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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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伝統的な商家の建物 濱野家住宅

[TAKK...] 2013年6月30日 14:00

築地界隈には、戦前の面影をとどめる趣きある家屋が数多く残されています。

 

濱野家住宅1.jpg

 

中央区の区民有形文化財に指定されている「濱野家住宅」も、その一つと言えるでしょう。

 

海産物の仲買を営んでいた濱野家の店舗併用住宅として、昭和5年(1930)に建てられたものだそうです。

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雨樋部分には家紋が施されています。手の込んだデザインですね。

瓦には「正」の字も見られます。

細部の意匠は手が込んでいるのに、調和がとれた気品のある佇まいです。

 

内部は非公開となっておりますが、外観から昭和初期の商家の生活に思いを馳せることができると思います。

 

 

 

◆第12回ブーケ祭り ~開館20周年「二十歳のブーケ」、にぎわう~

[巻渕彰/写楽さい] 2013年6月25日 09:00

中央区立女性センター「ブーケ21」で6月21・22日の両日、第12回中央区ブーケ祭りが開かれた(写真左) 。ことしは同センターが開館20周年を迎えたことから、「二十歳のブーケ ~共に創り、共に歩む~」をテーマに、30以上の登録団体が参加した。

詳しくは、中央区ホームページ 2013/6/19付 >>こちら

 

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今回は1階ホールが「発表の広場」となり、「金子みすゞ いのちへのまなざし」と題したひとり舞台や各参加団体が活動などを紹介する発表会が催された。同館の1階から4階までの会場を使ったこの祭りには、近くの小学校の児童をはじめ、区民が来場してにぎわった。

 

中央区の歴史・観光ボランティアガイド団体の中央区文化財サポーター協会も初めて参加し、ブース出展や発表会でまち歩き活動のプレゼンを行った(写真右)。@巻渕彰

 

 

 

6月16日は「嘉祥」の日ーとらやの「嘉祥菓子7ケ盛」

[滅紫] 2013年6月14日 14:00

江戸時代「嘉祥」は五節句や八朔と同じ幕府の年中行事の一つで大名や旗本は総登城し、江戸城大広間に並べられた約2万個の菓子を将軍から分け与えられました。菓子を食べ厄除けと招福を願う儀式です。

「東都歳事記」にも

―「十六日嘉祥御祝儀、諸侯御登城、良賎佳節を祝す、(家々餅を製す、下賎の者は、銭十六文を以て食を調え、食すること、かへっていにしへの例にかなへるにや、」― とあります。

「嘉祥」の起源は不明ですが、「室町時代、武家や宮中で行われ、この日楊弓で負けたものは中国の「嘉定通宝」16枚で食物を購って勝者に供した。「嘉」と「通」が「勝」に通じることから武家に喜ばれた」ことによるものと云われています。江戸時代に最も盛んになったのは「家康が三方ケ原の戦いの前、戦勝祈願し、嘉定通宝を拾って縁起をかつぎ家臣の大久保籐五郎が手製の菓子を献上した故事に因む」とか。この大久保籐五郎(主水)は家康の命により後に神田上水に発展する小石川上水を開発したことでも知られていますが、菓子作りの才を生かし幕府の御用菓子屋となり、代々「嘉祥」に深く関っていたとのことです。(とらやさんのHP)


明治以後嘉祥の行事は廃れてしまいましたが、全国和菓子協会がこの日を「和菓子の日」として行事を行うようになっているのはご存知の通りです。


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写真はとらやさんが「江戸時代末期に宮中に納めた嘉祥菓子を再現したもの」です(6月14~16日までの期間限定販売。14,15は予約のみ。16日は店頭販売あり)毎年何故かタイミングが合わず、数年越しの対面となりました。感激です。


時代小説に時々「嘉祥の日」にお菓子を賜る場面が出てきますが、「500畳の大広間に菓子2万個」「何軒の菓子屋が製造した?」「狙ったお菓子がなくなったら大名同士こっそり交換したのかしら?」など想像・妄想を膨らませていました。とらやさんのHPによると「将軍が手ずから菓子を与えるのは最初だけ、以後は奥へ退出。大名や旗本は自ら菓子を取った。2代将軍秀忠までは将軍自ら菓子を与えたため数日間肩が痛かった」とあり、思わずニヤニヤしてしまいました。

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とらやさんではこの「嘉祥菓子7ケ盛」の他に「嘉祥饅頭」や「嘉祥蒸羊羹」も販売されていますので店頭をのぞいてみてください。(お店によって取り扱いのないところもあるとのことです)


とらやさんは室町後期京都で創業。あらためて説明の要のない老舗中の老舗です。今回伺ったとらや銀座店さんは1947年の開店。2Fに銀座通りをながめながらお茶の楽しめる「虎屋茶寮」もありかき氷も始まっています。

「厄除けと招福」の縁起物の「嘉祥菓子」をいただいたら、やはり宝くじに運を賭けてみましょう。当たりそうな予感が。・・


とらや銀座店:銀座7-8-6 TEL3571-3679 10:00~20:00

とらや茶寮:11:30~19:30 http://www.toraya-group.co.jp

 

 

 

「ユトリロ展」~パリ、その愛。純粋な心と苦悩

[織衣舞] 2013年6月13日 09:00

 

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  6/12(水) ~ 6/24(月) 日本橋高島屋8階ホールにおいて 「ユトリロ展」が開催

 

 されています。"モンマルトルの画家"といわれたモーリス・ユトリロ(1883 ~ 1955)の

 

 生誕130年記念の回顧展です。

 

  少年時代、家庭の事情からアルコール依存症となり そのリハビリとして絵を描くように

 

 なったのが、この道に入るきっかけでした。その才能は瞬く間に開花し、数々の名作を世

 

 に送り出しました。 

 

  その一方で、アルコール依存症の影響や人間関係から 多くの悩みを抱え、絵画表現

 

 のみが自らの魂の救済であったのかもしれません。

 

 ワインを1日 8~10L も飲み 「リトリロ」といわれるくらいになり そして絵をかく。なん

 

 という日々を送っていたのでしょうか。

 

  この展覧会では傷つきながらも純粋な魂を表現した作品70点が展示されています。

 

 

 

築地・波除神社のこどもたち

[下町トム] 2013年6月10日 08:00

築地の波除神社の祭礼は毎年6月上旬に開催されます。そもそも「夏越の祭り」として脈々と受け継がれてきました。大きな獅子頭を神輿に仕立てて練り歩くところから「獅子祭り」として知られています。

 

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本祭りは3年に一度と決まっており、昨年実施されました。したがって今年はいわゆる〝陰祭り〟です。それでも日曜日には本社神輿が各町内を巡行します。築地のみんなが楽しみにしている夏のイベントです。

メインイベントのほうはきっとどなたかがレポートしていただけると思いますので、8日(土)に催された〝子供神輿連合渡御〟の模様をお伝えします。

 

当日午後三時に、IMG_20130608_191325.jpg築地本願寺脇から出発した子供神輿や山車の一行はぐるっと各町内を巡りながら、波除神社へ。ここで神職に御祓いを受け、休憩した後、各町内へ戻っていきます。

都会の真ん中なのに、大勢の子供たちが集まってきて賑やかです。中央区は今子供の人口も増えているんですね。子供の歓声は本当に気持ちが和みます。

 

 

 

IMG_20130608_191113.jpg神社の前を出発する際には、子供たちの代表が台の上に並んで拍子木を打ちます。一般に祭りでは「柝(き)を入れる」といいます。こどもたちは緊張した面持ちながらもしっかりと締めの柝(き)を入れ、後半のスタートを切りました。

ひときわ気合の入るひとときです。

 

 

P1000352.JPG子供神輿はサイズは小さいといえども、大きな神輿と同様に本職の技と細工が施されています。これを子供たちが「わっしょい。わっしょい」との掛け声も勇ましく進んでいくさまは、微笑ましくもあり、頼もしくもあり、というところです。

ひととおり、巡行が終わって解散となると、子供たちはホッとして親の手に引かれて帰っていきます。

 

 

こうして伝統行事が世代を超えてしっかりとつながっていくことは嬉しいことです。そして、地域社会の交流が広がることの有意義さと大切さを改めて感じました。


 

 

 

しばしタイムスリップ@薬研堀不動院

[nana] 2013年6月 4日 17:36

中央区内は街を散歩していると神社仏閣がビルの谷間、時にはビルの1階など、あらゆる所に点在していることに気付かれることでしょう。

東日本橋2丁目に位置する薬研堀不動院もその一つです。

都営浅草線の東日本橋駅を降りて、浅草橋方面に歩く途中のマンション群の間に薬研堀不動院がひっそりと佇んでいます。

 

厄除けの大師として有名な川崎大師の東京分院で、目白不動・目黒不動と並び「江戸三大不動」として知られています。

規模としては大きくはないものの、その歴史は古く、豊臣秀吉の軍勢を逃れる為に、紀州、根来寺の僧侶が尊像を守る為に葛篭に納めて、それを背負って隅田川まで来て堂宇を建立したのがはじまりだと言われています。

その後、佐藤泰然がこの地で蘭方医学塾和田塾(後の順天堂大学)を創設したり、また縁あって講談発祥の記念碑がこの地に建立されました。

 

寺院でお参りをしようと、階段を上っていくと、毎月寺院で行われている講談と写経の案内が出ておりました。

 

●毎月15日:写経会 第1回目14:00、第2回目18:00(参加費1000円)

●毎月28日:不動様の縁日・講談の会(入場無料)

 

講談とは何なのでしょう?!

Wikipediaでは、「演者が高座におかれた釈台と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる」日本の伝統芸能の一つとの事だそうです。

赤松清左衛門が浅草見附辺りで『太平記』を講じたのが江戸講釈の始まりと言われております。

 

新聞もテレビもなかった昔は、このような講談が人々の重要な情報源となっていたのでしょう!

やはり百聞は一見にしかず、どんなエンターテインメントなのか、You Tubeで講談を確認してみる事にしました。

「講談」と入力すると、映像がいくつか出てきます。

若い演者からベテランの演者まで幅広くいらっしゃり、若い演者に至っては講談は扇をドラムスティックのようにリズムをとりながら、賑やかな講談を繰り広げ、どっと笑いが沸く瞬間もあるくらい。

恐らく人気の演者さんにはファンも多かったことでしょう。

 

薬研堀不動院では、昭和57年に一龍斎貞花師匠による第1回奉納講談「山内一豊の妻」から、毎月28日奉納講談が続いています。

今度はやはり生で講談を聴いてみたいと思います!

 

皆さんも薬研堀不動院でしばしタイムスリップはいかがでしょうか?

 

所在地

〒103-0004
東京都中央区東日本橋2-6-8
TEL/FAX 03-3866-6220

交通

地下鉄・都営浅草線「東日本橋駅」下車、B3出口 徒歩約3分
地下鉄・都営新宿線「馬喰横山町駅」下車、A4出口 徒歩約5分