こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は「シドモアの見た中央区」の最終回で、新富座について取り上げます。
今はなき新富座ですが、歌舞伎座ができる前の時代において、
海外から来られた方々からはどのような印象を抱かれていたのか、
そもそも新富座はそのような方々に知られていたのか...
そのようなことは、シドモアが残した記録から読み取ることができます
■東京の大劇場、新富座およびその周辺
意外かもしれませんが、「東京で大劇場と言えば」の続きは、
「新富座[京橋(中央)区新富町]です」となっています
では、海外の方から見ても「東京の大劇場」と言える新富座およびその周辺はどのような様子だったのでしょうか。
間口の長い切妻造の建物で、入場口の上段に役者絵が並び飾られています。通りには茶屋や料亭が連なり、見物客が夕食後に出かけ二時間程度で終わるような短い芝居ではないことを暗示しています。あらかじめ観覧団を念入りに編成し、丸一日観劇に没頭します。芝居は通常朝の一一時に始まり、晩の八時か九時頃に終わります。短期間の顔見世興行の後、千両役者の登場や壮大な舞台装置の予定が分かると、見物客は適宜、観覧時刻を指定します。身分の高い日本人にとり、自ら劇場入口へ行き見物料を払って入場する行為は、かなり体裁の悪いことなので、そういう観客は少なくとも一日前、当日の切符手配のために劇場のそばの茶屋へ使いを走らせ、仲介を通して座席を確保します。つまり、茶屋は切符売場と組んだダフ屋なのです!適当な時間に観覧団一行が茶屋に集まり、当日の昼食や夕食を注文し、それから茶屋の責任者が客を観覧席に案内します。日に何度か湯茶のサービスがあり、また御用聞きが休憩時間中に「何か欲しいものはございませんか」と注文に来ます。夕食時、品数豊富に料理の入った大きな漆塗の重箱が運ばれ、パトロンは心地よく座って食事をとります。各座席には、円錐状に炭火が積まれた煙草盆が備えられ、誰もがキセルに火を点け、煙草を吸うと同時に吸殻をコツンと出します。ときどきこの音が舞台演技に合わせ、大合唱となります!?
ここからは、当時の観劇が一日がかりの娯楽であったため、
周辺には茶屋や料亭が連なり、昼食や夕食をとることができたことが分かります
そして、歌川国政「新富座本普請落成初興行看客群集図」を見ても分かる通り、
食事をしているお客さんや御用聞きが描かれています。
歌舞伎と美味しい食事が切り離せないのは、今も昔も同じなのですね
■新富座の内部
以上より、新富座の周辺が賑やかで、どう食事を調達していたかは分かりました。
では、新富座の内部はどのような様子だったのでしょうか?
劇場の建物は軽く薄っぺらな木造建築で、至るところに茣蓙や畳が敷いてあり、どこも似通った造りです。四角い座席、傾斜した床、簡素な低い廊下、そして舞台が場内いっぱいに広がっています。低い横木が床の空間を桝型に分け、客の出入りする連絡橋として役立っています。観客は常時、桝席の床に座って観覧し、各席は六フィート[一・八メートル]角の大きさですべて四人用に設計されています。歩廊を見ると、片側に桝席が一列、舞台に向かって若干桝席があります。それら座席の後ろには立見客の囲いがあって、一幕につき銅貨一、二枚程度の料金を払います。この大向こうの囲いは"つんぼ桟敷[幕見席]"と呼ばれていますが、この客の騒々しいことおびただしく、耳の不自由な人でも耳を塞ぎたくなるほどです。劇場に入る客は履物に札を付けます。棚は吊るした下駄であふれ、まるで玄関ロビーの飾り物です。建物の中には果物、茶、菓子、煙草、玩具、簪、スターの写真、さらに小間物を売る店があり、桝席の客はどんな買い物も屋外に出る必要はありません。しかも明るく風通しのよい開放的な芝居小屋なので、冬場は隙間風が素通りです!
(出典:瀬川光行編『日本之名勝』(史伝編纂所、1900 )
内部は「騒々しいことおびただしく」と言われるほどにぎやかだった一方、
屋内で買い物ができるような快適な空間だったようです
しかし、「明るく風通しのよい開放的な芝居小屋なので、冬場は隙間風が素通りです!」という皮肉にもユニークな表現からは、
明治11年の再建で椅子席やガス灯が導入され、開場式には在京の外国人を招待し、
後にフットライトも設置された文明開化を代表する雰囲気の新富座でも、
建築の面ではまだまだ課題があったことが読み取れます
■在京の外国人からの評価
前述の通り、日本人のみならず、外国人も歌舞伎にふれる機会がありましたが、
彼らは新富座および歌舞伎に対してどのような印象を抱いたのでしょうか。
そして、どの程度受け入れたのでしょうか。
「写真の中の明治・大正 -国立国会図書館所蔵写真帳から-」のコラムによると、
「日本には浪人という者が長い刀をさしていて、外国人を見ればすぐに斬る」と心配されて赴任した英国公使館員トーマス・マックラッチでさえ、
再建後の開場式にて綺麗な劇場で美しい芝居を見物できたことを喜び、母国の母や友人に詳しく手紙に書いたといいます
また、同年7月にはグラント前アメリカ合衆国大統領を迎え、
入口や表の通り舞台上に両国の国旗を飾り、フィナーレで踊る芸者たちの衣装は、
「赤白の横筋の着物に、その下は藍地に白の星を染め出した襦袢の揃いという扮装で
星条旗に擬えるという、いささか奇抜ともいえるほど華やかな演出を企画」したそうです
どうやら、今日私たちがイメージしている伝統的な歌舞伎とは異なり、
演出には意外と柔軟性があったようです
また、歌舞伎役者は外国人居留地に住んでいた外人家庭から
ティー・パーティーに招かれることもあったと、シドモアは書いています。
その時の様子は、数日後英国日刊紙と自称する国内英字新聞に大々的に載り、
そこには山のような出席者リストも掲載されていたことから、
当時の外国人にも歌舞伎は娯楽や饗宴として受け入れられていたことが分かります
こうして海外の方からの視点で当時の日本を見ることで、
新たな発見や学びがあるのではないでしょうか
東京2020大会に向けてますます訪日観光客が増えると見込まれており、
「自分が彼らの立場だったら...」という視点で日本文化・習慣を見直すことも重要になってきています!
シドモア以外にも明治時代の中央区の様子を記録した海外の方はたくさんいます。
お時間のある際には彼らの本を手に取り、「新たな中央区」を「発見」してみてはいかがでしょうか。
【参考文献・ウェブサイト】
エリザ R. シドモア(著)/外崎克久(訳)『シドモア日本紀行』(講談社、2002年)
国立国会図書館「写真の中の明治・大正 -国立国会図書館所蔵写真帳から-」、9 明治時代の芝居と劇場(一)新富座/守田勘弥の欧化熱
独立行政法人日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー-新富座」
独立行政法人日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー-新富座本普請落成夜劇場看客群衆図」
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