[あすなろ]
2016年7月22日 09:00
鷹の幼鳥が飛ぶことを覚えるころ
夏の高校野球地方大会や都市対抗野球大会では
熱戦が繰り広げられていますね。
野球好きの一人、「正岡子規」に触れてみます。
子規は、自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という
雅号を用い、野球を詠んだ短歌や俳句を数多く作っています。
野球普及の功績から野球殿堂入りも。
そんな子規と中央区のゆかりは、常盤会(学資援助組織)がありました。
< 新大橋通り、浜町2丁目付近にある説明板>
旧伊予国(現愛媛県)松山藩主久松家は、この地に屋敷を構え、
屋敷内に常盤会が設置されていました。
子規は故郷松山から上京し久松邸の書生部屋に寄寓し、
給費生に選ばれたことを半生の喜びの1つとあります。
坂の上の雲の時代ですね。
◆第98回全国高校野球選手権大会
http://www.asahi.com/koshien/
[月島菜々子]
2016年7月21日 09:00
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックまであと2週間余り。
4年に一度のスポーツの祭典に向け、ムードが盛り上がりつつあります。
少々気が早いのですが、リオが終わったら4年後は東京。あの市松模様のエンブレムも関連グッズの売れ行きとともにすっかり浸透してきました。
公式サイトでは、エンブレムは「歴史的に世界中で愛され、江戸時代に市松模様として広まったチェッカーデザインで粋な日本らしさを描いた」とあり、それぞれ藍色の3種類の四角形の組み合わせになっています。
では何故このチェッカーマークが市松模様なのでしょう。
キーワードは「江戸中期の歌舞伎役者・佐野川市松の袴」です。
佐野川市松は、江戸中村座での舞台「心中万年草」で小姓・粂之助を演じ人気者に。
この時履いていた白紺の正方形を交互に配した袴を愛用し、役者絵にも描かれました。
(写真は藤川亀の江と佐野川市松/文化遺産オンラインから引用)
着物の柄として大流行し、
市松模様と呼ばれるようになったそうです。
当時の中村座は既に、歌舞伎発祥の地
(写真は京橋にある江戸歌舞伎発祥の地の碑)である
中橋南地(京橋付近)から禰宜町(日本橋堀留町)を経由し
堺町(日本橋人形町3丁目)に移転されていました。
その華やかな様子は江戸東京博物館の正面の復元展示でも見ることができます。
江戸時代から270年の時を経てオリンピック・パラリンピックのエンブレムとして世界へ発信された市松模様。
これから2020年まで江戸東京のみならず、日本各地、世界の至る所で見られるのはとても嬉しい限りです。
[皐月の鯉の吹き流し]
2016年7月20日 12:00
日本橋は言わずと知れた五街道の起点で、オリジナル道路元票は橋の中央、 その真上には道路元標地点碑があり 道路元標広場にはこの元標の複製と南西方面と北東方面里程標があります。
道路中央のオリジナルの道路元標
元標の複製
道路元標の真上には地点碑
南西方面里程標
北東方面里程標
朝、道路中央でこのオリジナルの道路元標と地点碑を写真撮影をしている人をみましたが、 車の往来があり危険です。
もうひとつ、日本橋は現代版シルクロードとも言えるアジア・ハイウェイ1号線の起点 にもなっています。
道路元標地点碑とアジア・ハイウェイの起点標識は首都高速からすぐ近くで 見ることができます。
さて日本橋には、繁栄を表す麒麟と守護を表す獅子がいますが 獅子は32頭(=橋(8×4) ※諸説あり)いるとのことですが、28頭はすぐ見つかります。
残りの4頭は日本橋を側面から見るとここに居ました。 (多分これが残りの獅子だと思います)
[サム]
2016年7月19日 12:00
毎年7月13日から15日の3日間、佃1丁目の「渡場通り」の広場中央に組まれた櫓の周りで開催される「佃島の盆踊り」。
佃地区に古くから伝わる海村郷土芸能のひとつである「佃島の盆踊り」の起源には、諸説あるようですが、江戸期浅草橋近くの横山町にあった浅草御坊(現在の築地本願寺)が明暦の大火後、築地に再建されるに当たり、門徒であった佃島の住民一統が埋立工事に尽力し、その完成の年の盂蘭盆会で、祖先の霊を祀る行事として始められたとの説が有力と伝えられています。
古くは日本橋や京橋一帯を踊り廻り、志を受け、築地本願寺に奉納してきたとされますが、市中廻りを禁じられた天保の改革以降は、佃島だけで行なう行事となり、今日まで伝承されてきたと聞きます。
昭和51年には、江戸の名残を留める貴重な都内の郷土芸能として、東京都の無形民俗文化財(民族芸能)に指定。
櫓から渡された薄明りの提灯のもと、哀調を帯びた口説き唄と単調なリズムの櫓太鼓に合わせ、踊り手は櫓の周りを行きつ戻りつを繰り返す趣深い踊りです。
今年もまた、音頭をとる、"佃島盆踊唄" の第一人者、飯田恒雄氏の味わいのある声色が響きます。
前半は子供たち、後半は大人たちが踊りの中心。
最終日には踊り手が各自の趣向を凝らした仮装姿での踊りが楽しめます。
踊りの輪に加わる外国人の姿も見られます。
[銀造]
2016年7月14日 09:00
「くすりミュージアム」は第一三共株式会社さんが運営している、「お薬」に関するミュージアムです。休館日は、月曜日が休み。火曜日から日曜日、祝日、振替休日も開館しています。
いつも、受付窓口までは行ったことがあるのですが、今回初めてミュージアムの中で、勉強してきました。
受付で見学を申し込み、2階で丁寧な説明を受け、厚いコースターの様なメダルを受け取り、ミュージアムの体験です。
ミュージアム内部は、全てこのメダルを、TVの様な画面の前にある「コントローラー」と言う穴の開いた場所にメダルを置いて操作することから説明を受けられます。
④「からだとくすり」のコーナーでは、
体調の悪くなった時に、体が薬を必要とすることになることや、薬の開発などについての説明をTVの様な画面から聞きました。
⑳「くすりと日本橋」のコーナーでは、徳川家康が江戸城を築城するときに、眼病を患った者が沢山出て、それで諸国から日本橋本町に薬屋さんが開店したとかの説明を聞きました。
なるほど、それで、日本橋本町には薬のメーカーさんが沢山会社を構えているのだなと、納得しました。 皆様も一度、御体験下さい。 「薬との上手な付き合い方」も勉強できるかと思います。
ミュージアム内には、子供連れ、私よりだいぶ年配の方々のグループも体験にいらしていました。 団体10名様以上になると、混雑を避けて、予約した方が良いとのアドヴァイスを頂きました。 本当に親切なお嬢さん方でした。 有難うございました。
場所は、東京都中央区日本橋本町3-5-1、電話03-6225-1133 (いい耳か、覚えやすいですね)
URLは、http://kusuri-museum.com
[銀造]
2016年7月11日 16:00
ある日曜日、小津和紙さんの近辺を散策していると、真っ白な建物が於竹大日如来井戸跡の傍に! あれっ! 何か新しいレストランかお店かなと思って、外から拝見すると、素敵な江戸切子の作品が陳列されていました。
お店の中にいらした、代表取締役 熊倉節子様が、丁寧にご説明して頂きました。
工房は江東区亀戸にあるが、日本橋本町3-6-5にお店を出すにあたって、地元の町内会長さんから、「ここ、旧大伝馬町が江戸切子の発祥の地であり、戻ってきてくれて、本当に嬉しい」と仰ったとの事。 陳列されている作品は、全て売り物で、諸外国の国家元首や首相の為に、贈答に使われたとかのお話です。
江戸切子には、紅色、瑠璃色、ぶどう色の三種しかなく、それでくすんでいるのは硫酸処理をしたもので、これだけ素晴らしい製品は出来ないとのお話などです。
写真は、洞爺湖サミットで集まった首脳方に贈られた物と同じものだそうです。
また、こちらの素敵なランプも江戸切子でできています。これは、インドの元首相、シン首相に贈られた物と同じ物だとか。
オバマさんに贈られた物と同じ、江戸切子のグラスもありました。
そして、素敵な製品の数々が展示されていましたが、あとはお店を訪問して頂いて、ご自分の眼でご覧になって下さい。
日本酒との相性が抜群とのことで、これは是非と思いました。
そして、7月23日には、「日本橋江戸切子大学」が開校され、第一回は、「江戸のお酒を江戸の器で飲み比べ」という楽しい授業があることを教えて頂きました。時間は11:00~12:00です。 ☆幻のお酒 [ 東京盛 ] も登場するそうです。費用は、2,000円。
この講義に参加希望の方は、電話:03-6661-2781、もしくはメールにて hanashyo@edokiriko.co.jp まで、お申込み下さいとの事です。
また、同社と製品についての詳しいことは、HPでご覧下さい。http://www.edokiriko.co.jp/