[滅紫]
2011年11月30日 08:30
宮部みゆきの「平成お徒歩日記」を読んで以来、「いつか私も」と長らく思っていたところ、「中央区の歴史散歩2011秋」というぴったりのこの企画を見つけ早速参加してきました。
今日の参加者は19名、案内人は「勝海舟」のマーク入りキャップが目立つ中央区「文化財サポーター」さん。集合場所の永代橋西詰南側に集まってくる参加者の皆さんはグループ参加の常連の方が殆どで初参加は私を含めて2-3人。小春の陽射しの暖かい快適な散歩日和に感謝してさあ出発です。
吉良邸討ち入り後から泉岳寺までの引き揚げルートは義士の原惣右衛門の「討入実況覚書」や富森助右衛門の「富森助右衛門筆記」によれば「道筋の儀は街筋は御礼日の儀に御座候故差控へ、御船蔵の後通り、永代橋より鉄砲洲へかかり、汐留橋筋、金杉橋、芝へ出候て、泉岳寺へ参候」とありますが、今回はこの内の「永代橋~間新六供養塔のある築地本願寺」まで[永代橋~新川跡~堀部安兵衛の碑~高橋~稲荷橋跡~鉄砲洲稲荷神社~浅野内匠頭邸跡~築地本願寺」の約2時間コースです。
お芝居では引き揚げの時は両国橋のたもとに集合している図が定番になっていますが討入翌日の15日は江戸城への登城日のひとつでしたから登城行列を避けて裏道を通ったというのが正しいようです。
豊海橋前で説明中
亀島橋たもとの堀部安兵衛武庸之碑
安兵衛の住居は京橋永谷町にあったそうですが他の記載内容は史実からすると誤謬が多いとのこと。
古地図を見てサポーターの方の説明を聞きながら歩きます。「豊海橋から高橋までの霊岸島・新川・越前堀などはすっかり変貌していて残念」とのこと。橋の位置が変わっていたり埋め立てられたところが多いので歩いている場所を確認するのも大変。
鉄砲洲稲荷神社の「富士塚」この稲荷社は江戸時代は八丁堀の船入堀に架かる稲荷橋近くの河岸地にあり「湊稲荷」と呼ばれていた。明治元年に現在地に移転。渡された「江戸名所図会」の「湊稲荷社」のところを見ると「いなり橋」のすぐ横に「稲荷」と「富士」が見えます。
「都旧跡 浅野内匠頭邸跡」の石碑」聖路加看護大学の敷地角にある。ここは赤穂藩浅野家上屋敷があったところ。
ポイントポイントでの説明に常連参加者から「それちょっと違うんじゃない」などと顔なじみの方同士の遠慮のない和気藹々とした掛け合いも楽しく、いつの間にか2時間も歩き続けていました。供養塔の前で解散です。「泉岳寺までの続きはいつ?」(中央区はずれるのですが。・・・)という次の企画への期待の声もかかって大成功。
[間新六供養塔」の前でシメの説明。
間新六は引き揚げの途中で携えた槍に金子を結びつけ自身の供養料として築地本願寺の塀の中に投げ入れたというのが伝説になっておりこの供養塔が建てられています。
「中央区の歴史・観光まち歩き」は「江戸東京400年のルーツを歩く」「人形町歴史散歩」など8コースあり2時間程度3名以上のグループで申し込みが可能です。お申し込みは中央区観光協会:TEL3546-6525 「文化財サポーター」の養成講座のお問い合わせはTEL3546-5526
[ビッキー]
2011年11月29日 18:26
中央区の子供たちによる「新富座こども歌舞伎」を御存知でしょうか?
江戸歌舞伎発祥の地である中央区で、いまなお若い世代がその伝統を受け継ごうと頑張っている姿には感心させられます。
本日の舞台は日本橋三越1Fの中央ホール、中央区商店街連合会さんの60周年記念の大舞台です!
「ちびっ子たちが可愛く踊っているのかな・・・」なんて軽い気持ちで待っていたら、その堂々とした舞にしばし驚いてしまいました。
後ろの屏風、ましてや天女像さんにも決してひけをとらない凛とした姿に感動です!満員のお客様、外国人さんたちも、じっと見守っていましたよ。ちなみに本日の演目は「寿式三番叟」「白浪五人男」。大人の私でも、きちんと理解するのは難しそう・・・
私は端のほうで観覧していましたので、舞台袖の奥のほうが少し目に入ったのですが、出番を待つちびっこ役者さんたちが「わぁ緊張する!」なんて言っているような様子が見えて、こちらは子どもらしさを感じられて微笑ましかったです!
子どもたちがひたむきに頑張る姿からは、パワーをもらえること請け合いです。
次回の公演は来年2月5日(日)、鐵砲洲稲荷神社の「節分祭」ですので、みなさま是非お楽しみに!
新富座こども歌舞伎 http://www.ne.jp/asahi/shintomiza/kk/index.html
[銀造]
2011年11月19日 08:30
「中央区商店街連合会60周年記念宝探しゲーム」 のヒントを差し上げます。
(←2011年11月17日より、
この表記とは少し変更となっております)
もちろん、水の中にもありません。 先人が大切に守ってきた祭礼に敬意を表しましょう。
水天宮さんには、善男善女のみご参拝可です。お子達のご健康をご祈願下さい。
では、歴史をお勉強しながら、楽しく宝探しをお楽しみ下さい。宝探しのご案内は、http://www.takarush.jp/promo/chuo/
[ゆりかもめ]
2011年11月17日 08:30
松島神社・・・・日本橋人形町2-15-2
財宝無限、大願成就、霊験あらたかと云われる神社です。
お正月に三越本店を出発する「日本橋七福神めぐり」のコースにも入っています。
明暦の大火(1657年)が起る以前は周囲に芝居小屋が多くあった為に人形細工の職人、呉服商人、歌舞伎役者,芸妓の参拝が多かったようです。
11月の「酉の市」は今も盛大に行われ昔は歓楽街であったようです。
縁起物として鷲が獲物を「掴む」と云うところから熊手が売られるようになり他に「頭の芋」(とうのいも)栗で作った「黄金餅」「山椒餅」が売られます。
冬に向かっての風邪の予防でもありました。
最近では「良夢」の札も売られ若い人の参拝も多いそうです。
熊手は年々「大きな熊手」を買う風習があります。
一つ「参万円」との値段なら「弐万円・・・・にして」って値切れば良いそうです。
「弐万円」で買う事が出来れば壱万円」は「御布施」として収める事を忘れずにね・・・・
一つ、熊手が売れると「三三七拍子」の拍手が起ります。
私も皆と一緒は拍手しました。
※ 昔、お祖母チャマが酉の市で買った「熊手のカンザシ」 を髪に付けていました・・・・
と一緒に行った友人が話してくれました。
[坂の上のねこ]
2011年11月15日 08:30
小春日和の週末、月島社会教育会館にて、第63回中央区民文化祭・作品展が開催されました。
絵画、写真、書道、手芸品、工芸品、生け花、俳句などを楽しむサークルの皆さんが日頃の活動の成果を披露する場ということで、42の団体・個人から、627もの作品が出品されました。
会場では、押絵づくり、組紐で作る携帯ストラップなどの体験も行われており、
来場者の皆さんも文化の秋にぴったりのひとときを楽しんでいました。
今年の展示は13日で終了しましたが、来年またぜひいらしてみて下さい。
興味のあるサークルに参加して、作品を出品するのもいいですね(ちなみに、写真のアラビア書道の作品は私の夫が出品しました)。
[銀造]
2011年11月11日 18:00
平成23年10月30日、見番通りの命名のお披露目の会が開催され、行って来ました。
初めに、挨拶として、銀座西八町会の会長 高坂松次郎様による命名の経緯をご説明いただき、
次に卓話として、講師は新橋 料亭金田中の若主人・東京新橋組合頭取の岡副真吾様による幕末から今につながる銀座の芸者~見番通り命名に寄せての卓話として、軽妙洒脱なお話を頂きました。その内容をちょっと、ご紹介しますと、 新橋芸者のルーツは、
―――金春太夫が賜った居宅地を芸事のお師匠さんに貸し、そのお師匠さんたちは美しい女性が多かったので、大名屋敷の歓送迎などに呼ばれたそうです。 その金春芸能村の常磐津文字和佐(Ms.Tokiwazu Mojiwasa)さんが、当時の江戸幕府の年寄に掛け合って「酌取り御免」という許可を得、芸事を披露することとなり、それが下地となって花柳界が形成されました。―――
幕末、尊皇攘夷を胸にいだき西国から来た若い侍たちは、当時最高級の柳橋では相手にされず、新橋芸者が温かくおもてなしをしたので、ひいきにしたということでした。
それをきっかけに、明治初期には江戸の文化を引き継ぐ柳橋と新興の街 新橋、「新柳二橋(シンリュウニキョウ)」と呼ばれるまでに新橋花柳界は発展したとのことですが、ここでも秘話が紹介されました。―――東海道線が名古屋まで開通の折、明治の元老、外務卿、農商務大臣、内務大臣などを歴任した長州藩出身の井上馨が新橋駅から名古屋駅まで汽車を一輌借りきりで新橋芸者を名古屋の花柳界に招待し、そこで踊りを披露させたそうです。 当時の名古屋は、八代将軍吉宗と争った尾張候の芸能奨励以来、商売・芸事、共に大変盛んであったそうです。
残念ながら、この時の新橋芸者衆の踊りは名古屋では評判が良くなく、名古屋の芸妓に、「東京から離れ遠くから聞いていたときは、さぞや綺麗なことだろうと思っていたけれど、近くで見ると大したことがない。 まるで、「岐阜提燈」と罵られ、恥をかき、大変悔しい思いをしたそうです。 肩を落として新橋へ帰ると、土地の重鎮が一年発起。全国から宗家家元と呼ばれる一流の師匠を迎えました。 稽古に稽古を重ね、もっと上手に踊りたいとの思いが、大正14年の新橋演舞場の建設に繋がっていったとか。
最後に、素敵な舞踊が披露されました。 踊りは、長唄「雛鶴三番叟」
立方(踊り)は、喜美弥、秀千代、地方(三味線などの演奏)は、絹子・照代・由良子・晶子・史恵さんでした。 素敵な踊り、お許しを得て、1枚ご披露します。
来年の「東をどり」が楽しみだなぁ。 今年の「東をどり」のレポートは、こちらです。http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2011/05/87.html