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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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オープンから2週間!面白い仕掛けが絶えないTSUKIJI DELI

[Hanes] 2019年1月28日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、今月中旬にご紹介したTSUKIJI DELI 築地路地裏店さんを再訪しました。
11日のグランドオープンから2週間...何か変化はあったのか気になっていたのですが、
なんと、「この短期間で!?」と驚くほど、充実したお店に変化していました

中央区好きさん要チェックのレア品から、ついつい皆に話したくなるニュース等、
築地をますます活気づける仕掛けと話題づくりもバッチリ
今回は、日々進化しているTSUKIJI DELI築地路地裏店さんの"今"をお伝えします!

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■新しいメニュー・商品が仲間入り
前回ご紹介した時から、ローストビーフおにぎりが2種類増えました。
写真にある通り、「吉岡屋 たかなづけ」、「秋山商店 まぐろぶし」が仲間入り
たかなづけやまぐろぶしとローストビーフの相性はいかに!?
前回の美味しさが記憶に残っているので、期待が高まります。

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(若干傾いたお写真ですみません

そして、看板の「酒粕ミルク ましろ」と「ローストビーフおにぎり(RBO)」に加え、
遠方からお越しの方にお土産としてもご購入いただける牛すじカレー味噌煮込等、
新しいメニューやお持ち帰り用お土産ギフトが続々と増えてきているようです

個人的に気になっているのが、2月4日(月)から販売開始予定の店長おすすめお得セット(毎日限定30セット)
舟皿にのった本日のおにぎり3種、豪華すぎませんか
新メニューとなる酒粕ミルクスープがどのような味わいなのか気になるとともに、
この冬チェックしたい築地のあったかメニューになるのではないかと思っています。

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■写真を撮りたくなる内装に
2週間でパワーアップしたのは、メニューだけではありません!
真っ白だった壁が、今では可愛らしいデザインになりました
訪問記念の写真撮影にもちょうど良いロゴや、

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ローストビーフおにぎりの背景にして、インスタ映えを狙いたくなるこんなものまで!

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今回はお店の方もお好きだとおっしゃっていた「酒粕ミルク ましろ」のごま(アイス)をいただき、
どうにかこうにか可愛い写真が撮れないか自分なりに試行錯誤した結果、
牛に酒粕ミルクを飲ませるというちょっとユニークな写真が撮れました

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今回いただいたごまは、香りは甘酒のようなのですが、見た目と味はごま
ポイントは、ごまの風味はありながらも、しつこすぎず飲みやすい仕上がりになっていることですかね。
上品な黒ごまプリンが飲み物になった感じで、まさに「飲むスイーツ」!
抹茶、ごま、きなこのスイーツ系は、それぞれの風味を楽しむためにも、アイスでいただくのがオススメのようです

■公式LINE
前回もご紹介させていただきましたが、公式LINEでも旬な情報が発信されています。
今なら友達登録した方にこちらのつきじ 缶バッジをプレゼント中

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「あー、缶バッジね」と思われた方!実は、たかが缶バッジ、されど缶バッジな事実があるんです
なんとこの缶バッジは、築地市場がまだプロの仕入れの場だった約20年前に、一般客を呼び込むためのイベントで渡した記念品なんです
ちょっとしたレア感があってほしくなりませんか?

また、そのイベント時にはキリンキャンペーンガールとして米倉涼子さんが来ていたというのだから驚きです!
こちらの缶バッジはなくなり次第終了なので、気になる方はお早めにどうぞ
(缶バッジのデザインのつきじマークは、築地場外市場全図にも載っています。)

■ついにテレビ番組に登場
これまでに、新聞、ラジオ、オンラインニュース等で取り上げられてきたTSUKIJI DELIさんですが、
ついにテレビ番組にも登場することになったそうで、詳細は以下の通りです
2019年1月30日(水)20:15~20:43 探検バクモン(NHK)

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お時間のある方はぜひチェックしてみてください!

面白い工夫や取り組みが光るTSUKIJI DELIさんには、また来たくなるようなワクワク感があります。
今後の進展も楽しみで、目が離せません
アクセスや営業時間につきましては、こちらの記事をご覧ください。
また、お問い合わせは、03-6264-0063までお願いいたします。

 

 

不思議なマーク「不」を探して三千里

[Hanes] 2019年1月25日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
皆さんには、まち歩きをする際についつい見てしまうものってありますか?
行列のできるお店、ショーウィンドウ、道端の花、道行く人等、色々あるかと思います。
私はというと、以前話題にした送水口(前編後編)の他に、
地図作成や測量の際に用いられる基準点(特に三角点水準点)もついつい見てしまいます。
登山をする方の中には、山頂で三角点を見かけた方もいらっしゃるかもしれませんね

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そのような全国に数ある三角点と水準点の中でも私が特に好きなのが、
几号水準点(きごうすいじゅんてん)と呼ばれるものです!
この水準点は、日本全国を見ても数が限られており、なおかつ大都市に偏って残っています。
特徴は、漢字の「不」に似たマーク。
通常の水準点と異なり、これが水準点ですといった分かりやすい表示はなく、
思いがけないところにひっそり存在している知る人ぞ知る不思議なマークなのです

タイムドーム明石での郷土天文館サポーターの方々による水門に関する展示では、
なんとこの几号水準点も紹介されており、
本ブログでは、先輩特派員の朱房の十手さん巻渕彰/写楽さいさんも取り上げていました。
中央区には几号水準点が1箇所、そしてそれに関する場所が1箇所あるので、
今回は区外で見られる例も交えながらご紹介をしたいと思います

■几号水準点との出会いと不思議な縁
英国在住の方のご厚意で、とある古い教会に連れて行っていただいた時のこと...
外壁に刻まれた不思議な「不」マークを見つけました。
最初は悪戯か日本でいう石垣の刻印のようなものだと思い、気に留めていませんでしたが、史跡を訪れる回数が増えるほど見かける機会も増え、
これには何か意味があるのではないかと気になり始めました

それから約1年後、世界遺産に登録されている街の大聖堂でボランティアガイドを始めた際、
偶然にもその教会のドアの下の方にひっそり刻まれている同じマークを発見しました!
すかさずボランティアリーダーに確認したところ、不思議なマークの正体は、
日本でいう几号水準点だということが分かりました

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(上段:出会いの几号水準点、下段:ボランティア先の几号水準点)

■几号水準点・三角点巡り in 英国
それ以降、切手や記念硬貨を収集するが如く几号水準点や三角点の写真を撮って歩くようになりました。
歴史的建造物にはマークが刻まれているだけですが、
新しい建物や山・丘の頂上には、ナンバリングされたプレート(現地ではFlush Bracketという)が設置されていることに気づき、
プレートにあるOSBMは、Ordnance Survey Bench Mark(英国陸地測量部水準点)の略だと知るようになりました。

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■几号水準点巡り in 日本
そして帰国後、日本にも少ないながらこのタイプの水準点があるという話を聞きつけ、
出張の機会を利用し、最初に向かったのは大阪城。
半分隠れていたのは残念でしたが、無事に見つけることができました。

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続いて都内の例を見るべく、日比谷公園にある心字池のそばの平たい石や
烏帽子石に刻まれているもの、皇居内に残るもの見に足を運びました

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■几号水準点 in 中央区
前置きが長くなりましたが、中央区にも1つこの水準点が残っているということで向かった先が...
安政4年(1857)*に建てられた一石橋迷子しらせ石標
(*Hanes流覚え方:嫌(18)だ、こ(5)んな(7)迷子。安心せい(安政)よ(4)。ここで見つかる

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下の方にひっそりと刻まれているので、お近くに行かれた際にはチェックしてみてください

タイムドーム明石の展示解説によると、明治初期の水準標石は英国式インチが採用され、
横棒が標高を示す「不」字形の几号水準点を石柱、道標、灯篭、鳥居等に付したそうです。
そして後に、測量事業がドイツ式に移行し、1891年に「霊岸島新点・交無号」(水準路線の交差点0号という意味)が設置されました。

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現在中央大橋のそばにあるものは、2006年に移設されたものだそうです

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このように、中央区内では水準点の発展史の一部を追うことができます。

■几号水準点に興味を持たれた方へ
測量の日(6月3日)の前後に開催される国土地理院主催のイベントでは、
憲政記念館の敷地内(陸地測量部跡)にある日本水準原点が一般公開されます。
日本の高さの基準となっているものを間近で見る貴重な機会です

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このイベントでしか聞けないような興味深い話もあるので、
水準点に興味を持たれた方は、ぜひこちらにも遊びに行ってみてください。
区内にある交無号についての理解が深まるかもしれませんよ

 

 

身延別院耳寄り情報(2)家紋が語る意外な事実

[Hanes] 2019年1月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
突然ですが、NHK大河ドラマを見ているという方はいらっしゃいますか?
始まったばかりの「いだてん~東京オリムピック噺~」の初回では、
日本橋等、中央区に関する場所も登場しましたね

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(橋洗い時に撮影。)

私は世界史専攻ですが、過去に2度だけ全部通してみた大河ドラマがあります。
それが、「功名が辻」と「おんな城主 直虎」です。
特に後者には知らず知らずのうちにハマってしまい、
静岡県や群馬県まで、井伊家ゆかりの地を見に行ってしまいました

井伊家というと、やはりかの有名な『関ヶ原合戦屏風』にも描かれている
井戸の「井」を示す替紋の井桁ではないでしょうか。
また、定紋に見られるも有名ですよね。
そんな井桁と、似たような橘を組み合わせた紋章が、身延別院の随所に見られることに気づき、「井伊家とつながりがあるのだろうか?」と気になり、早速調べてみました。

まず分かったことは、井桁に橘の紋章は、日蓮宗の寺紋だということです

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訪問時の写真を見返してみても、お賽銭箱から瓦まで実に様々なところにその寺紋が配されていることが確認できます。

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そして気になる寺紋の由来ですが、これまた諸説あります。
比較的知られている説が、日蓮聖人の5代前の祖先が井伊家の出であるというもの。
もう一説が、日蓮聖人誕生時に湧き出た泉にちなんで井桁と、聖人の大好物であったといわれる橘を合わせたものだというものです。
ここではどちらの由来が正しいかを断言することはできませんが、思いがけないところに井伊家との意外なつながりを見つけ、
「やはり紋章は面白い」と再確認することとなりました。

さて、2回にわたり身延別院の油かけ大黒天と寺紋をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
七福神巡りをされている方や歴史がお好きな方に、「一度行ってみたい」と思っていただけたら幸いです。

【参考文献・ウェブサイト】
レファレンス協同データベース「日蓮宗の寺紋は井桁に橘のようだが、日蓮宗である中山法華経寺や、その末寺の清寿寺(市川市妙典3)は、桔梗の寺紋を使っている。理由を知りたい。」

 

 

身延別院耳寄り情報(1)油をかけて福をいただこう!

[Hanes] 2019年1月20日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、小伝馬町を散歩した際に、身延別院に立ち寄りました。
こちらでは、瞳が水晶製の木造日蓮聖人坐像(都指定有形文化財)が有名ですが、
実はそれ以外にも興味深いものがたくさんあるのです。
ということで、2回に分けて立ち寄りたくなる身延別院の魅力をご紹介します。

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今回取り上げるのは、「油かけ大黒天」です。
花まつりでは、お釈迦様に甘茶を注ぎますが、こちらにいらっしゃるのは一年通していつでも油をかけられる大黒天...
そのいわれが気になり、調べてみました

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【いわれ】※諸説あります。
京都伏見には「油かけ町」という町があり、昔、油売り商人が道端の石像に間違って油をかけてしまったものの、
それ以来商売が大繁昌したという伝説がありました。
伏見出身で昭和の名優長谷川一夫氏のしげ夫人は神仏に厚く帰依しており、
戦後間もなく、偶然この油かけ天神を夢に見て、
天神様から東京に祀って大勢の人と結縁せしめよとのお告げを得ました。
そこで、当時の身延別院の住職藤井日静上人に相談した結果、
身延別院にお祀りすることになりました。

【ご利益】
商売繁盛、開運、安産

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全国的に見ても油かけ大黒天をお祀りしている神社仏閣はあまり多くありません。
お近くにお越しの際には、大黒天に油をかけて祈願してみてはいかがでしょうか

■身延別院
住所:東京都中央区日本橋小伝馬町3-2
アクセス:東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」4番出口から徒歩1分
     JR山手線・京浜東北線・中央線「神田駅」南口改札口から徒歩12分

【参考文献・ウェブサイト】
一般社団法人植物油協会「植物油こぼれ話 油をかけて福をいただく油掛大黒天」http://www.oil.or.jp/trivia/daikokuten.html
小伝馬町 身延別院 http://minobu-betsuin.jp/index.html

【関連記事】
illy-ship燦壱朗さん「油掛け大黒天(身延別院)」

 

 

【遠足シリーズ第11弾】友好都市・東根市の魅力とは

[Hanes] 2019年1月19日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
お正月休みを利用して、中央区の友好都市である山形県東根市に行ってきました。
東根市といったらやはり「雪」と「さくらんぼ」ですよね!
今回はその2つに焦点を当てて、中央区と東根市の交流をご紹介します。

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この2市の交流のきっかけは、昭和63年に遡ります。
東根市は中央区で行ったさくらんぼの展示会で、当区が緑化を進めていることを知り、
6月14日、赤い実をたわわにつけたさくらんぼの若木を寄贈しました。

当日は、快晴の中、矢田区長・那須東根市長を始め、区議会代表・さくらんぼ娘(ミス東根)・地元町会関係者・京橋幼稚園の園児ら多数出席のもと、
亀井橋公園(区役所西側高速道路上)で植樹式が行われ、式の後には、さくらんぼ娘から園児や植樹を見守っていた人たちにとりたてのさくらんぼが手渡されたといい、
その時の様子は、中央区役所のYouTubeチャンネルで見ることができます


(16分56秒~:亀井橋公園での「さくらんぼ寄贈式」の様子が収録されています。)

東根市からは15本のさくらんぼの木を寄贈していただいたということで、
そのお礼に平成元年には、中央区が銀座2丁目の歩道にあった6mにもなる柳を含め、25本の柳を贈りました

その銀座の柳は今、東根市役所の「市役所庁舎前」に6本、隣接する「市民の広場」に13本現存しています。

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(影で見る銀座の柳も風情がありますね。)

そのうちの1本がこちらです!
冬は必ず積雪のある東根市でも、たくましく成長していました

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根元を見てみると、雪に埋もれた碑を発見!
そこには、「銀座の柳 庁舎落成記念植樹 寄贈 東京都 中央区 平成元年8月18日」と刻まれています。
東根市にわたって30年...故郷を離れても元気な銀座の柳の姿を見ると、不思議と元気がもらえます

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青々とした葉をつけ、涼しそうに風になびく時期にまた会いに行きたいです。

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また、写真を見てもお気づきの通り、東根市では結構雪が積もります。
中央区は雪とはあまり縁がありませんが、2年に1度東根市から雪が運ばれてきて、
「中央区雪まつり」が開催されています

東根市長の今年の新春メッセージには、「本年2月に開催される『中央区雪まつり』には、200トンの雪のプレゼントに併せて、いも煮や玉こんにゃくなどの本市の冬の味覚を準備いたします」とあり、
今から非常にワクワクしてしまいます
この雪を通した交流が始まった平成元年、大型トラック10台分の雪がプレゼントされて行われた「日本橋雪まつり」には、
なんと約1300人もの子どもたちが集まったといいます
そのため、「中央区雪まつり」は、特にお子さんのいる方には見逃せない冬のイベントではないでしょうか?

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そして、6月には恒例の「さくらんぼ種飛ばし大会」も開催されており、
東根市の特徴や良さは、交流を深めるとともにより多くの人に知られるようになってきたのではないかと思います。

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その他、中央区で開催されるイベントで東根市の特産品が販売されることもあり、
今年も東根市との交流から目が離せません

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雪の季節でもさくらんぼの季節でも楽しめる東根市、一度訪れてみてはいかがでしょうか

【参考文献・ウェブサイト】
勝又康雄著、田中見世子編『銀座の柳物語』(銀座の柳物語政策委員会、2003年)
東京国道事務所「銀座の柳」http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/info/ginza/
東京都中央区『中央区政年鑑 平成元年版』(東京都中央区、1989年)
東京都中央区企画部広報課『中央区広報誌 区のお知らせ 縮刷版』昭和60年4月~平成2年3月(第462号~第581号)(東京都中央区企画部広報課、1990年)

【関連記事】
にゃんボクさん「銀座二世の柳との出会い」「銀座の柳」
Hanes「【遠足シリーズ第4弾】銀座の柳二世がとりもつ縁」

 

 

【遠足シリーズ第10弾】東北各地を旅して楽しむ中央区史跡

[Hanes] 2019年1月16日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
東北地方と聞いて、皆さんは何か中央区との関連性を思い浮かべますか?
やはり、友好都市の山形県東根市を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか
今回は東根市とは別に、東北地方を訪れた際に見つけた中央区の史跡に関する場所をご紹介します。

【宮城県仙台市×佃】海水館
明治・大正の文化人が滞在した割烹旅館「海水館」。
関東大震災で焼失し、今では佃に案内板が残るのみですが、
実はこの旅館の建物、仙台市から移築したものなのです
当時は東京湾が一望できる風光明媚で閑静な場所であり、
島崎藤村、小山内薫、木下杢太郎、三木露風、吉井勇、久保田万次郎、竹久夢二、日夏耿之介らも訪れたといいます。

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(夜の写真で失礼いたします。)

【山形県×日本橋本町】羽黒山
江戸時代のはじめに、大伝馬町の佐久間家の下女となった慈悲深いお竹は、
ある日出羽国の羽黒山の行者から大日如来の化身であると告げられました。
後に、その話を聞き付けた市中の多くの人が拝みに来るようになったといいます。

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現在彼女が使用した井戸の跡には、「於竹大日如来井戸跡」という石碑が設けられています。

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【関連記事】CAMさん「歴史豊かな建造物をめぐるコース(3)」

【福島県いわき市勿来×日本橋兜町】源義家
平安時代、奥州攻めに向かう源義家は、現在の鎧橋辺りで暴風雨に遭い、
鎧一領を海中に投げ込み龍神に祈ったところ、無事に渡ることができました。

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(現在は、鎧の渡し跡の案内板あり。)

ここで出てくる義家の姿は、福島県いわき市にある勿来の関および勿来駅に見ることができます。

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(勿来の関にて撮影。再び夜の写真で失礼いたします。)

勿来の関にある碑には、「平安時代も終わりに近い後三年の役のとき陸奥守源義家が その平定のため奥州に下向する途中ここにさしかかる」と刻まれています。
そして、ちょうど勿来にさしかかった頃、行く春をおしむかのように、武将の鉄衣に舞いかかる桜の花に、義家は駒をとめてこのような句を詠みました。
「吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」『千載和歌集
通釈:「来る勿(なか)れ」という名の勿来の関なのだから、吹く風も来ないでくれと思うのだが、道を塞ぐほどに山桜の花が散っているよ。

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(勿来駅にて撮影。)

中央区内にある史跡の中には、このように東北、いや全国各地と結びつくものがあり、
旅先でも史跡同士を結び付けて歴史に思いを馳せることができます。
そして、出身県との関連性が見つかると、史跡を見るのがますます楽しくなるのはきっと私だけではないはずです

中にはあまり目立たず、過ごしてしまいがちな案内板もありますが、
まち歩きの際にはぜひこういった史跡の案内板もチェックしてみてくださいね