[サム]
2011年2月 2日 09:00
身近にある交番は地域住民の「安全で安心な暮らし」を支える拠り所。
交番の設置・改修・建替えは警視庁が所管しており、設計に関しては、機能面とともに交番という特殊な用途の建物を「親しみやすい」施設とすることも考慮されていると云う。
今回は中央警察署、久松警察署管内の "気になる交番" のご紹介。
【中央警察署管内】
<日本橋交番> <茅場町交番> <高橋交番>
日本橋の袂に建つ。 市街地小公園の先駆けの 江戸前期の創架と伝わる
瓦屋根に警察(旭日)章が。 坂本町公園の一角に建つ。 歴史のある高橋の袂に建つ。
【久松警察署管内】
<水天宮前交番> <箱崎交番> <東日本橋交番>
背後の水天宮と一体化した 東京エアシティターミナルの角、 浅草橋南交差点脇に建つ。
デザイン。 一見すると普通の民家風。 レンガと緑の装いがシック。
[銀造]
2011年2月 2日 08:30
今日は、友達に紹介された面白いお店を探そうと日本橋の山本海苔店さんの裏にある
お店をお訪ねしました。
あれ、情報ではLa Mer という喫茶店で、「海苔トースト」があるって言っていたが・・・??
でも、この看板、どこかで見た事があります。
誰かのブログで見たのかなっ?と思って、お店の方にお聞きしますと、特派員の取材は
受けたことが無いようです。 しめしめ 。
2年ほど前に、La Merという喫茶店から、山本海苔さんが美味しい海苔を使った
おにぎり とお弁当を販売することに転進されたそうです。
う~ん! どれにしようかな? トロしゃけ(鮭のハラス入り)と、北海たらこ(焼きたらこ)を
頂いたら、何と今日、金曜日はお味噌汁が 無料サービス。 嬉しいな
お弁当も上等です。 次は、紅鮭海苔弁当にしようっと。 ポイントカードもあるんだ!
三越新館7階のギャラリーで開催中の展示を見て、紳士服売り場をチェックした後、
屋上で、大変美味しく頂きました。 やはり、海苔が、シナモンが違うね!
鮭も焼きたらこも、美味しゅうございました。 満足! お店のHPは、こちら。土日祝日休。
http://www.yamamoto-noriten.co.jp/saiji/maruume/
柳さつきさん、三日月さん、坂の上のねこさん、ゆりかもめさん、まぴさんのブログを確認
してもありませんでした。 どなたか、他の人が取材済みなら、ご容赦を。
ところで、「海苔トースト」は、自宅で作りました。一度、お試しあれ。
(焼けたトーストにバターを塗ってる間に、トースターの余熱で15秒焼いた海苔を乗せます。
海苔は焦がさないように、ご注意を!)
[銀造]
2011年2月 1日 17:00
今年も2月27日に東京マラソン が開催されますね。
当日走るランナー、それを陰で支えるボランテイアの方々のご苦労も大変だと思います。
それは置いといて、このコースを楽しく歩く無料ガイドがあります。 次をクリックして下さい。
http://tcgc.5.pro.tok2.com/course/11tokyomarath.pdf
昨年のレポートはこちら。http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2010/03/post-278.html
本年、2月19日の銀座から京橋、日本橋経由浅草雷門までのガイドでは、①もしくは②で
①「新参者」で一躍全国版で有名になった水天宮、人形町経由
②NHK大河ドラマで放映された「龍馬伝」ゆかりの地を巡リ、浅草まで
そのコースの一部は、昨年の研修風景のブログでご紹介します。
http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2010/06/post-367.html
また、2月26日の銀座~ゴールの東京ビッグサイトまでのコースでは、
①午前発が、昼食は月島もんじゃストリートで(もんじゃは、お好きな店で。有料ですよ)
②午後出発は、月島から東京ビッグサイトまでという設定です。
楽しく、ヘルシー・ウオーキング 。Let's go !
[与太朗]
2011年2月 1日 10:00
間寛平さんがマラソンとヨットで二年以上の苦闘の末、世界一周のゴールを迎え、大歓声を浴びていたTVを見て、リーフデ号を思い起こしました。約400年前、オランダ船リーフデ号は東洋への新しい商品販路を求めて出航、約二年の航海の末、豊後佐志布(大分県臼杵市佐志生)に漂着します。航海士のイギリス人ウィリアム・アダムズ(三浦按針)とオランダ人ヤン・ヨーステンはともに徳川家康の外交顧問として重用され、アダムズは按針町に、ヨーステンは八重洲の語源となった八代洲河岸に屋敷を与えられたので、中央区のみなさんもよくご存知のことと思います。諸処に記念碑も建てられていますが、リーフデ号の漂着は日英、日蘭の修
好史の第一頁を飾る大事件だったのですね。以下、これにちなんだことを思いつくままに書いてみます。
「慶長五年(1600)暴風で豊後の海岸に漂着した」とあっさり書かれた記述をよく見かけますが、1598年6月ロッテルダム出帆以来の航海は過酷の一言。厳しい天候、風と浪、食料欠乏、脚気に壊血病、餓死に凍死、敵国ポルトガル支配地の島民との戦闘・・・波瀾万丈を絵に描いたようなものでした。5艘のガレオン船の艦隊は当初の喜望峰回り東洋行きから、マゼラン海峡(ここで5カ月越冬する破目に)経由日本行きに変更をします。結局日本にたどり着いたのはリーフデ号のみ、それも110名の乗組員が漂着時には生存者わずか24名(翌日にはさらに3名死亡)、立ち上がれる者は6名という悲惨な航海でした。このあたりはアダムズの書簡や伝記にあるほか、白石一郎さんの小説『航海者』にも描かれています。
ウィリアム・アダムズは「日本に来た最初のイギリス人」といわれ、これをタイトルにした本も出ています(P・G・ロジャーズ著)が、異説もあるようです。鈴木かほる著『徳川家康のスペイン外交』では、アダムズが来る20年前の天正八年(1580)イギリス人が肥前平戸に来日し、およそ20年間通商が行われたという『古事類苑』の記述を紹介しています。(1947年英軍が伊東市に建てたアダムズの記念碑は「日本に最初に定住した英国人」という表現になっているようです。) また同著によれば、日本ではリーフデ号は「漂着」といわれるが、オランダ史上では、目的意識を持って日本を目指したものであるから「到着」と記されているのだそうです。なるほど!
リーフデ(慈悲、愛の意)号はもとエラスムス号と呼ばれ、船尾にエラスムスの木像が付けられていました。この木像は漂着後外され、栃木県佐野市の龍江院に長年祀られ、現在は東京国立博物館に保管されています。乗組員同様あるいはそれ以上の数奇な生涯ですね。千代田区丸の内にあるリーフデ号の記念像にはエラスムス像とおぼしきものがしっかり付けられています。芸が細かい!
ヤン・ヨーステンの屋敷は馬場先門と和田倉門の中間、内堀東岸の八代洲河岸にあったといわれているので、残念?ながら中央区内ではありませんが、千代田区からは消えた「八重洲」の地名を中央区が戦後町名として使用したため、彼の記念碑が八重洲通りの中橋交差点中央分離帯と八重洲地下街の二か所にあります。(しかも両方とも肖像付き。ちなみにアダムズの方は肖像が残されていないそうです。) うっかりすると将来ヤン・ヨーステンの屋敷は中央区八重洲にあったと
誤解する人が増えるかもしれませんね。八重洲地下街の記念像は場所が転々、「漂流」していたようですが、八重洲南口ラーメン屋さんの隣に安住の地を見つけたようです。蛇足ながら、『江戸名所図会』の八代曾河岸の項ではヤン・ヨーステンが「ヤンヤウスハチクワン」と(おそらく誤って)表わされているため、八官町の名の元となった八官と同一人物と誤解する説があるようです。同じ斎藤月岑も『武江年表』でははっきり別人として書いています。ヤン・ヨーステン(耶揚子)はヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインというのが正しい?名前のようです。
【写真】上から
・和田倉門から馬場先門をのぞむ
・按針町(日本橋室町一丁目)のアダムズ屋敷跡
・丸の内二丁目にあるリーフデ号記念碑
・同じく船尾のエラスムス像
・八重洲通りのヨーステン記念碑
・八重洲地下街のヨーステン像