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2015年11月 3日 20:00
今回の「まるごとミュージアム」バスルートでは、外堀通りと昭和通りにおいて、銀座6~7丁目地点で交差する「交詢社通り」を少し探索しました。
その名のもととなった「交詢社」は福沢諭吉が1880年(明治13年)に設立した、政治家や経営者のための日本で最初の会員制社交クラブです。交詢社の名は福沢諭吉の「知識を交換し世務を諮詢する」というスローガンからとられました。
1923年(大正12年)の関東大震災により旧社屋が全壊し、1929年(昭和4年)、2代目のクラブハウスビルとして交詢ビルディングが再築されました。
その後、70年を経て、老朽化や耐震上の面から建て替えが決定され、2002年に解体、現在の交詢ビルは2004年10月にオープンしました。地下1階から5階は商業施設「交詢ビル DININGS & STORES」 となり、『バーニーズ ニューヨーク銀座店』『寝具御誂専門店 IWATA銀座店』等のショップ、『赤坂璃宮』『人形町今半 銀座店』等のレストランが入居。6階から8階は事務所、9・10階は一般財団法人交詢社となっています。
『バーニーズ ニューヨーク』は、同社サイトによると、「1923年、マンハッタンの7番街17丁目にバーニー・プレスマンによって設立され、現在、米国内に30店舗(CO-OP、アウトレット含む)、日本では2011年9月にオープンした日本第5号店となる福岡店を含め、合計11店舗(アウトレット6店舗含む)、およびオンラインストアを展開しています」ということで、銀座店は日本3号店のようです。
「寝具御誂専門店IWATA銀座店」は、京都で天保元年(1830年)より寝具を作り続ける創業180年の京都の老舗寝具店イワタの東京初進出直営店です。
「ものしり百科」では、この三代目のビルを「当時の建築美を感じさせるメインエントランスのファサードの一部を新ビルに活用するという粋な計らいを見せている」と紹介しています(63頁)。
交詢ビル
LOUIS VUITON 店
続きを読む: 「交詢社通り」
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2015年11月 3日 18:00
今回の「まるごとミュージアム」バスルートでは、「外堀通り」と「昭和通り」において、銀座5~6丁目地点で交差する「みゆき通り」を少し探索しました。
銀座5丁目と6丁目の境目にあり、築地の新橋演舞場と有楽町の日比谷公園とを結ぶのが「みゆき通り」です。
名前の由来は、明治期に明治天皇が海軍兵学校、海軍大学校等々への行幸(みゆき)の際、また浜離宮へのお成りの時、この通りを行幸路とされたため、いつしか「みゆき(御幸)通り」と呼称されるようになったといわれています。
泰明小学校に掲げられた、通りの名称の由来を述べる表示板。
その後、1960年代になるとアイビールックを取り入れた若者が集結し、みゆき通りを闊歩することから「みゆき族」の名が生まれました。彼らはたむろするだけだったのですが、店側との軋轢や、東京オリンピック開催に向けて混乱を避けたいという方針から、築地警察署による一斉排除などの騒動にまで発展し、「みゆき通り」の名は「みゆき族」という社会現象と共に広く知られるようになりました。
現在のみゆき通り
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2015年11月 3日 16:00
現在、三原橋地下街跡が工事中ですが、その囲障に「銀座探訪」として、銀座の名所等の説明写真が掲示されています。
晴海通りの両側、通りに面した側だけでなく、その裏側にもありますので、全部で相当の量です。その一部を紹介しておきます。
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2015年11月 1日 14:00
いま、銀座「四丁目交差点」の一角の建物が工事中ですが、その囲障に、歴史を示す新旧写真が掲示されているので、記録しておきます。
この地に、かつて「カフェー・ライオン」があったことを示す標示もあります。
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2015年11月 1日 09:00
本日(2015年10月28日)は、「タイムドーム明石」(明石町12-1)から出発しました。「タイムドーム明石」(中央区立郷土天文館)は、中央区の郷土資料を観覧できる展示室、個人や団体の創作活動を発表する区民ギャラリー、本格的なプラネタリウムなどを備えた複合施設です(ものしり百科;73頁)。「まるごとミュージアム」では、「タイムドーム明石 まるごと体験デー'15」のほか、5階の視聴覚ホールで「リリ・レイが贈るフランス原語シャンソンコンサート」、3階の福祉センターで「福祉センター作品展」が開かれます。
次は、明石町を離れて、「佃大橋」を渡ります。昭和39(1964)年、「佃の渡し」に代わって架けられた橋で、長さは約220m、幅は約25mです(ものしり百科;104頁)。 橋の上からリバーシティ、中央大橋を臨みます。中央大橋は、佃地区の再開発に伴い平成6(1994)年に架けられました(ものしり百科;58頁)。
橋を越えると、佃・月島へ入ります。佃大橋建設に伴って、かつて佃島と月島の間に流れていた佃川が埋め立てられ、二つの島は地続きになり、渡し船も廃止されました(ものしり百科;104頁)。
そのまま進むと、左側の晴海運河の向こうに豊洲の高層ビル群が見えます。
左に「春海橋」があり、晴海橋とは書かず「春海橋」と書いて(はるみばし)と読みます。 ここは昔、仮面ライダーV3がライダーマンと出会った場面の撮影場所として使われたため、一部のマニアには聖地化され、有名なスポットとなっています。
下は、「春海橋」の上から佃方面を臨んだものです。
春海橋を渡ると豊洲になるのですが、バスはここで右折し晴海方面へ向かいます。
晴海は、明治中期から昭和初期にかけて行われた東京湾澪浚(みおさらい)工事および隅田川改良工事でその大部分が完成した埋立地で、地名が命名される前は月島4号地と呼ばれました。
さらに、晴海は、1940年に開催が予定されていた紀元2600年記念日本万国博覧会の会場地として整備されましたが、万国博覧会は戦争のために、同時に開催が予定されていたオリンピックとともに中止されました。戦後は、東京国際見本市会場がおかれ、多くの見本市やモーターショー、エレクトロニクスショー等のイベントの会場となるとともに、旧日本住宅公団が晴海団地等多くの集合住宅を建設しました。
その後、平成8(1996)年に東京国際見本市会場が閉場され、晴海1丁目地区再開発により、晴海アイランドトリトンスクエアのような大型商業施設等の高層ビルやマンションが建設されてきています。
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2015年11月 1日 09:00
さらに晴海1丁目、2丁目の晴海通りを進むと、勝鬨橋から来る晴海通りと交差します。この勝鬨橋から来た晴海通りの延伸部分は「有明通り」と表示されているようです。交差点の交番で、警官に聞いて確かめたのですが、警官も通りの名称については必ずしも知識が十分ではないように見受けられました。
左側の建物が、2003年に閉鎖されたホテル浦島で、現在の晴海センタービルです。右に見えるのが「有明通りです」。
晴海通りをさらに進むと、紀元2600年記念日本万国博覧会事務局棟跡を示す標示板があります。
月島警察署の新庁舎です。同署は、月島・佃・豊海・晴海の各地区を管轄しています。勝どき6-7からこの晴海3-16-14に移転し、2014年7月7日(月)からこの地で業務を開始しました。
築地大橋から伸びて来る新しい道路です。
「ほっとプラザはるみ」です。清掃工場の排熱を利用して、地域住民の健康増進とコミュニティ育成を目的として平成13年(2001)年にオープンした施設です(ものしり百科;112頁)。
晴海埠頭(客船ターミナル)です。平成3(1991)年に東京港開港50周年を記念してオープンしました(ものしり百科;113頁)。「まるごとミュージアム2015」では、「春海 Autumn Festival」が開かれます。
晴海3~5丁目の晴海通りを戻り、左折し、黎明橋で朝潮運河を渡ります。
勝鬨橋へ向かう晴海通りを進むと清澄通りと交差し「勝どき」の交差点に至ります。 この近辺はビジネスビル、マンションが増え、利用人口の急増に対処するため、大江戸線勝どき駅は拡張工事中です。
勝どき交差点を過ぎてさらに進むと、左側に月島第二小学校が見え、勝鬨橋はもう目の前です。
勝鬨橋近くから見た築地市場です。大正12年(1923)の関東大震災を契機に日本橋から移転し、昭和10年(1935)に開場し、都内に11か所ある東京都中央卸売市場の中で最も古い歴史を持つのですが、豊洲への移転が決定しています。その経過ではいろいろな議論もあったのですが、最終的には2016年11月7日に豊洲市場を開場する方向で正式に決定したようです。
勝どき橋際には、海軍経理学校跡などの記念碑が設置されていますが、下記は勝鬨橋の記念碑です。
勝鬨橋から臨む佃・月島の光景です。
これで、もう終着点(出発点)は間近となりました。 本日のバスは、このコースを1時間程度で運行する予定ですが、私は日曜日(10月25日)から水曜日(10月28日)まで4日間、最初の3日間は徒歩、最終日は自転車で、計10時間以上をかけました。
にわか勉強ではありましたが、今までは系統的に知ることがなかった中央区内の通り等の様子を、整理して理解できました。