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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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夏の波除稲荷神社

[みのり] 2016年7月 6日 12:00

こんにちは、みのりです

 

今回は、築地場外市場と波除稲荷神社に行ってきました。

毎年6月に行われる例大祭は終わりましたが、茅の輪くぐりが行われていてたくさん参拝する人たちがいました。

 

波除稲荷神社は、築地場外市場の海幸橋のそばにあり、

魚関係の商売繁盛と航海の安全を願う神様として信仰されています。

三年に一度が大祭ですが、例祭は6月10日前後の週末4日間にわたって行われます。

日本一の天井大獅子がくりだします。

 

万治年間(1658~1661)、波浪により築地一帯の埋め立て工事は困難を極めましたが、

海中から得た稲荷明神の像をたて祀ったところ、波浪がおさまり工事を進めることができたという故事から創立されたのが波除稲荷神社といわれています。

当神社の天水鉢と獅子頭(雄と雌の一対)は、ともに区民有形文化財に登録されています。

 

●天水鉢

尾張徳川家の蔵屋敷が築地にあり、米穀や尾張の特産品などが定期的に運び込まれていました。

天水鉢は積荷の陸揚げ作業に従事する人夫たちが尾張藩船の無事を祈願して天保九年(1838)に奉献したものです。

●獅子頭

木造で金色塗、嘉永元年(1848)3月、築地南本郷町(波除稲荷神社の東の方)の島屋藤次郎が発起人になって製作した。獅子毛と眼球はもと南小田原町一丁目(社の現在地)の獅子の付属品であったが、昭和二年(1927)、獅子頭とともに神社に奉納されました。

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【参照】『中央区の文化財(四)有形民俗文化財―信仰―』(発行:中央区教育委員会)

   『歩いてわかる中央区ものしり百科』(監修:中央区観光協会)

 

 

桜の季節の佃リバーシティ21

[みのり] 2016年4月 7日 16:00

もう桜の季節です。

相生橋から佃リバーシティ21・パリ広場・中央大橋まで桜が咲いています。

花見客も多いです。

4月4日現在は、まだ少し寒かったので、これから満開になると感じました。

  

佃リバーシティからは永代橋や東京スカイツリーも望めます。

また、中央大橋の近くも桜が多くてお勧めです。

パリ広場から新川の隅田川テラスの眺めもいいです。

佃公園も桜や季節の花木、草木が多いので川沿いで散策できます。

リバーシティ21の反対側の佃小学校と佃中学校の裏側にもあります。

桜は近くの住吉神社にもあるので、いい散策コースだと思います。

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<散策コース>

相生橋

 ↓

リバーシティ21

 平成11年(1999)にリバーシティ21の区域内に「パリ広場」が造られる。

 パリ広場からは永代橋と東京スカイツリーと新川の隅田川テラスが眺望できる。

 ↓

中央大橋

 ↓

道路反対側の佃小学校と佃中学校の裏側が佃公園

 ↓

川沿いで住吉小橋を渡った先に住吉神社があります。

 

・参照

中央区エリア別ガイドマップ「佃」

『歩いてわかる中央区ものしり百科』 監修中央区観光検定委員会

『(彩色絵はがき・古地図から眺める)東京スカイツリー今昔散歩』 原島広至 発行所株式会社中経出版

 

 

東陽院・十返舎一九の墓と住吉神社

[みのり] 2016年1月28日 14:00

こんにちは、みのりです。

今回は、勝どきの方に行ってみました

 

勝どき四丁目には、十返舎一九のお墓がある東陽院と住吉神社があります。

 

東陽院は、本寺浅草の通称新寺町「浅草永住町」(現在の台東区元浅草二丁目)善立寺内の子院(清正公堂)として有名であったが、大正12年(1923)関東大震災で焼失し、大正15年(1926)5月現在の場所に移転した。(ちなみに、本寺は足立区梅田一丁目に移転した)。昭和2年(1927)木道本堂、昭和5年(1930)鉄筋コンクリート造納骨堂、昭和41年(1966)木造庫裡を建築した。

十返舎一九の墓は、東陽院納骨堂(屋内墓地)にあります。東陽院の入口にある一九の碑「十返舎一九墓所」(徳川夢声筆)は、昭和33年(1958)2月、東京映画会社が「弥次喜多道中記」の制作にあたって建てたものです。

「東海道中膝栗毛」は、主人公の栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢参宮の後、京都にたどりつく旅行記の形式をとる物語であり、続編に続編を重ね、一九の代表作となった。一九は、天保2年(1832)に没し東陽院に埋葬されました。

 

住吉神社は、同じ勝どき四丁目にあります。

住吉神社の大祭の時の御旅所で、月島と勝どきと晴海の埋め立てが進み、氏子区域の拡大に伴い、遥拝所として御旅所ができました。昭和5年(1930)現・勝どき二丁目に、その後昭和59年(1984)、勝どき四丁目に移転しました。新島橋の近くです。

 

朝潮小橋(自転車と歩行者専用の橋、平成15年(2003)3月に竣工)を超えると、「ほっとプラザはるみ」(温水プールや夜景を楽しめ、屋外ジャクジーやトレーニングエリア、最新のマシンが揃えてある)に出ることができます。また、同じ晴海五丁目を海の方にまっすぐ歩いていくと晴海ふ頭公園や晴海客船ターミナルの方にも行けます。

 

<参照>

【十返舎一九の墓】

中央区教育委員会の掲示板

『歩いてわかる中央区ものしり百科』監修中央区観光検定委員会

『中央区の文化財(四) 有形民俗文化財 信仰』編集社会教育課文化係

【住吉神社】

家康公四百年住吉神社大祭 住吉神社三百七十年 二号地 月睦

住吉神社掲示板(御旅所に掲示されています)

 

 

日本橋

[みのり] 2015年12月19日 14:00

こんにちは、みのりです。

日本橋の方に行ってみました。散歩しやすい天気でした。

 

日本橋は慶長8年(1603)に初めて架けられたといわれ、翌年には五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の起点となり、日本の中心、江戸の象徴となった。

明治に入ってからは、この橋の中央が国道の起点と定められ、明治44年(1911)に「東京市道路元標」が建てられた。

その後、都電の廃止に伴い、この標は日本橋室町寄りにある橋詰広場に移設された。

明治44年(1911)には、木造から2連アーチの石造橋に架け替えられている。

石造橋に使われた装飾品はすべて青銅製で、欄干の装飾照明柱には、想像上の動物である麒麟と獅子が設置された。装飾を担当したのは建築家の妻木頼黄。

(『歩いてわかる中央区ものしり百科』を参照)

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また、江戸時代に高札場のあった南詰西側の「花の広場」には、昭和11年(1936)に日本橋区が設置した「日本橋由来記」の碑がある。

平成3年(1991)に80年を迎えることを記念して、平成2年(1990)7月から翌年5月にかけて広場の整備を行い、5月に完成式典が行われました。

整備にあたっては地域の方々の意見をもとに、日本橋橋詰を都心のオアシスとして人々の待ち合わせや地域の活性化になればと考え実施しました。

この整備工事に合わせ、愛称を一般募集するとともに、その愛称を末長く親しんでいただくため、記念碑として保存することとしました。

(平成3年10月3日 建設省 東京国道工事事務所 碑より参照)

 

明治維新後、新政府は中央政治機構の整備とともに町政の改革を急ピッチで進めた。

明治11年(1878)には郡区町村編成法が施工され、東京府内には日本橋区や京橋区をはじめとする15区と6郡が置かれた。

戦後まもない昭和22年(1947)3月、東京が22区制(のちに23区)になった時、日本橋区と京橋区は合併して現在に中央区が誕生する。

(『歩いてわかる中央区ものしり百科』参照)

 

 

福徳神社「芽吹神社」

[みのり] 2015年11月20日 18:00

こんにちは、みのりです 

今回は福徳神社「芽吹神社」のお話です。

 

福徳神社はコレド室町のそばにあります。

福徳神社は平安時代前期、清和天皇の時代貞観年間(859-876)には既に鎮座していたようです。

武蔵野の村落だった福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって福徳神社とした。

初代将軍徳川家康は、江戸に入府した天正18年(1590)8月に初めて当社に参詣し、

その後も数度に渡って参詣しています。

さらに、二代将軍徳川秀忠は、慶長19年(1614)正月8日に参詣の折、

「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛。

この時、福徳神社の古例である黒木(クヌギ)の皮付き鳥居に春の若芽の萌え出たのを見て、

神社の別名を「芽吹稲荷」と名付けた。

元和5年(1619)2月に江戸城の弁財官を合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、

大和錦の幟を奉納し、さらには「社寺縄張を三百三十三坪余り」と定めた。

江戸時代に「御免富」として幕府から富くじが公認されていたので人気がありました。

今もこの神社は、宝くじのご利益があると多くの人がお参りに来ます。

 

お祭りは2月の初午と5月の例大祭です。

平成26年秋(2014)日本橋の地域諸氏の尽力により社殿が再興されました。

 

コレド室町の北側に福徳神社があります。手前に社務所があります。

参拝前に手を清める手水舎は人が近づくと水が流れるセンサーがついています。

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福徳神社『芽吹神社』御祭神・御由緒「福徳神社社務所」と福徳神社境内の福徳神社由緒書(石碑)

SHOP&RESTAURANT GUIDE「&EARTH」「三井不動産」

「歩いてわかる中央区ものしり百科」

交通ジャーナル「一般社団法人東京都交通安全協会」を参照しました。

 

 

 

人形町の神社

[みのり] 2015年10月17日 18:00

こんにちは、みのりです。

 

今回は人形町の神社のお話です。

人形町には『日本橋七福神』である

小網神社(福禄寿・弁財天)、茶ノ木神社(布袋尊)、水天宮(弁財天)、松島神社(大国神)、末廣神社(毘沙門天)、笠間稲荷神社東京別社(寿老人)、椙森神社(恵比寿神)があります。

これに宝田恵比寿神社(恵比寿神)を加えると、八つの神社の中に恵比寿神が2つ入っていることから、商売繁盛に人気があります。

 

関連して、宝田恵比寿神社を中心にこれから10月19日(月)・20日(火)に行われる『べったら市』があります。

べったら漬けは、浅く塩漬けした大根を米麹の床に本漬けしたもので、

これを購入した客が持ち帰る際、麹がつかないようにべったらを持つ人を避けることをおもしろがり

わざとつけようとする人まで現れ、店の方も「べったら、べったら」と囃し立てたため

恵比寿講の前日の市が『べったら市』といわれるようになったそうです。

 

15代将軍徳川慶喜も好んで食べたといわれています。

  

【小網神社(福禄寿・弁財天)】

~小網神社のどぶろく祭り~

新穀豊作に感謝する新嘗祭に由来する行事で、どぶろくは神前に供えられた後、夕方まで無料でふるまわれる。

午後0時になると社殿で祭礼がおこなわれ、0時30分からは国の重要無形文化財に指定されている「里神楽舞」が奉納される。強運厄除けのお守りとして有名な「下町みみずく」の授与(有料)も行われる。

日時:11月28日(土曜の場合は27日、日曜の場合は29日)

    ※今年は、11月28日は土曜日です。

場所:小網神社

 

【茶ノ木神社(布袋尊)】

この地には、下総国佐倉藩(現在の千葉県佐倉)堀田家の中屋敷があり、その守護神として祀った。

神社の周囲にぐるちと植え込まれた茶の木が名称の由来と伝わる。

屋敷内はもとより、町方にも長年火災が起こらなかったため、火伏の神ともいわれる。

 

堀田家は、出羽山形から宝暦11年(1761)から佐倉藩11万石に。

火消には、江戸三火消といわれる町火消、定火消、大名火消があり

その中に下総佐倉藩の守備は江戸城西の丸があります。

 

以上、七福神めぐり(日本橋七福会)、茶ノ木神社掲示板(中央区教育委員会)、『歩いてわかる中央区ものしり百科(監修:中央区観光検定委員会)』より