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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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一年の振り返りと来年の幸せを祈って・・・

[下町トム] 2014年12月22日 13:00

今年もまもなくおしまいですね。一年の流れは早いものです。中央区は商業の町ですので、この季節は各商店やデパートなど、まさに書き入れ時。お正月の準備のために買い物客であふれています。

住吉神社 正面_R.JPG一方、区内の多くの神社では大晦日に"大祓"という神事が行われます。一年の穢れを祓い、来る年の安寧を祈る重要な行事として古来から営まれてきました。特に信仰ということではなくても、一年の自身の失敗や不十分な出来事を反省し、嫌なことは忘れて新しい年に思いを馳せるという意味でも、ひとときの心の安らぎになるのではないでしょうか。

鉄砲洲稲荷 (2).JPGそれぞれ地元の神社にお参りされるのもよし、買い物の行き帰りに気になるお社を訪ねてみるのものいいでしょう。

中央区には「日本橋七福神」や「銀座八社めぐり」などの文化・歴史とウォーキングを同時に楽しめるルートもありますから、年末年始の休日に散策を兼ねて参拝されるのもおすすめです。

20090628築地波除稲荷.jpgそれから、築地市場にお正月料理の材料の買い出しに来られる方は、是非〔波除稲荷神社〕にお立ち寄り下さい。今月半ばから1月10日まで本殿の前に"茅の輪"が設置されています。この輪をくぐって厄落としすることができます。あわせて新年の誓いをされてはいかがでしょうか。

日頃神社にあまり行かない方でもお正月には"初詣"に出向く方も多いと思います。ある方にうかがったのですが、本来神様に現実的なことをいろいろ頼むのはよくないのだそうです。むしろ、自らの誓いや反省、感謝の気持ちを神前でおごそかに振り返ることに意味があるそうです。その姿勢次第で神様のご加護もあるとか・・・。だから歳末まだそう混雑していない境内で静かに一年を振り返るのはけっこういいんじゃないでしょうか。

皆様にとって来年が一層よい年になることをお祈りします。

本年もお世話になりありがとうございました。

 

 

カトリック築地教会聖堂

[銀造] 2014年12月22日 09:00

 年の瀬になると、聞こえてくるのが、Santa Clause is coming to town.

 

築地外国人居留地は、明治元年(1868)、現在の明石町地域に設けられました。

以来、居留地には西洋建築による学校や病院、教会、住居などが立てられ、この地は西洋文化の窓口となりました
明治32年(1899)の条約改正に伴い、他の居留地と同様に築地の居留地も廃止されました。跡地には、由来を記した説明版がある。・・・これは、聖路加タワーの前にある説明版の事と思いますが、   

 以上のご説明は、中央区観光検定の一部を参照しました。

 
明石町には、沢山のミッションスクール発祥の地があります。
今日は、ジングルベルのメロデイが耳に聞こえてきたので、カトリック築地教会聖堂を訪れました。
カトリック築地教会聖堂は、長崎、横浜に次ぐキリスト教会として、明治7年(1874)に築地外国人居留地内に建設されました。
聖堂は明治11年に創建されましたが、関東大震災で焼失したため、この建物は、大正大震災後の昭和2年(1927)に建設されました。

 

DSC06466 (300x169).jpg

 

東京都生活文化財の紹介板によれば、
この建物は、ジロジアス神父、石川音次郎伝道師による設計で、優美で美しい建物です。
ドーリア式の柱が6本並び、屋根正面の切妻壁にはバラとチューリップの彫刻があります。

DSC06471 (300x169).jpg

  

また、中央区教育委員会の説明版によれば、また詳細が分かります。

DSC06472 (300x169).jpg

 以前、教会の内部を拝見したときには、フランスで鋳造された銅製洋鐘があり、これは中央区民有形文化財に指定されています。
年末の慌ただしい合間には、心の安らぐ教会を訪れてみるのは如何でしょうか? 
Wishing you a Merry Christmas and a Happy New Year.

Feliz Natal e prospero ano novo. 恭祝生誕 並賀新年。 

 

 

 

築地にある吉野家1号店

[Mr.Chuo-ku] 2014年12月19日 15:00

 創業明治32年(1899年)、牛丼チェーン最大手として国内・海外に約1800店舗を展開する吉野家の創業店(1号店)は中央区築地の中央卸売市場フード内にあります。

 

※↓の各写真、画像はクリックすると拡大

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①社名は、株式会社吉野家 (英文名:YOSHINOYA CO.,LTD.)
※吉の字は、正しくは「土(つち)」に「口(くち)」


②中央区日本橋魚河岸にて創業

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③1号店のメニューは牛丼と牛皿に、みそ汁や玉子といったおなじみのサイドメニューのみ

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(①社名、②写真、③メニューは公式ホームページからの抜粋)

 
以下は、聞いた話なのですが、

この1号店で使用している肉は和牛とのこと。玉葱も新鮮で柔らかく、ここ築地は「新鮮な素材」「食のプロ」が集う場所であり、牛丼についても拘りがあるということでしょうか。
また、注文時、「ねぎだく」「つゆだく」といったオプションはどの吉野家でもあるが、1号店では「ねぎだくだくだく」「つゆだくだく」といった、「だく」を何回言うかによって程度が変わるそうです。さらに、「つめしろ(冷ましたご飯)」や「とろだく(肉の脂身多め)」などもあるそうです。吉野家としても魚河岸を創業とした「築地店」は特別に思い入れがあるらしく他店とはスタンスを変えているそうです。

 
住所:東京都中央区築地5-2-1 中央卸売市場フードC

営業時間:5時~13時

定休日:築地市場に準じる

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公式ホームページ
吉野家1号店:
http://www.yoshinoya.com/shop/tsukiji/index.html

吉野家の歴史:
http://www.yoshinoya.com/company/history.html

 

 

 

忠臣蔵のおもかげ

[小江戸板橋] 2014年12月10日 14:00

平成26年12月14日。

師走の衆議院議員選挙投票日となるこの日。

公示前のテレビでは、赤穂浪士の討ち入り映像と合わせて、年の瀬選挙のあわただしさを伝えていました。

 

「時に元禄15年12月14日」・・か。

「江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ」

三波春夫の長編歌謡浪曲、『俵星玄蕃』

歯切れの良いせりふ回し、ドラマチックな場面展開に、小学生ながら二度三度聞いているうちに覚えてしまい、町内会のかくし芸や忘年会の時には重宝しました。

 

いま、時折、江戸の古地図を広げながら街歩きをするのですが、忠臣蔵関連の散策は王道とも言えるものです。

本懐を遂げて、本所松坂町から、浅野長矩の墓前高輪泉岳寺に向かう道のりは、師走のゴールデンルートです。

赤穂浪士は引き揚げ時も、武装を解除することなく進みました。

鎖帷子で身を守り、弓、槍、なぎなたで武装し、集団で討ち入ったうえは、吉良上野介の実子上杉綱憲からの討手や、公儀の治安部隊の追撃に備えなければなりません。

 

中央区内の引き揚げルートは、永代橋から始まります。

現在の位置より、150メートルほど上流に架橋されていたというのですから、隅田川大橋あたりになるのでしょう。

湊橋から霊岸島、亀島を通り、高橋を渡ります。

その先にあったのが、赤穂藩上屋敷。

今の聖路加看護大学、明石小学校周辺にあたります。

ここは、浅野内匠頭長矩の生誕地でもあるのです。

更に南に進めば、築地本願寺。子院が甍をならべて連なります。

四十七士のひとり、間新六の供養塔が残ります。

引き揚げの途中、自らの供養料を槍に結びつけ、寺の塀の中に投げ入れたとの話が伝わります。

築地市場を通り、昭和通から汐留通へ進むと、港区へ入ります。

 

何冊かの本を読み比べてみたのですが、本当のところ、細やかなルートは分かりません。

ただ、元禄15年、1702年から300余年を経た今でも、河川や橋の跡に面影を求めることができます。

300年の時を越えて、大江戸の事件を追ってみるのも興味あるものです。

 

愛知県の吉良町に旅行した折、地元の方々による「吉良側から見た忠臣蔵」の演劇を見ました。

その心意気が面白く、地元で名君と慕われ、領地巡回の際に乗った「吉良の赤馬」の根付を購入しました。

 

 

 

◆ 隅田川『 佃大橋 』50年

[隅田の花火] 2014年12月10日 09:00

今年は1964年の東京オリンピックからちょうど50年でした。
それを記念して各地でイベントが行われたり、テレビ番組で特集が組まれたりと、何かと話題になりました。

s_hanabi12-1.jpg(写真:2014/10/11 中央区勝どきから隅田川対岸・汐留の風景・1964TOKYOオリンピック50th)
 

このオリンピックに向けて、新幹線や高速道路・モノレールなどの各種交通インフラが整えられていったわけですが、
中央区ではやはり日本橋の上空に築かれた首都高速が思い浮かびます。

s_hanabi12-2.jpg(写真:2014/11/2 中央区まるごとミュージアムでの日本橋無料クルーズ)
 

他に挙げられるのは、戦後初めて隅田川に架橋された『 佃大橋 』があります。
あまり大きく取り上げられることはありませんでしたが、
オリンピックと同じ1964年に開通ということですので、こちらも今年で50周年になります。

s_hanabi12-3.jpg今回はこの橋について取り上げてみました。
 
この橋は、佃島・月島方面 と 明石町・都心方面を結ぶ橋ですが、姿・形としてはあまり大きな特徴があるとは言えません。

 
しかしオリンピックに間に合わせるために、当時の技術を結集して急ピッチで架橋作業が行われたということですので、
この橋が造られた頃の日本の高度経済成長期を象徴する姿と言えるでしょう。
 
 
この橋ができる前は、橋と同じ位置にあった「佃の渡し」の船が市民の足となっていましたが、
橋の開通と同じタイミングで、この渡し船が廃止になったのだそうです(1964年8月27日)。
 
 
中央区立図書館のHPでは昔の画像を検索できるのですが、検索してみたところ、当時の貴重な写真を見つけることができました。

  リンク⇒佃大橋開通

 
この佃島の渡船は、元をたどると佃島と江戸市中を結ぶ江戸時代初期の手漕ぎ渡し船にさかのぼりますので、
実に320年もの歴史に幕を下ろさせた出来事でした。

  リンク⇒佃島の渡船



オリンピックにより、いろいろな歴史が新しく作られていきまいたが、
その一方で失われるものもたくさんあった、ということになりましょうか。
 
 
この渡し船の面影を、この佃大橋あたりで探してみました。
1つ目は、渡し船があった隅田川両岸にある「佃島渡船の碑」です。

s_hanabi12-4.jpg渡船自体にもいろいろな変遷があるのですが、この石碑は昭和2年に当時の東京市が運営していた渡船の運賃が無料になった時に建てられたものです。

 

 

もう1つは、佃島・住吉神社の水盤舎(おみずや)の欄間に彫られた「石川島の灯台と佃の渡しの風景」です。

s_hanabi12-5.jpgもし住吉神社にお参りされる時に水盤舎でお手を清められた際には、チラッと上のほうをご覧になってください。

s_hanabi12-6.jpgこの建物の四方にはそれぞれ異なる佃島にちなんだ彫刻が施されていて、その1つが「石川島の灯台と佃の渡しの風景」になっています。
明治時代に彫られたものだそうです。

 

 

さて、この50年の間でこの橋の周りの環境や景観も変化、この橋からの風景も刻々と変わってきました。

この橋上は開放感抜群なので見晴らしが良く、なかなか良い風景を拝むことができます。

 

隅田川上流方面には中央大橋やスカイツリーの風景が見られます。

s_hanabi12-7.jpgもちろん佃の街並みやリバーシティのマンション群なども目に飛び込んできます。

 

 

そして下流方面には3連のアーチ橋?
ここ最近でまた新しい景色が加わりました。

s_hanabi12-8.jpg隅田川最下流にできた「築地大橋」のアーチ1つと手前の「勝鬨橋」のアーチ2つが、
同じような大きさで重ならないように見える場所が佃大橋上にあります。

 

1964年当時の人々は、50年後の今のような風景を想像できていたのでしょうか?
さらに50年後、どのような景色に変わっているのか全く想像ができませんが、日本の古き良き情景も残っていてほしいものです。

 

 

 

 

 

ドラマで中央区を楽しもうーーーNHK朝ドラ『瞳』(月島・佃)

[之乎者也] 2014年12月 9日 14:00

日本のウイスキーの父竹鶴政孝・リタ夫妻をモデルにした朝ドラ『マッサン』が大人気です。かく言う私も毎日見るのを楽しみにしていますが、本日は月島・佃が舞台になった朝ドラの『瞳』(2008年に放送)を紹介したいと思います。

トロンボーン奏者中川英二郎によるテーマ曲演奏と佃・月島の鳥瞰図のオープニングから始まる『瞳』は、札幌でヒップホップダンサーを目指す榮倉奈々演じる主人公の一本木 瞳(20歳)が、母の百子とともに月島の祖母のお葬式のため上京し、今まで写真でしか見たことが無かった祖父と17年ぶりに対面する場面から始まります。祖父の勝太郎は里親(東京都の養育家庭制度:

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/satooya/seido/hotfamily/index.html

として中学生を筆頭に3人の里子を育てていますが、瞳は亡くなった祖母に代わり若い里親として月島の祖父宅で暮らしながら渋谷のダンススクールに通いヒップホップダンサーを目指すことになります。

里親とダンスの両立を甘く見ていた瞳は様々な小事件を経ながら、祖父勝太郎、里子とも心を通わせ、月島の人々にも支えられ自らも成長していきます。一方、ダンススクールでも、ダンスはピカイチながらアクの強い仲間とユニットを組んで、大会への入賞を目指します。住吉神社幟.JPG大会は終わりユニットは解散し、脱力感に襲われた瞳は、今まで化粧品会社で働きながら女手一つで瞳を育て、今は東京支社に転勤してバリバリ働く母百子の働く姿を見て、自らもお世話になった月島の人たちに得意なダンスを通じて恩返ししたいと、月島で老若男女が楽しめるダンス教室を始めます。そんなある日、祖父勝太郎とも不仲で百子と離婚した父親が住吉神社に現れ。。。「第25週・けじめの夏」から「第26週(最終週)・祭りの町で」は、大幟(おおのぼり)柱の掘り起こし、千貫みこしの組み立てと住吉神社例大祭当日へ向けての場面を挟みながら、ドラマもいよいよクライマックスです。

【住吉神社大祭大幟:佃まちかど展示館に展示】

 

  

  

実は、残念ながら『瞳』の視聴率はNHKの歴代朝ドラの中ではかなり低く、また放送当時のマスコミやネットなどの評価でも酷評が目立つ作品だったようです。個人的な感想ですが、出勤や通学など朝の慌しい時間帯に放送されるドラマとしては、里親、両親の離婚といった家族のあり方・再生などのやや重い話題を扱っていることや、テレビをゆっくり見ることのできるシニア層にはやや理解を得られにくそうなヒップホップも入ってしまったことが視聴者のハードルを高くしてしまった原因なのかもしれません。私は、夜ゆっくりとビールなど飲みながらお話を楽しみましたが、このドラマはゆっくりとくつろいで見るのがお勧めです。全話156回ですのであせらずに!

【住吉神社の正月風景】

住吉神社・初詣.JPG

閑話休題、下町の風情や人間関係が色濃く残る月島・佃を舞台とした『瞳」には中央区のみどころがたくさん登場します。瞳の住む月島の西仲通り(もんじゃストリート)にある勝太郎の一本木洋品店と月島の路地の風景、中央大橋と瞳たちがダンスの練習をする佃のパリ広場、住吉神社から勝鬨橋までの親水テラス、そして築地市場。また、里子の子供たちが通う設定の月島南中学校(実在せず)は佃中学校(佃2丁目)でロケを行ったようです。また、船渡御(ふなとぎょ)をはじめとする例大祭の様子がドラマの中で手に取るように見られますので、特に第25週、第26週(DVDでは第13巻)はお勧めです。NHKのオンデマンドにはアップされていないようですが、NHKエンタープライズ発売のDVD(レンタルもあります)で楽しめます。

瞳DVD.jpg

【 『瞳』 DVD NHKエンタープライズから発売】