[北遊人]
2012年8月11日 08:30
人形町通りに"全日本綱引きフェステイバル"のポスターが並んでます。
チラシを手に入れました。
内容を紹介します。
日時 2012年8月19日(日) 9:00~16:00
場所 中央区総合スポーツセンター・浜町公園
主管 東京都綱引連盟
同時開催 屋台村
石巻・喜多方・気仙沼・宮城の東北の名産品が勢ぞろい!!
銀座や築地、人形町のお店やアンテナショップも出店します!
体育館の方では、綱引き大会
屋外では、屋台村 で楽しめるようです。
綱引き大会は、競技者、一般、ジュニアと分かれ、35チームが参加予定とのことです。
チラシの上部には、"東日本大震災復興支援"とあります。
綱引きの応援と東北復興応援におでかけください。
[阿舒庵亭主]
2012年8月10日 15:00
江戸の街歩きをするようになって気づいたのだが、町々に多くの稲荷のお社が見られる。そんな稲荷の一つが中央区日本橋三丁目の「於満稲荷」だ。愛称「養珠院通り」の中華料理店「八重洲大飯店」と「酒席いづみや」の間にある小さなお社で気を付けていないと通り過ぎてしまう。
徳川家康には二人の正室と二十人近くの側室がいたと云われている。その中で、徳川御三家の内、紀伊徳川家の初代、徳川頼宣と水戸徳川家の初代、徳川頼房の二人の大物の生母が「お万」の方である。江戸詰の武士階級の必需品を供給するために日本橋界隈には商家が軒を連ねた。中でも徳川御三家に出入りが許される商家は商いの規模も大きく繁栄した。
お万の方は家康亡き後は落飾して養珠院として紀伊徳川家に暮し家康の菩提を弔ったと云われている。日蓮宗の信仰の篤かったお万の方は池上本門寺等にも各種の寄進をしたと云われ日本橋の商家にとっては大切なお客様であった。
お万の方亡きあとに、その遺徳を偲ぶべく稲荷を勧請した。本来なら「於万稲荷」であったであろうが、紀伊、水戸徳川家を憚り「於満稲荷」としたと云われている。
平成の御世になっても、「於満稲荷世話人」の皆さんが手厚く尊崇され信 仰が続いている。私は稲荷信仰とは縁遠いが、日々、於満稲荷のお世話をする世話人の一人、「酒席いづみや」の女将さんから時に於満稲荷の来歴を聞いている。
「いづみや」は当地に開業して60年余とのことであるが、元々ご先祖は鉄砲洲で酒問屋を営み「下り酒」を扱っていたとのことである。今は日本全国の銘酒を楽しむことが出来る。サラリーマンを引退した年金世代も安心して出入りできる品ぞろえの居酒屋で日本酒愛好家の私は重宝している。
[銀造]
2012年8月10日 08:30
「函館ラーメン 船見坂」は、いつもの出勤コース。 店先の看板に、ギョッ!
冷やし中華¥780!盛り付けも中々良いようです。 今、早めの昼食を終えたばかりなのに、食欲を覚えました。 午後5時過ぎの時間帯、親子連れ4人、妙齢の独身女性風、体格の良い若者、4人組のご婦人方が入っていました。 独身女性風は、冷やし中華を注文。私も、続いて同じものを注文。隣の体格の良い若者は、味噌ラーメンを注文していました。 暑い時には、熱いものをとは言うけれど・・・。やはり、評判の店。 冷やし中華は、これで780円。安いだけじゃなく、リンゴ酢がとても体に良いなと感じた美味しさ、麺は細めで、しこしこ感があり、好みの麺でした。汁は、残さず食べました。 冷やし中華は、期間限定で8月末までです。
場所は、銀座2-12-11 で、ホテル銀座ダイエーの斜め左前です。
[織衣舞]
2012年8月10日 08:30
今年も人形町で 「せともの市」(8/6~8)が始まりました。水天宮交差点から人形町交差点の間で開催されています。大通りの両歩道には陶磁器問屋さんのテナントが立ち並びます。
初日6日はスコールのように激しく短時間降りましたが、雨が上がり、15:30頃には人が集まりだして、いつもの賑わいになりました。体験講座"ろくろを使って作品つくり"もあり興味深いです。
ちなみに私は 鍋島の急須・有田のマグカップ・切子一口グラスをもとめました。お値段は
市価より2~3割はひいてくれています。端数は交渉かな?新作もおいているところあり?
お買い得商品をねらってください!
[銀造]
2012年8月 9日 22:58
夏本番! 暑い時には、体調管理が大切ですね。食欲不振な方、疲れ気味の方、夏はお酢を使った料理が良いですよ。 今日は、大好きな「冷やし中華」をご紹介します。築地6丁目8-9の生駒軒の冷やし中華、@850円です。 お酢は、リンゴ酢を使用。 具材は、右から寒天を戻したサラダ、チャーシュー、きゅうり、トマトの上には、香ばしい小蝦が2つ。フレンチドレッシングを少しかけて、工夫をされています。 麺の上には、ジュレ、刻み海苔を散らして、芸術的です。 お汁は全て、飲み干しました。 家族的な生駒軒。一度、お立ち寄り下さい。これで、850円はお値打ち
追伸:8月2日、天津丼(関西では、天津飯) をガッツリいただきました。昼休みにお手伝いに来ていた、娘はお父さんにそっくり、孫2人がお母さんに瓜二つ。 ということは、皆御爺ちゃんにそっくり!微笑ましい昼のひと時を過ごさせて頂きました。
[O傘]
2012年8月 9日 20:11
暑い夏、佃・月島地域の氏子が待ちに待った3年に一度の本祭り。江戸三大囃子の「佃ばやし」にのって、六基の大幟旗のもと、「獅子頭の宮出し」やハイライトの「宮神輿の船渡御」などが行われました。
今回の本祭り(例大祭)は、昨年の平成23年(2011年)の予定でしたが、東北大震災のため1年延びて今年となりました。天保9年(1838年)製作という八角神輿が老朽化のため、昨年(2011年)完成した二代目の新宮神輿の初めての「御霊入り」、「巡幸」がありました。
江戸時代の佃島の原形を保つ佃1丁目の町区画。そこには住吉神社があり、1丁目の氏子は「宮元」。祭りの準備・運営は「住吉講」が行い、1丁目を巡行する宮神輿は住吉講のメンバーのみが担ぎます。
1丁目にあるL字型の佃堀には、本祭りで佃1丁目町内に立てる大幟旗6本の棹(長さ約18m)と棹を支える抱木(だき)が、保存のために佃小橋の下に埋められていて、祭りの1か月前に掘り起こされ、本祭りの一週間前に大幟旗6基が設置されました。
合わせて町の家々の軒には住吉神社の「祭礼提灯」が下がり、1丁目の東側と南側に「黒木鳥居」と「又木」が臨時に設置されました。町神輿や獅子頭を安置する葦作りの「お仮屋」もあちこちに造られ、祭りのために新調した揃衣(そろい)の浴衣を着た住吉講の若衆(わかいし)や大若衆、世話役の待機するお仮屋もあり、祭りの雰囲気を盛り上げます。
「獅子頭の宮出し」
4日(土)午前10時、獅子頭の鼻先を掴むとご利益があるとのことで、宮元の若衆(わかいし)が、境内で待機する竜虎の2つの獅子頭めがけて隅田川の一の鳥居の方から参道を猛スピードで走ってきます。獅子頭は若衆によって境内を練り、神楽殿のお囃子舞台へもあがろうとします。男らしい勇壮な獅子頭の宮出しでした。
「船渡御」
昔は宮神輿を担いだまま隅田川に入る「海中渡御」を行ったそうで、歌川広重の名所江戸百景「佃しま住吉の祭」に、大きな神輿が裸の若衆により海中に担ぎ込まれる様子が描かれています。「海中渡御」は昭和37年(1962年)の本祭りを最後に行われなくなりました。
平成2年(1990年)、本祭りでは宮神輿を御座舟に乗せる「船渡御」に変わり、佃から隅田川を下り、月島地域の埋立地南端の豊海町の先を回り、朝潮運河を上りリバーシティ21を回って佃の出船地点に戻ります。
5日(日)の船渡御は、宮出しを行った新宮神輿が若衆により、少女像「みどりの風」の下の隅田川テラスから御座舟に担ぎ込まれ、午前7時、神職や宮元を乗せた御座舟を曳船がゆっくり引いて隅田川を下っていきます。感動のシーンです。大勢の観客が拍手でおくりました。
約1時間の船渡御の後、午前8時に 御座舟が中央大橋をくぐって姿を現すと、待機していた観客から拍手が起こりました。
着船すると、別の船が御座舟に横付けし、乗ってきた若衆が御座舟に乗り込み、宮神輿を担ぎます。大勢の観衆が見守る中、神輿が下船し、船渡御が無事終了しました。
江戸時代からつづけられてきた住吉神社の祭り。佃島の人たちの心意気を伝える中央区の大事な伝統行事として末永く伝えていってほしいと思います。