[小江戸板橋]
2011年8月31日 09:00
日本橋の四隅に設けられた四つの広場。
その日本橋北詰東側の乙姫の広場に、名前の由来となった「乙姫の像」があります。
乙姫様といえば、羽衣をまとい、ふ~んわりと軽やかなイメージがあるのですが・・。
こちらの像は、材質が石造りであることもあり、龍神の娘らしく、堂々と玉座に座っています。
美人さん?
いえいえ、滅相もない。
神様に近い存在なのに、その御器量を測るなんて。
その玉座、海草や魚たちが形作る背もたれと貝類の装飾がついて、豊饒の海を表しています。
でも、やっぱり、硬い印象はぬぐえません。
龍宮城ならば、極彩色の宮殿の方が似つかわしいのでは。
小田急電鉄「片瀬江ノ島駅」のような門構えにして、夜は、LEDライトで華やかに周囲を彩って、鯛や平目のお姉さんが、ヒラヒラ羽衣をなびかせて、舞い踊ってこそ龍宮城。
あっ、どうも、龍宮の固定観念が、妄想をエスカレートさせてしまいました。
「日本橋 龍宮城の港なり」
そもそも、この地は、江戸・東京を通じて庶民の台所を担った、日本橋魚河岸が在ったところです。
江戸前の魚はもちろん、日本各地から集まる魚介類は、さながら龍宮の舞い踊りに似たり。
「日に千両の商い」があったという賑わい振りです。
江戸幕府の創立期から、明治維新を経て、大正12年の関東大震災を期に築地に移転するまでの間、三百有余年に渡って日本橋魚河岸は商いを続けました。
乙姫の像の前にある「日本橋魚市場発祥の地」の碑は、昭和29年に魚市場関係者によって建立されました。
新鮮な魚を扱うことを身上とした「魚河岸」の気質は、天下のご意見番大久保彦左衛門のもとで活躍した、一心太助に代表される、粋でイナセな侠気に溢れた、江戸っ子のひとつの形を作り上げました。
お城に納める魚を扱うということは、魚河岸の目と鼻の先が千代田のお城。
城の大外堀ともいえる江戸湾と、縦横に張り巡らされた掘割を素早く行き来できる魚河岸の人々。
その組織化された集団は、江戸前の魚を取りながらも、いざという時には、実戦的な海上警護の役目に早変わりするのではないでしょうか。
これって、考えすぎ・・でしょうか。
龍宮を守る鯔(イナ)たち、波に跳ね。
[滅紫]
2011年8月26日 08:30
日本橋地区は三井本館(建設年昭和4年、重文)、三越本店(昭和10年、都選定歴史的建造物)、野村證券ビル(昭和5年)、日本橋高島屋(昭和8年)など一部建替えられてはいるものの、昭和初期の名建築が目白押し。
今回ご紹介する「三菱倉庫江戸橋倉庫ビル、以下江戸橋倉庫ビル」もその一つで「都市型倉庫の初期のものであり我が国における表現派風建築の代表的作品」として2007年に都選定歴史的建造物に選定されていますが、その高層オフィスビルへの建替え開始までいよいよ一ヶ月余りとなりました。
江戸橋倉庫ビルは昭和5年(1930年)竣成。我が国初の本格的都市型倉庫として、創業期からの歴史的場所である当地に建設されたものとのこと。昭和通り側から見るとやはり目に付くのは船のブリッジに見える塔屋です。これは社旗を掲げるための旗台として作られたものだそうです。日本橋郵便局側から正面入り口を見ると柔らかいカーブが船体の舳先のように見えます。壁面のデザインもバリエーション豊かでバルコニーや船窓を思わせる半円窓もあり、さらに重厚な印象を与える1階部分の石のデザインなど見所が多くて飽きません。因みに設計は同社社員とのことです。
またこの倉庫は一部に当時アメリカで盛んだった「家具倉庫」に倣い、行李やトランク単位の家具・家財を預かる本邦初の「トランクルーム」を併設していました。これはヒントはアメリカから得たものの関東大震災から間もない日本の実情に合わせ「家財の安全性」のニーズに応えようとしたものでこの「トランクルームサービス」は当時のアメリカでも先端的な業務として理解されアメリカの雑誌にも紹介されているほどだそうです。現在のように数社が参入し誰もが気軽にトランクルームを利用する時代がくることを80年以上前に「サキヨミ」し「トランクルーム」のネーミングとともに新事業開始を決断した先見性に脱帽!です.
新しいビルの概要はニュースリリースされたものによれば「低層部を歴史的建造物として活かし、基壇部の自然石、曲面壁を含む既存外壁の概ね7割及び船橋状塔屋を保存し上部に高層棟を築造。地上18階、地下1階。1階エントランスホールは公開スペースとし、日本橋川の河畔には親水空間を設置し、同様に公開スペースとする」とのことで完成予定の2014年が楽しみですが、今の形での建物が見られるのはあと1ヶ月余り。日本橋地区は他にも見逃せない名建築の宝庫。いずれも指呼の間にありますので、一日「日本橋建築散歩」と洒落てみては如何でしょう。
三菱倉庫江戸橋倉庫ビル
中央区日本橋1-19-1 最寄り駅:銀座線日本橋・三越前
新建築についてのHP:http://www.mitsubishi-logistics.co.jp/news/2010/100129.html/
[滅紫]
2011年8月18日 08:30
テーブルのパン屑はどう始末されてますか?拙宅ではイタリア土産にいただいたローリングタイプのものを使っていますが、クロスの間に入った屑には今ひとつ。「そういえば・・」とこれも頂き物の小箒を思い出し使ってみたところ大正解。すっきり気持ちがいいほど。ちょっとしたプレゼントにもいいかと思いつき、何とも時代を感じさせる包装紙のロゴにも惹かれてお店を訪ねてみました。
創業天保元年(1830年)という老舗の集まりである「東都のれん会」(三代、百年、同業で継続、現在も盛業の老舗)加盟店でした。
「いらっしゃいませ、どうぞ」との声で靴を脱いで座敷へ。商店で座敷に上がるのは呉服屋さんくらいしか経験がありません。何だか個人のお宅にお邪魔しているようなアトホームな気分でゆったり選べます。こんな気分にさせてくれるのも老舗ならではかも知れません。
同社のHPによれば「江戸箒」の名で作り始めたのはこの白木屋傳兵衛商店が最初で天保元年(1830年)に銀座で創業、その後京橋に移り現在まで箒の製造・販売を続けているとのこと。箒の材料となる植物にはシュロや竹、ワラなどがあるがこちらで座敷箒用に使用されているのは「ホウキモロコシ」で、これは「ホウキグサ」と呼ばれている(実が畑のキャビアートンブリ)ものと混同されやすいが別物のイネ科の一年草。畑で栽培され収穫・乾燥・選別を経て熟練職人により座敷箒に加工されるそうです。
製造の詳細はHPをご参照ください。
お店の中には壁面一杯に各種の箒が展示されています。座敷箒は一日に3~5本しか出来ないそうです。編みこみのきれいなこと、使いやすさを極めた無駄のない美しさというのでしょうか、畳のない我が家にも何だか欲しくなって来るほどです。「着物に襷掛けをして青畳をサッサ・・」などと夢想し気分はすっかり「江戸人」・・・
「江戸箒」の特長はホウキモロコシをいう国産のものを使い、練達の職人が選び分けて材料とし、編み上げていくというのが他の座敷箒との違い、さらに実用的で簡素なフォルム、また座敷箒として使い減りしたら洗面所やトイレ用、さらに玄関用として段々下におろしていって使用できる良さもあり、植物材料だから処分に困ることもない。-とのこと(HPより)、これぞ「現代のエコライフにピッタリ!」とあらためて納得した次第です。
今日は細めの筆のようなPC用のもの、ベランダ用の庭箒、たわし、プレゼント用にテーブル用小箒を頂いてちょっとレトロなデザインの袋から出る箒の柄を自慢げに銀座の街を歩きました。
*小箒の小さいサイズは安産お守り(妊婦のお腹を掃くと元気な子どもが生まれる)、携帯用
江戸箒白木屋傳兵衛:中央区京橋3-9-8 TEL3563-1771
営業時間10:00~19:00(土日祝休み)
最寄り駅:地下鉄京橋駅又は都営宝町駅 http://www.edohouki.com/
[O傘]
2011年8月17日 12:00
藝大が創り出した世にも不思議な動物展が三越日本橋本店の1階、中央ホールで開催されています。
動物は動きません。約20匹(?)います。
でも造った素材の
奇抜(きばつ)さに通りがかりの人はみな驚きます。
小学生のころの無限の発想、そして遊び心、その少年時代を思い出させてもくれます。
さあ、ちょっとだけのぞいてみましょう。
大きなトンボ、「風の谷のナウシカ」のふ界にとんでるような大きな猩猩(しょうじょう)トンボ。
羽根はよく見ると色とりどりのストローの薄い輪切りの輪つなぎ。
これは羽根もきれいなオーストライアの鳥?
羽根は・・・・鉛筆削りで出てくる削りカス。
これは鷹(Hawk)、プラスチックナイフでできた鷹。Hawk of knife。
アルマジロ。よくできてますよね。
甲羅を良く見ると小さな動眼(動く黒目)の集まり、揺れると小さな黒眼のツブが動きます。
これはpaper peacock(紙の孔雀)。
紙(週刊少年ジャンプ)で造られています。
かわいいトカゲ。
お腹が硝子に写ってます。
題して「裏表」
亀。
甲羅はビー玉。
フラミンゴ
みんな独特の素材です。よくできています。さすが藝大・・・と言いたくなります。東京藝術大学美術学部2年生による作品。
この「素材×動物」展は8月10日から22日まで開催さています。無料です、お見逃しなく・・・・!
[ゆりかもめ]
2011年8月14日 08:30
雁皮紙を江戸で最初に売り出したのは榛原(はいばら)でした。
一筆・墨をのせると柔らかな筆当たりで字が綺麗にかける・・・・・と云う事で文人、墨客は勿論、夫人、子供にまで人気が広まりました。
皇室をはじめ歴代の宰相、文人、画人からもご用達がありました。
明治の文明開花期には榛原が日本で初めて和紙を輸出し洋紙の輸入を致しました。
1873年のウイーン万国博覧会、1878年パリ万国博覧会にも出品し褒状を授与されました。
この間にヨーロッパに渡った榛原型和紙はイギリスのビクトリア・アルバート美術館、グラスゴー美術館、フランスのルーブル美術館に併設されているパリ装飾美術館などに保存されています。
また、1951年のサンフランシスコ条約に署名した巻紙に榛原型の和紙が使用されました。
大正時代には産業の発展と共に新しく外国から計測器が輸入され、それに使用する計測記録紙の製造にも成功しました。
木版摺りうちわ
「はいばら」は江戸期より、夏の風物詩として愛されている団扇に酒井抱一、柴田是真、加藤英舟の作品を木版で手摺りし、柄の部分は屋久島杉を使用しています。
東京都中央区日本橋2-8-11 旭洋ビル 2F
電話 03-3272-3801 FAX 03-3281-7992
http://www.haibara.co.jp/
日本橋再生の為に現在は仮店舗にいらっしゃいますが平成26年初春に再開発が完了すると再び元の場所に戻られます。
[銀造]
2011年8月11日 08:30
人形町今半さんに着いたのは土曜日の午後2時過ぎです。 今日は連れ合いと二人で、明治座で観劇前の昼食をとやって来ました。 素敵な伝統のある暖簾が風にそよいでいます。
昼食頃は大変人気で混んでいるのですが、素敵な玄関から
2階の4畳半の個室へ通して頂きました。
アレルギーの有無、すき焼きの卵は、半熟煮玉子か生卵かを尋ねてくれました。
この気遣いが嬉しいですね。
連れ合いは、名物牛めし¥1,890 を申し込み、
銀造は、すき焼き弁当¥2,100を申し込みました。いやぁ、牛肉の柔らかく美味しかったこと
食事は午後4時まででお願いしたいといわれて、今日は4時から観劇だから、3時半には出ますよと挨拶していただけですが、ちゃんと覚えてくれていて、いざ勘定を済ませると、「今から観劇ですね、いってらっしゃませ」というご挨拶、本当に一流料亭、躾の良さもあるでしょうが、係りの方々のおもてなしの心が大変嬉しかったです。又、来ようっつと
人形町今半さんの、詳細は、こちらでご覧下さい。 http://www.imahan.com/