[平蔵]
2012年8月14日 08:30
月島4丁目の朝潮橋際にある無住のお堂について通るたびに気になり、何度も訪れて堂名や縁起、建立趣意などを探したのですが、お堂の外からでは見当がつきません。
唯一手がかりとなるものは参道らしき空間の両側に寄進者と思しき石柱が開祖・施主分、合わせて29基及び灯篭1基が立っております。
施主の石柱によると建立は昭和36年5月吉日となっております。しかし無住のためか荒廃の程度が気になります。
開祖及び施主については後述しますが、この石柱を読みますと、建立に関わった方々の経歴に驚愕いたしました。戦前から戦後にかけて東京都(市)や国会で活躍された大臣や知事等の議員の方ばかりです。
それだけに建立にあたり、さぞ深いいわれがあるのではないかとさらに手がかりになるものを探しましたが、なかなか詳しい事が分かりません。
開祖は、昭和27(1952)年に築地本願寺で開催された、第2回世界仏教徒会議の副議長にして仏教学者である、東京帝国大学教授の長野真琴博士です。その御縁で中央区にあるお堂の開祖として招かれたのでは、と推察いたしました。(かってな解釈ですが・・・)。
また施主の方は戦前から京橋地区選出の都議(市議)の方です。
このお堂については現在の地図では「釈迦堂」と表記されておりますが、地区の古老の方は、中央区が主催した昭和63年の座談会『月島を語る』の際、お堂について尋ねられたところ、「太子堂」と語っておられます。釈迦堂と太子堂では安置されている本尊が全く異なるのではないでしょうか。また本堂の中をガラス戸越しにのぞくと「観世音菩薩」の額がかかっております。また疑問です。そこでさらに何かヒントは無いものかとお堂の横を見ますと、開祖の長野博士が「南无三寶(なむさんぽう)」と揮毫をした額がかかっておりました。
この額の右側には「江戸消防記念会」の銘、左側には額の報納日(昭和36(1961)年12月吉日)が書かれており、題字の両側は火消しの纏図です。
開祖である長野博士・施主都議会議員・江戸消防記念会との関連は何だろうか。疑念が増すばかりです。
いかなるご趣旨で建立されたかについては前述の座談会で、月島の古老曰く、「施主の方がいろいろな人の菩提を弔うため」、個人的に建てたとのことです。
そこで江戸消防記念会にこのお堂の件を連絡したところ、同会の史跡調査員の方が早速調査をされ、本堂の施主と消防記念会との因縁浅からぬことが明らかになりました。特に、「に組」の頭、古川三右衛門氏の回顧録にも、本堂の施主の逸話が残っています。
いずれにせよ、これだけ多くの人々とかかわりのあるお堂が、堂守もいなく朽ちて行くむなしさを、痛切に感じさせられた調査になりました。
この調査にあたり、京橋図書館地域資料室、月島図書館、江戸消防記念会史跡調査員の方々にご尽力を賜りました。あらためまして、皆様に厚くお礼申しあげます。
[銀造]
2012年8月14日 08:30
明治座は、2013年4月28日に創業140周年を迎えます。今年は、プレ・イベントとして、様々な素敵な舞台が開演されています。 今日は、大地真央主演の「大江戸緋鳥808」を楽しんできました。 原作が石ノ森章太郎さんで、劇画調で時代劇が展開されていきます。 大地真央さんの花魁姿、町娘姿の着物が艶やかで、とても素敵でした。 劇のフィナーレも感動的です。直姫役の湖月わたるさんの若衆姿は凛々しく格好良かったです。町娘役の貴城けいさんの演技も可愛らしく素敵でした。 演劇の後はミュージカル調で歌が披露され、着物のファッション・ショーの様でした。この公演は、8月27日までです。 次のURLをご参考にして下さい。
私は、会員になって、「席とりくん」で予約をしています。 9月の坂本冬美+藤あや子さんの公演も既に予約しました。 楽しみだなぁhttp://www.meijiza.co.jp/info/2012_08/
[鞠つき]
2012年8月13日 09:00
去る8月11日(土)に開催された、東京湾華火大会は、
毎年楽しみにしている私の行事
打ち上げ花火数は12,000発
昨年は中止でしたので、今年は去年の分も堪能しました
打ち上げ場所の真前にある友人宅で、楽しんだ華火は、
本当に、綺麗でした
この華火が終わってしまうと、私の今年の夏も終わり
来年も楽しみにしております
[巻渕彰/写楽さい]
2012年8月13日 08:30
日本橋小伝馬町の十思スクエア(旧十思小学校)・十思公園一帯には江戸期、伝馬町牢屋敷があった。敷地面積約2700坪(約8900㎡)で、最多時には900人に及ぶ牢人がいたという幕府最大の牢屋敷だそうだ。今回の発掘調査はその一部約900㎡で、これほど大規模な牢屋敷跡の発掘は珍しいという。遺跡発掘現場見学会が8月10・11の両日開かれた。
見学会資料によると、牢屋敷は江戸初期、常盤橋門外にあったものが、慶長18年(1613=配布資料には1618年とあるが、和暦が正しければ1613年になる)ごろ小伝馬町に移転し、明治8年(1875)まで存続した。牢屋敷は刑が確定するまでの拘置所のような施設であった。管理する囚獄(牢屋奉行)は石出帯刀(いしでたてわき)。牢屋は囚人の身分によって区別されていた。ここに入牢された人物には平賀源内、渡辺崋山、吉田松陰、佐久間象山、橋本左内らがいる。
発掘された遺構は、神田上水から引き込んだ木樋・上水桝・井戸や石垣、焼け跡で、陶磁器や瓦、金具類、銭貨などが出土した。(参照資料:「伝馬町牢屋敷跡遺跡見学会資料」中央区教育委員会、2012/8/10発行から) ●巻渕彰
[サム]
2012年8月12日 08:30
8月6日祭り最終日、御旅所に一晩泊まった宮神輿<八角神輿>が、晴海・勝どき・月島・新佃と各々の町内の担ぎ手に順繰りに手渡されて元々の佃島である佃1丁目に帰ってくる。
いよいよ宮神輿の「出迎え」の時間。
夕暮れの中、佃小橋から新佃まで「津久田」「住吉講」の高張り・弓張り提灯を掲げ「若衆(わかいし)」が隊列を整える。
新佃の拍子木が鳴り手締めが行われると、いよいよ最後の巡幸。
「宮入り」の担ぎ手は「世話人」「大若衆(おおわかいし)」のみ。
木遣りを謡う鳶の棟梁に先導されゆっくりと進む。
境内に入るといよいよ大詰め。佃囃子の音色がひときわ大きくなり、神輿を一気に天に突き上げる「さす」所作が行われた後、神殿の前に静かに安置される。
しばらくすると、「これから厳粛な神事が行われるので写真撮影厳禁」のアナウンスが流れ、社殿や境内の照明がすべて消され、御霊を神輿から住吉神社に移す「御霊移し」が執り行われた。
このあと手締めが行われ、熱気を帯びた祭りの幕が下された。
名残りを惜しむかのようにお囃子が鳴り響き、熱き感動の余韻が闇の中に留まった。
[杏葉牡丹]
2012年8月12日 08:30
おでんの具材に欠かせない、はんぺんやさつま揚げ等の練り製品や、様々な食品でお馴染みの『紀文』が、築地が発祥の地だというのをご存知でしたか?
今も場外市場にあるお店は、いつもお客さんで賑わっていますが、ただ今は改装工事の為に休業中。
これまでも、作りたてのアツアツのさつま揚げ等を売っていたのですが、リニューアル後は、それが更に進化するようで、今からとっても楽しみです!
9月19日(水)のリニューアルオープンの日には、絶対に行かなくっちゃ!!