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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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尾道ラーメンのお店〔めでたい屋〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月16日 14:00

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新川1丁目永代通り永代橋のたもと、「永代橋西」交差点の北側に、尾道ラーメンのお店「めでたい屋」はあります(下の地図、赤〇のところ)

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ランチタイムサービスで、「尾道ラーメン鯛めし」を注文しました

スープは見た目黒いのですが、味は見た目ほど濃くは無く、甘辛い醤油味でおいしいです

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平打ち麺スープ相性もよかったです

ザク切り九条ネギがネギ本来の甘み食感を味わえて、これはいいと思いました

ちょっと堅めのチャーシュー肉本来の味を楽しめます

鯛めしもおいしかったです

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定休日は、日曜日祝日です。

寒波到来寒い日に、この尾道ラーメンは最高でした

 

 

靴業発祥と佐倉藩

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月15日 12:00

地下鉄有楽町線、新富町駅から上がってすぐの「入船橋」交差点の東詰めのビルにITOKI東京ショールームが入っており、ショールーム入口脇の植え込みの中に、「靴業発祥の地」碑が建っています。下の地図の赤〇のところです

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碑文では、明治3年(1870年)3月15日西村勝三が、伊勢勝・造靴場を創建したのが旧築地入船町5丁目1番のこの地であったとのこと。勝三は、佐倉藩開明進取の風土に育ち、時の兵部大輔大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫並びに渋澤栄一の支援を得て、靴工業を創成し、これを大成したとのことです

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こうしてこの地が日本における製靴産業の原点となったのも、築地の明石町一帯が、明治初期、外国人居留地に指定され、 多くの外国人が居住することになって靴の需要が高まったことにもよるそうです

現在、3月15日「靴の記念日」となっているのは、この靴工場創業を開始した日にちなむものです

靴の記念日について〕

(前略)1870年(明治3年)3月15日千葉県佐倉藩士西村勝三が大村益次郎から奨められ、日本で始めての西洋式の靴の工場を築地の入船町に創設したのです。この日が「靴の記念日」となっています。(後略)

(日本靴卸団体連合会のHPより)

また、西村は、築地の工場とともに、佐倉(現・千葉県佐倉市)に士族授産の靴工場「相済社」を開き、佐倉藩士伝習生として靴の製造を行ったそうで、相済社は明治30年代に解散しますが、伝習生の一人であった大塚岩次郎は、学んだ製造技術を生かして大塚製靴現・大塚製靴株式会社)を興しました

大塚製靴株式会社のHP上の「オーツカの沿革」には、

1871年(明治4年)佐倉藩士 大塚隊之丞、横浜弁天通に靴の小売店を営む。

1872年(明治5年)隊之丞の子、岩次郎、2月4日東京・新橋の露月町に大塚商店を創業。 手縫による革靴の製造販売を始める。」と記載されています。

 

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一方、伊勢勝・造靴場は、明治17年に「佐倉」から名前をとって桜組製靴と改称し、明治35年日本製靴株式会社現・リーガル・コーポレーション)になりました

株式会社リーガルコーポレーションのHP上の会社の沿革に、

1902年(明治35年)1月、合名会社大倉組皮革製造所、合資会社桜組、福島合名会社及び東京製皮合資会社の各製靴部門を統合、各種靴の製造、販売を目的とし、東京市京橋区鎗屋町(現 東京都中央区銀座)に日本製靴(株)を設立。」と記載されています。

上の写真は、REGAL SHOES八重洲店(紳士靴専門店)単独店舗第1号店です

 

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ちなみに、題字の「靴業発祥の地」を揮毫されたのは、「堀田正久」氏となっており、調べてみると、この方は、佐倉藩主堀田正倫の孫に当たられる方で、昭和34年(1959年)佐倉市長に当選後、昭和50年(1975年)まで4期に亘って、佐倉市の開発に貢献された方だとのこと

滋賀県彦根市長井伊()直愛氏とともに「殿様市長」と言われた方だそうです

 

大塚製靴株式会社のHPはこちら ⇒

http://www.otsuka-shoe.com/

株式会社リーガルコーポレーションのHPはこちら ⇒

http://www.regal.co.jp/shoes/

 

 

海水館跡と植栽

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月14日 14:00

佃3丁目初見橋交差点から清澄通り相生橋に向かい、150mほど歩いたところで右に折れて少し歩くと堤防に突き当り、その堤防のすぐそばに、海水館跡石碑説明板があります

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海水館は、明治38年坪井半蔵によって建設された割烹旅館で、当時、月島東京湾を臨む風光明眉な地だったそうで、ここに宮城県仙台市の建物を移築して旅館兼下宿として開業しました

閑静な地であったため、明治末期から多くの文学者執筆場所として利用したそうです

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島崎藤村は、ここで「」を執筆し、小山内薫は「大川端」を執筆、詩人の吉井勇は、歌集「毒うつぎ」を創作し、三木露風は、詩集「白き手の猟人」をまとめたそうです

残念ながら、海水館は、大正12年関東大震災で全焼してしまいました

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この石碑が建っている場所の周辺は当時の面影もなく、明治から大正にかけて著名な文学者が、ここから房総の山々を眺めながら執筆した場所としてイメージするのはむずかしいのが現実です

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ただ、違った意味で趣きがあるなあと思ったのは、石碑の間近に迫る堤防補強壁によって区分されたスペースを利用して、さまざまな草花盆栽果樹等が植わっている(育てられている)風景が堤防沿いにずっと続いていたことでした

当時の面影は無くなっても、吉井勇のこの歌が、この季節周囲の風景にぴったりでした

冬の海 見ればかなしや 新佃 海水館は わび住みにして (吉井 勇)

 

 

「川野美華 個展」〔メグミオギタギャラリー〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月13日 12:00

銀座2丁目、銀座大塚ビル地下1階にある「メグミオギタギャラリー」で、川野美華 個展夜行性の庭」が開催されています

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開催期間は、1月28日)までです

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ギャラリーには、川野氏大作が並びます

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個展名の「夜行性の庭」シリーズと西洋の神話聖書に題材を採った作品は、独特の世界観で、観る者を引き込む強い力を持っています

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特に、展示されている作品すべてに共通する背景の肌色は、何か非現実的なものが描かれているにもかかわらず、違和感を感じさせない効果があるのではと思いました(全くの私見です

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また、それぞれの絵のポイントに配されるコラージュつけまつ毛だったり、真珠だったり、セミの羽だったり、バンドエイドだったり)は、表現の多彩さを感じさせ、作品の魅力になっていると思います

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不気味残虐エロティック、さまざまなものが詰まったを開けたような作品展です

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この個展が、外界の音を完全にシャットアウトした地下1階静かなギャラリーで開催されたことも、作品展の魅力になっていると思いました

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開廊時間は、火曜日から 土曜日11時から19時までです

祝日は休廊日です

なお、ギャラリー内での写真撮影については、特別にご了解をいただきました。ありがとうございました

メグミオギタギャラリーのHPはこちら ⇒

http://www.megumiogita.com/

芸術芸術芸術

 

 

生姜の効いたすっきり醤油ラーメン〔月島ロック〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月12日 14:00

月島というと、「もんじゃ」なのですが、その「もんじゃストリート」から大通りを渡ったところにある佃2丁目Bar & ラーメン店の「月島ロック」です

店内は完全にBarです

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このBarでいただく「月島ロック醤油ラーメン)」がおいしいのです

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月島ロック醤油ラーメン)は、生姜の効いた豚100%のスープです

スープは豚100%とは思えないほど澄んでいてすっきり。生姜の香りが鼻に抜けます

麺は細麺です。

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ここには、「ハチロク」という豚スープ魚介系Wスープのラーメンと、鶏白湯系の「とりそば」もあります

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寒い冬には、生姜の効いた「月島ロック」がお勧めです

最寄駅は月島駅4番または6番出口からほぼ等距離です

 

 

晴海と月島の小さな公園

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月11日 16:00

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晴海にある「ほっとプラザはるみ」の隣に中央清掃工場があり、その清掃工場晴海通り沿いの角のスペース小さな公園散策路)があります

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その公園内には、クライミング遊具やいくつかの遊具が設置されています

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ここに、「晴海見本市会場」記念碑があります

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ここは、平成8(1996)年東京ビッグサイト有明)がオープンするまで、東京モーターショーなどが開催されていた東京国際見本市会場でした

 

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月島3丁目、「西河岸通り」に面して, 「わたし児童遊園」があります

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こちらも小さな公園で、すべり台、ブランコ、シーソーなど、いくつかの遊具があります

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この公園中に月島の渡し跡という説明板が設置されています

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月島の渡しは、月島一号地の埋立が完成して間もない明治25(1892)年手漕ぎの有料渡船に始まりました。その後、昭和15年ごろまで, およそ50年間運航されたそうです(勝鬨橋の完成により廃止)

その間、月島は東京の臨海工業地帯として発展し、明治44年には,乗客の増加に対応するために、徹夜渡船も行われたそうです

どちらの公園も、晴海月島歴史を確認させてくれるスペースです