[柳 さつき]
2009年10月22日 09:00
10月15日(木)、快晴
たまたま新川の叔母を訪ね、住んでおりますマンションにおりましたら、雅楽特有の三管三鼓=笙:しょう(プロでポピュラーなのが東儀秀樹さんですね!といえばご想像がつきやすいでしょうか?)や篳篥:ひちぎり、龍笛:りゅうてき=の雅な音色が聞こえてきました。
隣接する新川大神宮を窓から覗き込みましたら、宮司さんや黒い礼服の方々による例祭が厳かに取り行われていました。
招待状かなにかをお持ちの方が受付をしてご出席なさっているので、これは近くには行けないなぁと・・・・・・・・・。失礼ながら、その様子を上(マンションの窓)から撮らせていただきました新川大神宮の神様、どうぞお許しくださいますように。
これからご祈祷が始まります。
ご列席の方々のお名前が呼ばれ、順にご参拝し、お札を授与されていらっしゃいました。
その後、夕刻に新川大神宮に参拝しながら、少し境内を拝見させていただきました。
新川といえば、江戸時代、現在の新川大神宮の前に東西に流れる運河があり、両岸には酒蔵が立ち並んでいたそうです。
その開墾に当たったのが、新川一丁目にお屋敷があった豪商:河村瑞賢だそうです。
関西の酒造元から樽詰めされ水路で運ばれて来たお酒は「下り酒」と呼び、蔵の入り口にはちょいと一杯できるところがあったり、秋には新酒を一番早く運ぶ船の競争に、江戸っ子は大喜びだったそうです。
江戸時代の新川河岸に行きたいですね~っ!!
道理で、境内の寄進者の札に、私でも知っている全国の有名な酒造会社さんや醤油製造会社さんのそうそたるお名前が並んでいたのですね
例祭では、直会:なおらいで「新川締め」をし・・・・・「ヨイヨイヨイコラ、ヨイゴハンジョー」と掛け声と手拍子をし、なみなみとお酒の注がれた大盃を飲み干すのだそうです。
耳寄り情報そういえば、叔母から聞きましたところ、この新川大神宮のはす向かいの酒問屋「加島屋」さんの会長さんが宮総代を勤めていらっしゃるそうで、「加島屋」さんオリジナルの清酒「惣花」は宮内庁御用達だそうです。恥ずかしながら、初めてお聞きする銘柄だったのですが、同じ新川一丁目の「今田商店」さんで扱っていらっしゃるそうです。
「加島屋」さんや「今田商店」さんのHPは見あたりませんでしたが、「今田商店」さんでは「酒屋寄席」を催していらっしゃるんですね!今年の酒屋寄席に行かれた方のブログをご紹介させていただきました。http://tsutomu3.com/09year/0330sakayayose/yose.html
[柳 さつき]
2009年10月21日 16:00
人形町甘酒横丁~その南へ続く通りは、行列ができるお店が何軒もありますが、この夏、新しい行列店が仲間入りしました
。
ナポリピッツァ(注意:ピザではなく=ピッツァ=です)で有名なSALVATORE CUOMO(サルヴァトーレ・クオモ)氏プロデュースのピッツエリア&バールです。
ランチブッフェをやっていらっしゃるとのことで、早速行って参りました。
ランチは土日祝は11:30~16:00 (L.O.)、平日は11:30~15:30(L.O.)です。
私はOPENの15分も前に着いてしまいましたので「どこかで中央区観光協会Blog用に、ちょっとウロウロして何か情報を探そうかなぁ・・・・」と、思いつつお店を見てみると・・・・・・・もうすでに7~8名の方がお店の前に用意されたイスに座って開店を待っていらっしゃいました・・・・・・
私もその最後尾に並んで待つことにいたしました。11:30になり「ボンジョルノー」と順に席へ案内していただきました。この日のお料理は・・・・・・・・・・・・
フレッシュなリーフ類やオニオンなどのカット野菜数種、ツナ、コーン、海草、ベーコンビッツなどのトッピング、ドレッシング3種。
前菜・・・・香草入りのフリッター:ゼッポレ、軟骨の唐揚げ、パンなど。
パスタはサーモン&バジル(?)クリームソースパスタ、トマトソースベースのパスタ、キノコのリゾットの上面にトロトロオムレツ掛け、冷製の水菜のアーリオ・オーリオパスタの4種。ピッツァは、永遠の定番:マルゲリータ、サルヴァトーレさんが広めた:シラス、ジャガイモ&ハム&コーン、オリーブ&バジルのマリナーラ(?)の4種ですが、途中、シーフードとモッツァレラがたっぷり載ったペスカトーレビアンコや
ピッツァ生地の間にリーフレタス&プロシュート(ハム)で作ったピタパン風・・・・・・・・カルツォーネ(?)が出たりもしました
Bravo!
デザートは、ベークドチーズケーキ、ビスコッティ、シフォンケーキ・コン・パンナ(生クリーム掛け)、バナナ入りヨーグルト・ブルベリー&マンゴーソース、マスカットのゼリーなど。ドリンクは、冷たいものがコーヒー、紅茶、オレンジ、ピンクグレープフルーツジュース、マスカット&ミントティー、ピーチティー、温かいものがコーヒーと紅茶でした。
料金は、平日はドリンクバーが別料金(プラス¥200)で
¥1000(税込み)、土日祝はドリンクバー込みで¥1480(税込み)、無休です。
店名
にBAR(バール)とついていますように、ランチ以外は、ピッツァやパスタはもちろん、アンティパスト、炭火焼や串焼きなどがお勧めメニューになっていいます!!そして店内にはズラーッとVINO(ワインボトルが壁と化していました!)と、日本酒も揃えてありました(しかも料金はお手ごろでしたヨ)。
SALVATORE CUOMO&BAR人形町:http://www.salvatore.jp/restaurant/ningyocho.html
[海舟]
2009年10月21日 10:00
明和8年(1771年)3月、千住小塚原の刑場で、罪人の腑分け(解剖)
に立ち会った前野良沢、杉田玄白、中川淳庵の3人は驚きの念を隠しきれ
ませんでした。
腑分けされた死体の組成が、持参した『ターヘル・アナトミア』
の記述とおりだったからです。
翌日、鉄砲州にある豊前中津藩中屋敷内の前野良沢邸に参集した3人
はこの蘭書を翻訳することを決意します。
多くの同士の協力を得て3年余りの歳月を費やし安永3年(1774年)、
『解体新書』として訳出、完成させました。
公刊に当たっての著作者は越前小浜藩医師・杉田玄白、同・中川淳庵、
一橋家侍医・石川玄常、幕府侍医・桂川甫周の4人でした。彼等の盟主で
あり訳出の主力であった前野良沢の名がありません。一説には不完全な
翻訳の故に、前野良沢は公開することを快しとせず名を連ねることを固辞
した為といわれています。
桂川甫周の父・法眼・3代甫三国訓は杉田玄白とは旧知の仲であり、
また奥医師としての政治的な立場を介して『解体新書』発禁に対する配慮
を策したと思われます。桂川家は初代・甫筑邦教、2代・甫筑邦華を経て
既に侍医として公家そして奥向きにも大きな信頼を勝ち得ていました。
『解体新書』出版に際し、オランダ通詞・吉雄幸左衛門耕牛が序文を寄せ、
秋田蘭画の開拓者・小野田直武が解剖図を描きました。
『蘭学事始』は杉田玄白が83歳の時、約半世紀に亘る蘭学界の概況、
『ターヘル・アナトミア』訳出に際しての苦労談、蘭学界周辺の人びとの
人物評などを書き記した回顧録です。
『ターヘル・アナトミア』訳出より84年後の安政5年(1858年)、大阪・
適塾塾頭であった中津藩藩士・福沢諭吉が藩命により、同地に蘭学の
私塾を開設することになります。
『蘭学事始の地』は平成20年(2008年)に創立150周年を迎えた近代
日本最古の私立学校『慶應義塾発祥の地』でもあります。
参考図書 : 全訳注 片桐一男『杉田玄白 蘭学事始』
講談社学術文庫
[ゆりかもめ]
2009年10月21日 09:00
客船 COSTA CLASSICA 52,926.00トン ITALY(船籍)
長崎を経由して10月15日8時過ぎに晴海埠頭に入港しました。
レインボーブリッジの向こう左側に見えていた白い船がレインボウブリッジを直角にくぐり晴海埠頭の岸壁に近づくと待ち構えていた2隻の水上消防艇より歓迎の噴水が上がりました。
午後になって買物に出かけた帰り、晴海埠頭行きのバスの中でコスタクラシカで来日したイタリア人らしき2人連れと一緒になり「コスタクラシカで観光に来たのですか」と尋ねたら少し驚いた様子でしたが「そうです」・・・とニコニコして答えてくれました。
夕方になって図書館に行った帰り道、勝どきの交差点で地図を広げている御夫婦らしき人に「困った事があればお手伝いしますよ」と言ったら「コスタクラシカまで帰るのですがバス停が解らない・・・」と言ったのでバス停まで御一緒してたまたま朝、写したコスタクラシカの写真を見せたら喜んで「この船で日本にきたのだよ・・・」と話してくれました。
今日は夜景が綺麗だったのでコスタクラシカの夜景を撮りました。
[shikichan]
2009年10月21日 09:00
(写真上) 1933年(昭和8年) 髙島屋東京店オープン 今年6月重要文化財に指定される。
「西洋の歴史様式に日本的な要素を加味した」当初設計部分と「近代建築の手法を駆使
した」増築部分からなりたっており、その全体が一体不可分の建築作品として完成度が
高くわが国の百貨店建築を代表するものの一つとして重要である。と、評されている。
(写真中) 1933年(昭和8年) 屋上に七福殿を建立。人間が願い求めるすべての福を収め
ており、一周するとご利益があると言われている。福禄寿、毘沙門天,布袋尊、弁財天
大黒天、寿老神、恵比寿神が祀られている。中は非公開。
(写真下) 1950年(昭和25年) タイ国より一歳半の小象を貰い受ける。下関まで船で
運び、トラックで搬送。銀座通りの正面玄関より クレーンで屋上まで運び上げた。
小象"高子"はお子様を背中に乗せ大いに喜んでもらった。昭和29年には惜しまれて
上野動物園に行き、その後多摩動物公園で余生を送った。屋上には高子チャンがいた
モチーフが残っている。
[メニイブックス・オサ]
2009年10月21日 09:00
10月13日の「銀造」さんのブログを見て私も妻と一緒に17日朝から
アンテナショップ巡りをしました。
効率的な回り方をするために16番の青森から1番の島根までラリーの
台紙の順番をまさしく逆に歩いて回りました。全部10時10分「青森の店」に
着いて「島根館」を出たのが12時半でした。全部回りました。
よく歩いた割には特産品を見たり、買ったりしたのでそれほど疲れた
気はしませんでした。
京都館ではよく「おこげせんべい」を買います。香ばしくて美味しいです。
またいつも沖縄「わした」館では入り口のシーサーの置物に微笑んで
しまいます。
2,3は知っていましたが中央区にこんなに各県のアンテナショップが
あるとは知りませんでした。なかなか楽しいラリーでした。
あいにくスタンプラリーは10月22日までですが普段の日にもチョット
訪れて見るのも楽しいと思います。