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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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新川一番船

[之乎者也] 2015年12月21日 09:00

17世紀、材木を商って富を得、海運・土木などの分野でも活躍した豪商河村瑞賢(1618~1699年)は、霊岸島(現在の新川1丁目)付近に居を構えていましたが、1660年に大川へ通じる掘割を開削します。掘割は「新川」と呼ばれ、周囲には酒問屋の蔵が立ち並ぶようになります。ShinkawaSake1.jpg

【江戸名所図会「新川 酒問屋(さかどいや)」(長谷川雪旦 画)】

 

長谷川雪旦の描いた「新川 酒問屋」では、江戸湊まで菱垣廻船/樽廻船で運ばれた下り酒が、品川沖で伝馬船に積み替えられ、新川の河岸で揚げられる姿が描かれています。酒の輸送にはその後自動車が用いられるようになり海運は廃れ、また新川も戦後のがれき処理で1949年には埋め立てられてしまったため、酒問屋のあった場所は、町名とオフィスビルやマンションの合間に立つ「新川の跡 記念碑」にその名残を残すだけとなっています。ShinkawaSake2.jpg

【新川公園内に残る「新川の跡 記念碑」】

 

かつての酒問屋の賑わいのあとを求めて街を歩いてみました。

 

埋め立てられた新川跡に面するように新川1丁目のビルの合間にひっそりと建っているのが酒問屋の守り神として信仰された新川大神宮。今でも新川大神宮では毎年10月中旬に酒関係者が集まり例大祭が行われており、その様子(2014年のもの)は特派員サムさんからブログ記事「新川大神宮御例祭2014(/archive/2014/10/2014-6.html)」で紹介されています。

 

新川には現在も酒卸関係団体(全国卸売酒販組合中央会)、日本酒メーカー(白鹿、金盃など)、酒問屋(加島屋)などが拠点を置いており、新川大神宮にも日本酒・醤油ほか醸造関係者を中心に名前を連ねています。ShinkawaSake6.jpg

残念ながらこれら大きなメーカーからは我々一般消費者は直接買うことはできませんが、新川地区には今でも小売酒屋さんが数軒営業をしています。本日はその中の一つ、今田商店にお邪魔しました。ShinkawaSake3.jpg今田さんは広島県出身、実家は造り酒屋の今田酒造本店(東広島市安芸津町)で、「冨久長(ふくちょう)」というお酒を造っています。こちらは新川のお店でも買うことができます。今田さんに、おすすめの日本酒を紹介頂きました。右手の緑色の瓶が「冨久長」(今田酒造本店 )、左手は「誠鏡(せいぎょう)」(中尾醸造 広島県竹原市)です。竹原と言えば酒どころ。NHK朝ドラ「マッサン」の実家の竹鶴酒造も竹原でしたね!ShinkawaSake4.jpg新川という場所にこだわり、単にお酒の販売にとどまらず、お酒の魅力・面白さを伝えたいという気持ちでお店をやっている今田さん。ふらっと訪ねての試飲も可能ですが、定期イベントとして日本酒、ワイン、スパークリングその他の試飲会もやっていて、先月ボジョレー・ヌーヴォー解禁日(11月21日)に行われた日本酒会には80名のお客さんが来訪するという盛況だったようです。

日本にもすっかり定着したボジョレー・ヌーヴォー(Beaujolais nouveau)解禁イベント(フランスで始まったのは1951年)ですが、遡ること200年前の江戸時代、日本では「新酒番船(しんしゅばんせん)」という定例行事が旧暦10月に行われていたそうな。

新酒番船とは享保年間(1727年)から始まる行事で、上方から江戸へ酒を運ぶための樽廻船が、同時に上方を出帆しその年の新酒を江戸まで運ぶ早さを競うレースでした。通常の輸送では、2~3週間程度かかるところ、5日程度で運ばなければ入賞できない厳しいレースで、そのゴールはこの新川だったそうです。ShinkawaSake5.jpg

 【江戸名勝図会 「新酒番船江戸新川入津図」(二代目歌川広重 画)】

 

今田さんのご厚意により、店の高級酒コーナーの「大吟醸 龍力 新川一番船(兵庫県姫路市 本田商店)」を見せてもらいました。まさに、この「新酒番船」から取った名前のようですが、酒の本場である播磨の大吟醸に「新川」の名前が入っているなんて、なんだか誇らしい気分です。高級酒(一升瓶 7,000円弱)でしたのでさすがに試飲は無理でした(笑)が、何かのお祝いにかこつけて、買って一度味わってみたいものです。

ShinkawaSake7.jpg

 

【今田商店】

所在地:〒104-0033 中央区新川1-10-10

電話番号:03-3551-5885

営業時間:8:00~19:00(日・祝休)

 

【新川の跡 記念碑】

所在地:〒104-0033 中央区新川1-31-1

 

【新川大神宮】

所在地:〒104-0033 中央区新川1-8-17

 

 

木挽町懐旧(レトロ)~酒蔵 秩父錦~

[之乎者也] 2015年12月19日 16:00

日本大好きなイギリス人の友人が出張で東京に来ることになりました。いつもはおいしい和食をということで、味優先でお店を決めていたのですが、世界遺産「白川郷」の番組を見て以来、古民家大好きな彼からは「伝統建築のレストランで」とのリクエストでしたので、今回は木挽町の秩父錦に行くことにしました。Chichibu5.jpg

実はこちらのお店、今年7月に選定された「中央区近代建築物調査100選」リストの最初http://www.city.chuo.lg.jp/bunka/timedomeakashi/kindai_kentikubutu_tyousa/kindai-ichiran.html)に載っている建物で、木造の「出桁(だしけた)造り」の町家です。 Chichibu6.jpg

【出桁造りの特徴(黄色矢印部分)】⇒梁(腕木)を側柱から外に出して、その先端に軒桁を出した構造。

銀座2丁目と交通の便は悪くはない場所ではありますが、昭和通りを越えた静かな一角にあります。銀座とはいえ木挽町ですので、昔は秩父錦のみならず似たような風情のある建物が立ち並んでいたのでしょうが、今では周囲は近代的な鉄筋コンクリート造りのビルに建て替えられており、そのような中にひっそりと佇む感じで立っています。

のれんをくぐり、ちょっと重い扉を開けて中に入ると、高い天井、木のカウンター、奥に見える神棚のあるお座敷と。。。ここは何処?本当に東京のど真ん中?という雰囲気の店内です。Chichibu1.jpg

 もともとは氷屋(氷や炭を売る店)だったのを昭和40年代以降改装し、居酒屋として運営しているお店でした。Chichibu4.jpg【店内に飾ってある「渡辺氷室」の写真】

 

こんにゃくみそおでん、揚茄子胡麻味噌、銀杏焼などの郷土料理ぽいものを注文してみましたが、メニューへのこだわりがいま一歩なのと、お世辞にもあまり良いとはいえないお店の方の愛想がちょっと残念かな。まあ、イギリスの友人はこんなもんでしょっ!それもレトロで良いじゃない。」とご満悦の様子でしたが。。。Chichibu2.jpg

昭和のレトロな建物の雰囲気を楽しみ、木挽町の昔に思いを馳せた夜でした。Chichibu3.jpg

 

【酒蔵 秩父錦】

所在地:〒104‐0061 中央区銀座2-13-14

交通:地下鉄日比谷線・都営浅草線東銀座から徒歩4分程度。

電話:03‐3541‐4777

営業時間:17:00~22:30(土日祝休)

 

 

文学で知る中央区(その4)~しんがり 山一證券 最後の12人~

[之乎者也] 2015年12月17日 09:00

落ち着いて読書を楽しんだ秋の夜長の季節もあっという間に過ぎ去り、いつの間にか師走に突入です。仕事に忘年会と慌ただしい日々が続きますが、そんな中今回は「文学で楽しむ中央区」の第4弾として、仕事帰りに八重洲ブックセンターで買った文庫ベストセラーの『しんがり 山一證券 最後の12人』(清武英利著:講談社α文庫)をご紹介します(第3回までは「文学で楽しむ中央区」としていますが、現代の話ですので今回は「文学で知る中央区」と名前を変えての登場です)。

 

Shingari1.jpgこちらについては、日曜の夜に「連続ドラマW しんがり~山一證券 最後の聖戦~(江口洋介主演)」が、9月20日からWOWWOWで放映されていたのでドラマでご覧になった方もいらっしゃると思いますが、今まで3回にわたってご紹介した江戸時代のお話とは異なり、わずか18年前(1997年11月)、現代の中央区が舞台となった「ノンフィクション」のお話です。

 

 

「山一證券の本社は、塩浜ビルから都心側に5キロほど戻った中央区新川にある。こちらは青い窓ガラスがきらきらと輝く21階建ての高級オフィスビルだ。一見、変哲の無い真っすぐのビルは、13階のあたりから突然、積み木細工のように部屋を互い違いに重ねたような凝った作りになっている。そこから隅田川と、佃島の三角州に立つ八棟の超高層マンションを見渡すことができた。成功者の住む『大川端リバーシティ21』である。。。」。Shingari2.jpg

小説のはじめ「第1章 予兆」に登場する旧山一本社ビルは、現在は新川に本社のあるレジデンス・ビルディングマネジメント(RBM)という不動産会社が所有し、山一證券とは関係のないさまざまな会社が入居しています。

ビルは18年前同様現在も永代通り沿いの隅田川と永代橋を見下ろす場所に周囲を睥睨するように立っており、バブル時代の当時、創業100年を迎え、4大証券の一角として業界に君臨する本社のエリート職員の気持ちを表すような建物を今も見ることができます。Shingari4.jpg

この小説の主人公の嘉本隆正(かもとたかまさ)ほか「ギョウカン(業務管理本部の通称)」の12名は、もともと華やかな本社勤務とは縁の無い会社人生を送り、「場末(ばすえ)」と呼ばれる塩浜のビル(江東区塩浜。地下鉄東西線木場駅の南東方約500メートル)で仕事をしていましたが、1997年11月の三連休の初日に日経朝刊に「山一證券自主廃業へ 負債3兆円 戦後最大」というスクープ記事が出、「社員は悪くありませんから!悪いのはわれわれなんですから!お願いします。。。」という社長の号泣会見が行われる中で、会社の最後の仕事ーーー会社を滅亡に追いやった原因である「簿外債務」の真相解明と顧客に対する清算業務ーーーを引き受けることになります。Shingari3.jpg

【山一證券 社内調査委員会 社内調査報告書(表紙)】http://kunihiro-law.com/files/open/writing/555d7e5511jn4cpn563ju_pdf.pdf

 

山一證券の破たんという企業敗戦にあたり「戦に敗れて退くとき、軍列の最後尾に踏みとどまって戦う兵で、盾となって戦うことで、多くの兵が逃れて再起を期す」という兵法で言う「殿軍(しんがり)」の役回りを引き受けた12人のお話です。最初は社内調査を進めようにも相手にもされなかった主人公ですが、志を持ち奮闘する姿に協力者は徐々に増え、最後には「社内調査報告書ーーーいわゆる簿外債務を中心として」が完成されます。第3回でご紹介した「関東郡代 伊奈半左衛門忠順」同様、必ずしもハッピーエンドで終わらないお話ですが、419ページ超のストーリーは、読むものを引き付けて離しません。

 

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 その後、東京証券取引所も大阪証券取引所と経営統合し2013年1月には日本取引所グルーブ(JPX)が誕生しました。また、バブル期の89年12月に史上最高値(3万8,916円)を記録した日経平均は、その後低落を続け、リーマンショック後の09年3月にはバブル後最安値(7,055円)を付けたものの、最近(2015年12月)では2万円前後に回復し、東証のある兜町界隈も元気を取り戻したのでしょうか?山一證券の破たんした97年当時、永代通りには山一證券本社とともに金融危機の影響で相次いで破たんした準大手証券の三洋証券(97年11月3日 会社更生法適用)、北海道拓殖銀行(97年11月17日 都銀初の破たん後、北洋銀行に営業譲渡)東京支店が立ち並んでおり、兜町界隈では自虐的に「倒産通り」と呼ばれていたことについても小説では語られています。Shingari5.jpg

【車で混雑する永代通り:東京証券会館付近】


兜町でも97年の出来事はひと昔前のこととなりましたが、「しんがり 山一證券 最後の12人」は、証券業界とともに東京証券取引所と証券会社が立ち並ぶ中央区の現代史を知る機会を与えてくれます。

 

【旧山一證券ビル(茅場町タワービル)】

所在地:中央区新川1-21-2(*こちらは一般の会社の事務所や住宅がある場所ですので、見学等のために勝手にビル内部へ立ち入ることは止めましょう(外から見ることに留めましょう)。)

交通:地下鉄東西線茅場町駅下車徒歩7分。都バス東20、22永代橋バス停下車そば。中央区コミュニティサイクル(CCC)「B06 アクロス新川ビル」サイクルポートから徒歩1分程度。

 

 

鉄砲洲稲荷神社門前「御菓子司 しげ田」

[之乎者也] 2015年12月14日 09:00

いつものこと、鉄砲洲稲荷神社向かいの和菓子屋さん「しげ田」の前を通りかかると、ちょっと気になる張り紙が。。。Shigeta2.jpg

 

鯛焼き  焼き時間 2時から!

 

黄色い紙に大きく手書きで「鯛焼き」と書いてあるので、興味を引かれてちょうど店に出ていたおばあちゃんに「たい焼きありますか」と聞いてみると「最後の一つだけならあります。」ということで、一つ貰うことにしました。ちょうど私の後に来た馴染みらしいお客さんが「三つ欲しかったんだけど、今日はもう終わっちゃったんだね。」と残念そうに呟きながら帰っていくのを見て、「どんなたい焼きなんだろう?」と期待が高まります。たい焼きといえば甘酒横丁(人形町)の柳屋と決めていたのですが、家の近くにそんなにすごいたい焼きがあったなんて!

 

 さっそく出てきた鯛焼きくんとご対面です。。。Shigeta3.jpg

ちょっと色黒系かな?!

 

皮は厚めでもちもちな食感。中の黒糖あんこの甘味とのバランスが絶妙で、美味しく頂きました。なお、このたい焼きさん、冬季限定(11月~3月)で今が「旬」のようです。

 

お店は先代が昭和の初めに創業したということで、目の前の鉄砲洲稲荷神社へお参りのお客さんが寄られることが多いそうです。Shigeta1.jpgお赤飯も置いてあり、七五三などお祝いにたくさん出るそうです。

和菓子屋さんですのでもちろん鯛焼き、お赤飯以外にもいろいろな和菓子が並んでいますが、おすすめは栗まんじゅうとのこと。

こちらも頂いて帰ることにしました。Shigeta4.jpg最近は和菓子もデパ地下で買うことが多いので、こういう小さな地元のお店で買う感覚、新鮮でした!

Shigeta5.jpg御菓子司 しげ田】

所在地:中央区湊1-10-8(鉄砲洲稲荷神社向かい)

電話:03‐3553‐4458

営業時間:9:00~18:00位まで(日祝休)

交通:都バス「東15」・江戸バス「南循環」鉄砲洲停留所下車目の前。中央区コミュニティサイクル「B01鉄砲洲児童公園」サイクルポートそば。

 

 

銀杏小咄~蛎殻町にて~

[之乎者也] 2015年12月11日 12:00

日一日と寒くなるこの季節、目を愉しませてくれるのがイチョウ(銀杏)の黄葉。Ginkgo3.jpg中央区でも特派員サムさんの12月3日記事「イチョウ黄葉(

/archive/2015/12/post-2914.html)」で紹介された浜町公園入口緑道など各地で見頃を迎えています。

 

休日の土曜、京橋スクエアガーデンの中央エフエムスタジオで「大好き中央区」の収録を終えたあと、天気も良いので柳通りのポートから借りた中央区コミュニティサイクル(CCC )で街を流していると、蛎殻町の新大橋通り沿いで黄金色に染まる一角を見つけました。さっそく自転車を止めてみると、鳥居があり、左右に銀杏稲荷と銀杏八幡宮の文字。

 

Ginkgo1.jpg境内には大きなイチョウの木が聳え一面黄金色です。この八幡宮、正確な創建は不明だそうですが、江戸中期の1775年(安永4年)に、常盤橋の福井松平氏の邸内鎮守であったご祭神の誉田別尊(ほんだわけのみこと)を社殿にお祀りしたそうです。こちらは中央区では唯一の八幡宮だそうで、当時既に樹齢300~400年の大銀杏が境内にあったため、銀杏八幡宮と呼ばれたようです。残念ながら名前の由来となった大銀杏は1923年の関東大震災で焼けてしまったそうで、現在のイチョウの木はそれとは別のものです。

 

Ginkgo2.jpg

ところで、イチョウといえば冒頭のサムさんブログ記事でも説明の通り、公害・病虫害、火などに強く、その生命力から東京でも神宮外苑など多くの場所で街路樹に使われ、「都の木」としても知られています(昭和41年の都民投票により選定)。Ginkgo5.jpg更には、東京大学のシンボルマーク(「東大マーク」)は黄色と淡青の2枚のイチョウの葉を組み合わせたものですが、そうなると気になるのが、都バスや大江戸線で見かけるあの緑色のマーク。

 

Ginkgo4.jpgイチョウの形に似ているので、そうなのかと思いきや、実はこちらはイチョウとは無関係なのだそうです。東京都の頭文字の「T」をデザインし、東京都の躍動、繁栄、潤い、安らぎを表現したもので、平成元年6月に東京都のシンボルマークとして制定されています。

 

【銀杏八幡宮・銀杏稲荷】

所在地:〒103-0014 中央区日本橋蛎殻町1-7-7

交通;都バス「錦11」蛎殻町停留所下車徒歩3分程度、半蔵門線水天宮駅から徒歩5分程度。

祭神:誉田別尊

境内社:銀杏稲荷神社

 

 

閉塞成冬、熊蟄穴???

[之乎者也] 2015年12月10日 09:00

四字熟語?今回も意味不明なタイトルからのスタートです。街中でついつい目に入ってしまいましたもので。。。(汗!)。

 

中央区もすっかりクリスマス気分。209本のツリーに約13万個の LEDが輝く「GINZA ILUMINATION 2015 樹がつなぐ未来 ヒカリミチ」など、区内各所で素敵な夜を演出しています。それらの様子はサムさんの12月1日付記事(/archive/2015/12/ginza-illumination-2015.html)など他の特派員の方が書かれているので、詳細はそちらをご覧頂ければと思いますが、本日はそんな夜の中央区で、ついつい華やかなイルミネーションがある「上」に目がいきがちなところ、視点を変えて「足もと」にも目を向けてみましょうというお話です。

 

師走のある日の帰り道、黄昏の中央区を中央区コミュニティサイクル(CCC )で流して行きます。京橋スクエアガーデンから中央通り車道をCCC を走らせれば、改装が終わり9月に再オープンした明治屋のファサードには大きなリースが飾られて、照明の美しさと相まって息をのむ美しさです。Kumaanakomoru1.jpgちょっと写真を撮りたいと思い、歩道脇に自転車を止めると、そばの花壇に「フレンチ・マリーゴールド」と云うのでしょうか?鮮やかな黄色の花が目に入ります。Kumaanakomoru2.jpg中央通りの「はな街道」については、以前7月26日付ブログ記事(/archive/2015/07/post-2597.html)でちょっとだけ触れたことがありましたが、真夏だったこともあり、当時は花壇の花も夏バテ?、疲れた感じでした。

久しぶりにじっくり眺めてみると、この寒さの中、元気に咲いていてこちらも生命力をもらったような気分になります。

2002年スタートのはな街道も、今年で13年目とすっかり中央通りに定着した感じですが、明治屋前の花壇の水奉行は目の前の明治屋さんが任じられています。前述のとおり、お花もとってもきれいだったのですが、ツボにはまってしまったのが「閉塞成冬」、熊蟄穴」といったパネル上の謎の四字熟語。Kumaanakomoru3.jpg

どうやらこれは「七十二候」というもののようです。

 

【閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)】12月7日~11日頃、天地の気が塞がって冬となる。

【熊蟄穴(くまあなこもる)】 12月12日~16日頃、クマが冬眠のために穴に隠れる頃。

 

中国の戦国時代(BC403年~BC221年)ごろにつくられた暦の一種の「二十四節気」を細分化したもので四季の変化を短文で示したものでした。疑問が解けてすっきりしたところで家路を急ぎます。北風がぴゅ~ぴゅ~吹く中CCCでの帰宅はちょっとつらいですが、元気に咲くマリーゴールドに力を貰って家路を急ぎます。

 

「閉塞成冬」はいいけれど、その前に「おぬしのその四字熟語みたいなブログネームは読み方がわからん!」と、一部の読者の方から苦情がありましたので、最後に七十二候に続いてミニ解説を。

 

 【之乎者也(なりけりべけんや)】  読み下し文では「なりけりべけんや」となりますが、名乗るときは中国語の発音の「ちーふーちゅ~いぇ(zhī hū zhě yě)とさせて頂いております。


それでは「閉塞成冬」の今週も寒い日が続きますが、皆様どうぞお風邪などひかれませんように!