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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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謹賀新年!江戸時代のそば、魚市場の元日の過ごし方とは?

[Hanes] 2019年1月 1日 09:00


新年あけましておめでとうございます
新人特派員のHanes(ハネス)です!
皆さん、年末に年越しそばは食べましたか?そして、元日には初詣に行きましたか?
今回は年末年始に関連する江戸時代の伝統・文化等をご紹介しながら、
中央区のお正月らしい風景をお届けしたいと思います。

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(左:銀座三越、右:銀座うかい亭

■江戸時代のそばの話
今や年越し時に食べるものとして定着したそばですが、
実はそばが普及したのは江戸時代だったということはご存知でしたか?
「夜鷹そば」と呼ばれる夜間営業の屋台が繁盛し、最盛期には江戸市中に4000軒近くのそば屋が立ち並んだといいます!

はじめはそば汁につけて食べていましたが、元禄年間(1688~1704)には汁をかける食べ方が考案されました
この頃から、「かけ」(熱い汁をかけたもの)と「もり」(従来の汁につけるもの)が区別され、
明治になってからは「ざる」(「もり」にのりを散らしたもの)が登場
そして幕末には「おかめそば」(数種類の具材をおかめの面のようにそばの上に並べたもの)が出てきました。

江戸市中に立ち並んだそれぞれのそば屋にはどのような違いがあったのか、気になりますよね

■江戸時代の魚市場の話
江戸時代の元日は、商店街も魚市場も休むのが習わしでした。
魚市場の店員たちは、元日におとそを祝い、雑煮を食べ、寝て過ごしたといいます
しかし、若者の中には恵方参り(初詣の原型)や芝居見物に行く人もいたようです。

夜には「昼間をあざむく」と言われるほど提灯を隙間なく吊るして明るくし、
板舟に魚介類を並べ、2日の0時に始まる初売りに備えました。
初売りは歩くのが困難なほどの混雑ぶりでしたが、その気分を盛り上げる一文獅子と呼ばれる獅子舞が入り込むこともあったそうです

話を聞いただけで、押すな押すなの盛り上がり具合が脳裏に浮かぶようですね。

■歌舞伎
歌舞伎座では2日に初日を迎えます。

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江戸歌舞伎の発祥の地も中央区内にあることですし、
新年早々伝統芸能に触れてみるのも良さそうですね

■〈余談〉2019年の中央区の建物の話
オリンピックの選手村(後にHARUMI FLAG)や数々のホテル・マンションをはじめとする建設ラッシュの中央区。
訪日外国人等の受け入れ環境が充実し、居住者数の増加も見込まれます
その一方で、既存の居住者に嬉しい文化施設の準備・建設も続々進んでいるようです。

旧ブリヂストン本社ビル等の跡地には、2019年7月に高層ビルミュージアムタワー京橋(MUSEUM TOWER KYOBASHI)」が竣工予定で、
後にブリヂストン美術館が館名を変更し、アーティゾン美術館(ARTIZON MUSEUM)として低層階に入ります。
こちらは新たな文化芸術の拠点となり、地上部分に整備される広場「(仮称)アートスクエア」では賑わいが創出される予定です

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また、新富には、図書館などの複合施設「(仮称)本の森ちゅうおう」が2019年7月に着工予定(2022年開設予定)。
今年も話題が絶えず、日々発展していく中央区にぜひ遊びに来てくださいね
Chuo City will never cease to amaze us :)


 

 

銀座の道路愛称名

[ようちゃん] 2018年12月31日 14:00

1 はじめに

中央区では、区民の生活空間として重要な役割を果たしている道路に愛称をつけ、わかりやすく親しめるものとして、京橋地域に43路線、日本橋地域に45路線、月島地域に10路線の合計98路線が設定されていますが、今回は銀座地域の昭和通りの北側に絞って調べてみました。ちなみに中央区で、正式に道路に名称を付与するようになったのは、昭和63年からだそうです。その際昔から一般に慣用されている名称は、できるだけそのまま使用し、新たに「中央区道路愛称名設定要綱」を策定し、ガイドラインを定めました。現在の要綱は、平成14年に策定されています。愛称をつけようとする場合は、書類を添えて区長に提出し、選定委員会で協議され、区長が承認することになります。選定の基準としては、「広く一般に慣用されている名称は尊重する。」「文化財、著名な地域、坂、橋梁及び公共的施設等の名称で、それが一般にわかりやすく、親しみ深いものはできる限りこれにちなんだ名称を用いる」「企業名などの名称は、原則として用いない」等が定められています。

2 銀座地区道路愛称名マップ

地図は手書きになっており、見苦しいことと思いますが、ご容赦願います。

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3 名称の由来

(1) 銀座コリドー通り:昭和31年に外濠を埋め立てて完成した高速道路下にある銀座コリドー街からとったもの。「コリドー」とはフランス語の回廊の意味で銀座の西側の回廊のようだから。

(2) 泰明通り:沿道にある泰明小学校を由来とし、「泰明小路」または「泰明通り」の命名希望が地元から出され「泰明通り」となった。

(3) 数寄屋通り:旧町名「数寄屋橋町」による。

(4) 花椿通り:資生堂が整備資金等を出資し、資生堂のシンボルマークの「花椿」を通り名とした。

(5) 交詢社通り:沿道に交詢社ビルがある。

(6) ソニー通り:沿道にソニービルがある。

(7) 並木通り:江戸初期の名主内山惣十郎が住んだ「惣十郎町」に西洋風の並木(プラタナス)を植えた。

(8) 見番通り:明治・大正・昭和の新橋花柳界の料亭、芸妓、置屋で構成される組合の事務所として「見番」がこの通りにあり、当時この周辺では中心的役割を果たしていた。

(9) 西五番街通り:ニューヨークで流行していた「五番街」に西銀座の「西」を加えた。

(10) 銀座レンガ通り:明治10年に出来た銀座の繁栄のもとになった銀座煉瓦街の親しみと暖かみのある煉瓦街の記憶を後世に残す。

(11) 御門通り:宝永7年東海道の廓門として新橋北詰につくられた「芝口御門」があった。

(12) 金春通り:江戸時代に能楽の金春流の屋敷があった。

(13) 銀座鈴らん通り:すずらんの花のように鈴なりで沢山の店が軒を連ねている様子から名付けられた。

(14) 銀座ガス燈通り:明治7年に東京で最初のガス燈がつけられた。「銀座ガス燈通り」の愛称は平成5年に設定された。

(15) 信樂(しがらき)通り:江戸時代の芝口御門で入口に面し、休憩所「信樂茶屋」があり、「信樂新道」(しがらきしんみち)と呼ばれていた。

(16) あづま通り:町会名「4丁目東町会」による。途中で表示がないのは、三越の私有地のためです。

(17) 銀座三原通り:昔は「三十間掘川」が流れ、三原橋という橋があった。

(18) みゆき通り:明治天皇が築地の海軍兵学校や水交社、海軍軍医学校などに行くのに通った。

(19) 銀座松屋通り:松屋デパートが整備資金を出資し名付けられた。

(20) 銀座マロニエ通り:通りにはパリをイメージさせる店や建物が銀座地域の中でも多く、パリの代表的なマロニエを通り名に入れた。現在もマロニエ(セイヨウトチノキ)が植えられている。

(21) 銀座柳通り:街路樹に柳の木が植えられている。

(22) 銀座桜通り:街路樹に桜が植えられている。

4 おわりに

 愛称が付けられた通りの多くに、銀座花椿通り商店振興会、銀座みゆき通り美化会、銀座すずらん通り商店会等々の通り会があり、道路の清掃、年末年始のイルミネーション装飾の実施、イベントの開催等地域の活性化に努力されています。このような方々の地道な活動が銀座全体の賑わいのもとになっていることを心の片隅において銀ブラを楽しみたいと思います。。

 

 

 

 

お節料理、除夜の鐘、茅の輪くぐり...年末はやっぱり築地でしょ!

[Hanes] 2018年12月31日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今年もあっという間に年末となりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
お正月の準備で忙しいのではないかと思いますが、
お節料理に欠かせない伊達巻、数の子、栗きんとん等を買うとなると、
「年末は、やっぱり!築地」ですよね

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というわけで、大晦日に除夜の鐘を撞くことのできる築地本願寺に挨拶をしてから、
(※鐘撞きは、大晦日の22時より整理券350枚(1枚につき1打)を配布します。詳しくはこちらから。)

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豊洲移転後も賑わいの衰えない築地場外市場へ行ってきました
老舗の玉子焼き屋さんの前にできていた50人以上の大行列に並んでみたり、
はたまた別の有名な玉子焼き屋さんで、多くの店員さんが忙しそうに出荷用の箱詰めをしているのを目の当たりにしたりと、
いつも以上に人出が多く、活気づく築地を楽しむことができました

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その後向かったのが、築地波除稲荷神社
万治年間(1658~1661)、波浪が原因で築地一帯の埋め立て工事がなかなか進まなかったところ、海中から出てきた稲荷明神の像を祀った結果、波浪がおさまり、
工事を進めることができたということから創建された神社です

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こちらでは31日まで年越ノ大祓式を行っており、

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茅の輪くぐりをすることができます。
新しい1年に向けて無病息災等を祈願してみてはいかがでしょうか。

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また、厄除け天井大獅子(願い串)参拝をすることもできます。

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願い事を書いた願い串をこの大獅子の舌の上の納め籠に納め、念じると、
大獅子が願い事を飲み込んでかなえてくれるといわれているようです

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天井大獅子で頭頂にがあり、お歯黒獅子擬宝珠がついているのが特徴
こちらの神社には、中央区観光検定対策としてもおさえておきたい文化財があるので、
お参りに来る機会がありましたら、大獅子天水鉢は要チェックです

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そして、2019年の干支も天井大獅子の近くにありますので、
こちらも合わせてご覧になってはいかがでしょうか。

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最近急に冷え込み、関東地方でも60cmの積雪を記録した町があると聞きました
外出の際には、ふくら雀のように着込み、暖かくしてお出かけください!

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(築地社会教育会館前にて撮影。)

 

 

薬研堀 歳の市と張扇供養

[saru] 2018年12月30日 18:00

年の瀬の12月26日から28日に、東日本橋の薬研堀不動尊周辺で納めの歳の市がありました。歳の市は江戸時代から続くもので、かつては12月に深川八幡から、浅草観音、湯島天神ときて薬研堀不動尊で終わったため、納めの歳の市と呼ばれるそうです。すぐそばに江戸随一の盛り場であった両国広小路があり、昔は露店には羽子板やしめ飾りなど正月用品を売っていたようですが、今は問屋街の場所柄、冬物衣服などがお値打ち価格で売っています。

 

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不動尊境内にはこの納めの歳の市の碑もあります。

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同じ場所には講談発祥記念の碑もあります。

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講談は江戸時代に両国広小路での辻講釈が起源とされており、そのような縁から市の最終日28日夕方には、講談で使う張扇の供養会がたくさんの講釈師が参集するなか、記念碑の前で行われました。護摩が炊かれ、読経の後、参加者は配られた扇型の紙にお願い事を書き、各々護摩の火の中に投じて来年の幸を願いました。

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その後門前にて、辻講釈と称して、当代講談師の面々により、本能寺の変や宮本武蔵の一席が披露されました。

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戸外での催しなので寒かったですが、屋台でお酒や温かい飲み物を買って暖をとり愉しみました。

今、講談もブームだそうですが、落語とはまた違った趣があり、歴史上の著名人を扱ったものも多くて勉強にもなります。薬研堀不動尊では、だいたい月に1回講談を聞く会が開かれているようです。中央区の気軽に行ける演芸場に日本橋のお江戸日本橋亭があります。元旦からは講談協会の初席をやるそうです。中央区発祥の伝統芸能ということで、一度演芸場に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

【中央区観光検定対策】歌・キャッチフレーズ編

[Hanes] 2018年12月29日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は歌・キャッチフレーズ等に焦点を当て、中央区観光検定対策に役立つ情報をご紹介します!

まずは歌ですが、全部覚えてくださいとは言いません
少なくとも、作詞、作曲、歌手(代表的な人がいる場合)、歌い出しの歌詞はおさえておきましょう!
(余裕があるようでしたら、作詞者・作曲者の業績やその他の部分の歌詞もおさえておくとよいかもしれません。)

■銀座の柳
作詞:西條八十、作曲:中山晋平
「♪)植えてうれしい 銀座の柳 江戸の名残の うすみどり」

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【関連記事】【遠足シリーズ第4弾】銀座の柳二世がとりもつ縁

■これがお江戸の盆ダンス
作詞:荒木とよひさ、作曲:市川昭介
「♪)ハ~ This is Tokyoのまんまん中で ちょいと踊ろよ 盆ダンス」

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【関連記事】中央区の魅力を再発見!八丁堀と京橋の盆踊り

■銀座の恋の物語
作詞:大高ひさを、作曲:鏑木創、歌:石原裕次郎、牧村旬子
「♪)(女)心の底まで しびれる様な (男)吐息が切ない 囁きだから」

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【関連記事】ジミニ―☆クリケットさん「銀座の歌碑めぐり」

■佃島の盆踊り唄
単調なリズムの櫓太鼓念仏のような口説き唄が特徴のこの盆踊りでは、
哀愁と無常観漂う「秋の野分けは無常の風よ、散れば残らず皆土となる、悟り開けば草木も国土、仏頼めよ南無阿弥陀仏」と唄われます。

続いては、キャッチフレーズ等です

■三越日本橋本店
日本初の西洋式劇場「帝国劇場」のチラシに掲載され、話題を呼んだ広告のコピーがこちら!
「今日は帝劇明日は三越」バッグ

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■髙島屋日本橋店
昭和8年(1993年)に新築した店舗(地下2階、地上8階)は、高橋貞太郎の設計。
全館冷暖房を完備し、話題を呼んだ宣伝コピーがこちら!
「東京で暑いところ、髙島屋を出たところ」

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(開店直前の髙島屋の様子)

■日本橋魚河岸
昼の芝居小屋、夜の吉原と並び、「一日で千両がおちるところ」と称されました

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【関連記事】「中央区×スペイン(2)~ロドリゴの見た日本橋~」「【遠足シリーズ第9弾】漁民が結んだ縁の島」

■水天宮
江戸時代において、塀越しに賽銭を投げ込む人が絶えなかった水天宮...
そこで5の日に限り一般江戸っ子に有馬家の屋敷を開放し、参拝可能にしたことから、
こう呼ばれ親しまれるようになりました
「情けありまの水天宮」

【関連記事】サムさん「2018 水天宮 節分祭」、えだまめさん「娘あずきの七五三 その3:水天宮でお参りを。(半分、反省文)」

■木造家屋が密集する江戸のまち
明暦の大火(明暦3年(1657年)1月18日)に代表されるように、江戸のまちでは非常に火事が多く、
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われていました

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(親切な送水口博物館の館長さんのお計らいにより、港区でも中央区観光検定のチラシを貼ってPRしていただいています!ありがとうございます

【関連記事】「消防の歴史に見る中央区(前編)」「消防の歴史に見る中央区(後編)」

■ガス灯
明治7年(1874年)、銀座に灯された85基のガス灯の明るさはこう表現されました。
「夜を昼に変えた」

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■燈臺
関東大震災10周年の記念塔として数寄屋橋公園に設置された北村西望の作品。
兜を身に着けた青年がたいまつを持ち、獅子をしたがえている像で、
小さいながらも力強さが伝わってきます
その台座のブロンズ製鋳造銘板に書かれているのが、「不意の地震に不断の用意」

【関連記事】与太郎さん「震災復興記念塔 北村西望『燈臺』をめぐって」、GPPさん「北村西望作品を訪ねました(燈臺&平和記念像)」

■江戸っ子気質(山東京伝)
「江戸城の鯱をみて水道の水を産湯とした」「宵越しの銭は持たない」
「食べ物や遊び道具がぜいたく」「生粋の江戸のはえぬき」
「いきとはりを本領とする」も合わせてチェックしておきましょう

■日本橋
幕府が編纂した地誌『御府内備考』には、「この橋、江戸の中央にして、諸国の行程もここより定められるゆえ、日本橋の名ありといふ」と記されています。

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以上、いかがでしたでしょうか?
中央区にまつわる歌やキャッチフレーズはこれらがすべてではありませんが、
前回の俳句・川柳同様、印象的なものが多いのではないでしょうか
まち歩きの際には、これらもぜひぜひチェックしてみてくださいね

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 

【中央区観光検定対策】俳句・川柳編

[Hanes] 2018年12月28日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
中央区観光検定受験日が近づいてきましたが、勉強は順調に進んでいますか?
今回は俳句・川柳対策を兼ねて、中央区の史跡を巡ってみたのでご紹介します。

■九条武子夫人歌碑
彼女は西本願寺門主の次女として京都に生まれ、21歳で男爵九条良致と結婚
夫の英国留学・勤務により別居生活が10年近くにおよびましたが、
その間、和歌(佐佐木信綱)、絵画(上村松園)、生け花(西川一草亭)を学び、才能に磨きをかけました。

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彼女が残した歌集には『金鈴』『薫染』、随筆には『無憂華』があり、
築地本願寺にある歌碑に刻まれた「おおいなる もののちからに ひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」はおさえておきたいですね

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■五世川柳・水谷緑亭句碑
佃島の風紀を心配し、自宅で忠孝節義の話をした彼の句は、住吉神社の境内で見ることができます。
「和らかで かたく持ちたし 人ごころ」

■銅鐘 石町時の鐘
この鐘は二代将軍徳川秀忠の時代に本石町に設置され、江戸城下の人々に時刻を知らせていました
近くに長崎屋(オランダ商館長の宿所)があったことから、詠まれた川柳が...
「石町の鐘はオランダまで聞こえ」

■石川啄木歌碑
彼は京橋区滝山町(現・銀座6丁目)の朝日新聞社に入社し、
肺結核等で26歳の若さで亡くなるまでの約3年間、校正係の仕事をしながら創作活動を行いました。
「京橋の 滝山町の 新聞社 灯ともる頃の いそがしさかな」

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また、彼の第一歌集『一握の砂』が、「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」で始まることもおさえておいて損はありません

■越後屋
蕉門十哲のひとりで、江戸座(江戸っ子気質を反映した派手な句風が特徴)と呼ばれる一派の代表である榎本(宝井)其角は、越後屋についてこんな句を詠んでいます。
「越後屋に きぬさく音や 衣更」
情景がふと目に浮かぶようですね

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せっかくなので、其角のその他の句も合わせて覚えておきましょう
(ここでは詳しく解説はしませんが、それぞれの句が詠まれた背景も合わせて確認しておくことをオススメします!)

「日の春を さすがに鶴の 歩み哉」
「鐘ひとつ 売れぬ日はなし 江戸の春」
「この人数 舟なればこそ 涼みかな」

■海水館跡
明治38年に開業した「海水館」は、仙台市から移築した木造2階建ての割烹旅館。
当時このあたりは東京湾が一望できる風光明媚で閑静な場所であったため、名だたる文化人が滞在しました。
海水館に関する一首は以下の通り
「冬の海 見ればかなしや 新佃 海水館は わび住みにして」
(吉井勇の歌集『毒うつぎ』より)

■十返舎一九墓
『東海道中膝栗毛』の作者である彼の墓(真円山東陽院)の左側面には、
有名な辞世の句が刻まれています。
「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら」

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■吉田松陰終焉之地
幕末の志士の多くを育てた優秀な人物でありながら、小伝馬町牢屋敷内で処刑された彼の辞世の句が、小伝馬町に設置されています。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂」

■寿司
すしを握る職人の手つきが忍術使いの呪文を唱える様子に似ていることから、こんな句が詠まれました。
「妖術と いう身で握る 酢の飯」(川柳句集『誹風柳多留』)

ここまで俳句や川柳をピックアップしてみましたが、
どれも記憶に残るような印象的なものばかりですよね
知らない句があった方、検定前にチェックしてみてはいかがでしょうか?

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。

 

 
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