2015年も残りわずかです。
例年恒例の「謹賀新年」提灯が
飾られた人形町商店街です。
年明けすぐから、日本橋七福神めぐりで
遠くからも多くの人が人形町界隈を
訪れます。
この時期だけの、茶の木神社神前での
ご朱印授与や神社グッズ販売も
行われます。
2016年が、どうか良い年でありますように、みなさまとともに祈りたいと思います。
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年の瀬の人形町商店街
2015年も残りわずかです。 例年恒例の「謹賀新年」提灯が 飾られた人形町商店街です。
年明けすぐから、日本橋七福神めぐりで 訪れます。
2016年が、どうか良い年でありますように、みなさまとともに祈りたいと思います。
薬研堀不動尊 納めの歳の市 12月29日 まで
薬研堀不動産 「納めの歳の市」に行ってきました。 市(いち)の規模は、不動尊をずっと囲む様に、それはそれは沢山の地元の洋装品卸、靴の卸会社が出店されていました。 高級傘も販売されていました。 歩きながら、お店の商品と値段をインプットしていきます。 でも、絶対に品質が良く、お値段はビックリするほどお安いので、(後で買おうと思ったら売り切れていたりして)、お気にいったら、即購入が良いと思います。 ちんどん屋さんも音と色を添え、賑やかで楽しい市です。 たこ焼きなどのお店もでていました。 今日は、自分用の靴、妻へのプレゼント用に毛皮の襟巻、孫への上着、高級紳士ベルト等を買い求めました。 お値段は、市価の三分の一程度で、本当にご奉仕頂いているお値段です。 おっと、1千円購入ごとに福引の券がもらえます。 こちらで、今年最後の幸運をお引き寄せ下さい。 *最終日の29日はお店によって閉店時間がまちまちなようです。 閉店の遅いお店は19時頃かと思いますが、くれぐれも明るいうちに、お早目にお出かけください。 2つのMIYUKI DORI
11月1日の日曜日。中央区ではまるごとミュージアム2015が開催され、今年が2回目の「之乎者也(ちーふーちゅ~いぇ)」を含む26名の中央区観光協会特派員は、無料巡回バスに乗務しマイクを片手に街の案内役を務めました。当日は、乗車人数の調整やら運行間隔の時間調整があったり、さらには銀座地区でのデモ行進による大渋滞等様々なハプニングもありましたが、「お客様に中央区の魅力を伝える」というタスクは我々特派員にとっては、普段の研鑽の成果を披露する絶好のチャンスです。 右回りの無料巡回バスに添乗中、浜町バス乗り場に向うため東日本橋のバス乗り場を出発し左に曲がったところで、お客様の一人から「みゆき(御幸)通りって女の人の名前ですか?」と素朴な疑問が寄せられます。窓の外の道路名称案内板には「御幸通り(MIYUKI DORI)」と書かれており、また女性の名前で「みゆき」という名前(字は美幸や美由紀などもありますが)もよく聞きます、人気漫画の主人公にもありましたね!
「御幸」という漢字を辞典で調べると「みゆき、ごこう、ぎょこう」と読み、源氏物語や歴史の教科書に出てくる「行幸」と同じ意味であると載っています。とすれば、こちらの「御幸通り」も天皇陛下がお通りになった通り?ということになりますが、丸の内にある皇居前広場から東京駅前まで結ぶ「行幸(ぎょうこう)通り」であれば、東京駅からお召し列車にご乗車になる時にお通りになったのだろうと察しがつきますが、東日本橋となると「ちょっと皇居からもちょっと遠いけど、どうして?」となります。
理由は東日本橋のバス乗り場横にある「臨幸記念碑」にありました。現在日本橋中学校が建っている場所には、戦前には千代田尋常小学校がありました(明治10年創立、昭和20年廃校)。 【昭和初期の千代田尋常小学校(中央区教育委員会説明版より)】
1923年東京は関東大震災に襲われ、千代田尋常小学校を含む多くの地域が焼け野原になりました。千代田尋常小学校は、その後震災復旧事業による復興小学校として鉄筋コンクリートの不燃化構造で1929年12月に竣工しましたが、翌年の1930年3月に天皇陛下が復興した帝都を巡幸した際、車を学校脇の現在「臨幸記念碑」がある辺りに停め、休憩を兼ねて学校を訪問したということが記念碑に記されており、どうやら、この時の「御幸」が道の名前となったようです。 【臨幸記念碑】
さて、中央区の「MIYUKI DORI」といえば、もう一つ有名な銀座の「みゆき通り」がありますね。こちらは東日本橋のMIYUKI DORIが漢字であるのに対し、平仮名で書かれますが、新橋演舞場と日比谷公園を結び、晴海通りに並行して銀座5~6丁目を貫くこちらの通りは、「みゆき族」の聖地として名を馳せました。東京オリンピックが始まる少し前の1964年、アイビールックをちょっと崩した格好の独自のファッションの若者がたむろし、みゆき通りを闊歩したという社会現象が「みゆき族」と言われました。現在はご覧の通りブランドショップが立ち並ぶ華やかな通りとして人気を集めています。もちろん銀座の「みゆき通り」も「行幸(=御幸)」から来ており、こちらについては、明治天皇が築地にあった海軍兵学校、海軍大学校、浜離宮などへ行幸される際に通られた道ということで「みゆき(御幸)通り」という名前になったようです。
【御幸通り】 所在地:中央区東日本橋2-2から東日本橋2-10まで。
【臨幸記念碑】 所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋1-10-1(日本橋中学校 浜町河岸通り側)
【みゆき通り】 箱根駅伝と中央区
正月のメインイベント第92回箱根駅伝まであと1週間余りです。鍛冶橋通りには「交通規制のお知らせ」というサインが出て、新年の1月3日にこちらが箱根駅伝のコースとなることを教えてくれます。往路では大手町の読売新聞社本社前からスタート後、千代田区内の日比谷通りをまっすぐに南下しますが、復路1月3日のラストの第10区は中央区内を走ります。このように新春の大きなイベントである箱根駅伝ですが、一番盛り上がる最終区で中央区を走ることに加えて、このレース、実は中央区との縁も深いのです。 現在、スタート/ゴール地点は読売新聞社本社のある大手町となっていますが、戦後から1971年までは読売新聞社の本社が銀座(現在、プランタン銀座のある場所)にあったこともあり、中央区の銀座がまさに箱根駅伝のスタート/ゴールでした。 さらには、今年参加の21チームの中には残念ながら中央区の大学の参加はありませんが、そのうち3校は歴史上中央区と縁の深い大学です。 一つは順天堂大学。こちらは現在は本郷や佐倉(千葉県)などにキャンパスがある大学ですが、1838年(天保9年)薬研堀(現、東日本橋)に佐藤泰然が蘭方医学を学ぶ和田塾を創立したことが起源です。 【薬研堀の「順天堂発祥の地」記念碑】
2校目は中央学院。こちらは現在は我孫子市(千葉県)が本部となっていますが、その起源は1900年に新川に設立された日本橋簡易商業夜学校。その後、日本橋簡易商業夜学校は、中央商業学校、中央商科短期大学となり、短大は2000年に廃止されましたが、その流れを汲むのが今回参加の中央学院大学です。 【新川公園内の「中央商業学校(中央学院)発祥の地」記念碑】
そして3校目は、昨年優勝の青山学院。こちらも現在の本部は渋谷にありますが、その起源は1878年にジュリアス・ソーバーにより築地明石町に設立された耕教学舎。耕教学舎は、その後、麻布の女子小学校(後に明石町に移転して海岸女学校となる)、横浜山手の美會神学校と合併し、東京英学校、東京英和学校を経て青山学院になりました。【明石町の「青山学院記念の地」碑】
1月3日の復路第10区、日比谷通りを上ってきたアンカーのランナーたちは馬場先門(千代田区丸の内)で右折して鍛冶橋通りに入ります。新幹線のガードと外堀通りを越えて中央区に入ると、東京スクエアガーデン前を左折して中央通りに入り、日本橋を渡って常盤橋まで一気に区内を駆け抜けます。実はこのコース17年前までは別のコースでした。平成11年に日本橋架橋88周年、箱根駅伝75回大会を記念して、京橋、日本橋を通るコースに変わりました。この沿線には明治生命館(千代田区丸の内)、三菱一号館美術館(丸の内)、第一生命相互館(京橋)、明治屋(京橋)、高島屋(日本橋)、三越(日本橋室町)、日本銀行(本石町)など、伝統のある美しい建物が多く立ち並び、各校アンカーのデットヒートが予想される最終区ですが絵になるコースです。応援とともに街並みを楽しむのにも良いコースですね! なお、昨年の箱根駅伝の様子は特派員・江戸旅太郎さんが詳しく写真入りでレポートしています(/archive/2015/01/post-2270.html)。
【順天堂発祥の地 記念碑】 所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋2-6-8(薬研堀不動院境内)
【中央商業学校発祥の地 記念碑】 所在地:〒104‐0033 中央区新川1-32(新川公園内)
【青山学院記念の地の碑】 所在地:〒104-0044 中央区明石町6-26(ニチレイ明石町ビル目の前) 薬研堀 納めの歳の市開催中!
別の記事(順天堂発祥の地)の取材のため、薬研堀(東日本橋)まで出掛けて行きます。薬研堀は同じ中央区ではあるものの家からちょっと遠いのと地下鉄でも行きにくいこともあり、いままではあまり足を伸ばすことも無かったのですが、今年は強い味方「コミュニティサイクル(CCC)」があるので安心です。 産業会館(A04)のポートに自転車を停めようと横道へ入っていくと、薬研堀不動院のちょっと手前から、提灯が飾られ出店が出て縁日状態になっています。そうです、恒例の納めの歳の市、歳末出庫市(でこいち)が開かれていたのでした。薬研堀の歳の市・歳末出庫市に来るのは、もちろん今回が初めてなのですが、婦人服、靴、カバンなどが売る屋台が目につきます。横山町なども近くにあるし土地柄でしょうか? 香港や台湾などでは、道路から完全に車をシャットアウトして開かれる夜市・縁日も珍しくはないのですが、東京では(単に私が知らないだけなのかもしれませんが)あまり見たこともなく、非常に新鮮でした。そぞろ歩きも楽しいです。3色の提灯がきれいに飾られているので見ていると「大本山 川崎大師」と書いてあります。薬研堀不動院は真言宗のお寺なので弘法大師さんの系統なのだろうなと思いながら調べてみると、こちらは「真言宗智山派大本山川崎大師平間寺」の東京別院で、目黒不動と目白不動とともに江戸三大不動のひとつとして知られるようです。 にわか勉強ですのでこれ以上は化けの皮が剥げてしまいますので、詳細は、地元の特派員・橘さんの昨年12月の記事「薬研堀 歳の市と大出庫市(/archive/2014/12/post-2264.html)」をご覧下さい。 「何故今の時期に歳の市が開かれるのか(納めの歳の市の名前の由来)」とか「何故、こちらで衣料品や靴などが売っているのか」など、丁寧に説明がされています。
こちらの納めの歳の市、今年も29日(火)までやっています。 【薬研堀不動院 納めの歳の市】 会場:東日本橋二丁目(薬研堀不動院周辺) 期日:12月27日(日)~29日(火) 開催時間:11:00~19:00 歳末装飾〔人形町商店街〕
人形町商店街で、年末恒例の「人形町通りの歳末装飾」が始まっています これは、歳末大売り出しの時期に合わせて、人形町交差点から水天宮前交差点まで、約500メートルの商店街沿道の両側に330個のちょうちんをともすもの(上の地図、ピンク色の部分)で、「からくり櫓(やぐら)」もライトアップされています しめ縄飾りや門松などの正月用品を販売する「歳の市」は、25日から31日までです 例年約30店の露店が並びます 人形町は、もうすっかりお正月準備モードです
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