中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

本郷も、兼康までは江戸のうち

[CAM] 2015年7月17日 18:00

  

    元来は、「江戸」という地域は、北は神田堀(竜閑川)を限りとし、江戸の南の境界は新橋川であるとされた。 そして、この新橋川に架かる難波橋が江戸を追放される者の放逐個所となっていたという。

  

   そして、この橋を渡って芝に行くと、そこに兼康祐元の本店があった。そして、本郷にも支店があったのだが、その近くにある小橋「も」、やはり江戸払いの罪人を追放する「別れの橋」となっていたという。(72)

 

 池田弥三郎氏によると、「本郷も、兼康までは江戸のうち」という川柳は、以上のように、江戸の南北の「別れの橋」の何れにも、その近くに兼康があるということを踏まえてできたものであって、「本郷も」の「も」はそういう意味だと言う。(『日本橋私記』)

 

 文京区の観光HPを見ると、

 

>享保年間(1716~1736)に、現在の本郷三丁目の交差点角に、兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出した。これが当たり店が繁盛していたという。
 享保15年(1730)に大火があり、湯島や本郷一帯が燃えたため、再興に力を注いだ町奉行の大岡越前守は、ここを境に南側を耐火のために土蔵造りや塗屋にすることを命じた。
一方で北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家が並んだため、「本郷もかねやすまでは江戸の内」といわれた。

 

 と説明しているが、文京区の説明は、原因と結果が逆になっているのではないか。サイデンステッカー氏も、以下のように述べているのみである。

 

>兼康というのは、今も本郷にある有名な薬種・小間物の店で、今の東京大学より手前である。そこから先はもう田舎というわけである。(30

 

   しかしながら、池田氏のように解することによって、「も」という助詞が活きてくるように思われる。そして、そう解すれば、「江戸」という地域を、狭義では、「北は神田堀(竜閑川)を限りとし、南は新橋川(汐留川)を境とする」という考えがよく理解できる。

 

 

 

「佃島の盆踊り」終了

[CAM] 2015年7月16日 09:00

平成27年の「佃島の盆踊り」は、7月13日(月)から始まりましたが、7月15日(水)の21:00で終了しました。

 

その終了直前、少しのぞいてみました。

 IMG_1685[1].jpg

 

 『中央区ものしり百科』では、「江戸以来の歴史を継承する佃島の盆踊りは、・・・単調なリズムの櫓太鼓と、念仏のような口説き唄に合わせてゆったりと静かに櫓の回りで踊るもの」「古きよき時代の素朴な風情を伝える一見の価値がある踊りである」と紹介されています。

 IMG_1680.JPG

IMG_1687.JPG

 

 

 

日本橋の再開発計画など

[CAM] 2015年7月15日 14:00

   日本橋の振興計画もいろいろと進んでいるようですね。最近の新聞情報では、以下のようなものが目に留まりました。

 

   日本橋の再開発計画については、2015年5月29日の 日経産業新聞 が東京大手町・日本橋、オフィス街、変貌の連鎖」と題する記事で取り上げています。この記事によると、

 

>日本橋の注目は、日本橋2丁目地区再開発だ。重要文化財である高島屋日本橋店を保存し、余剰容積を活用して東側のA街区と北側のC街区に超高層オフィスを建設する。
 低層部が連続するように、高島屋日本橋店の屋上を中心とする緑の回遊空間を整備する計画で、完成は18年の予定だ。
 その北側では、日本橋2丁目地区北地区計画が進行中だ。オフィス、店舗などが入る高さ約180メートルの超高層棟「東京日本橋タワー」は15年春に竣工。全体完成は17年を目指す。
 日本橋の南西側の京橋エリアでは、京橋2丁目西地区再開発の工事が進んでいる。中央区の指定有形文化財である歴史的建築物棟を保存再生しながら複合ビルを建設する計画で、16年秋に竣工予定だ。

 

 また、2015年6月25日の  日本経済新聞 は、羽田都心、航路を短縮、都、舟運を活性化」と題する記事で、以下のように報じています。

 

>東京都は2015年度末をめどに、羽田空港と都心部を結ぶ水上航路の"近道"を設ける。空港西側にある海老取川を掘り下げて、多くの船が通れるようにする。東京湾にせり出した空港を迂回する従来ルートに比べ、日本橋までの時間は最大30分短縮し、40分程度になる見込み。20年五輪に向けて観光用など定期航路化をめざすほか、災害時の物資輸送や救援活動の迅速化にもつなげる。

 

>東京モノレールを利用した場合、東京駅から羽田空港までは乗り換え時間を含めて30分ほど。国際自動車(東京・港)が運行するタクシーでは、日本橋―羽田間の所要時間は高速利用で40~50分程度かかる。水路の近道が機能すれば陸路と同程度の時間で移動が可能になる。

 

 

「江戸」の生成

[CAM] 2015年7月14日 18:00

    池田弥三郎氏は、「江戸」という地域の範囲についても考察されている(『日本橋私記』。

 

 池田氏によると、江戸の地というのは、まさに「江処」であり、「え」というのは海岸からはいりこんだ、船がかりするのに絶好な水域のことである。

 

  「江戸」という地名の起原については諸説があるが、江戸太郎という人物が居処としたからだという説もある。また、江戸城の発端は,12世紀初めごろ江戸重継が,荏原郡桜田郷の北東部,江戸湾に臨む台地上に設けた居館だとされている。しかし、因果の流れとしては、人名が地名に由来すると考えるのが自然であって、「江」という場所を意味する「えど」が地名の起原だと考えるのが穏当であろう。

 

    そして、家康公「江戸お打ち入り」(天正18年:1590)の前の東の平地は、どこもかしこも「汐入りの芦原」であって、これを築填する大土木工事によって、江戸の中の江戸というべき、お城の前面の町がおよそ出来上がった。その後、文禄2年(1593)には、日比谷入江が埋められ、そこに散在していた民家は芝口の南に移された。

 

    さらに慶長8年(1603)には「豊島洲崎の築填」といわれる大工事によって、今の隅田川右岸の地が、浜町から新橋あたりまで出来上がったようである。この築填につれて、下町の掘割も形を整え、日本橋川、京橋川、新橋川も、この時に出來、おそらく、面目を一新した日本橋も、この時に出来たと思われる。さらに、明暦3(1657 )の大火の後、木挽町の海岸の築填を行って、この時に築地一帯が完成し、ほぼ日本橋区・京橋区の大体が出来上がった。(68)

 

  『中央区史』によると、明治11年(1878)に、日本橋区・京橋区が正式に成立・発足したのだが、その直前、114月に作られた「区画改正に関する下調書類」によると、それには日本橋区・京橋区の名称がなく、北江戸・南江戸の名がある。つまり、4月の原案の立案者は、日本橋・京橋両区の地域を「江戸」と考え、これを南北二つに分けて、北江戸区・南江戸区というようにしたものらしい。(23) これは、上記のような江戸初期の市街造成の歴史を踏まえると理解しやすい。

 

 このように、「江戸」という地域を、狭義では、北は神田堀(竜閑川)を限りとし、南は新橋川(汐留川)を境とするという考えは、明治11年になっても存していたことがわかる。 『中央区史』は「往時、神田堀を境界とし、以南を江戸とし以北を神田とした」という文献(『再校江戸砂子』『江戸往古図説』)を引いている。(70

 

 

平成27年「佃島の盆踊り」

[CAM] 2015年7月13日 20:00

  

  今日(7月13日)から「佃島の盆踊り」が始まりました。

 

 『中央区ものしり百科』でも、「口説き唄に合わせて静かに踊る夏の風物詩」と紹介されています。

           IMG_1664.JPG

 

  まずは子どもの部。カラフルな浴衣の子供さん達が元気に踊っていました。

        IMG_1668.JPG      

        IMG_1674.JPG

 

 

  盆踊りは、7月13日(月)から15日(水)まで、これが終わると、いよいよ下記の日程で、住吉神社本祭り。  

 

【開催日時】荒天の場合:決行
          2015
731()83()
 
731日(金)
 1100 大祭式  1445 各町神酒所・町内神輿清祓
81日(土)
 1000(予定) 住吉講獅子頭宮出  1100(予定) 町内神輿巡行、佃勢揃い
82日(日)
 600(予定) 宮神輿宮出   船渡御・各町(晴海・勝どき・豊海)巡幸
 2000(予定) 御旅所着輦
83日(月) 
 900(予定) 御旅所発輦   各町(勝どき・月島・佃)巡幸
 2000(予定) 宮神輿宮入

 

 

 

2015年7月12日(日)の佃・月島

[CAM] 2015年7月13日 18:00

 土曜日(7月11日)から始まった「月島草市」は2日目。 日曜日で、まるで繁華街のような雑踏ぶりでした。

 

    IMG_0072.JPG

  

 7月13日(月)から15日(水)までは、「佃島盆踊り大会」が開かれます。既に櫓も組まれて準備は万端のようです。

 「佃島の盆踊り」については、『中央区ものしり百科』でも、108頁と165頁に説明されています。

    IMG_0094.JPG

  

 今年は住吉神社大祭の本祭りの年ですが、既に大祭で使われる大幟の柱も川底から掘り出されて(『中央区ものしり百科』107頁)佃小橋近くに組み立てられていました。

    IMG_0090.JPG

 

  寄付金も集まってきているようです。

   IMG_0086.JPG