[佐平次]
2015年7月31日 18:00
日本橋本町に創業360年を超える和紙の老舗商店「小津和紙」がある。
江戸時代 1653年 承応2年 小津清左衛門長弘が、江戸の商業地大伝馬町(現 本社所在地)に紙問屋「小津清左衛門店」を創業したのが初めだという。
2015年に完成した新店舗は江戸時代の商店のように塀に囲まれ、入口には暖簾がかかるシャレた作りだ。
一階は正面に紙漉き体験ができるコーナー「和紙体験工房」があり、左手奥が店舗で日本全国の和紙と和紙を使った製品が並んでいる。
2階は小津文化教室、小津ギャラリーとなっており、3階が「小津史料館」と和紙の歴史や原料、製法や産地などを展示してある「ミニ博物館」となっている。
「小津史料館」は当然のことながら「小津和紙」の歴史を紹介する展示物を中心に集めたものだが、創業360年を超える老舗らしく、その展示物には江戸時代の風俗や商人の暮らしぶりなど興味深い資料もたくさん展示されている。
3階にはこの「小津史料館」の他、和紙を使った作品のギャラリーと和紙に関する知識が得られる「ミニ博物館」があり、和紙が世界無形文化遺産に登録されたことでもあり、こちらは小学生の夏休みの自由研究にお勧めだ!
番頭さんがいろいろと説明をしてくれ、ギャラリーで実際に和紙が作られる工程を録画したビデオも見せてもらえる。
また店舗の一階では紙漉き体験ができるコーナーでは、実際にオリジナル手漉き和紙体験を家族や友人あるいは1名でも体験できるそうだ(予約優先)
2階は小津文化教室となっており、書道・ちぎり絵・押し花・篆刻・水墨画・色鉛筆画・絵手紙・カリグラフィー・お香・王朝継ぎ紙など、さまざまなジャンルで約80の教室を開講している。(2時間の体験型講習会もあり)
夏休みにお子様を連れてこのようなミニ博物館を訪れるのも楽しいのではないだろうか?
〒103-0023 東京都中央区日本橋本町3-6-2
TEL:03-3662-1184 FAX:03-3663-9460
営業時間:10:00 ~ 18:00 定休日:日曜日
[銀造]
2015年7月31日 09:00
築地本願寺の納涼盆踊り大会が7月29日から始まりました。
低頭して、会場へ向かいます。
築地場外のお店も沢山出店して、美味しい物を買い求める人の列が出来ていました。
皆さん、大変楽しそうでした。楽しそうなシーンの写真は、別の特派員の報告をご覧下さい。
今日は、お勉強があったので、やむなく闇に消えた銀造です。
取り急ぎ、ご案内申し上げます。
[銀狸]
2015年7月29日 20:00
7月26日(日) 橋洗いを初めて見学した。
11時に、日本橋北詰から日本橋交差点が通行止めとなり、
11時10分に、橋中央の道路元標にお清めがなされた後、橋洗いがはじめられた。
多くはデッキブラシであるが、小さな子はタワシを使い、
灰色の水が流れ、続けられた。
最後は、ハシゴ車が出動し、高速道路につけられた「日本橋」のプレート清掃が行われた。
日本橋に架かる高速道路の撤去の署名が、325,000人集まったとの発表があったが、
一日も早くそれが実現し、プレートの清掃がなくなればと熱望した。
持参の温度計は33度!
橋という狭い場であったため、イモ洗いのように見えたが
1,300人ほどが橋洗いに汗した。
[お江戸のマーシャ・堀内]
2015年7月29日 18:00
毎年7月の最終日曜日11時頃からの名橋日本橋の橋洗い(現在の橋は今年で104年を迎える)
、7/26 参加してまいりました。
先ずは、橋中央埋め込まれている"日本国道路元標"にお参り感謝です。
それから二台の日本橋消防署の赤い車体から長いホースが取り出され、橋の上に散水(再生水)、
自然に優しい石鹸水をバケツで橋全体へ。(消防署からは40名ほどの隊員さんが来られています)
参加人員は老若男女、たぶん1500名ほどでしょうか、炎天下36度の下、全て団体組みで
"町内会風の法被"を身に纏い、デッキブラシなどを手に、子供にとってはホースから出る水を
追っかけて橋のメジめがけてゴシゴシ、水浴びダー!
12時過ぎからは、消防車から梯子が頭上の高速道路両側面に取り付けられている大きな"日本橋"看板の
お掃除でフィナーレです。暑い中お疲れ様でした。
(この文字は、徳川慶喜の揮毫の橋柱の銘板の文字をコピーして横並びにしたものですが、橋柱の銘板は建築家で幕臣であった妻木頼黄がその揮毫を頼んだもののようです)
[クラさん]
2015年7月28日 14:17
7月26日の日曜日、日本橋の夏の風物詩である「日本橋」橋洗いが行われました。このイベントは名橋『日本橋』保存会が毎年7月に開催し、日本橋の美化保存を目的に道路を封鎖して地元の方々や周辺の企業に勤めている人など街ぐるみで橋を洗ってきました。
日本橋は、江戸時代の五街道の起点であり、「日本国道路元標」を始め路面等を洗い、今年で45回を数えます。
11時からオープンセレモニーが行われ、続いて日本各地の名水を橋の車道の中心に埋めてある「日本国道路元標」に注ぐ「名水水あわせ」が行われました。
先ずは、東京国土事務所の散水車が3台並んで橋の車道に水をまき、参加者による「日本橋」橋洗いが始まりました。
橋の上にある首都高・高架にある「日本橋」の看板には、東京消防庁のはしご車に乗った小学生たち等によって磨かれ、最後には、北詰・南詰とも同時にダイナミックに高水圧の放水で汚れが洗い流されました。
そして散水車が放水して仕上げ洗いを行いました。
今回も多数の人たち(約1800名)が参加し、約2時間にわたって、デッキブラシやタワシを使って1年間の橋の汚れを手作業で落としました。
[見たい行きたい伝え隊]
2015年7月27日 14:00
どこかで聞いたような台詞ですが、
時は「明治」、 小林清親作の一枚 『海運橋 第一銀行(雪中)』 です。
思い描いてみて下さい。
ある雪の日、橋に向かって歩く女性の後ろ姿。
赤い帯に番傘をさして、その傘には銀座・岸田の文字。
女性の右手には、柳の木。
そして橋の向こう左手奥には和洋折衷の立派な建築物、あの初代「第一国立銀行」が。
ちなみに、上記の第一国立銀行は、
清水組二代清水喜助の設計施工による木骨石造、擬洋風建築の最高峰といわれています。
また、岸田の文字は岸田吟香の楽善堂(目薬の精錡水)ではないでしょうか?
しかし、今日の主役、実はこの錦絵の「橋」 なんです。
とは言うものの、平成の現在、この「海運橋」はもうありませんし、
下を流れる楓川(もみじがわ)も、残念ながら昭和37年に埋め立てられてしまい
ただ親柱が2基残されているだけなのです。
昭和通から兜町に入ると、地下はパーキング、地上は高速道路。
そんな道の端にある広場と呼ぶにはあまりにも小さな空間に「かいうんはし」と刻まれた
石橋の親柱がひっそりと時を経て存在しているのです。
右に目を向けると、木々に埋もれたもう一基。
かろうじて読めるのは「紀元」「五年」「海」。 (= 紀元二千五百三十五年六月造 海運橋)
細い道路の向こうには、当時の場所に、姿は変われど銀行が・・・。
宝くじ売り場の壁には、楓川時代の地図があり、
左へ左へと、その銀行の建築物の歴史を読むことができます。
その先へ歩を進めると、
突きあたりに「日証館」(明治のころは渋沢栄一邸)、左隣は「兜神社」です。
右方向へ歩けば、「鎧橋」(明治5年までは「鎧の渡し」でした)を渡れます。
鎧橋を渡った左手には案内板を見つけられます。
東京で最初のカフェーとされる「メイゾン鴻の巣」)
今日の一枚!から、話は流れ流れてきましたが
昔を懐かしんで(?)、散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。