[柳 さつき]
2009年11月16日 09:00
前回三越のヒミツで、わが国で初めて37年に 「デパートメントストア宣言」した百貨店「三越」さんの「丸に越の字」のマークについて触れました。
今回は、三越さんのシンボル「ライオン像」に関するヒミツですヨ~
三井呉服店から「三越」という百貨店になる基礎を築いた、時の支配人:日比 翁助氏は、ライオンがお好きでした。大正3年にルネッサンス式鉄筋の5階建ての新店舗になたときに、「三越」が百貨店界のなかでも王者になることを願い、二頭のライオン像を設置されたのが始まりだそうです。
ここからが、今回の本題なのですが・・・・・・・・・・
その日比 翁助氏の息子さんのお名前が「ライオン」さんだったことをご存知の方は、少ないのではないでしょうか・・・・・・
ちなみに、漢字は「雷 音(ライオン)」さんです
今は、日本橋・銀座の待ち合わせのメッカとして親しまれている「ライオン像」君たちにも、こんなエピソードがあったのですね
この情報は「三井広報委員会」さんの資料にも載っています。
もう日本橋本店さんはクリスマスの装いです。
これから、クリスマスやお歳暮、年末年始のお買い物でお出かけになられ、「ライオン像」君たちをご覧になる機会がございましたら、このことを少し思い出してみてくださいませ
おまけ・・・・・・・
私が「三越本店」さんの中でも、とーっても好きなのが、このステンドグラス製の看板です
[銀造]
2009年11月13日 08:45
今日は伝統ある料亭でのランチをご紹介。 「新三浦」さんは、明治時代からの料亭。
築地1-8-1の築地警察署の斜め向かいにあります。
正面の入り口は、厳かでちょっと入りにくい感じがしましたが、
さてと、何を頼もうかな。う~ん、お値打ち。 正面から2階へ上がろうっと。ガーデンは裏手に。
ご主人が「どうぞ、どうぞ」と中へ招き入れてくれ、写真を撮るのにドアが半開きになりました。
2階の椅子で食べられる部屋。良い絵と生花が生けられています。
親子丼を注文しました。手揚げ田舎風の油揚げの味噌汁。 温まりました。
鶏肉が小さくカットされていて、食べやすく、味も滲みてて 大変美味しかったです。
裏手には、モダンな造りの「SHIN MIURA GARDEN」、 あなたはどなたと?
ちなみに、夜は水だきコース¥8,500からとか。 夜も来たいな
新三浦 築地店の電話番号は、03-3541-0811 です。
お値打ちの美味を巡る彷徨は、まだまだ続きます。
銀造
[ドームくん]
2009年11月11日 13:30
スカイツリーも11月10日には高さが205Mに達しました。
佃大橋の上からその雄姿をはっきりと望むことができます。
混沌とした大海原にそそり立つ巨人、英傑の様に---
幕末、維新前夜に一筋の光明を燈して駆け抜けたガイな奴、『坂本竜馬』は
短い人生のうち二度にわたり3年余り江戸に、しかもこの中央区に滞在し
心技を磨いていたのをご存知でしょうか。
その間、良き師、良き友に恵まれ、交友を深めていったのが将来の大仕事への布石となり、
又、家族のこと、恋人のことETCと、裏話まで
中央区民カレッジー学びの講座 『中央区ゆかりの人物ー坂本竜馬の歩いた中央区』 の
たった 3回しかやってくれない授業の2回までに、先生の名講義 に引き込まれて
竜馬の生涯のさわりの部分を学ぶことができました。
来週はいよいよ最終回、実際に中央区内の竜馬ゆかりの地を巡ります。
ドームくん
[巻渕彰/写楽さい]
2009年11月 9日 09:30
11月8日(日)、「秋の中央区文化財めぐり」(中央区教育委員会主催)が東京文化財ウィーク2009の企画事業として開かれた。この日の講師は岡本哲志(おかもと・さとし)氏、去る10月22日放送のNHKテレビ「ブラタモリ」銀座案内で登場された。
朝9時半、参加者20人を乗せたバスは郷土天文館(タイムドーム明石)を出発し、明石小学校へ向かう。今日のために校舎の屋上まで上り、震災復興事業初期の建物を身近から見られた。その先には聖路加看護大学の十字架が望める。銀座では開店前の「銀座ライオン七丁目店」の店内を見学、昭和初期の建造で内部の装飾に目を奪われる。いまや銀座名物の"路地"を渡り歩きながら数寄屋橋公園へ。泰明小学校は同じ震災復興事業であるが、明石小学校とは様式を異にする(写真=泰明小学校内部写真を見ながらの解説)。
午後は東京国際フォーラムから歩き始め、さきごろ復元された「三菱一号館」の内部を見る。「明治生命館」では見学コースをまわり、「近代建築の傑作」を実感する。京橋では中央区指定文化財の「明治屋京橋ビル」を外観から眺める。やがて最終ポイントの「高島屋東京店」に着く。この6月に百貨店としてはじめて国重要文化財に登録された建物である。2組にわかれ、同店コンシェルジュから詳細な解説を受ける。一周を外観し、内部では見学と説明があり、大理石で囲まれた内装に重厚さを感じる。創建時のエレベーターで屋上へ。名物だった象の「高子」に思いを馳せる。今もその名残が「塔屋」にあったのだ。まもなく午後4時、ここで文化財めぐりを終えた。
秋の爽やかな一日、建造物を通して
中央区の歴史・文化の一端を体感できたことは、岡本講師の分かりやすく、ていねいで、しかも専門家の立場からの解説に負うところが大きかった。今日の文化財めぐりに参加し、講師の銀座を中心とした研究著作物を改めて読み返してみたい。
[北遊人]
2009年11月 9日 09:00
11月7日、人形町に2基の櫓が完成竣工されました。
昨年5月から工事が始まり大通りのリニューアルもあわせて 行われました。
訪れた人たちの目を楽しませてくれるでしょう。
また11月9日、10日、11日と3日間にかけて恒例の人形まつりが始まります。
益々の賑わいがもたらされるでしょう。
からくりが開いた画像を見てください。
続きを読む: 人形町からくり櫓初披露
[海舟]
2009年11月 9日 09:00
寛政5年(1793年)9月、11代将軍・家斉、前老中首座・将軍補佐・松平定信以下
幕閣が列座するなか、鎖国下、遭難・漂流のすえ10年に亘りロシアに逗留、
首都ペテルブルグにおいてエカテリーナⅡ世に謁見、かの地の国情を見聞し
奇跡的に帰国した2人の伊勢漂流民・大黒屋光太夫と磯吉は、江戸城内吹上御所にて
尋問を受けました。
様ざまな尋問の結果、南下政策をとるロシアは、日本の社会、文化、地理等
各種広範囲に渉る情報を収集していることが判明、更にロシアにおいて周知されている
日本人として桂川甫周、中川淳庵の名が挙げられます。
光太夫の口から発せられた「カツラガワホシュウ」の言葉を聞いたとき、
当の桂川家4代・甫周国端(くにあきら)の驚きと感慨はいかばかりであったでしょう。
そして今、面前に陪席、尋問している人物こそが桂川甫周その人であると分かったとき、
光太夫もまた驚きを隠せなかったでしょう。
将軍家斉に与えた感銘は深く、列席する幕閣周辺より賛辞を得ます。
その後、この訊問は引き続き場所を他所に移し詳密に実施され、幕府及び甫周に
多大な情報を提供しました。
後日(寛政6年)、この研究成果は桂川甫周『北槎聞略』に結実します。
桂川家はこれ以降も、将軍侍医(奥医師)として誠実に役割を勤めると共に
市井にあっては自由闊達で温厚な家風の下、徳川幕府崩壊まで、江戸蘭学の宗家として
オランダ流外科の学風を守り、江戸蘭学界において大きな役割を果たしました。
参考図書 : 戸沢行夫 『江戸がのぞいた<西洋>』 教育出版
山下恒夫 『大黒屋光太夫』 岩波書店