました。

 

そして翌年の昭和6(1931)年。南伝馬町にも同じことが起こります。

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橋が江戸以来の擬宝珠をやめたように、南伝馬町と周辺の街も江戸以来の町名をやめることを固く決心します。新たな時代へ向かおうとする意識のあらわれでしょう。選んだ新しい町名は『京橋』。それは、大正時代に形作られたモダンな街とモダンな橋が、名実ともに一体化した瞬間でした。

 

その翌年の昭和7(1932)年には、銀座4丁目交差点に服部時計店の時計台が建ちました。一方の京橋通りには、左手前に福徳生命ビルが竣工、京橋の街の顔が変わります。

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そして、京橋の街であの有名な建物を忘れてはいけません。京橋2丁目の星製薬と千代田館の間、千代田館の隣に建つことになるビルです。昭和初期の段階では、切妻屋根風なバラック、フランス料理店「鴻乃巣」が建っていました。

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昭和7(1932)年頃でしょうか。第一相互館から京橋2丁目を見ると、この時点で更地になったことが分かります。

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その建物はご存知、明治屋のビルです。昭和8(1933)年、千代田館の隣に竣工しました。下の絵葉書、僅かながら明治屋が写っています。

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こうしてみると明治屋のビルは、京橋の街に建てられたビルとしては、後発組だったことが分かります。因みに、この絵葉書に写っている建物で現在も残っているのは、この明治屋のビル、そして同じ年に竣工した、通り右奥に見える日本橋髙島屋だけかと思います。尚、銀座では同じ年に教文館ビルが建ち、現在も残っています。

 

またこの明治屋のビルは、地階と地下鉄駅を連結させて作られた建物で、建設中には、京橋駅まで地下鉄が走っていました。地下鉄銀座線は、始めから全通したわけではなく、浅草上野間が昭和2年に開通後、少しずつ開通区間を伸ばし、京橋駅までは昭和7年12月、銀座駅までは昭和9年3月に開通しています。

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写真提供:中央区立京橋図書館

 

銀座を中心に百貨店が進出し、地下鉄も開通したこの通りは、新しい客層を呼び寄せ、繁栄を極めます。しかしこの銀座通りの繁栄は、「銀座の復興を見守る」という、これまでの京橋の街の役割が終わったことを意味しました。

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この後、戦時色が濃くなり、統制がかかったのか、これ以降の京橋の絵葉書を見つけることができていません。ほぼこの形で太平洋戦争に突入し、終戦となりました。 

 

そして次回が最終回。これまで1~5回目までの長い物語となりましたが、画像のいくつかをクリックすると拡大画像や解説画像が現れるよう施してあります。もう一度振り返った上で、次回の最終回をご覧になっていただければ幸いです。

つづく。

 

 

 
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