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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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日本橋消防団の操法大会

[きゅーた] 2012年6月26日 14:00

6月24日(日)、浜町グランドで日本橋消防団の訓練の審査会が開催されていました。      

お揃いの制服を着たみなさんが大勢集まり、可搬式の放水用ポンプ車が何台も並び、これから何が始まるのだろうと、見ている私はワクワクしました。   

          P1130105.JPG    P1130083.JPG

 審査会は、各地域の代表者が可搬式のポンプを使って、放水の準備~放水をするまでのタイムや動きをチェックされるのだそうです。

どのチームも、大きな声と素早い動きで、あっという間にホースをのばしたかと思うと放水が始まり、いったい誰が何をしていたのか、よくわかりませんでしたが、早さとカッコよさに圧倒されてしまいました。

          P1130164.JPG    P1130210.JPG

続いて、応急手当の訓練が始まり・・・

えっ、同じ制服を着ていましたが、みなさん女性ではありませんか。 P1130236.JPG

消防団って、女性もいるのですね。

 

こんな頼もしい活動をするには、消防団の採用基準はとても厳しく、一日中、訓練をしているのだろうなと考えていましたが・・・

健康で熱意があれば誰でも消防団員になれる!

自分の仕事のない時間、つまり夜間や休日に訓練をやっている! とのこと。。。

消防団って、それが仕事ではないんですね。

日本橋消防団には、地元のお豆腐屋さん、八百屋さんなどのほかに、日本橋地域にオフィスのある企業の従業員の方もいらっしゃるとか。

 

それぞれ自分のお仕事をしながら、地域の安全にも気を配り、仕事の合間に訓練に励む日々を過ごしていらしゃるのだそうです。

そして、もし火災や地震が起きれば仕事を中断して素早く助けに向かう!

 

日本橋のまちは、こんな頼もしい方々に守られているのかと思うと、毎日安心して生活できます。

審査会ということで、各チームの減点や順位が発表されていましたが、私にはどこが悪かったのかわからないくらい、みなさん大活躍でした。

消防団のみなさん、これからもがんばってください!!

 

 

八重洲地下街「東北夏祭り展」と「2012 夏の大抽選会」

[TAKK...] 2012年6月25日 16:08

20120620_chusen[2].jpg

 八重洲地下街では、6月20日~7月10日まで東北の各県のお祭りに関する紹介展示やお勧め観光スポットの紹介、さんさ踊りなどのイベントが開催されています。

 また、八重洲地下街で利用できる買い物・飲食券のほか、東北祭が楽しめる宿泊券や美術鑑賞券など豪華な景品が当たる「夏の大抽選会」も行われています。

 3000円の買い物や飲食を行うと1回抽選に参加できます。

 私はヤエスC賞(買い物・飲食300円分の券)とバラエティ賞(コカコーラ)が当たりました!

 

 また、挑戦したいと思います。

 

 

 

 

夏越の祓えー茅の輪くぐりー小網神社と波除稲荷神社

[滅紫] 2012年6月22日 08:30

本日20日より小網神社に茅の輪が設けられた。「夏越の大祓え」が行われる6月30日まで設けられるとのこと。

100_0624.JPGご高承の通り、年2回の大祓えのうち、大晦日は「年越しの祓え」六月は、旧暦の六月は文字通り秋を迎える節目に当たることから「夏越の祓え」と呼ばれ奈良時代からの宮中行事でもありました。現在でも多くの神社で行われている「茅の輪」の行事はこの「夏越の祓え」を代表する慣わし。「茅の輪」と呼ばれる「茅」(ちがや)を束ねた輪(直径2~3m)が飾られ、この輪をくぐると身が清められ疫病や罪が祓われるとされています。夏越の祓えに茅の輪を飾るのは「備後風土記」に記されている「蘇民将来」の説話(一夜の宿を貸してくれた蘇民将来にスサノオノミコトが茅の輪を腰につけると疫病を免れると教えた故事」に基づきこの伝承が今日の茅の輪くぐりの元になったと考えられているとのことです。


江戸後期の「東都歳事記」にも「神前、祝詞を奏し、神楽興行あり。神事終はりて参詣の輩、茅の輪を超えさしむ。河辺に隔たりたるところには盥に水を盛りて禊川に比するなり。この日庶人、紙をもって衣類の形に切りて、撫ものとし、川に投ず。」とあります。また文化年間の「諸国風俗問状答」の丹後国峯山領の答えには「輪を祓える時唱歌、水無月の夏越の祓する人は千年の命のふといふなり」「おもふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきつても祓する哉」右二首の歌を唱して茅の輪を抜け申候」というのが見られます。これは拾遺集にある歌ですが、現在でも茅の輪くぐりの際唱えるといわれています。


半年間の身の穢れを祓うために神社にある「形代」(かたしろ)に生年月日、名前を書いて身を撫で神社に納めます。神社では納められた「形代」を「夏越の大祓え式」でお祓いし、川や海に流します。

100_0632.JPG小網神社の大祓えは6月30日。また波除稲荷神社では6月の大祭の後から既に茅の輪が設けられており、「大祓え式」は7月第一土曜日、今年は7月7日、午前中に大祓え式の後、午後から隅田川波止場岸壁より「海上形代流し」が行われます。従ってこの「大祓え式」までに神社に形代はお納めください。半年間の穢れを祓って気持ちのよい次の半年を迎えたいものですね。氏子でもないのに私は2社から形代をいただいてきました。穢れが祓われ過ぎたら!!どうなるのでしょうか?



この夏越の祓えに用いられるのが和菓子「水無月」。白の外郎生地に小豆を載せ三角形に包丁された菓子で小豆には悪魔祓い、三角の形は暑気を払う氷を表しているとのこと。京都では6月30日にしかいただかないものだとか。・・六月は何故かこの御菓子が出されることが多いので、私お茶のお稽古で既に2回いただいてしまいました。
写真は「築地高生」さんのもので六月一杯は作っていらっしゃるそうです。ひとつは杏の蜜漬です。

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小網神社:日本橋小網町16-23 TEL3668-1080
       人形町A2出口徒歩5分


波除稲荷神社:中央区築地6-20-37 TEL3541-8451
          築地駅徒歩7分、築地市場駅徒歩5分 


 

 

三越劇場と〝新派〟公演

[下町トム] 2012年6月14日 12:30

中央区は日本の演劇の歴史の中心地でも会ったことは皆さんご存知のとおりです。改築中の〔歌舞伎座〕や〔新橋演舞場〕〔明治座〕などと並んで伝統を誇るのが、〔三越劇場〕です。

三越劇場正面_R.JPG日本橋の三越本店の6階に設置されているこの劇場は、大劇場と言うよりも「こじんまりした高級シアター」という感じがピッタリです。公式ホームページによると、1927(昭和2)年に〔三越ホール〕として開設され、戦時中の閉鎖を経て戦後現名称で再オープンしたそうです。歌舞伎や各種劇団の公演のほか、落語や邦楽の公演も行われ、親しみの深い劇場です。

三越劇場内部1R.JPG 三越劇場内部2_R.JPG造りがまた凝っていて、大理石を用いた壁面やステンドグラスをはめ込んだ天井などは気品と落ち着きを醸しだしています。まるでヨーロッパのオペラハウスのような気取った心持ちにもさせてくれます。中央通路の天井部にも様々な紋様があしらわれていて、戦前の職人の手抜きをしない作業に感心します。中には獅子のような模様もあり、三越のプライドを表現しているようにも思えます。

三越劇場内部3_R.JPG 

 

 

この日は〝劇団新派〟の公演「華岡青洲の妻」がかかっていました。新派の二大巨頭である、水谷八重子と波乃久里子が熱演し、会場の観客を魅了しました。

 

ポスターと花_R.JPGちなみに〝劇団新派〟は1888(明治21)年に大阪で旗揚げされた劇団「大日本壮士改良演劇会」というのが出発点だそうです。士分を離れてやや鬱憤をもった壮士といわれる人たちが、何か新しいものを演劇の世界に求めたのではないかと推察します。何となく、明治の先進的チャレンジ精神が彷彿とするネーミングのように思えます。その後、歌舞伎に代表される伝統演劇を〝旧派〟となぞらえて〝新派〟という名前が与えられたということです。

したがって、〝新派〟は来年で125周年を迎えます。最近は若い有望な役者も増えてきて、この劇団の発展が楽しみです。現在の公演は今月23日まで開演中です。機会があったら、三越劇場の雰囲気も味わいがてら、是非観劇に出かけてみて下さい。

 

続きを読む: 三越劇場と〝新派〟公演

 

『森繁久彌と向田邦子展』  日本橋三越で開催

[与太朗] 2012年6月 9日 08:30

IMG_0571.JPG 文化勲章・国民栄誉賞に輝く名優、森繁久彌(1913-2009)と、今も根強い人気を誇る脚本家で直木賞作家の向田邦子(1929-1981)。森繁久彌の生誕100年と「向田邦子賞」創設30周年を記念して、二人の交流と活躍をたどる展覧会が日本橋で開催されています。

 【森繁久彌と向田邦子展】

  6月6日(水) → 18日(月) 

  日本橋三越本店 新館7階ギャラリー

  入場料 : 一般・大学生 800円

 

IMG_0566.JPG 2009年に96歳の天寿を全うした森繁久彌と、対照的に51歳の若さで台湾の航空機事故に散った向田邦子。1959年秋頃、森繁のラジオ番組『奥様お手はそのまま』の台本を書いた向田邦子は森繁に認められ、以後彼の出演するラジオ・テレビ番組の脚本を任されてその才能が開花し、『七人の孫』、『だいこんの花』、『時間ですよ』、『寺内貫太郎一家』などで不動の地位を築いていきます。「ズブの素人の私がどうやら今日あるのは、フンドシかつぎがいきなり横綱の胸を借りてぶつかりげいこをつけてもらったおかげ」(『余白の魅力 森繁久彌』)と彼女は感謝しています。彼女の突然の死を嘆き悲しんだ森繁は三周忌に際しその墓前に句を捧げました。 

 「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」

 

 お二人とも生れも育ちも中央区とはご縁がありませんが、向田邦子はシナリオライターを志す前は映画雑誌の編集者で、9年間在職したその出版社・雄鶏社は江戸橋にありました。1978年の第一エッセー集『父の詫び状』所収の24編(乳がん手術の後遺症のために右手が使えず、左手で書いたそうです)は『銀座百点』に掲載されたものです。また、彼女をかしらに四人姉弟は水天宮のお札のおかげでつつがなく生れたと聞かされて育ち、人形町の魅力を熱く綴ったエッセー『人形町に江戸の名残を訪ねて』を遺してくれました。

 

IMG_0565.JPG 中央区とは関係ありませんが、ここで蛇足を一つ。森繁久彌は戦後まもなく世田谷に居を構えましたが、最寄りの小田急線千歳船橋駅近くから森繁邸に至る道はいつからか「森繁通り」と呼ばれていましたが、一昨年、世田谷区はこの通称を正式名称とする「命名式」を行いました。森繁邸は現在高級マンションに変わっていますが、入口に掲げられたその名前は「SETAGAYA  TEVYE」。900回公演を誇るあの名舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』の主人公の名前がつけられています。

 

【写真上】 日本橋三越本店の展覧会場

【写真中】 向田邦子の墓(多磨霊園)

       墓碑右手のブック形の碑に「花ひらき・・・」が

【写真下】 森繁久彌の墓(谷中霊園)

       

 

 

中央区和生菓子組合 加盟店 甘い物巡り

[銀造] 2012年6月 2日 08:30

中央区和生菓子組合は、明治23年組合結成以来、平成22年で120年を迎えたのを記念に、ご案内の地図を作成しておられました。 鞄の中にずっとしまっていたのを見つけ、"これは、楽しい街歩きrunが出来るぞ!"と、お店の訪問を始めました。加盟店38店の中には、"銀座あけぼの"さんの様に、戦後まもなく「新しい日本の夜明け」が来ることを祈って店名を決めたというお店、佃二丁目の二葉家さんは、創業明治元年とか、お店の由来を知るのも楽しいものです。 加盟店の中には、中央区観光協会の加盟店である、人形焼本舗板倉屋、榮太樓総本舗、壽堂、文明堂日本橋店、三原堂本店、入船 青柳、西八丁堀 青柳、塩瀬総本家、清月堂本店、東京風月堂、銀座松崎煎餅などのお店があり、各店のご自慢の生菓子が販売されています。

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生和菓子の良いところは、季節の花、果物をあしらって、美しく、美味しく頂けるところですね。 本当に一味違います。 今の季節は、花菖蒲とか鮎があしらわれているようです。

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お家でゆったりと渋茶で頬張ると幸せhappy01を感じます。ご進物、、東京土産に最適です。

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この地図は、加盟店各店でお求めになれます。 楽しく、甘い物巡りをお楽しみ下さい。

なお、NPO法人東京中央ネット さんのHPからも地図が入手できます。 東京中央ネットさん、ありがとうございます。http://www.tokyochuo.net/sightseeing/wagashi/index.html

 

 
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