日本橋本石町にある貨幣博物館には、ここだけしかない貨幣を展示して、私たちに無料で見せて頂けます。
今日は、館内を見学して、沢山の珍しい貨幣を拝見しました。
そして、帰り際には、家族へのお土産として、此処だけしか販売していないお菓子を買い求めました。
また、此処だけしか入手できない、「お札煎餅・ 貨幣焼」と、古くなった紙幣を処分・利用したボールペンを入手しました。
「せんべいは にこり微笑む 諭吉さん」
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貨幣博物館 ここだけのお土産
日本橋本石町にある貨幣博物館には、ここだけしかない貨幣を展示して、私たちに無料で見せて頂けます。 今日は、館内を見学して、沢山の珍しい貨幣を拝見しました。 そして、帰り際には、家族へのお土産として、此処だけしか販売していないお菓子を買い求めました。 また、此処だけしか入手できない、「お札煎餅・ 貨幣焼」と、古くなった紙幣を処分・利用したボールペンを入手しました。 「せんべいは にこり微笑む 諭吉さん」 日本橋高島屋〜山王祭り下町連合半纏〜
日本橋高島屋1階のロビーで山王祭の「下町連合渡御」に参加する町会や団体の半纏が展示されています。
下町連合渡御は6月10日(日)の9時〜14時頃にかけて、茅場町の日枝神社摂社を6基の神輿からスタートし、八丁堀で4基が合流後、京橋で山車や神輿17基が勢揃いし中央通りを日本橋まで向かい、高島屋へGAOLするというまさに山王祭のクライマックスです。
街中でも提灯の準備が進んだりして、祭気分が高まってきましたね。 2年に一度の本祭りを楽しみましょう!!!
「ときわ木」―オリジナルを主張する老舗和菓子店
永代通りを日本橋交差点に向かって行くと昭和通りの手前に「千代田橋」があります。関東大震災後(大正12年)の大規模な復興計画で永代通りが作られたときに、当時ここを流れていた楓川を渡る橋としてかけられました。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 和菓子の「ときわ木」さんが楓川沿いに創業したのは明治43年(1910年)といいますから、千代田橋が架けられる10年以上も前ということになります。一旦、昭和通り沿いにお店を移したものの、その後再び現在の地に戻られたそうです。今の包み紙には「千代田はし ときわ木」と記され、刻み続けた歴史を感じます。 現在は3代目、気さくなご夫婦がお店を継がれています。 ▲ときわ木さんの包み紙には「千代田はし」の文字が
▲写真を撮りやすいようにと、下の台に広げていただきました
▲この日のラインナップ ▲6月は水ようかんの季節! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今回は、私が5月末に購入したオリジナル和菓子「若紫」をご紹介します。小豆、手亡豆、砂糖から作られた、まさに若紫色のお菓子です。 ▲版画家・福田久哉先生の描いた少女のイラストが素敵です! 残念なのは着色料(赤色3号)を使っていることです。このタール色素、アメリカやヨーロッパの一部の国では食品への使用が禁止されているもの。これを使わないと「若紫」ののきれいな色は出ないのかなぁ‥‥。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
▲この形! どうやって切っているの?
▲「若紫」の一片
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 皆さんも「若紫」を購入されたら、実際にカットを見て、その方法をあれこれ想像してみてください。そして、このお菓子の上品な甘み、舌触りを味わってください。少し濃い目に入れた煎茶がお薦めですが、ブラックコーヒーにもよく合います。また、大切な方への手土産としても最適だと思います。 次回、私は「黒饅頭」を買うつもりです。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ▲お店は、大通りから少し入ったところにひっそりと‥‥
楓川跡を歩く(2)
「楓川跡を歩く(1)」の続きです 楓川は、昭和30年代まで中央区に存在し、日本橋川の兜町付近から南へ分流して、京橋川・八丁堀(桜川)合流地点に至る河川でしたが、埋め立てられて、現在は首都高速道路都心環状線がその跡を通っています 上の地図の黄色の部分です (G)は久安橋です この橋は、八重洲通りが「首都高速」(旧・楓川)を渡る橋です 現在の橋は、関東大震災の復興事業により、八重洲通りの造成と共に架け替えられたもので、重量感のあるアーチ橋です 久安橋は、江戸時代に桑名藩松平越中守の上屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、明治元年に江戸幕府の名残りである「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されたそうです 宝橋(H)です 宝橋は、京橋と八丁堀を結ぶ一方通行の狭い通りが、 「首都高速」(旧・楓川)を渡る橋です 下の写真は、宝橋上から南側の高速道路を見たところです 宝橋の名称は、当時の楓川西側一帯の「京橋区 宝町」という町名からきているそうです (I)は水色の鳥居の天祖神社で、宝橋のすぐ近く、ビルの脇の細い参道を進んだ先に本殿があります 小さな神社ですが、歴史があり、江戸時代前期の寛永元年に、伊勢長官出口市之正が伊勢神宮の皇大神宮の別宮である伊雑宮を江戸日本橋通3丁目に奉斎したことに始まるそうです 寛永10年には、八丁堀松屋町に替地300坪および門前地をもって幕府の命により遷座したそうです 松幡橋(J)です 東側の松屋町、西側の因幡町から各町名の一字ずつを取って、名付けられたそうです 江戸時代には松屋橋とも呼ばれました 楓川の一番南端に架かる橋が弾正橋(K)、鍛冶橋通りにある橋です こちらも、現在の橋は、関東大震災後の帝都復興事業によって架け替えられました 江戸初期には、東側に島田弾正忠利の屋敷があり、京橋川の白魚橋、三十間堀川の真福寺橋と併せて「三ツ橋」と呼ばれたそうです 明治11年には、日本初()の純国産の鉄橋が架けられています この鉄橋は昭和4年に江東区内に移設され、八幡橋と改称されています 下の写真は、弾正橋から南側の高速道路を眺めたところです 今回、楓川沿いを歩いてみて、1キロちょっとの距離でしたが、「川と掘割」によって積み重ねられた歴史の重みを感じることができました 〔楓川跡を歩く〕完 ビブグルマン掲載!お洒落なラーメンに初挑戦@むぎとオリーブ
映画で旅するヨーロッパ:EU Film Days 2018
【東京】 【京都】 期間:2018年6月2日(土)~6月24日(日) 【広島】 期間:2018年7月1日(日)~7月13日(金) 公式ウェブサイト:https://eufilmdays.jp/
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