[kimitaku]
2014年4月 7日 10:43
4月初め晴海地区を散歩。
寒い日々が続くも、桜は一気に開花。
朝潮運河にも春がやってき ました。
月島から朝潮橋を越えて、西を向くと、東京タワーズをバックに
運河に向かって、桜が張り出していました。
橋を渡り、アート晴海付近も満開です。
住友トリトンスクエアから佃方面の桜です。
晴海埠頭も満開です。鴬がさえずっています。メジロも春を謳歌。
石垣を入れての一枚は、何処かの山奥の城跡のようにも見え、また趣があります。
運河をさかのぼり、黎明橋まで来ると、お花見船が、下ります。 屋形船の後ろ、小舟は、波にゆられていました。橋の向こうにも
桜が。
桜の花ははかないもの、数日で風に吹かれ、万朶の桜は散り行きました。
これからは、中央区、春本番です。
[サム]
2014年4月 3日 16:00
隅田川は河口部の中央大橋上流の佃2丁目地先で東に分流し、佃2・3丁目と江東区越中島1・2丁目の間を流れ、豊洲貯木場で東西に分かれ、それぞれ豊洲運河と春(晴)海運河に繋がる。
大川端リバーシティ21開発の際、中央大橋~相生橋の "隅田川派川" 沿いにつくられた石川島公園は、平成19年に相生橋南まで拡張整備され、近隣住民の憩いの場として親しまれている。
スーパー堤防の採用により、水と触れ合えるように親水性が確保され、堤防上には桜が植栽され、ジョギングや散歩をする人で賑わう。
今回取り上げるのは、その石川島公園南端の相生橋南の複合施設「相生の里」前広場に植栽されている、観賞用に改良されたバラ科落葉低木のハナモモの1品種「源平桃」。
命名の由来は、1本の木に紅・白(加えて薄紅・中間の斑《絞り》)の花を咲き分ける様を、源氏の旗の色<白>と平家の旗の色<紅>が入り乱れて戦った「源平の合戦」に譬えたとされている。
年によって、紅・薄紅・白・斑の花がどう混じり合って咲くか、特定されず、毎年様相を異にすると云われる。
自然の神秘性を秘めた艶やかな八重の花姿、春爛漫の風情を醸し出している。
[之乎者也]
2014年4月 1日 16:00
中央区民にとっては新幹線やJR在来線で遠くへ出かける際に利用する東京駅八重洲南口のバス乗り場が3月21日に大幅にリニューアルされました。ここは全国からわが中央区にいらっしゃるお客さんがバスやタクシーで月島や晴海等に出かけるための重要な出発点でもあります。
八重洲口は2013年9月に開業した東京駅のグランルーフ整備のため長らく、工事が進んでいましたが、12月のJR高速バスターミナル完成に続き、3月の都営バス乗り場移転でようやくきれいなターミナルに生まれ変わりました。
ところで、みなさん。東京駅の八重洲口は何区にあるのかご存知でしたか?名前が八重洲口というくらいだし、中央区だろうと思われる方も多いのですが(私も実はそうでした)ここは千代田区丸の内なのです。
東京駅八重洲口前を通る太い通りは外堀通り。名前からも想像がつくとおり、ここは昔の江戸城の外濠の跡で、今も残る日本橋川から呉服橋(日銀のそばですね)で分かれて鍜治橋(常陽銀行前)、数寄屋橋(銀恋の碑、区民有形文化財の灯臺などがあります)へとつながっていたのですが、1950年代に戦後のがれき処理のために埋め立てられて現在のような道路へと変わりました。呉服橋、鍜治橋、数寄屋橋はそれぞれ江戸城の外郭で武家地へ入るための門。ここから西側の丸の内は土佐藩等24の譜代大名の上屋敷が並んでいたそうな。一方、門の東側に当たる現在の「八重洲」は町人地で中央区にあたります。左側の絵は常火消同心の息子で八重洲生まれの江戸末期の浮世絵師歌川広重(と襲名二代目広重)による「びくにはし雪中(名所江戸百景)」で、八重洲口鍛治橋通り南側の商工中金本店あたりから銀座方向を見た風景を描いたもの。比丘尼橋(びくにはし)は昔の京橋川(現、東京高速道路)に架かる橋で、右側の〇やき十三里(=焼き芋)の裏手には外濠が流れて京橋川と合流していたようです。
さて、本題の都バスに戻ります。東京駅南口からは東15、東16の都バスが出発していて、区内の八丁堀、新川を経て、佃、月島方面(東16)、湊、明石町、勝どき、晴海(東15)を経て江東区方面へ結んでいます。もんじゃや佃煮で有名な月島、佃はもちろん、外人居留地の歴史を残す明石町方面への観光には欠かせない足となるバスですが、同時に今の時期、新川公園、石川島公園などでは桜も満開です。3月末の週末は生憎の天気で花見は難しかったかもしれませんが、今週はお天気もよさそうです。東京駅南口からバスに乗って、隅田川の花見としゃれてみるのはどうでしょうか?
週末には新川、佃の桜現地情報もアップいたします。乞うご期待。