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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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国宝 日本の美を味わう

[あすなろ] 2019年1月 8日 18:00

国宝が並ぶ館蔵品展。

 外観.jpg

写真で観るよりも、展示品はライブで見るかどうかが
経験として大きく違ってくるでしょう。

国宝の茶室「如庵」を再現した展示ケースで、
「国宝 志野茶碗 銘卯花墻」を取り合わせているところは
いろいろ実感できるのではないでしょうか。

茶碗の前後左右だけでなく、見込みから高台のつくり
まで全方位にわたって創意があり、見どころです。

片桐石州によって付けられ箱書には、

「やまざとの うのはながきのなかつみち
 ゆきふみわけし ここちこそすれ」

志野釉を雪と花に見立てたのでしょうか。
素晴らしい歌ですね。その通りの姿でした。

恒例となった「国宝 雪松図屏風」も公開されています。

ぜひ足を運んでこの希少な国宝をご覧になっては
いかがでしょうか。

 正月飾.jpg

◆三井記念美術館
 東京都中央区日本橋室町2丁目1番1号 三井本館7階
 国宝 雪松図と動物アート
 2019年1月31日(木)まで

 

 

【中央区観光検定対策】川・橋編(4)

[Hanes] 2019年1月 6日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は【中央区観光検定対策】川・橋編最終回で、河川の埋め立てを取り上げます。
(これまでの記事はこちらから→(1)(2)(3)

多くの河川や掘割により、江戸時代から「水の都」と呼べるほどだった現在の中央区。
しかし時代を経るにつれ河川は埋め立てられ、その名残はまちなかの案内板や残された親柱の存在で知ることができます。
いつ、何を機に埋め立てられ、それによってまちがどう変わったのか...
そういったことを5W1H的に覚えておくと、出来事同士を因果関係で結ぶことができ、
より中央区の発展史が頭に入りやすくなります

IMG_20190102_153859.jpg
(↑昨年受験検時の対策ノートの1ページ)

河川の埋め立ての契機となった出来事は、大きく分けて以下の4つに分けられます。
震災復興、戦火復興、東京オリンピック、その他。

■震災復興
入船川、鉄砲洲川、西堀留川(伊勢町堀)はこの早い段階で埋め立てられました。

■戦火復興
当時、残土やがれきを運ぶ車両や燃料がありませんでした。
そこで、水路としてあまり必要ではない川を残土やがれきで埋め立てて土地を造成し、
それを売却して事業費を捻出するという都のがれき処理対策が実施されました
それこそがこの埋め立てで、外堀川の北半分や三十間掘川はこの時姿を消しました。

■東京オリンピック(1964年、第18回)
オリンピックに向け、高速道路、地下鉄、幹線道路の整備が急がれました。
そこで、築地川楓川を埋め立て、一号線(京橋~芝浦間の4.5km)を中心とした首都高を建設し、佃大橋の架橋(1964年)により、佃川の埋め立てが行われました。
しかし、あまりに立て続けに埋め立てたため、雨水の排水が不可能に
そこで、東京都下水道局のポンプ場が浜町、中洲、箱崎町に設けられました。

〈余談〉
聖火リレーのコースは、清洲橋~茅場橋間の1.5km、
茅場橋~鍛冶橋間の2.0kmでした

河川の埋め立てについては特に詳しく覚えておく必要はありませんが、
知っているときっとまち歩きが楽しくなると思います

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

【中央区観光検定対策】川・橋編(3)

[Hanes] 2019年1月 5日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
少し間が空いてしまいましたが、【中央区観光検定対策】川・橋編の続きです。
(これまでの川・橋編の記事はこちらから→(1)(2)
今回取り上げるのは、③川の合流地点とその前後の橋、④橋の特徴といわれです。

まずは、③川の合流地点とその前後の橋について。
突然ですが問題です!
・日本橋川が隅田川に合流した後、最初に架かる橋は何でしょうか?
・日本橋川はどこ(地名)付近で亀島川に分かれているでしょうか?
・亀島川が隅田川に合流した後、最初に架かる橋は何でしょうか?

今回はあえて答えを載せませんが、上記の問題に対してパッと答えが浮かばない方、
検定前に確認してみてはいかがでしょうか

続いて④の橋の特徴といわれは、実際に見たり、書いたり(描いたり)すると効果的に覚えられます!

■隅田川

DSC_3356.JPG
(絵心はなくても、特徴をインプットできたもの勝ちです

・両国橋(明暦の大火を機に架橋。当時は「大橋」。橋名の由来→(1)
・新大橋(関東大震災で落橋や火災を免れ、橋上の人々の命を救った「人助け橋」。)
・清洲橋(ドイツのケルンにあった吊橋がモデル。橋名の由来→(1)
・永代橋五代徳川綱吉50歳を祝し架橋。道路橋としては日本初の鋼鉄製トラス橋。
 明治37年には路面電車が敷設。)
・中央大橋(新川-佃間。パリ・セーヌ川との友好記念「メッセンジャーの像」有。)
・佃大橋(昭和39年、「佃の渡し」に代わり架橋。佃川埋め立てに伴い、佃橋撤去。)
・勝鬨橋(完成時には「東洋一の可動橋」と呼ばれ、1日5回跳開。
 1905年、日露戦争での旅順陥落を記念した勝鬨の渡しに始まる。)
・築地大橋環状第2号線が通る新しい橋。)

■日本橋川
・豊海橋(元禄11年架橋当時は乙女橋とも呼ばれた。梯子を横にしたようなデザイン。
 周辺風景は、北原白秋『大川風景』永井荷風『断腸亭日乗』にも描写あり。)
・湊橋(新川-箱崎間。江戸湊の出入口にあたることが橋名の由来。)
・茅場橋(昔、南詰は茅場河岸(を切って積む置場)で、これが橋名の由来。)
・鎧橋(大正-昭和には市電が走った。「メイゾン鴻乃巣」「鎧の渡し」要確認。)
・江戸橋(明暦の大火後に江戸橋広小路を整備。江戸時代には小店が集まる盛り場。)
・日本橋(慶長8年に架橋。翌年には五街道の起点に。4つの橋詰広場も要確認!)
・西河岸橋泉鏡花の名作『日本橋』の舞台。)
・一石橋(江戸時代初期に木造橋として架橋。橋名の由来も要チェック。)
・常盤橋
・旧常磐橋(江戸時代に江戸城正面大手門に通じる「江戸五口」の一つ常盤橋門有。)
・新常盤橋

■亀島川
・霊岸橋(茅場町-新川間。江戸時代は葦の生い茂る低湿地帯。)
・新亀島橋
・亀島橋八丁堀-新川間。元禄12年架橋。今の橋は平成14年のもの。
・高橋
・南高橋旧両国橋の一部を再利用。都内に現存する明治期の鉄骨橋梁としては
 旧弾正橋に次いで古い。)

■朝潮運河
・朝潮大橋朝潮橋晴月橋
・トリトンブリッジ(屋根付きの動く歩道!)
・黎明橋晴海通りが通り、トリトンブリッジと並行。)
・黎明大橋環状第2号線が通る新しい橋。)
・朝潮小橋(平成15年竣工の約113mの橋。自転車と歩行者専用。)

■その他の橋
・佃小橋(佃島完成時に架橋。橋の下には、住吉神社の本祭りで使う大幟の柱
 腐食防止のため川底に埋められている。)
・柳橋(町年寄が架けた木造橋に始まる。永代橋がモデル。
 永井荷風『牡丹の客』横光利一『紋章』にも描写あり。)
・海運橋(楓川に架かっていた。東詰に江戸幕府御船手頭向井将監の屋敷があり、
 「将監橋」「海賊橋」とも呼ばれた。)

今回ご紹介した橋がすべてではありませんが、それぞれの橋には面白いエピソードがあります。
まち歩きの際には、橋の袂にある案内板も要チェック
テキストにはない詳細な情報が含まれていることもあり、勉強になりますよ!

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

新春 庭園の御茶屋

[あすなろ] 2019年1月 5日 14:00

庭園のお正月。

大手門.jpg

中島の御茶屋でお抹茶を一服。
上生菓子は、とても上品な味わいです。

中島の御茶屋.jpg

池にせり出すように設けられた露台からは、冬ならではの景色が広がります。

雪吊りが冬の庭園のアクセントになっていますね。

燕の御茶屋.jpg

こちらは、特別公開された燕の御茶屋。
上段からの眺望は貴重な機会です。

縁起よく空に鷹が舞い、心地よい日差しの中、のどかな正月でした。

浜離宮恩賜庭園
東京都中央区浜離宮庭園1-1

 

 

2019年元旦 初詣

[達磨] 2019年1月 4日 18:00

元旦、日本橋「七福神」を巡ってきました。土地柄でしょうか、芸能・商売・金運・学業の神様が勢ぞろいです。一番の人出は水天宮です。1月1日戌の日と出産ラッシュが重なって、大変な混みよう。年配者好みの4社をしっかりお参りしました。

左↓写真、強運厄除けの総本社で、約550年前に鎮座した『小網神社』、右↓写真は近郊町方に火災がなかったので火伏の神といわれる『茶ノ木神社』。

1小網神社.jpg1茶ノ木神社.jpg

左↓は勝運を授け、災難をよける神様として、400年前から信仰されている『末広神社』、右↓写真は『笠間稲荷神社』東京別社で長寿(寿老神)、お導き、幸運の神様。

1末廣神社.jpg笠間神社1.jpg

昨年2018年は天変地異が襲った年でしたが、今年はどうでしょう。元旦は穏やかな隅田川でゆりかもめと出合い『築地本願寺』では青空の下、光が射しこんでいました。お寺の作法に従って、初詣をして、安永総務長・新年の書【光】のカードを頂きました。

築地本願寺1.jpg

築地場外『波除稲荷神社』に向かいます。築地一体の埋め立て工事に難渋していた、350年ほど前に創建されて「災難を除き、波を乗り切る」波除稲荷として、築地地区を守る神様。長~い列でした。此処から隅田川テラスを歩いて15分程で、平安時代に創建され、京橋地区の産神『鉄砲洲神社』です。江戸の富士信仰の場としていたという『富士塚』の浅間神社末社にて〈ニ礼二拍一礼〉(右↓写真)。

波除稲荷2.jpg鉄砲づ稲荷2.jpg

 

 

紙パルプ会館 あんぽ柿 歴史と名前の由来 福島県伊達市

[銀造] 2019年1月 3日 09:00

 紙パルプ会館の前に、沢山の干し柿が吊るされて、冬の風物詩となっています。 故郷を懐かしく思い出す方もいらっしゃることと思います。

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「あんぽ柿」発祥の地は、福島県伊達市梁川町、「伊達のあんぽ柿」とのパネルがありました。

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そして、歴史と名前の由来も記されていましたので、ご紹介します。

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要約すると、宝暦年代(1751~1763)に、梁川町五十沢の七右衛門という人が蜂屋柿(はちやがき)の木を持ち込み、植えたのが始まりとされています。その柿を「七右衛門柿」と名付けました。その柿の皮をむいて、天日に干すことから、「天干し柿(あまぼしがき)」と呼ばれるようになり、明治時代になると、「天干し柿(あまぼしがき)」は、「あんぽ柿」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。 <中略> 「手間ひまかけて仕上げた自然の美味しさ」です。 福島県のアンテナショップには置いてあるかな? 「Midette 」見でって

福島県のアンテナショップのHPは、こちらです。http://midette.com/8501/

・2019年1月1日(火) 休館

・1月2日(水) 10:30~17:30

・1月3日(木) 10:30~17:30

・1月4日から通常営業

 

 
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