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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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◆「まち歩き〈産業〉コース」日本橋・京橋編 2009/10/19 ~老舗の伝統が暖簾に~

[巻渕彰/写楽さい] 2009年10月21日 09:00

中央区観光協会設立50周年記念事業の「まち歩き〈産業〉コース 日本橋・京橋編」が10月19日(月)10時から12時まで開催されました。このコースは2回目であり、定員の10人が参加しましたが、ほとんどの方が区外からで、参加地域の広がりが感じられました。秋の爽やかな天気のもとに、お江戸日本橋を出発です。(写真は上から訪問順)


0913_091019nihonbashi_kyoba.jpg 最初は、「山本海苔店」さんで、お店の歴史をうかがいながら、海苔のお話には奥深さを知り、試食をいただき、同店ならではの海苔づくりにかける真髄の一端を味わいさせていただきました。


次の「八木長本店」さんでは、社長さんが自ら日本橋魚河岸の変遷、お店の移り変わりなど写真や地図を見せていただいて、ていねいに説明をいただきました。「かつおぶしは大事な蛋白源」と、熱心に語られる意気込みに感心させられました。


ここから京橋・八重洲通りまではしばらく歩く。途中の「高島屋東京店(日本橋)ビル」は今年6月に国重要文化財に指定されたところ。この中央通りの辺りは、江戸からの「通町(とおりちょう)」として賑わった場所でした。


3番目のお店は「京橋千疋屋」さんをお訪ねしました。著名な老舗のフルーツ専門店としてお洒落な店内。旬の新鮮なフルーツを頂戴しながらお店の歴史や果物のお話を聞かせていただきました。


最後は事務用品の「モリイチ」さん。1階から2階まで商品が並べられて豊富な品揃えでした。最近は、藍染めの袋物や、懐かしい万年筆などレトロな創作商品を手がけ、開発に意欲的であることが伝わってきました。


今回の参加者の声として、「個人ではなかなか回れないところを案内してもらって良かった」「おみやげまでいただいてうれしかった」「この催しは今年だけですか。毎年続けてもらいたい・・・」などで、好評でした。


それぞれのお店は今日の繁栄に至るまでに、歴史の積み重ねと地域・お客さまに根づいた信頼、そしてご商売への情熱があるからこそ、老舗の暖簾を守っていく確かな商売道が脈々と受け継がれていることが伝わってきました。


今回お訪ねした4店のお店の皆さまにはお忙しいところ、貴重なお時間を割いて、ご親切にご説明・お話、さらにおもてなしをいただいたことに厚く感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

10月19日べったら市に行ってきました

[三日月] 2009年10月21日 09:00

日本橋の秋の風物詩べったら市へ本日会社帰りに行きました。今年も沢山の露店がでていて、おいしい食べ物のにおいと楽しくお酒を飲む人の笑い声などで、今年も活気がすごかったです。

椙森神社ではかっぽれおどりを見ることができ、一瞬江戸時代にタイムトリップしたような感じがしましたconfident

人形町の洋食屋さんの小春軒のエビフライや露店の焼き鳥を食べながら歩きつつ、今年も沢山掘り出し物を手に入れることができました。1回行くと毎年行きたくなると思います。毎年10月19日と20日に開催されますので、秋のお楽しみにぜひいかがでしょうかwink

 

椙森神社のかっぽれ.jpg 椙森神社のかっぽれおどり

 

今年の掘り出しものですshine 早速今日から愛用しますhappy01

かばん.JPG かばん:1900円  桐のまな板.JPG 桐のまな板:2000円

  ブラシ.JPG 江戸屋さんの急須の口等に使うブラシ・歯ブラシ・タイルの目地用ブラシ:全部で1200円

★一番右のタイルの目地用ブラシ(600円)を早速使ってみました。馬の毛なので硬すぎず柔らかすぎず、お風呂の床の細かい隙間よごれを軽くこするだけで一瞬でとれてピカピカになりました。おすすめ品ですfuji

  お花.JPG お花:300円

 

 

 

「べったら市」はお祭りです

[銀造] 2009年10月21日 09:00

 「べったら市」というと、麹に漬け込んだ大根の漬物、その麹が着物に「べったり」と付くとの

ことで、命名されたとのことです。 今宵は、べったら市を歩いて来ました。

 大きな提燈で、景気も盛り上がります。

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 宝田恵比寿神社の神前には、歌舞伎役者さん達の提燈が。

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 明治座さん、市川左団次、尾上菊五郎、坂東玉三郎、中村時蔵さんらのお名前が、ずらり!

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 向かい側には、お神輿が鎮座。お神酒で、お祭りが盛り上がります。

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 いか焼き、お好み焼きなどの屋台の間に、遠慮しながらの「べったら市」と感じたのは私だけ?

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 こちらも、お値段の交渉中?

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 沢山の出店に混じって、「貝新」さんも出店されていました。 この笑顔につられて4個購入!gemini

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 永く愛されている風物詩です。また来年も来ようと思いました。 銀造

 

 

◆中央区テレビ広報で、観光商業まつり・まち歩き文化コース放映中! ~10/11-16、ケーブルテレビの2局で~

[巻渕彰/写楽さい] 2009年10月14日 17:00

現在、中央区の「テレビ広報Vol.69」で以下の中央区観光協会イベントの模様が放映されている。


放送は10月11日から16日までの期間で、東京ベイネットワーク(株)と東京ケーブルネットワーク(株)のケーブルテレビで見ることが出来る。


放送時間など詳しくは中央区HP こちら>> をご覧ください。


また、同HPではストリーミング映像が提供されているので、ネットでも見られる。


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恒例の「57回中央区観光商業まつり」は10月1日(木)からはじまり、11月4日(水)まで 中央区ぐるみの楽しいお祭りとなる。期間中は区内の商店街・商店会、デパートなどが参加して各種イベントが行われる。初日の10月1日にはオープニングセレモニーが矢田美英・中央区長の出席のもとに開かれ賑わった。


また、7月からはじまった 中央区観光協会設立50周年記念事業はいよいよ終盤を迎えた。これまでに多彩なイベントで区内が盛り上がり、 中央区に対する内外の関心を集めている。中でも「まち歩き〈文化〉コース」には多数の応募者が参加して、魅力の 中央区の街並み、歴史・文化を見聞しながら、まち歩きを楽しんでいる様子が見られた。


10月4日(日)には「浜町・東日本橋コース」が開催され、案内は中央区初の認定ボランティアガイドの「中央区文化財サポーター協会」が担当した(写真)
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◆中央区 ここに歴史あり<13>~日比谷公園と新宿に残る「京橋」

[巻渕彰/写楽さい] 2009年10月14日 08:45

京橋」は日本橋と並び東海道の重要な橋だったが、撤去されて今はもうなくなった。現在、「京橋の親柱」は中央区民文化財として橋詰に残されているので、その面影に懐かしさを感じることがある。ところが、ここ以外にも京橋の遺構が存在しているのだった。こんなところに「京橋」があるのを、ご存じだろうか。


0913_13_091014kyobashi01.jpg まずは、日比谷公園の中にある。「京橋」の欄干柱で橋名はないが、擬宝珠がついているのでそれとすぐわかる。明治8年(1875)架橋のものであるから、石橋なのだ。左右に欄干をつないだ溝穴があいている(写真上)。日比谷公園内にはほかにも歴史を伝える遺物などがいくつかあるので、探し歩くのも楽しい。


現在、本家の京橋跡には、この明治期改架の橋名が刻された親柱が2基残っている。漢字表記のものは警察博物館前の北詰東側に、仮名表記のものが銀座一丁目交番脇の南詰西側にある。 


つぎは新宿御苑「新宿門」の脇、すでに閉館となった旧「みちの情報館」の跡地内である。こちらは大正11年(1922)建造のもので、照明設備がある「京橋」の親柱である(写真下)。敷地内に入ることができないので外側から眺めるしかないが、「京橋」「きょうばし」の橋名もはっきり読み取れる。 


京橋跡には、これと同じ大正期の親柱が南詰東側に残されているが、上部に照明を設けるなど、近代的なデザインである。反対側の南詰西側に建つ銀座一丁目交番はこの大正期の親柱デザインを模して対称的に造られ、さらに、銀座煉瓦街をイメージしたものである、というのはよく知られている。 


新宿の「みちの情報館」跡地には「新橋」の親柱も残っている。現在、銀座八丁目先の港区側にあるものと同じ親柱である。さらに、日本橋の道路元標プレートの複製もある。

 

 

オランダ・カピタンたちの江戸定宿 『長崎屋跡』

[海舟] 2009年10月13日 09:30

 オランダ宿・江戸長崎屋は寛永期から嘉永3年(1850年)まで200年以上に亘り、

鎖国下、江戸で西洋に向かって開かれた貿易、文化交流の唯一の窓口でした。

 その為、葛飾北斎(江戸後期の浮世絵師 1760年~1849年)が『画本東都遊』に描

いたように好奇心旺盛な庶民・武家は紅毛の異人を一目観ようと長崎屋前に集まり

あるいは他行中足を止めます。

 

  この時代、他国との交流は対馬藩を通じての朝鮮通信使(12回往来)、薩摩藩を

通しての琉球使節(18回)、松前藩を介しての北方・蝦夷地との交流、そして長崎での

中国との非公開な貿易のみでした。

 なかでも中国貿易のもたらす多量の文物の恩恵にも拘わらず、その頻度と後世に及ぼした

影響度に関していえば、オランダ商館との貿易・交流(166回)は重要な役割を果たしました。

 

 オランダ・カピタン(商館長)、医師、通詞たち一行は江戸参府の為、年1回(寛政2年

<1790年>より4年に1回)春、長崎出島を出発し大阪、京都を経て江戸長崎屋に

宿を取ります。

 定宿・長崎屋には約20日間滞在し将軍への拝謁、各幕閣へのお礼の完了後、多くの

蘭学者、文化人との学術交流及び物品の交換の機会を持ちました。

 幕府天文方・高橋景保、同眼科医・土生玄碩、奥医師・桂川甫周、『ターヘル・アナトミア』を

訳出した前野良沢、杉田玄白、中川淳庵等さらに蘭癖大名たちも連日多数来訪しました。

 

 一方、オランダ商館側ではケンペル、ツュンベリー、シーボルトの3医師が江戸参府

に関しそれぞれ『江戸参府旅行日記』、『江戸参府随行記』、『江戸参府紀行』を著し

元禄期、安永期、そして文政期の日本の社会と文化を広く世界へ紹介しました。

 

 その中でも文政9年(1826年)のシーボルトは積極的に資料・情報を収集しまた人的

交流を広げ滞在期間を一日でも延ばそうと画策します。その工作の結果、長崎屋滞在を

通常の20日から33日へ、出島ー江戸間の総旅程日数を3ヶ月から5ヶ月に延長し見聞

を広めました。カピタン一行の総員は規定の59人を大きく超え107人にもなりました。

 

 しかし、文政11年、帰国の際、収集した品物のなかに禁制品が発見され、翌年、

シーボルトは国外追放処分、これに関連し伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』を提供した

高橋景保、将軍より下賜された葵の喪服を譲渡した土生玄碩他十数名が重い処罰を受けま

した。(シーボルト事件)

 その後、シーボルトは安政5年(1858年)締結の日蘭修好通商条約により追放解除となり

翌安政6年再来日し幕府の外事顧問に就任します。

 

 さらに翌年、即ち万延元年、遣米使節団(正使・新見豊前守正興)に随従するオランダ製

随行艦「咸臨丸」は、軍艦奉行・木村摂津守喜毅、勝麟太郎、福沢諭吉そして中浜万次郎

たちを乗せ、遂に太平洋を渡りました。

 

  これ以降、激動する幕末の波濤を越え、時代は大きく開国に向け舵を取ります。

 

          参考図書 : 片桐一男 『それでも江戸は鎖国だったのか』 吉川弘文館  

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