[銀造]
2015年10月15日 09:00
前から行ってみたかった、ビーフカツレツ「そよいち」。
なんと、ミシュラン東京2015に名前が掲載されていたとのことです。
旨いビーフカツレツを食べられるというので、今日は空いていそうな14時頃に入店しました。
肉のボリュームが写真のメニューでは大きそうなので、尋ねてみると、120gです。
それなら、ハーフサイズでなく、本物を食べなければと注文しました。
厨房の中で、熱々のビーフカツレツが揚げられます。
出来上がりを直ぐにカウンター席に配膳してくれるので、本当に熱々の美味しいビーフカツレツが召し上がれます。
ライスに豚汁が付いてきます。
肉は適度に薄く、"お肉のミルフィーユ版" です。
食べやすく、揚げられた肉の状態もミディアム・レアに近いウエル・ダン。Very Good!
他にもフライパンで炒めたポークソテー。肉が焼けた状態の時に、秘伝のソースをフライパンの中の肉に搦めるように料理していました。
後で頂いたリーフレットを見ると、正式メニュー名は、バターとしょう油と厚切りロースの「ポークソテー」。
次は、このポークソテーも食べたいなと、新しい食欲がそそられました。
お店の住所は、東京都中央区人形町1-9-6、電話:03-3666-9993
HPは、http://sotokichi.web.fc.com/
人形町商店街のHPの中でも紹介されています。http://www.ningyocho.or.jp/
[銀造]
2015年10月13日 18:00
第27回てんてん祭は、平成27年10月11日(日曜日) 11:30~、【場所】人形町大通りと甘酒横丁を歩行者天国として開催されました。
このお祭は、中央区観光協会発行の「中央区ものしり百科」によると、
「人形町がはぐくんできた伝統を広くアピールするイベントで、
人形町と縁の深い水天宮(安産祈願と子授けにご利益がある)にあやかり、
十月十日(とつきとおか)からイメージして、"てんてん祭"と名づけられた。
人形町通りの半分(水天宮交差点~甘酒横丁・人形町交差点)を歩行者天国とし、
富くじやマーチングパレード・各地の特産品の販売・フリーマーケットなどの楽しい催しを開催する。」とあります。
中央区観光検定を受験する方は、必須知識です。
そんな物知り顔で言っていますが、実は初めて行ってきました。
先ずは、再建が近い"水天宮"のお社を遠拝。二礼、二拍手、一礼して、お祭りに向かいました。
甘酒横丁の交差点では、日本橋中学校のブラスバンド部が演奏して、お祭りを盛り上げてくれていました。
ゲームコーナーでは、射的に興じるお子さんや、将棋を習うお子さんたちも。将来は、女性棋士かな?
甘酒横丁に入ると、キリンさんの大きなパチンコ台で、遊ぶ子供たちがとても楽しそうでした。
また、近所ゆえ参加された荒汐部屋の力士さん達が"ちゃんこ"の販売をしたり、子供さん達仲良く打ち解けていました。
(子供たちの写真掲載は、お父さんに許可を頂きました)
(ちびっこ相撲があったようですが、見逃してしまいました。残念!)
また、甘酒横丁の女将さん達から美味しい甘酒を振舞っていただきました。とても美味しゅうございました。
たこ焼き、焼きそばなどの屋台も出て、一皿300円とかの奉仕値で、美味しく頂きました。
東京消防庁からはしご車、地震体験車などが出動して、災害に対する心の備えをしないといけないと思いました。
今年度の中央区観光大使・ミス中央が、はしご車体験、富くじの介添えなどをしていました。この詳細は、Part2でご報告します。
来年も参加したいな、又来たいなと楽しみました。商店会の皆様、有難うございました。
[銀造]
2015年10月12日 09:00
人形町の人形市、今年は10月8日から10日の3日間開催されていました。
地下鉄の人形町駅を上がると、沢山のテントが設置されていました。
それではと、店内を拝見すると、それぞれのお店の自慢のお人形が販売されていました。
可愛らしいウサギの人形や、日本古来のお人形が販売されていたり、
こちらは、木目込み人形などが販売されていました。
なかには、昔TVのアニメ映画で活躍したヒーローやブリキの玩具を販売している店もあり、一瞬、子供時代に戻りました。
楽しいだるまさんのお人形もあり、大変バラエティーに富んだ人形市でした。
来年は、孫娘を連れて、再訪したいと思いました。
[ジミニー☆クリケット]
2015年10月 3日 18:00
中央区には、大きな劇場が三つもあります
銀座4丁目の歌舞伎座、銀座6丁目の新橋演舞場、日本橋浜町2丁目にある明治座です
一般に、劇場で複数日にわたって同じ演目が行われた場合、「最終日」を「千秋楽(せんしゅうらく)」と言いますが、「千穐楽」と表示される場合があります
(歌舞伎座9月26日)
歌舞伎座の最終日の垂れ幕も「千穐楽」でした
「秋」ではなく、「秋」の異体字「穐」を使うのは、「秋」の文字にある「火」を忌んだためだそうです
これは、江戸時代の芝居小屋が、出火や延焼に悩まされることが多かったためであると言われています
ちなみに、「秋」「穐」の漢字の元となる甲骨文字は、下の文字で、いなごなどの虫の形と言われています
「秋になるといなごなどが大発生して穀物を食い、被害をうけるので、いなごなどの虫を火で焼き殺し、豊作を祈る儀礼をしたのであろう」(白川静『常用字解』)。
その儀礼を示す字が「龝」だそうです。この儀礼は秋の虫害に関係があるので、季節の「あき」の意味に用いられるようになったとのこと
一方、墨田区横綱1丁目の両国国技館で行われていた大相撲秋場所の千秋楽(9月27日)には、「千秋楽」の文字が使われていました
鶴竜、優勝おめでとう
[銀造]
2015年10月 2日 12:00
第10回 中央区内アンテナショップ・スタンプラリーが始まりました。
10月15日迄、26のお店が名産品を取り揃えてお待ちしています。
私は、京橋2丁目角の「函館もってきました」を皮切りに、買い物とスタンプラリーを始めました。
ここは24時間開店しているから、いつでも函館の名産品を購入出来ます。
二店目は、「いわて銀河プラザ」です。
岩手県の銘菓「かもめの玉子」と「南部煎餅」、「舞茸五目御飯の素」を買い求めました。
ここの一番人気の商品は、「「いわちくキロ落としショルダーベーコン」です。安い。
でも、あまり安いので、売り切れていました。
そして、「助成金による3割引対象商品」と表示が目立ちます。
そして、三陸の海の幸を使った、大変美味しそうなお弁当がありました。こちらは、次回の楽しみに取っておきます。
第三店目の「ぐんまちゃん家」では、群馬県の新鮮な「いちじく」と、
ゴーフルによく似た、中にクリームの入ったお菓子の「ぐんまちゃん旅がらす」を買い求めました。お得な2枚入り150円もあります。
こちらでも、「助成金による3割引対象商品」のシールが目立ちます。お買い物の狙い目ですね。
いゃぁ、東京にいながらにして、全国の名産品を購入できるって、本当に有難いですね。
次回は、今週末に他の銀座のお店と日本橋周辺で買い回りを楽しむことにしましょう。
皆様も、アンテナショップスタンプラリーをお楽しみ下さい。
なお、詳細はこちらをご覧下さい。
http://www.chuo-kanko.or.jp/event/monthly.php?year=2015&month=10#event2
[隅田の花火]
2015年10月 2日 09:00
隅田川に架かる橋のひとつ「新大橋」。 オレンジ色の主塔が特徴的なこの橋は、清洲橋のひとつ上流にあり、中央区の日本橋浜町から江東区の森下方面に繋がります。1977年(昭和52)に架けられた比較的新しい橋です。
今回はその先代の橋、1912年(明治45)に現在地に架けられた鉄製の旧橋の話なのですが、この橋はトラス橋という剛健なフォルムでありながら、優美な装飾が施された橋だったといいます(下の写真は現在の橋の主塔に取り付けられているプレートで旧橋が描かれています)。
この旧橋の一部は、愛知県犬山市にある「博物館明治村」に登録有形文化財として保存展示されています。かねてから明治村には行ってみたかったのですが、ようやく念願が叶いこのシルバーウィークに見に行って来ました。
一目見た感想ですが、意外に大きかった印象でした。明治村には日本橋浜町側の8分の1程度が移築されているのですが、これを単純に8倍した姿を隅田川上にあったかのように想像してみると、当時もかなり大きく感じられたのではないかと思います。
全長173メートル、幅25メートル、開通して間もなく市電も通るようになったそうで、この明治村にもその跡が再現されています。
それと、この橋の特徴とされる装飾。思っていたよりも繊細で美しかったです。橋自体が重厚な感じなので、よりそう感じられるのかもしれません。一番驚きだったのはの野村素介筆の「橋銘板」。色合いはエレガントを通り越してゴージャスな感じです。
橋銘板、照明器具や歩道の高欄の色は、以前灰色系のペンキで塗装していたそうなのですが、今年の春に創建当時の色に復原する形で塗り直されたとのことです(下の写真は、曲線を多く取り入れた歩道の高欄の装飾)。
白い花崗岩製の高欄や親柱は荘厳さを感じさせる造りです。
明治時代に架けられたこの旧橋ですが、よく話に取り上げられるのは関東大震災の時の出来事です。
他の橋が震災で落ちる中、当時比較的新しかったこの橋は落ちることなく、燃えることもなく、逃げ惑いこの橋に殺到した群衆の多くの命を救いました。そのため「人助け橋」とか「お助け橋」と呼ばれるようになりました。
現在の橋の中央区側の袂には、「大震災避難記念碑」「人助け橋の由来碑」があります。
「大震災避難記念碑」は思っていたよりも大きく、見上げるような感じ。これは当時の人々のこの橋に対する感謝の大きさを物語るものなのかもしれません。
大震災の10年後の昭和8年に建てられたものだそうで、書かれているのは、この橋に避難されてきた近隣神社の神の力・荷物を捨てる適切な判断をした人の力があったので多数の避難者が助かった、というような内容です。
一方の小さいほうの「人助け橋の由来碑」は、旧橋から今の橋への交代時に建てられた碑。震災当時、久松警察署の新大橋西詰派出所に勤務する警察官の適切な判断を称える内容が記されています。
多数の避難者を誘導すると同時に、このままでは避難者全員が焼死してしまうと判断し燃えそうな荷物を隅田川に捨てさせ、一万人を超える命を救ったのだそうです。
ですが、この橋が防災上も優れた橋だったということがいちばんの理由ではないかと思います。
明治村は今年50周年だそうです。こういう歴史的価値のある建造物が現物の資料として残され、見ることができ、感じることができること。すばらしいことだと思います。
橋に限らず、ビルや建物の建て替えの際には後世に伝えるための努力も必要だということをここに来て感じました。