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2016年3月21日 14:00
勝鬨橋、特に橋の開閉の描写として、『鏡子の家』(1959年単行本刊行)の上記部分が引用されることが多いが、『幸福號出帆』(1955年新聞連載、1956年単行本刊行)は、主人公三津子が月島で育ち、銀座のデパートに勤めているという設定であるだけに、勝鬨橋、晴海等についての記述が多い。
>わけがわからぬままに三津子は朝食をたべ、一人ではしやいでいる母を殘して、出勤した。足代の節約のために、毎日、月島から銀座まで、徒歩でゆきかへりするのである。
職場の休み時間に、屋上ででも、もう一度ゆつくりと讀み返さうと思つて、橋詰で新聞を買ひ、三津子はかちどき橋を渡りだした。
雲一つない快晴の朝である。しかも風がさはやかだ。いつもより早く家を出たので、どんなにゆつくり歩いても間に合ふ。
常々、立ち止つてみたことなどない橋の袂に、三津子は立止つて河口を眺めた。
倉庫の前には、さびたドラム缶の赤さびの色までが、旭にかがやく水の上で美しくみえた。對岸の魚河岸の桟橋には、鰹船の景氣よい赤い旗がはためいてゐた。朝の河口は活氣にあふれ、あちこちから、喜びに鼓動する心臓の音みたいなポンポン蒸氣の音がきこえた。
三津子まで、何だか幸福の豫感がしてきた。
・・・・・
・・・・・・・三津子は程近い魚河岸の桟橋を眺めてゐた。そこからは、われ鐘のやうな流行歌のレコードがきこえ、鰹船から永い一列縦隊をゑがいてゐる。ゴム長や、ゴム前掛をし、白い鉢巻をしめた若い衆たちの姿が見えた。かれらは、防空演習のバケツ・リレーの要領で、青く光る鰹を一疋づつ、手から手へ、波のやうな調子をつけてリレーしたすゑ、それを倉庫の前に積み上げてゐるのが、光る刃物を積み上げてゐるやうにみえた。(8-363)
勝鬨橋の月島側から見た現在の築地市場
>月島からさらに南にゆき、橋をわたると、そこは東京都の南の外れだ。晴海埠頭といふ名の埋立地。そこでこの間まで、國際見本市がひらかれてゐた。
ゴバンの目の廣濶な舗装道路、さはやかな街路樹、新らしい歩道、・・・・・まつたくこれだけのものが銀座のまんなかにあれば、銀座も世界の一流都市の仲間入りができるだらうに、天、二物を輿へず、の見本みたいなもので目抜き通りの歩道はデコボコで歩けず、草蓬々の埋立地のまんなかには、こんなに立派な道路が森閑としてゐる。
空がおどろくほどひろい。その空には、うすい雲がひろがつて、空の裾のはうが、船や工場の黑煙によごされてゐる。 (382)
現在の晴海
>かちどき橋を渡る手前の右側に、大きな碑が立つてゐる。そのうしろがすこし低くなつて、かちどき橋變電所の白レングヮの建物が川にのぞんでゐる。
待ち人がなかなか現はれないので、敏夫はつれづれに、讀みにくいその碑銘を讀んだ。
「勝鬨橋之記
明治三十七年の戦役に於て皇軍大捷す。京橋区民は之が戦勝を記念し、此處に渡船場を設け、勝鬨の渡と名付け、東京市に寄附す・・・・・・・・」 (448)
「かちどき橋の資料館」(変電所が改修された)と碑銘
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2016年3月21日 12:00
三島由紀夫の小説『鏡子の家』は、昭和33年(1958)、雑誌『声』創刊号に1章と2章途中まで掲載された後、翌年昭和34年(1959)に新潮社から、「第一部」「第二部」の2冊同時に、単行本刊行された。
この冒頭に、下記のように勝鬨橋とその近辺の描写がある。、
>勝鬨橋のあたりは車が混雑してゐるのが遠くからわかる。どうしたんだらう、事故でもあったのかな、と収が言った。が、様子で、開閉橋があがる時刻だとわかつた。峻吉は舌打ちした。ちえつ、埋立地はあきらめようや、じれったい、と言ふ。しかし夏雄と鏡子が、まだ一度も見たことのない、その橋のあがるところを見たがったので、可成手前に車をとめて、みんなでぞろぞろ鐵橋の部分を渡って見に行った。峻吉と収はいささかも興味のない顔をしている。
中央部が鐵板になつてゐる。その部分だけが開閉するのである。その前後に係員が赤旗を持って立つてゐて、停められた車がひしめいてゐる。歩道のゆくても一條の鎖で阻まれてゐる。かなりの数の見物人もゐるが、通行を阻まれたのをさいはひ油を賣つている御用聞きや出前持などもゐる。
電車の線路のとほつてゐる鐵板が、その上に何ものも載せないで、黒く、しんとしてゐた。それを両側から車と人が見戌つてゐる。
そのうちに鐵板の中央部がむくむくとうごき出した。その部分が徐々に頭をもたげ、割れ目をひらいた。鐵板はせり上って来、両側の鐵の欄干も、これにまたがつてゐた鐵のアーチも、鈍く灯った電燈を柱につけたまま、大まかにせり上がつた。夏雄はこの動きを美しいと思つた。
鐵板がいよいよ垂直にならうとするとき、その両脇の無数の鐵鋲の凹みから、おびただしい土埃が、薄い煙を立てて走り落ちる。両脇の無数の鐵鋲の、ひとつひとつ帯びた小さな影が、だんだんにつづまつて鐵鋲に接し、両側の欄干の影も、次第に角度をゆがめて動いて来る。さうして鐵板が全く垂直になつたとき、影も亦静まつた。夏雄は目をあげて、横倒しになつた鐵のアーチの柱を、かすめてすぎる一羽の鷗を見た。
・・・・・・・・・・
ずいぶん永く待つたやうな氣がした。・・・・・
車は勝鬨橋を渡り、月島の町のあひだをすぎて、さらに黎明橋を渡つた。見渡すかぎり平坦な荒野が青く、ひろい碁盤の目の舗装道路がこれを劃してゐた。海風は頬を搏つた。峻吉は、米軍施設のはづれにある滑走路の、立入禁止の札を目じるしに車をとめた。かなた米軍の宿舎のかたはらには、數本のポプラが日にかがやいてゐた。(11-10)
現在の勝鬨橋
現在の黎明橋
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2016年3月21日 09:00
3月の歌舞伎座、
「五代目中村雀右衛門襲名披露」の
夜の部に行ってきました。
歌舞伎役者さんの襲名披露といえば
「口上」がつきもの。
わくわくしながら待ちます。
舞台の写真は残念ながら、
ブログではお見せできませんが、
京屋の芝雀改め
五代目中村雀右衛門丈を中心に、
山城屋(坂田藤十郎)さん、
松嶋屋(片岡仁左衛門)さん、
高麗屋(松本幸四郎)さんなど、
東西の名だたる役者の方々が揃う
華やかなご披露でした。
夜の部は「口上」をはさんで、
「角力場」「金閣寺」「関三奴」の
豪華な舞台です。
特に歌舞伎の三姫のひとつと言われる
「金閣寺」の雪姫を演じる
雀右衛門丈の美しさには
目を奪われました。
披露興行は3/27(日)が千穐楽。
(古典芸能では「秋」の字に含まれる「火」が火事を連想させることを忌み、「穐」の
字を用います) 目出度い春を呼ぶ歌舞伎公演です。
[ジミニー☆クリケット]
2016年3月20日 18:00
現在、日本橋三越 Hajimarino Caféで、「ピーターラビット・ハッピーイースター」が開催されています
期間は、3月16日(水)から29日(火)までです
期間中に開催されるピーターラビット関連のワークショップは、
◆ピーターラビット・トートバッグ作り
日時:3月17日(木)14:00~15:30
◆ピーターラビット・レーザートランの手作り時計
日時:3月24日(木)14:00~15:30
◆ピーターラビット・レーザートランの手作り石けん(3種)
日時:3月26日(土)11:00~12:00
◆ビアトリクス・ポター生誕150周年~おっとりとピーターラビットの世界へ~講座
日時:3月27日(日)11:30~13:00
◆ピーターラビット・レーザートランの手作りルーペ
日時:3月27日(日)14:00~15:30
などなどです
Hajimarino CaféのHPはこちら ⇒
http://hajimarinocafe.jp/workshop/
[サム]
2016年3月20日 16:00
桜の時期に合わせて開催される日本橋エリアの春の恒例イベント「日本橋桜フェスティバル」がいよいよ開幕 。
同エリアには「江戸桜通り」「日本橋さくら通り」「あじさい通り」など桜の名所があることもあり、春の訪れを象徴する桜をテーマに様々なイベントが組まれ、界隈が春の装いに包まれます。
会期:3月18日~4月10日
① 桜吹雪舞い散る室町仲通り「日本桜風街道」
桃色の無数の短冊で満開の桜を表現し、
桜吹雪に包まれているような幻想的な街道を創出。
夜は映像、音響演出の新インスタレーションを楽しめます。
②桜色に染まる「 桜ライトアップ」
三井本館、日本橋三井タワー、コレド室町1、コレド室町3、YUITO、YUITO ANNEX
③ ニホンバシ 桜バル(東京駅~日本橋エリア)
日本橋エリアの名店約80店舗の味をお得に回遊
開催日時:4/4~4/10
④ ニホンバシ 桜屋台(室町仲通り、浮世小路)
日本橋料理飲食業組合「日本橋三四四会」加盟店やコレド室町1・2内の飲食店が出店
開催日時:3/26~3/27
⑤ 日本橋桜バス
日本橋エリアを回遊
期間中の土・日・祝日(4/3を除く)11:00~17:00
⑥ 桜人力車
日本橋の桜の名所と歴史を粋に楽しむ「桜人力車」初登場
期間中の土・日・祝日、3/24、3/25、4/1、4/5、4/6
⑥ 桜ワークショップ
日本橋案内所 春の体験型ワークショップ (桜をテーマにした作品づくりや講座)
開催日時:3/19、3/26、4/2、4/3、4/9、4/10
⑦ ニホンバシ宝探し
日本橋に隠された幻の桜を探し豪華賞品抽選にエントリー
⑧その他
・船上から桜を愛でる「隅田川 花見&小唄 屋形船」
・第4回 日本酒利き歩き
・春はきもので「さくらさくら」(合奏イベント)
・桜色のおみくじが期間限定で登場(3/10 福徳神社)
・桜モチーフのオリジナルグッズ&メニュー
今年も装い新たに春らしい街の賑わいの演出です。
[みど]
2016年3月18日 16:00
中央区に2店舗(日本橋・銀座)あるデパートの三越。
そして正面玄関にあるライオン像は三越の象徴的存在で待ち合わせ
スポットになっています。
この像が誕生したのは大正3年(1914)とのことで、三越百貨店の
基礎を築いたとされる当時の支配人、日比翁助が百貨店開設の準備
のため欧米を視察したときにイギリスでこの「ライオン像」を注文
したそうです。ロンドンのトラファルガー広場にある4頭の獅子像
がモデルとされ、完成までに3年の歳月を要したと言われています。
ところでこの三越ライオン像はたまに変装することがあるのです。
定期的なものではなく、何かのイベントや催し物がある時に変装
してくれます。不二家のペコちゃんの衣替えみたいで、発見すると
嬉しいものです。皆さんも三越にお立ち寄りの際にはライオン像を
チェックしてみてくださいな。